第2話

アルドはさっそく、女将に教えてもらった花火師の工房へと足を向けてみた。


街はずれのその工房は住居も兼ねているようで、外観は他の家々と特に変わらない普通の家屋である。家屋の横には手入れされた花畑があり、その周りを蝶々がひらめく。


庭に隣接する空き地は、花火の打ち上げ場として利用されているのだろう。だだっ広い一帯に、大柱のごとき大きな筒が数本、地面と垂直にまっすぐとそびえ立っている。


遠目から見るかぎりでも、ミグランス城の大砲よりも大きな口径の砲台に見える。


庭を背にしてふたたび空き地を顧みると、砲台とその囲いの他には植樹しょくじゅや小屋のひとつも見あたらない物寂しい景色が広がった。


ここだけぽかんと街の風景が失われてしまったような、まるで整然としたパズルのピースがひとつだけ抜け落ちてしまったような空虚くうきょな印象を漂わせている。


「こんなだだっ広い風景に一人ぼっちで居るのは寂しいだろうな」

アルドは、大切な<あの人>のことを想って胸を痛める。


祭りの喧騒から抜けたばかりだからか、アルドは尚更に寂寥せきりょうを覚えるのかもしれない。


― どうやら庭には花火師はいないようだ。


アルドは家屋の玄関へと向かい、半分ほど開かれた戸をノックした。


「ごめんください」


すぐ奥の暗がりで、人影がこちらに気づいて立ちあがる。


「はい?」


生気の薄いやつれた男が応える。


街で見かけた花火師だ。


― 例の黒い靄の気配はない。部屋の中にも異常はないようだ。


「…花火師さんだよね。ちょっと尋ねたいことがあって来たんだ」


花火師がさえぎる。

「ほんの少し待ってくれ。試験で上げた花火の片付けをしていてね。明日は祭りで花火を打ち上げる本番の日だからさ」


「忙しいときにすまないね。間が悪かったかな」

申し訳なさそうなそぶりを見せて、アルドは居間の椅子に腰かけながら、男の暇を待たせてもらった。


その間、せっせと作業をする男の周囲や部屋の中を、異常はないか注意深く何度も探っていた。


なんというか、きれいに整頓はされているが、簡素でそっけない部屋だ。時計と花瓶の他には、壁掛けの装飾や余計な置物もない。


工房も兼ねているから、物が少ない方が仕事が捗るのかもしれないな。


― 花火師が作業を終えて、アルドを客間に通した。


「待たせたね」

「旅の人がうちに訪ねてくるのは珍しいよ。用件はなんだい?」


アルドが応える。

「唐突で悪いんだけど、あんた、花をもった大きな魔物に心当たりはないかな?」


「花をもった魔物?…ずいぶんと変なことを尋ねるね」


「…さっき街中であんたを見かけたとき、あんたの背後に黒い靄をまとった面妖めんような魔物が憑いているのを見かけたんだ」


「…黒い靄だと!?」

花火師がぎくりと反応する。


思い当たるところがあるのか、花火師は表情を曇らせながらもアルドを凝視ぎょうしし始めた。にらみつけるようなまなざしだ。


「何か覚えはないかな?こんな話をされて面を食らうかもしれないけど、おれは街で見かけたその魔物のことが気になってここを訪ねて来たんだ」


男はアルドをなお睨みつけて応える。

「…話をさせてくれ。おれからもお願いをするよ。どんな手がかりでも欲しいんだ」


「魔物の心当たりはないが、<黒い靄>には思い当たるフシがある。あんたが言ってるのと関係があるかはわからないけれど」


アルドは魔物の特徴や見かけた場面の様子をもう少しくわしく男に伝えた。


「やはり、魔物に関しては心当たりがないな。だけど、あんたの説明は妙に腑に落ちる」


「あんたがおれのことをたばかっているとは思わないよ。たしかにあんたはその魔物を見たんだろう」


「そしておそらく、その魔物と黒い靄は、行方不明のミーニャとも関係がありそうな話だ」


