第21話 愛の女神様 拾肆

 生命の危機に瀕する事で、魂と肉体の定着は弱くなる。


 その事を知っていたのは、佐崎智則が生前命の危機に瀕した事が原因だろう。


 交通事故で生死の境を彷徨った佐崎智則は、自身の身体を俯瞰して見る事が出来た。俗に言う幽体離脱というものを経験したのだ。


 その時は、特になんとも思わなかった。まるで現実味の無い光景に、夢か何かだと思った。


 けれど、目を覚ましてからそれが幽体離脱である事を悟った。


 その経験があったからこそ、決断は早かった。


 自らの首をかき切って瀕死に陥る事で魂と身体の繋がりを緩くした。元々、佐崎智則の身体では無いため、簡単に抜け出す事が出来た。


 佐崎智則は好の考えを理解していた。


 愛の女神様を行い、佐崎智則に何らかの方法で愛の女神様のルールを破らせ、そのペナルティを負わせる算段だったのだろう。


 そして、ペナルティを負った佐崎智則を追い出して浅葱毬を身体の中に戻す。もしくは、無理矢理浅葱毬の魂を押し込んで、控えさせていた祓い屋に佐崎智則だけを祓わせる算段だったのだろう。


 だが、詰めが甘い。遊園地で安心院五十鈴と一緒に居る好を見た時から、何かしら策を弄してくる事は予想していた。現在の愛の女神様の容姿や名前なんて直ぐに確認する事が出来る。元より、警戒はしていた。


 だからこそ好の誘いに乗った。すぐさま身体から離れる事が出来る事を分かっていたからこそ、わざわざ危険を冒してまで怪異探偵に会いに行ったのだ。


 怪異探偵は一度間近で見ておく必要があると判断した。今後、他人の身体を渡り歩くには彼の存在は危険だからだ。


 だが、警戒をする必要も無かった。所詮は子供。相手を傷つける事に抵抗があり、怪異を祓う程の力も無い。一つ一つ事件を紐解くくらいしか出来ない存在だ。なるほど、確かに探偵だ。霊が見えるという特殊な能力を持つ、怪異専門の探偵。しかし、祓う事が出来ないのであれば自分の相手ではない。


 問答無用に祓われでもしたらどうしたものかと思ったけれど、とんだ杞憂だった。


 怪異は確かに存在する。


 佐崎智則もこの身体になってから数多の怪異に遭遇した事がある。その中には、身の毛もよだつような怪異も居た。そんな相手に比べれば、怪異探偵のなんと子供騙しな事か。いや、先程も言った通り所詮は子供。出来る事などたかが知れている。


 しかして、このままでいる事も危険だ。早急に次の身体を見付ける必要がある。


 ああ、良いところに……。


 街を上空から俯瞰して見れば、自らを呼ぶ声が聞こえてきた。


 それは、佐崎智則が街に流行させた愛の女神様を呼ぶ声だ。


 愛の女神様は最早下火になりつつある。しかして、遊び半分で行う者も少なくない。


 今も、三つ呼ぶ声が聞こえる。こういう展開がある事を予想して愛の女神様を流行らせておいた。愛の女神様をしているところが、佐崎智則にとって避難先になり、新たな人生を歩む身体になる。


 内心でほくそ笑みながら、佐崎智則は声の元へと向かう。


 そこは、秀星高校から少し離れた位置にある高校。


 沈みかけの夕日が差し込む教室で、四人の生徒が愛の女神様をしていた。


「ね、ねぇ、本当に来るかなぁ?」


「さぁ……」


「こんなの迷信だろ? あれだ、不覚筋動ってやつだろ?」


「ふかくきんどー? ちょっと、難しい事言わないでよー」


 楽しそうに、不安そうに、何かを期待したように、彼等は愛の女神様を行う。


 男二の女一の計三名。この中の誰でも良いけれど、出来るだけ見目の良い相手を選びたい。


 三人を吟味しながら、すっと指を十円玉に乗せて動かす。


「――っ! ちょっと! 誰か動かしてるでしょ!?」


「や、お、俺じゃねぇよ!」


「俺でも無い……」


 突然動いた十円玉に困惑する三人。


 少しずつ、少しずつ恐怖を煽る。そうする事で、恐慌状態に陥らせて相手の指を離し易くする。十二年前も同じようにして浅葱毬の身体を乗っ取ったのだ。


 簡単な事だ。人は自身が認識できないものを恐れる。自身の理解の範疇を超えたものを恐れる。その理解の範疇を超えた場所に自身が居るのだ。それを知覚できない者を恐れさせるなど容易い事だ。


