第4話

翌朝、出発の前にアルドは少し準備にもたつきながらも、昼過ぎにはユニガンの花火師の工房へと再び到着した。


「やぁ、あんたか。今日もわざわざ来てくれたのか」

花火師が慌ただしそうに出迎える。


「あのあとなにか身の回りに異常はなかったかい?」

アルドは昨夜からそれが気がかりだった。


「いや、なにもないよ。でも、興奮してあまり眠れなかったな」


「今日は謝肉祭の最終日。今年も催事の大トリはおれの花火だよ。今日はおれがユニガンの花形だ!」


花火師が二の腕を叩いて得意気に言った。

手伝いの者たちが十は来ている。皆、準備で慌ただしい。


「あんたもおれの上げる花火を是非観て行ってくれ」


「それは楽しみだな!」


― ゆっくり打ち上げ花火を観ていたいところだが、花火があがってる間にアルドにはやるべきことがあるのだ。


「おれはおれで、あの魔物を打倒する為の作戦を準備してきたよ」


「昨日の今日でか!?おれにもできることがあるなら何でも言ってくれ」


「あんたは忙しいだろ。今は内緒だけど、おわったら全部話すよ。花火を楽しみにしているみんなのためにも、花火だけに集中してくれ」


― おれの見立てが正しいならば、今日こそ花火師の願いは実を結ぶ。


あんたの花火はあだ花なんかじゃない。今夜おれが証明するよ。


アルドは花火の準備を手伝いながらそのときを漫然と待った。


空が茜色あかねいろに染まり出すと、花火師と手伝いの者たちがそわそわと打ち上げ準備に入りだした。


…いよいよだな。


おれもここからが逆転の大立ち回り。


やられっぱなしは性に合わねぇ。

花火と喧嘩はユニガンの華ってか!


さぁ!まもなく開演だ!




>>> どっかーーん <<<


― 時を告げる号砲と共に、祭りの祝砲しゅくほうが次々と空に上がっていく。


空一面に咲き誇る色とりどりの光の花ばな。

さまざまな姿に形を変え、ユニガンの空を満開に彩る。


「すごい!なんて豪儀ごうぎな趣向なんだ!」


近くで舞い上がる花火の衝撃にいちいち委縮いしゅくしながらも、アルドは感動に奮い立っている。


通りの方では、さきほどからあふれんばかりの拍手と歓声が上がっている。


こんなにも美しい花束をおれはかつて見たことがない。

いつまでも見ていられるすばらしい余興だ。


アルンカの花に夢中になる習性を、アルドはほんの少しだけ理解した心持ちになる。


…次は大事なひとと一緒に観たいな。


― 名残惜しいけど、いつまでも愉しんではいられない。


アルドは呼吸を整え決起する。

準備万端、花火師の家の一角に身を潜めてそのときを待っていた。


「…来たな」


アルドが潜んだ場所のすぐそば、庭先と空き地の境に、突如として、渦のような<ゆがみ>が現れ、そこからぞわぞわと黒いうごめきが漏れだした。


うごめきは次第に結集していき、例の巨大な魔物の形をかたどっていく。


「やはり、打ち上げ花火でご登場か」


魔物はゆっくり、花火師のいる打ち上げ砲台へと向かい始めた。


潜むアルドの傍らで、花火師の家の猫が逆毛を立てた威嚇いかく姿勢のまま、あらわれた魔物を鋭くにらみつけている。


「おどろいた。おまえにもあれが見えるのか」


この猫は、毎日こうやって、家主の危機を目の当たりにしながら、何もできずに悲憤していたのかもしれない。


「おれが今からおまえの積年せきねんの恨みも一緒に晴らしてやろう。おまえの戦いも今日でおわらせてやる」


猫の背を撫でながらやさしくアルドが言う。


興奮している猫はアルドをとっさに一噛みした。


「いてっ!」




― 昨日は遠くから見えづらかったが、この<ゆがみ>が出入り口か。


ここまでは思った通りに運んだが、あいつの棲み家の中がどうなっているかまではさすがに想像が及ばないな。


おれにも出入りができるのだろうか?

