第3話

― ひらひらと上下左右に振れながら、蝶々がユニガンの街並みを華麗に飛んでゆく。


「この蝶々は、どうやら、使命や目的をもって一心に飛んでいくようだ」


「迷いのない羽ばたきは、おれをどこかへと導こうとしている」


「あの先にいったい何があるのだ?乞うご期待!」


そんな都合のよい展開をつぶやきながら、アルドはほとんど根拠もないまま、きまぐれ程度の勘を頼りに、一羽の蝶々のあとを追っている。


とはいえ、「行くあてがなかったにしても、これはさすがに悪手だったかな…」と、さっきからこの子供じみた尾行を後悔しているところだ。


こんな半端な気持ちのまま、すでに結構な距離を蝶々について来てしまったせいか、変に引き下がれない意地まで湧いてきて、アルドは自暴自棄じぼうじきになりかけている。


でも、昔から<予感>のことを<虫の知らせ>というだろう?

このままついて行けば、この虫たちが、その内に思わぬ福音ふくいんを届けてくれるかもしれないじゃないか。


そんな楽観の戯言ざれごとにもそろそろ限界が来ていて、ちっとも休まず飛び続ける蝶々にアルドは苛立ちを覚えていた。


いい加減、どこかで羽を休めてくれないものか。

そうしたら、すぐにでもきびすを返しておれは立ち去るのに!


