第2話 得体の知れない女性

 そしてそれは思いのほか早くやってきました。


 ——ガチャリ、と。


 乾いた金属の音が部屋の中に響いたのです。それからギシギシと木材のきしむ音が聞こえてきます。その音に、エリの肩がびくりと震えました。それは明らかに扉が開く音でした。誰かが部屋に入ってきたのです。


 とっさに、「逃げなきゃ!」とエリは思いました。どこか隠れられる場所はないかと急いで視線を彷徨わせてみますが、しかしどこにも隠れられそうな場所は見当たりません。いえ、たとえ見つけられたとしても、移動する時間はなかったでしょうが……。


 あるいはベッドに眠らされていたことから、眠ったふりをするのがいちばん効果的な方法だったのかもしれません。けれど動揺していたエリには思いつきもしませんでした。結局、ただぼうっと侵入者を目で追うことしかできませんでした。


 薄暗い部屋のなかを侵入者がゆっくりと足を進めています。まだ暗闇に慣れていないのか、そろりそろりとした足取りは猫のようでしたが、しかし着実に、散乱した本を踏まないようにゆっくりと壁伝いに移動しています。


 そして不意にバチッという音がしたかと思うと、次の瞬間にまばゆい光が部屋の中を照らしました。シャンデリアに明かりが灯ったのです。その眩しさにエリは反射的に目を腕で覆いました。


「——あら、起きていたのね」


 優しげな声でした。エリのことを気遣うような声。


 回復した視線をエリが向けると、そこには真っ黒なローブに頭から爪先まですっぽりと包まれた人物が立っていました。ローブの切間きれまからすらりとした手足と顔がわずかに見えました。どうやら女性のようです。腕にはコップをのせたお盆が抱えられていて、中には得体の知れない真っ赤な液体がなみなみと入っていました。


 ——魔女だ、とエリはその人物を見て思いました。きっと魔女に違いない。ああ、やっぱりわたしは魔女にさらわれてしまったんだ。どうしよう、お母さん……。


 しかしエリの不安、警戒心なんてお構いもせずに、魔女とおぼしき女性はエリのいるベッドへと歩みを進めてきます。ベッド脇のサイドボードにお盆を置くと、ビクビクと震えているエリに向かってにっこりと微笑んできました。


「おはよう。よく眠れたかしら」


 先ほどとおなじような慈愛じあいに満ちた声でした。エリのことを気遣うような口調の声です。もしもエリが平常な心理であったのなら、彼女のいつくしむような眼差まなざしに警戒心を解いてほっと安堵したかもしれません。


 しかしすっかり空想の恐怖に支配されてしまったエリの耳には、彼女の声がまるで悪魔が食事を前にして舌なめずりをしている音にしか聞こえていませんでした。


(ど、どど、どうしよう! このままじゃわたし、食べられちゃう?!)

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