主が帰ってくる前にさっさとためしてみよう。


迷う間もなく、アルドはすでに<ゆがみ>に手を近づけている。

得体の知れない空間に入るのは、アルドには御手のものだ。


「近づいてみても吸い込まれないな。時層の穴とは勝手が違うか…」


「…足場がある。特に問題なく入れそうだ」


「よいしょっと」


どす黒く禍々しい<ゆがみ>の穴に足をかけて、アルドはひょいっと中に入っていく。


少しうす暗くて、まだはっきり遠くは見えないが、出入口以外はずいぶんと広さのある空間のようだ。


「おーい!」

何歩か歩いて呼びかける。


アルドの呼びかけに返事はない。


声の反響がないため、全体の様子はくわしくわからないな。

足下からは枯れ葉を踏むような感触が伝わってくる。


次第に目が慣れてきた。


ここは大樹たいじゅ樹洞じゅどうのようなドーム状の空間で、地面に赤く浮かぶ花畑のほかには、別段なにもない巨大な空虚ウロのようだ。


「ここに、わかりやすくミーニャがいてくれることを期待したんだけどな」


― 入口の方を振り返ると、祭りの花火の明滅めいめつが見えている。


この巣窟に、音や光は差し込んでいない。


彼岸ひがん此岸しがん。あちらの世界で起こっている色とりどりの光の明滅だけを、別の世界から見ているような不思議な感覚だ。


水面みなもに映る別世界といった感じか。


時層の穴に入ったときのような、時間を転移している感覚は此処ここでは感じない。


もしも、ミーニャが生きたままこの空虚ウロのどこかにいるとするならば、此処は時間の流れも外の世界とはいささか違うのかもしれないな。


― 赤い花畑から匂い立つ、甘く豊満な香り。


あらためて、目の前の広大な花畑を見て、アルドは目を見開いて怖気おぞけ立つ。


これは魔物に摘まれた花が数百と植えられて出来た、なんとも異様な花畑だ。

三年もの間、花火師から摘んだものが全てここにあるとするならば、優に千を超えるかもしれない。


なんという執念の成果。


この驚きに対する感想は、感心などではない。


強烈な不快感だ。


― アルドは花畑の花に手を触れてみる。花はことごとく透けてしまう。


やはり、この花には実体がない。

未来世界で見た投影技術のように、感触を持たずに浮かぶ花だ。


花をなぞった手先から、悲愴ひそうな想いがアルドの中へと激流のように流れ込んでくる。


アルドは足元に群生する花を次々となぞって、目から大粒の涙を落していく。


指先から伝わって、あふれだしてくるこの情感は、生き別れた恋人へとたむけた切実な想い、切実な願いだ。


アルドは、しばらくの間、悲しみで嗚咽おえつしたのちに、恋人たちの心の内を勝手に覗き見ているような後ろめたさが湧いてきて、たんに居直り涙を拭った。


魔物が花火師のもとへ日参にっさんして摘み続けたこの花は、あまりにもいたましいシロモノだった。


「…」


「ミーニャ!」

アルドが叫んで呼びかける。


― アルドがほとんどアテをつけているあの大きな魔物の正体。

あれは、蝶々の魔物、蝶々の大群が生み出した化身けしんである。


化身というよりも、擬態ぎたいといった方がしっくりくるか。

蚊の群れがつくる蚊柱や、小魚の群れがかたどる巨大魚のような擬態だ。


蝶々の魔物の群れが、花粉や蜜を採取するように、毎日毎日、花火師のもとから<花>を収集していたわけだ。


どういった事情、どういったカラクリかは知る由もないが。


この花も花畑も、本来は実在しないものだが、目の前に広がるこのおぞましい所業には、アルンカの花がもたらす<嫉妬><蠱惑><執着>を想起させられる。


この巣窟には、蝶のさなぎや幼生の痕跡がひとつも見当たらない。


あるのは、蝶々たちの死骸ばかり。

足下の感触は、枯れ葉などではなくすべて蝶々の亡き骸だった。


此処には、生命のサイクルが存在しないのだ。

蝶々のつい棲家すみか。いいや、まるで枯れ花の墓場か。


群れ全体が毒にでも侵されたのだろうか。

ミーニャが採取してきた庭のアルンカの花が原因か?