そうやってうんざりしながらも、どうやら、この尾行の終着点が見えてきたようだ。


― アルドの追ってきた蝶々の目的は、どうやら例の行列のパン屋だったらしい。


「え…?」


「…うわーーっ!!!」


アルドは目の前にひろがる異様な光景に驚いて、腰を抜かしそうになった…。


…パン屋の店先に数え切れないほどの蝶々が群がっている。


店先どころではない。奥の厨房にも蝶々が無数に集っている。


さきほどこの店を通りかかったときにはこんな光景はなかった。


アルドが追いかけていた蝶々も、この異様な群れの中に合流したというわけだ。

あの一羽が、どこにいってしまったのかもうわかるはずもない。


とんだ福音があったもんだ…


― 「そういえば、<虫の知らせ>という言葉は、悪い予感に使う言葉だったな…」


たくさんの蝶々がたかるこんな不気味な景色の中、客達が蝶々の止まった焼き菓子を次々と平気で選んで買っていく。


店の者たちも、煩わしいほど蝶々が舞う中、意にも介さず平然と作業をしている。


「嘘だろ!?」アルドはまたもや我が目を疑いながら、人々をひと通り観察した。


― …そうか、この蝶々たちはまたしてもおれだけにしか見えていないぞ。


今来たばかりの蝶々も、例の焼き菓子に一目散に止まっていく。

他にも魅力的なパンが並んでいるのに、蝶々たちが止まるのは、お祭り特製のハチミツの焼き菓子だけだ。


そういえば、花火師の家にもこの店の紙袋があったな。

蝶々の目的は…菓子に塗られたハチミツか。


アルドは少し考え耽って、この場で一つの仮説を立てている。


採蜜を終えて飛び立ってゆく蝶々たちは、みな一様に、おなじ方角へと去っていっているようだ。


アルドはパン屋の行列に並んで、おっかなびっくりしながら例の焼き菓子を手にとった。おええ。


二尺ほどの棒状の焼き菓子に、蝶々がこれでもかとびっしりとまっている。

人間にも蝶々にも大人気のおぞましい逸品だ。鳥肌がとまらない。


「なぁ、この蝶は何なんだ?」

菓子に集って蠢いている蝶々たちを指差しながらアルドがパン屋の売り子に言う。


釣り銭を数えながら、売り子が不思議そうに頭をかしげる。

「何のこと?」


― そうだよな。これが見えるかはもはや確認の必要もなかったな。


「いや、気にしないでくれ」

「この菓子に塗られているハチミツは、月影の森の特産なんだって?」


「そうよ。このハチミツはアルンカという花が由来の希少なものでね。ちょうど今の時期にしか咲かない花からできたハチミツなのよ。絶品よ!」


…絶品といわれても、おれから見ればこれは狂気の沙汰だ。


アルンカか…。うっすらと覚えのある気がする名前だ。

「この蜜だけを譲ってもらうことはできるかい?」


「ハチミツの販売はしていないわ。そんなに数がとれるものじゃないから、この菓子は謝肉祭限定の特別メニューなのよ」

「商人も扱わないんじゃないかしら。うちのこれは、店主がわざわざ自分でせっせと採集してきたものなのよ」


「そうなんだね。この絵に描かれた赤い花がアルンカかい?」


「そうよ!」店員が急かして答える。


この花、どうやらさっき見た花火師の庭の赤い花と一緒だな…。

アルドが何かを思い出しそうになっている。


「ちょっと!兄ちゃん早く除けてくれよ!!」

行列のうしろからアルドは怒鳴られた。


「ごめんよ!くわしく教えてくれてありがとう!」


― 夜も更けてきたが、善は急げ。さっそく、今から月影の森へ行ってみようと思う。


「ただその前に」


アルドは手元の焼き菓子に集っていた蝶々が、飛び立っていくのを再び追った。

おれの読みが正しければ、この蝶々たちもみんな同じ方角へ向かうはずなんだ。


…花火師の工房のある方角へ。


来た道と同じ道を、今度は反対向きに蝶々を追っていく。


そして、想定通り、蝶々たちが花火師の工房の敷地へと次々に入っていくのを確認した。


― やっぱり、ここがゴールか。


ミーニャが消えたという場所の辺りの暗がりに、蝶々がみんな消えていく。


「ああ、なるほど。これはいっぺんに解決してしまうかもな」


― ほらね、<虫の知らせ>の福音だ。


…善は急げ。決行は明日だ。さっそく準備を始めよう!


「次はハチミツ採集だ!」




遅い時間の出発だったので、月影の森に着く頃には、もうすっかり夜更けとなっていた。


どうやら森の入口のあたりにはアルンカの花はまったく咲いていないようで、アルドはどんどん森の奥へと進んでいく。


森の深部にさしかかって、ようやく、目的のアルンカの花をちらほら見かけるようになった。夜も深まって、さすがにハチたちも寝静まっているだろう。


暗闇に包まれた木々を見上げながら、アルドは「陽が出てから来た方が良かったか…」と、ここに来て後悔をしていた。


夜にハチの巣を採取する無謀むぼう。さすがに視界が悪い。


そんなアルドの後悔を良い意味で裏切るかたちで、こんな夜更けにも関わらず、働き蜂たちがせっせと活動しているのを見つけた。


アルンカの花は彼らに人気だ。おかげで、巣に戻るハチたちを追って、なんとかいくつかの巣を獲得することができた。


アルドは手際よく小さな巣からハチミツを採取してゆく。村にいた頃に、何度か大人たちの養蜂ようほうの手伝いをしたことがあるのだ。


月影浮かぶ池のほとりに、アルンカが群生して咲きほこっている。

「こうやって見ると、たしかにひときわ美しい花だな」


それを見ている内に、ようやくアルドは遠い記憶で聞いた花の名前を思い出した。


「ああ!今頃思い出したぞ!おれの阿呆!」


昔、爺ちゃんや村のみんなから教わった花じゃないか。

禁忌きんきの花、アルンカか!」


アルンカは、その特性から、<嫉妬><蠱惑こわく><執着>の象徴とされている。


バルオキー村では、生態系を壊すみ花とされていて、村の近くでこの花を見つけたら、根から引き抜いて火にくべろと教えられている。


この花が咲くと、虫たちは異常な執着で採蜜行動を繰り返すという。


強く甘い特有の香りは、虫たちの攻撃性を増幅させ、採蜜をする他の種と蜜の取り合いで殺し合いをするようになる。


採蜜と争いは昼夜問わず行われ、そのうちに、花のまわりでたくさんの虫たちが死ぬというのだ。その死骸をアルンカは養分とする。


運よく生き残った虫たちも、アルンカの花への執着が治まらず、盛期を終えて蜜の取れなくなったアルンカの花を、花柄からまるごともぎって巣に持ち去ってしまうほどだというのだ。


その段階に至った虫の巣は、まるで人間が使者の墓に花束をたむけたような様相となるらしい。


― 魔物よりもずっとタチの悪い、魔性の花ではないか。


今の今まで、アルドは大人たちの教えをすっかり忘れてしまっていた。


村の大人たちの努力の甲斐もあって、アルドとフィーネが村にやってきた頃には見かける機会もなかった花だ。幼いころに現物を見たことがあったかもしれないが、さすがに覚えていないよ。


すべて思い出したところで、今がこの世の春だとばかりに咲きほこる目の前のアルンカに、アルドは気色を悪くした。


群生しているアルンカの花をかきわけて見ると、やはり、不自然なほどに虫の死骸がある。


幼いころに教えられた逸話通りだ。


― なんだかんだで、時刻はすっかり深夜にさしかかってしまった。


今日はずいぶんと内容の濃い一日だったな。

こんなに疲れたのはいつぶりだろう。


「バルオキーで休んで、明日また花火師のもとへいこう」


アルドはアルンカを一輪摘んだ。


この森のアルンカに関しては、爺ちゃんやバルオキーの大人たちに対処を考えてもらわないとな。

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