第22話 愛の女神様 終
美々花は緊張した面持ちで机に手に持った紙を広げる。
並べられた五十音と数字。鳥居を挟むように書かれたはいといいえの文字。それは、こっくりさんを行うのに必要な
美々花が席に着けば、その対面に迷う事無く茨が座る。
そして、鳥居に置かれた十円玉に茨と美々花が人差し指を置く。
「彼女も今回の協力者だ。彼女はつい先日こっくりさんをこの学校で行った。その際、こっくりさんにとり憑かれてしまった。それだけであればこっくりさんのありふれた被害の一例に過ぎない。が、彼女は一点特殊でね。彼女にとり憑いたのはただの動物霊じゃない。とある神社に祀られていた山神だったのさ」
言って、好は視線を二人に向ける。
「紆余曲折あってね。私は山神と彼女の二人を救ったという事になる。彼女の方はともかくとして、山神には貸し一つと言ったところだろう」
好の視線を受けて、二人は降霊術を始める。
「「こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください。もしおいでになられましたら『はい』へお進みください」」
二人がそう唱えた直後、異質な寒気が教室中に広がり、どこからともなく獣の臭いが漂ってくる。
「貸しを返さないのも神の名折れだろう」
茨と美々花の指が置かれた十円玉が、真ん中の鳥居から移動する。移動した先は、『はい』の文字の上。
この場に居た全員が幻視する。見えるはずの無い、三人目の指が十円玉の上に置かれているその光景を。
「こっくりさんは占いだ。ただ、こちらの質問に答えてくれるだけだ。ルールを破ればそのペナルティを受け、ルール通りに真っ当すれば占いとしても降霊術としても正常に終わらせる事が出来る。ただ、それだけだ。別段、お前を倒すための術がある訳では無い」
好は淡々と説明をする。
そこに、脅威は無いという。けれど、身体の無い佐崎智則が、かくはずの無い冷や汗をかいている。
そう思わせるほどの圧が、恐怖が、危機が、佐崎智則の目の前に在る。
新しい身体などどうでも良い。今すぐにでも此処から逃げ出したい。そう思わせる存在が、すぐそこに居る。
好と茨以外の霊感の無い四人にも異質な何かがそこに居る事をなんとなく知覚しているのだろう。何とも言えない雰囲気に不安気な顔をしている。
「大丈夫だ。お前達は絶対に指を離すなよ」
好は佐崎智則から目を離す事無く、三人にそれだけ忠告する。
「しかし、先程も言った通り、私は貸しを一つ作っている。ワトソン君」
「はーい」
好の言葉に返事をし、茨は何の気負いも無くこっくりさんに訊ねる。
「こっくりさん、こっくりさん。貴方は、ホームズに作った借りを返してくれますか?」
茨がそう訊ねれば、鳥居に戻っていた十円玉が動く。
『よかろう』
十円玉がそう文字をなぞり、何処からともなく聞こえた声が耳に響いた。
確かに、全員の耳に届いたその声に、好と茨だけは一瞬たりとも取り乱す事は無かった。
「なら今返せ。このくらい、安いものだろう」
好の言葉の直後、ふわりと不自然に風が吹いた。そして――
「ぎゃあぁああああああぁぁぁぁぁあぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
――誰かの絶叫が教室に響き渡る。
好や茨では無い。協力してくれた四人の中の誰かでも無い。
この場に居て、この場に居ないはずの者の絶叫。
四人は混乱しながらも、決して十円玉から指は離さない。
「お前達は見えなくて良かったな」
ふぅと一つ息を吐きながら好は言う。
何処からともなく現れた二匹の狐に、佐崎智則は文字通り食い荒らされていた。
肉体が無いからか、それとも狐の咬合力が優れているからか、佐崎智則の身体は面白いくらいに簡単に千切れる。
佐崎智則の絶叫が窓を震わせる。
「遊び半分で降霊術を行った浅葱毬も勿論悪い。それは、間違えようのない事実だ。こんな事、遊び半分でするものじゃない。だが――」
食い荒らされる佐崎智則をしかと見据える。決して、目を逸らすような事はしない。
「――人の人生を弄んだお前が誰よりも悪だ。お前の末路は、それがお似合いだ」
無慈悲に、それが当然の報いだとばかりに、好は言い捨てる。
苦痛の最中に居る佐崎智則にその声は届いていないだろう。
長い長い絶叫は徐々にその音を小さくしていく。
やがてその声は途切れ、静寂が帰ってくる。
狐二匹はぺろりと自身の口の周りを舐めると、どこかへ歩き出して教室から去っていく。しかし、まだ愛の女神様もこっくりさんも終わっていない。その証拠に、山神はまだこの場に居る。
「終わったの、か……?」
「ああ。佐崎智則は跡形も無く消滅した」
だから、もう安心だ。そう言いかけたけれど、その言葉をぐっと飲み込む。