 十二年前と同じように、佐崎智則は十円玉を動か――


『どうやら、賭けは私の勝ちのようだな……!!』


 ――そうとした、その時。どこからともなく三人以外の声が聞こえてきた。その声には憶えがあった。何せ、先程までその声の主と会話をしていたのだから。


突然の事に混乱をしているその時、教室の扉が勢いよく開け放たれた。


 そこに立っていたのは二人の少年。


 一人は、小生意気で安い笑みを引っ提げた少年。


 一人は、少女に見間違える程に美しい少年。


 そう、怪異探偵の二人だった。


「追い詰めたぞ、佐崎智則」


 此処まで全力で走って来たのだろう。好の額からは汗が流れており、またその呼吸も荒い。


 しかし、そんな事はどうだって良い。何故場所が分かった? 確かに上空にはいたけれど、地上からでは知覚など出来ない程に上に上がって行ったはずだ。上を向いて探したとしても小さな点のようにしか見えないはず。そんな状態の佐崎智則を見つけ出すなんて難しいはずだ。


「どうやって、って顔をしているな。実に滑稽で良い顔だ。幽霊を確実に写す事のできるカメラがあれば是非とも写真に収めたいくらいには滑稽だ」


 息を整えながらも、好は毒舌をかます。


 目の前で、浅葱毬の身体が傷付けられた。それも、死に迫る傷付け方をされた。


 悪霊が生者を傷つける。それを、好は許さない。だからこその毒舌。完全な敵対の証だ。


「答え合わせと行こう。何、猿でも分かる理論だ。お前ごときでもきちんと理解できるから安心したまえ」


「ホームズ、口調があべこべだよ」


「おっと、すまない。丁寧に、だな」


 茨に諫められ、好はおほんと一つわざとらしく咳払いをする。


「まず第一に、ありがとう。ああ、お前に言ったんじゃない。そこの三人に言ったんだ。ありがとう、こんな危険な役割を引き受けてくれて。本当に、ありがとう」


 言って、好は頭を下げる。


「いや、お前の頼みならな」


「ま、新藤を助けてもらった恩もあっしな」


「だね。正直、怖いけど……」


 頭を下げた好に対して、男女三人――目盛、花菱、石嶌の三人は口々に言葉を返す。


 そう、彼等もまた仕掛け人だ。佐崎智則がこの場に来るように仕向けるために、あえて愛の女神様をしてもらっていたのだ。


 彼等を説得したのは好自身だ。好は彼等の前で土下座までして頼み込んだ。今回の事はそれだけ危険な事だからだ。もし好達が負けたのなら、彼等の内の誰かが身体を乗っ取られる可能性が高いからだ。


 だからこそ、好は自分が出来る誠意を見せた。頭を下げ、失敗した時の条件も出した。彼等の内の誰かが身体を乗っ取られた場合、好は学校にも行かずにその解決に尽くす。失敗した時の賠償金も払う。それを、本人達の前で約束した。


 嘘は吐いていない。本心から、好は口に出した言葉を実行するつもりだ。


 三人はそんな好を見ているからこそ、もう一度頭を下げる好を見て何とも言えない顔をする。同級生に土下座をされるても変な感じがしたのだが、真剣に頭を下げられるのもやはり変な感じがする。


 好と三人を見て佐崎智則は困惑を見せるけれど、即座に理解する。この場を作ったのは法無好であると。自分は、誘い込まれたのだと。


「これは、私が君達に依頼した事だ。後で報酬はきちんと払う。が、今は最後まで協力して欲しい」


「ああ」


「もち!」


「うん」


 三人の返事を聞いて、好は頭を上げる。


「ていうか、ほんとにその佐崎智則って奴がこの場に居んのか?」


「ああ。今も間抜け面で君達と同じように十円玉に指を置いている。っと、指を離さないでくれよ。その時点で降霊術は失敗となってしまうからな」


「うぅ……なんか、そう言われると本当に居る気がしてきた……」


 石嶌が身震いをする。しかし、その指はしっかりと十円玉の上に置かれている。


「だいじょーぶ。僕達がついてるからねー」


 にこにこと普段の笑みを浮かべる茨。


「さて、長引かせても彼等に悪い。さっさと解説を済ませるとしようか。まず、見ての通り彼等は私達の協力者だ。お前をこの場に誘き寄せるためのな」


 それは既に佐崎智則も理解している。知りたいのはその先だ。何故この場にたどり着けたのかだ。


「私は、あの場でお前を祓う事など出来ないと分かっていた」


 好は最初から事が自分の思った方向に進まないという事を考慮していた。相手は自ら命を絶って他人の身体を乗っ取ろうと考える人物だ。そんな人間が、まともな訳が無い。ともすれば、自死すらあり得ると考えていた。だからこそ、あの場に医者である間淵が居たのだ。


