第3話 子どもたちの憧れ

 混乱した頭でエリはこのピンチを打破する方法を必死で考えます。


 ひとまずエリは順従な子どものフリをすることにしました。やはり目の前の状況を無視するわけにもいきません。魔女の機嫌をそこなうことがあれば、絵本の中の少女たちのように、たちまちカエルに変えられてしまうかもしれないのです。


 人知れず闘う決意を固めたエリは震えながらも、笑顔を形作かたちづくって言いました。


「あの、えっと、おはよう、ございます……」


 引きつった表情にたどたどしい声でしたが、しかし魔女は気にすることなく、やはり微笑んで言いました。


「どこか痛むところはない?」

「え、えっと、大丈夫、です……」

「そう、よかったわ。ずっと起きないから心配していたのよ」


 なおも優しげな声を掛けてくる女性の柔らかな視線に、エリはこのときになってようやく気が付きました。もちろんそれはエリの心が落ち着いてきたというのもありましたが、一番の要因は彼女がフードを脱いだからでしょう。


 あらわになったその顔を見て、エリは思わず息を呑みました。とても綺麗な女の人でした。村のどんな大人たちとも違います。髪はきらきらと星のように輝いていて、まるで本当にお姫様のよう。


 人を外見で判断してはいけないとは言いますが、やはり子どもにとって美は憧れるもの。エリは次第に緊張と警戒心が薄れていくのを感じます。


(もしかして、良い人……なのかな?)


 しかし本当にそうだとしても、エリの頭にある疑問は尽きません。魔女でないとしたら——あるいは魔女だとしても、いったい彼女は何者なのか。どうして自分はこんなところにいるのか。〝なぜ〟の花が春のようにエリの頭を覆っていきます。


 そこでエリは思い切って訊ねてみることにしました。優しげな眼差しを送ってくれる女性です。エリの疑問にも快く答えてくれるかもしれません。


「あ、あの……わたし……!」


 しかしエリの言葉をさえぎるように新たな声が聞こえてきます。


「——まったく信じらんないわ! 人間が世界樹に足を踏み入れるだなんて! あんた、自分がなにをしたのかわかってるのっ!」


 女性とは違い、明確に怒りをはらんだ声でした。ビクリと肩を震わせたエリは姿を求めて視線を動かしてみます。けれどその姿はどこにも見えません。どんなに視線を彷徨さまよわせてみても、部屋にいるのは目の前の女性と自分だけ。他の何者の姿も見えませんでした。


「——アンリに感謝しなさいよね! おきて破りだって牢屋に入れられそうになったあんたをみんなから必死にかばってくれたんだから!」


 エリが困惑している間にもぷりぷりとした声は聞こえてきます。今度は思い切ってキョロキョロと部屋中を見渡してみますが、やはり姿は見えません。言葉だけが意思を持った風のようにエリに襲いかかっていました。一体どういうことなんでしょうか。


「ちょっとあんた! 聞いてるの!? 人が話してるんだからこっちを見なさいよ!」

「え……」


 そしてとうとうエリの瞳がその姿をとらえました。


 ローブの女性——どうやらアンリという名前のようです——の肩に小さく動くものが見えました。初めは虫かと思いましたが、よく目を凝らしてみると、人形と見紛みまがうような小さな身体。透明な羽は薄く月のように輝いています。


「——わぁ!」


 その存在が何者であるかを理解したとたん、エリの瞳がにわかに輝き始めました。


「ようせいさんだぁ!」


 思わずエリはベッドから身を乗り出して、アンリの周囲を舞っていた妖精を両手で掴まえました。その温かい感触に、それが生きているというのが伝わってきます。


「ちょ、ちょっとー! こ、コラっ、な何するのよ! は離してよ、痛いってばぁ!」

「あ、ご、ごめんなさい……」


 苦しそうな声に、エリは慌てて妖精から手を離しました。とたんに妖精はアンリの肩に隠れるように飛んでいってしまいます。


「な、なんて野蛮なの! やっぱり外の人間なんて大嫌いよ!」


 警戒心を露骨ろこつに示す妖精に代わって、アンリが優しく微笑んで言いました。


「妖精を見るのは初めて?」

「……うん」

「そっか。でもダメよ、いきなり掴んだりしちゃ。びっくりしちゃうし、何よりも傷つけちゃうかもしれないでしょ?」

「うん……」


 と、エリはしょんぼりとした声を出して、それから妖精に向かって頭を下げました。


「ごめんなさい」

「ふんっ、ぜったい許さないんだから! あんたなんか牢屋に入れられちゃえばいいのよ! べぇ〜だッ!」

「……うぅ」


 エリの瞳にみるみると涙が溜まっていきます。その涙がこぼれ落ちる前に、アンリは妖精に言いました。


「ルビー。意地悪しないで許してあげて。この子も悪気があったわけじゃないのよ。それは貴女あなたもわかってるでしょ?」

「……ふんっ、どうだかね!」


 と、ルビーと呼ばれた妖精は腕を組んでそっぽを向いてしまいます。その様子にアンリは困ったように首を振ってからエリに言いました。


「気にしないで。彼女も初めて会う人に戸惑ってるだけなの。さあ、喉が渇いたでしょ? はい、これどうぞ」


 アンリはサイドボードの上からコップを取ってエリに手渡してきます。それはあの怪しげな液体の入ったコップでした。


「ありがと……」


 しかしもうすっかり警戒心を忘れてしまったエリは何の躊躇ためらいもなくそれをひと口飲みました。とても甘い味がしました。

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