まだ終わっていないのなら、気を抜いてはいけない。まだどちらの降霊術も正しく終わっていないのだから。
「それでは、こちらも終わりにしよう。さぁ、終わりの言葉を」
好がそう言えば、五人はそれぞれ終わりの言葉を口にする。
「「こっくりさん、こっくりさん。どうぞお戻りください」」
「「「愛の女神様、愛の女神様、どうぞお戻りください」」」
五人が最後の言葉を唱えると、十円玉は鳥居まで動く。
「「こっくりさん、こっくりさん、ありがとうございました。お離れください」」
「「「愛の女神様、愛の女神様、ありがとうございました。お離れください」」」
すっと、今まで見えていたこっくりさんの指が消える。それと同時に、教室に充満していた獣臭も、身の危険を覚えるような怖気も消えてなくなった。
これで終わった。本当に、全てが終わったのだ。
好は、長く息を吐く。
「終わったな、ワトソン君。事件解決。随分と、骨のある事件だったな」
「そうだね、ホームズ」
疲れきった笑みを浮かべる好に、茨は常の笑みで答えた。
〇 〇 〇
最初に刺激されたのは嗅覚。薬品の匂いが鼻をつく。
柔らかいものに身体を包まれている感触。目蓋越しに感じる光。
「ん……」
一つ呻いて、重い目蓋を開ける。
目に飛び込んでくるのは見た事の無い白い天井。
「此処は……――っ」
聞こえてきた自分の声に思わず驚く。
聞きなれた自分の声ではない。いや、そもそも、自分の声など十年前から聞いてはいない。
知らない声に戸惑いながらも、それが誰の声であるのかを理解するのに数秒の時間を要し、その声の主を理解した後、自然と涙が溢れ出て来た。
無いと思っていた。もうとっくに死んでいると思っていた。
胸に手を当てれば響いて伝わる心臓の鼓動。涙が頬を伝う感触。温かい身体。
涙を拭いながら、ふと視線を横に向ければ、サイドテーブルに鏡が置かれているのに気付く。
ゆっくりと起き上がり、サイドテーブルに置かれた鏡を手に取る。
鏡の上部には『おめでとう』の文字。そして、鏡に映るのは――
「私だ……! 私の顔だ……私の身体だ……っ! 私の……私のぉ……っ!」
――まごうことなき、自分の顔だった。浅葱毬の顔だった。
最後に鏡で見た時よりも、幾分か年を取ってはいるけれど、確かに自分の顔だった。
大きく、大きく、憚る事も無く嗚咽を漏らす。子供のように、大きな声で泣く。
身体を失ってから十二年が経過していて、身体は年を取って、環境は大きく変わって、新しく家族が出来て、子供も出来ていた。
自分の知らない空白の時間が浅葱毬には在る。その時間はを知っているのは彼女の周りに居た者だけで、自分はその時間を知らない。
高校生活を満喫しただろう。大学生活も満喫していただろう。新婚生活も、子供が出来てからも、きっと満喫していたのだろう。
その時間を、毬は知らない。
これからどうするかなんて分からない。これからどうしたいかも分からない。大きな目標が消えて、急にやる事が分からなくなった。
自分の人生を歩みなおせるのかどうか分からない。大きな不安は、胸中で膨らんでいる。
でも、それでも、毬は自分の人生を生きたい。
泣いて、笑って、怒って、悲しんで、そうやって生きながら生き続ける。そんな当たり前を、今度こそちゃんと生き続ける。
だから、今は目一杯悲しもう。目一杯泣こう。それも、生きているという事なのだから。
「私……ちゃんと生きてるよ……!!」
大きく、大きく、彼女は泣いた。その瞬間さえも、今はとても愛おしかった。
病室に入ろうとした好と茨は顔を見合わせた後に踵を返す。
「元気そうだったね」
「そうだな」
泣いているところなんて見られたくは無いだろう。そう思い、二人は暫く時間を潰そうと病院に併設されているカフェへと向かう。
泣いている様子だったから一瞬心配はしたけれど、聞こえてきた言葉は前向きなものだった。だからこそ、一度出直す事に決めた。今は、一人で噛みしめた方が良いだろう。
事件が解決してから早三日。その間、毬は目を覚ます事無く、事件関係者は事後処理に追われていた。
好と茨は安心院五十鈴の両親に事の顛末を話せる範囲で報告し、霧生は佐崎智則による奥仲毬の自傷を事故として報告するための辻褄合わせに忙しかったり、協力してくれた目盛達には一応念のために御祓いを受けて貰ったり等々、忙しなく動いていた。
その合間に意識が戻ったら自分の身体に戻れたのかを確認したいだろうと思い、メッセージと共に鏡を置きにくるついでに様子を見に来たりはしていた。
今日も学校終わりに様子を見に来たのだけれど、タイミング良く毬が目を覚ましたところだったようで、内心では酷く安堵していた。
これで事件の全てに決着がついた。