こんな結末は、蝶々自身にもはかりしれないものだっただろう。


それでも、おれは蝶々の側に立って同情はしない。


あの魔物は必ず今日このときに討伐する。

そして、花火師とミーニャを救済する。




― 巣の主の帰りを察知して、アルドは用意していた蜜壺を脇へと置いた。


「ようやくお帰りか。今日の分の<花>をせしめて来たな」


さきほど、アルドは涙を流しながら、花畑のどこかにあるミーニャの生命を感じていた。この魔物はどうやってか、さらった彼女を生かしているようなのだ。


彼女が無事に戻ってこれたなら、この話はすばらしい逆転劇となるだろうな。


この蝶々たちは案外、花から花へと花粉を届けるように、花火師の想いをミーニャに届ける代行でもしていたのかもしれない。


好きな相手に花を贈る人間の求愛行動でも真似たか。


もしくは、その真逆の<嫉妬>か。


「なんにせよ、おまえらはもう手遅れだ」


― アルドに反応した魔物が、すぐさま攻撃行動に出ようとしている。


アルドは、足元の蜜壺のフタをすばやく取って、壺を地面に転がした。


魔物をかたどるほとんどの蝶々が、蜜壺から垂れ流れる豊満な蜜にたちどころに反応する。


魔物の擬態が、蝶の群れへと変わった。

数千もいる蝶々たちが、ひとところに一遍に群がっていく。


やはり、蝶々たちはアルンカの蜜に目がないのだ。

期待した通りの反応だ。


「死を待つだけでも腹は減るよな」


― こんな風に、戦いの最中に蜜に集ってしまう魔物に悪意などあるだろうか。

人間にとって許されざる行為だとしても、かれらには計略などないのだ。


おれに向ける攻撃行動だって、ただの防衛本能による対応だ。


だが、目の前の黒山くろやまの群れは、ユニガンの祭りに集った人の群れとは明らかに違う。

これはただの狂気の末路で、希望的な未来への歩みもない。


…さまざまな思いをめぐらせながら、アルドは蜜壺にたかる蝶々の群れを、剣技の炎で焼き払っていく。


まるで、飛んで火に入る虫の様相だ。


― アルドは蜜に集った群れをすべて焼き払った。


残っている群れに注意深く目を凝らす。


蜜にたかった蝶々とその場に留まった蝶々には、なにか違いがありそうだ。


元のかたまりは雌雄一体しゆういったいで、性差せいさで役割が分かれているのかもしれない。

蜂の場合は、雌が蜜を採取する働き蜂の役割を一手に担っている。


それと同じならば、雌雄の片方だけが全部この蜜の罠に集ったのかもしれないな。


蝶々たちの大半がアルドの作戦に統制を奪われて、一網打尽いちもうだじんにされた。

残った集団の方はずいぶんと数が少ない。元の二割もないか。


数が減って幻を保持できないのか、この空虚ウロも花畑も、さきほどから霞がかっている。この幻影はもうすぐ消えてなくなりそうだ。


― しかし、なおも、残った蝶々たちが敵意をもって結集していく!


…やはり、元よりもずいぶんと小さな擬態しかかたどれない。


直後、アルドは魔物の行動に我が目を疑う。


この群れは、あろうことか人間の女の姿へと変貌してみせたのだ。


そして、その女は、あらわれるなり優雅に舞踏を舞いだした。


「ははっ!…蝶の君か!」


かすんでいる花畑のまわりを、ひらひらと軽快に舞い踊る。


まるですすり泣くような羽音が聞こえてくる。

悲しみや憎しみやあこがれが入り混じった不穏ふおんな音色だ。


この音色はまるで醜い<嫉妬>のようだ。


不思議と、羽音は消えずに増長していく。

禍々しい圧迫感が空虚ウロの中に充満する。


女は、甘く誘うような、求愛をせがむような、かくも人間らしい演舞を披露する。


「いったいどこで覚えたのか、見事な舞踏だ」


感心をしながら、アルドは拍手をした。


「それがおまえの最期の演舞でいいんだな?」


アルドもそれに応えるように、剣の型を舞い出した。


蝶のように舞うように、抜刀した剣先を幾度と巧妙にひるがえして立ち回る。


ひとつの所作しょさを舞うごとに、刀身に宿った火の勢いが増していく。

それは、いよいよ火炎となって、明りが空虚ウロを照らし出す。


― 女は、舞踏が最高潮まで達すると、例の黒い粉塵をまとった。


粉塵が<辻風つじかぜ>のように渦巻きながらアルドに襲いかかる!


一度は痛い目に遭わされたこの粉塵も、これだけ数が減るともはや脅威ではない。


アルドは型を舞う流れのままに、大きく上体をひねり、一瞬構えにめをつくった。次の瞬間、目にもとまらぬ剣撃の一撃を放つ。


振り抜いた剣よりも一拍遅れて、空間に刀傷とうしょうが浮かんでいく。

その傷痕きずあとをなぞるように、燃えさかる火炎が疾走した。


直後、魔物の<辻風>は、大きく燃えさかる火柱へと変わった。


火柱の旋風の中で、女の擬態が散り散りに爆ぜていく。


蝶々たちは、自らが起こした辻風の気流のせいで、火柱から一匹残らず逃れられずに火に巻かれた。


炎と共に消えゆく風が、アルドのそばでふわりと舞う。


― 直後、蝶々たちの幻影でできていたこの空虚ウロは、花畑もろとも消滅した。


うつろの花々のその跡には、うつつの花畑に横たわる<ひと>の姿があらわれた。


長い眠りから覚めたように、まぶしそうなそぶりを見せ目を開く。


不思議そうにあたりをうかがうその<ひと>に、アルドが手を差しのべて笑いかける。


― 「ミーニャさんだね?」

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