失敗する確率の方が高い。だからこそ、次の手を考えていた。それが彼等だ。


「お前は最早魂だけの存在だ。身体はただの入れ物に過ぎない。であれば、執着する事も無いだろうと踏んだ。その予想通り、お前は身体を即座に捨てた。身体を捨てたお前は、きっと身体を乗り換えるだろう。十二年前に浅葱毬の身体を乗っ取った時と同じようにな」


 馬鹿にしたように、けれど、相手を睨みつけるように好は佐崎智則を見る。


「結果、お前はこの場に来た。新しい身体を手に入れるために。霊として単体であればお前は祓われる可能性が高い。だからお前は肉体を欲しがった。そうすれば、無理に祓われる事も無いだろう。私達が身体を乗っ取ったお前を無理矢理連れて行けばそれは誘拐という事になる。犯罪であるその手段を私達が取れないと、お前は分かっていた」


 そこまでは分かっている。だからその後だ。何故この場所に来ると分かった? 別の場所を選ぶ可能性だってあったはずだ。秀星高校からこの高校まではそこそこの距離がある。にもかかわらず二人の到着は早かった。まるで最初からこの場所に目星を付けていたかのような速さだ。


 協力者が居たからと言うのも理由の一つだろう。けれど、誘い込みやすくするために愛の女神様をさせただけに過ぎないはずだ。


 疑問をありありと浮かべる佐崎智則を見て、好は不敵に笑う。


「その顔を見るに、どうやら分かっていないらしい。お前が此処に来るかどうかは賭けの要素が強かった。けれど、分の悪い賭けでは無かった。佐崎智則は、いや、奥仲毬は教師だった。それも、この高校の教師だ」


 前情報として奥仲毬については調べられる限り調べた。


 結果、目盛達の通う高校の教師だという事が分かった。だからこそ、好は目盛達に依頼をしたのだ。


「お前も慣れ親しんだ高校なら、生徒の事も良く知っているはずだ。だからお前は此処を選んだんだ。見も知らぬ人物よりは、教師として見てきた生徒の方が演じやすいからだ。彼等に聞いたよ。奥仲毬を知っているかと。答えはイエスだった。しかも、授業も受けていると来た。此処まで条件が揃ってるんだ。お前が選ばない訳がない」


 好の言った通り。佐崎智則は、そこまで打算で考えていた。


 けれど、やはりおかしい。あの時、好の声は教室に到着する前に届いていた。スマホを使って状況を知らせていたのは分かる。けれど、ビデオ通話をしている様子は無い。今だって、誰もスマホを持っていない。明らかに、音声だけでこちらの状況を知っていたはずだ。


 声は近くから聞こえた。三人の内の誰かが持っているか、あるいは机の中に入っているかだ。


 佐崎智則の姿を確認するのは不可能なはずだ。


「それと、三人にはあらかじめ指示を出しておいた。自分の意思と関係無しに十円玉が動いた場合『――っ! ちょっと! 誰か動かしてるでしょ!?』『や、お、俺じゃねぇよ!』『俺でも無い……』と言うようにな。その言葉があればその場にお前が居て、その言葉が無ければお前はその場に居ない事になる」


 簡単なトリックだよ。と、小馬鹿にしたように付けくわえる。


「加えて、こっちにはワトソン君が居るからな」


「いえーい」


 好に肩を叩かれ、茨は顔の横でピースサインを作る。


「ワトソン君の霊能力は常人を遥かに上回る。お前の気配を追うくらい訳無い事だ」


「僕、鼻がきくんだぁ」


 茨は鼻先に人差し指を当てる。


 能天気そうな茨に苦笑しながらも、好は直ぐに表情を引き締める。


「種明かしはこれくらいにしよう。そろそろ皆帰る時間だ。私も、ワトソン君も、彼等も、そして、浅葱毬も。もう、愛の女神様茶番は終わらせよう」


 いや、まだ終わってない。こいつらが指さえ離せば……!!


 佐崎智則がアクションを起こそうとしたその時、教室に新たに誰かが入って来た。


「さて、此処からも賭けではある。が、こちらも分の悪い賭けでは無いと思っている」


 入って来たのは新藤美々花だった。その手には、一枚の用紙と十円玉が握られている。


 な、何をするつもりだ……?


「何、貸しを一つ返してもらうだけさ」

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