二人の表情からは緊張の色が抜け、緩やかな日常に浸る穏やかな表情になる。
「それにしても、大変だったね」
「そうだな。思いのほか時間がかかった」
「ま、いつもはこんなに時間必要無いしね」
「必要無いというか、時間が限られているというか……」
好は怪異探偵ではあるけれど、まだ高校生だ。彼に依頼が来る頃には本当に切羽詰まった時くらいなもので、解決に時間をかけてられない場合が多い。今回のように、猶予がある方が珍しいとも言えるだろう。
「それにしても、まさかまさかだったね。人の身体を渡りあ――」
「そこから先は言わない約束だぞ、ワトソン君」
「おっと、そうだった」
慌てた様子で口元を両手で押さえる茨。
二人で話し合って決めた事だけれど、今回の関係者全員にはこの事件の事を口外しないようにと伝えてある。理由は言わなくとも分かるだろう。
人の身体を渡り歩く方法があるなんて知られれば悪用する者が出てくる可能性もある。実際に目の当たりにしなければ眉唾な話だけれど、この手の話に精通している者であれば有り得ない話では無い事に気付くだろう。
それに、全てを捨ててでもそれを試そうと思う人間が出てくる可能性もある。なんにせよ、今回の事は悪用されれば事だ。こういう事件は、一切の情報を露出しないに限る。
「良かったね、無事に解決出来て」
「そうだな。これ以上に無いくらいに大団円……とは、行かないがな」
大団円と言うにはあまりにも事件発生から時が経ちすぎており、そのために犠牲になった人間も多い。
「それは言っても仕方ないと思うよ、ホームズ」
「だが言ってしまうものだ。所詮、俺は探偵だ。事件が起きてからしか事態に対処する事が出来ない。俺がもっと強くて、怪異を真正面からねじ伏せる事が出来たなら、もっと違うんだろうけどな」
「怪異と真正面から戦ってねじ伏せるなんて、それこそ人間じゃないと思うな。それに、今回に限って言えば、バカをしたからそのしっぺ返しを食らっただけでしょ? ホームズが思い詰める必要は無いと思うよ。仕事はした訳だしね」
「別に、思い詰めちゃいないさ。けどまぁ、そうだな。一々センチメンタルになってたらきりが無いか。俺は探偵らしく、事件を解決していけばいい」
「そーそ! 見返りを求めず、自分を顧みず、そうやってホームズはいつもどーり、やってけば良いと思うよ。助手として、僕もフォローするからさ」
「俺よりもワトソン君の方が自分を顧みた方が良い気もするが……」
「僕は良いの! 顧みる程大切なモノなんて、僕の中には無いからね。僕の事を考えるだけ無駄ってやつだよ」
言って、得意げににこりと笑う。
そんな茨を見ながら、好は少しだけ寂しそうに笑う。
「俺は、君に何かあったら悲しいよ」
「じゃあ止めろって言う?」
「いや。俺には君の力が必要だからな。自分を大切にしてくれという事だ。俺のためにも」
「なるほど。うん、分かった」
「それで分かられてもなぁ……」
困りながら笑みを浮かべていると、ふととある五人組が視界に映った。
その五人を見て、好は先程とは違う温かみのある笑みを浮かべる。
「訂正だ」
「何が?」
「これ以上ないくらい、大団円だろうって話だ」
笑いながら、好は歩く。
その横を、五人の
笑顔を浮かべて、楽しそうに笑う彼女達。
好は、毬の言う同意の上という言葉を信じてはいなかった。方便だろうと、そう思っていた。
けれど、彼女達を見てその考えを改める。
「青春時代を奪われたなんて思ってる人は、あんなに良い笑みを浮かべられないだろうさ」
だからこそ、大団円。毬にとっても、彼女達にとっても。
「……今日は帰るか、ワトソン君」
「えー? 帰っちゃうのー?」
「ああ。久しぶりの再会に水を差すものじゃ無いだろう。それに、実は新しい依頼も来てるんだ。今日はその解決に行こう」
「えー! じゃあ毬さんのお見舞いいつ行くのさー!」
「安心しろワトソン君」
足を止め、好は茨を見る。
「俺はホームズだぞ? 程度の知れた依頼など即日解決だ。明日にでもまた来ればいい」
強気に、好は笑う。
そんな好を見て、茨もにこっと楽しそうに笑う。
「ホームズ、もう夕方だよ?」
「なに、何とかするさ」
茨の言葉に、好は気負う事無くそう返す。
「さて、行こうか、ワトソン君」
「うん、ホームズ」
止めた足を再び前へと踏み出す。
そこにどんな危険が潜んでいようと、どんな怪異が蔓延っていようと、二人は行く。それが、怪異探偵。法無好と和島茨の選んだ道なのだから。
「さぁ、怪異を暴いてやろうか」
怪異探偵 -怪異事件のホームズとワトソンー 槻白倫 @tukisiro
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