ふと気付くと、男の足もとに一匹の猫がくつろいでいる。

猫はずいぶんと男になついている様子だ。


傍らにパン屋の紙袋と手つかずの肉の包みがある。

さきほど、祭りで買って食べた痕だろう。


「<黒い靄>に思い当たるフシがあるといったね。ミーニャの話もくわしく聞かせてくれるかな?」


男が応える。

「ミーニャというのは三年前までここで一緒に暮らしていたおれの恋人でね」


「おれは毎年決まって、謝肉祭の最終日に催事の大トリでここから花火をたくさん打ち上げるんだが…」


「三年前のその日、花火を打ち上げていた最中、視界の先にいた彼女が突如ふわっと消えてしまったんだ」


「おれはそのとき打ち上げ砲台のすそにいた。花火と花火の演出の間に、ちょうど庭先からこっちを見守っていた彼女の方を向いていたんだ」


「彼女の方もこちらを向いていて。そうして、遠くから向かい合っていたところ、不穏な黒い靄がうっすらと彼女を覆ったように見えた」


「そのすぐあとに、花火が爆ぜて消えるように、彼女が霧散うさんして消えてしまったんだ」


「ミーニャ自身、危機を訴えるそぶりの間もないほどあっと言う間の出来事だったと思う。前触れもなく靄が立って、すぐに彼女はいなくなってしまった」


「おれが彼女を探して駆け寄った頃には、黒い靄はすっかり晴れてた。それっきり彼女の行方がわからないんだ」


「みんなが噂しているように、誰かにさらわれたとか愛想を尽かして逃げられたとかそういう話じゃないんだ。視線の先で消えてなくなったのを、おれは自分で目撃しているのだから」


「待てど暮らせど彼女は帰ってこない。おれはずっと彼女を探しているけれど、情けないことにこの三年の間、手がかりのひとつも見つけられないんだ」


アルドが応える。

「あんたもずいぶんつらかったな。おれもあんたの話をそのまま信じるよ。つまり、ミーニャがいなくなったのはこの工房の敷地の中なんだよな?」


花火師がうなずいて立ちあがり、アルドを案内する。


「いなくなったのはちょうどこの庭と空き地の境だ。陰が差しているこのあたりだよ。ここで黒い靄が立ったんだ。そして、彼女はこの場で消息を絶った」


家に入る前に見た風景だ。今も特に異常はなさそうだ。


「おれがおかしくなっているだけなのかもしれないが、花火をあげてすぐこの場所まで駆けてくると、時折ときおり、ミーニャの声が聞こえるときがあるんだ」


「情けない話だけど、彼女が消えてしまってからおれはずいぶん憔悴して弱ってしまってね。ただ単に、幻聴のたぐいを聴くだけなのかもしれないとも思っている」


「だけど、あんたの話におれは光明こうみょうのような希望を見ているよ。捜索がおよばなかったのは、やはり、魔物の仕業だからか…」


饒舌じょうぜつな男にアルドが応える。

「あまり先走って期待をしないでくれよ。おれはまだあんたのそばで魔物の姿を見かけただけなんだ」


「この花畑、あんたが手入れをしてるんだな。この赤い花がひときわ綺麗だ」

アルドが指差した一輪は、なんとも妖艶で、野に咲いていたら摘んでしまいそうな出来の良さだ。


「元々はミーニャが作った花畑なんだ。彼女が悲しまないようにおれが手入れをしているけれど、いくつか枯らしてしまった」


「この赤い花は、ぽつんと一輪咲いていた野花のばならしくてね。いなくなる少し前に、彼女が採集してきたんだ。名前はわからないけど、ひときわきれいな花だからずいぶんと気に入っていたよ」


「この花に限らず、彼女は赤い花がみんな好きだった。だから、おれが日に一度打ち上げる号砲の花火も、赤い花火なんだよ」




「おっと、そうだった」


― 花火師が急にひるがえって玄関に向かった。


「ちょっと失礼していいかい。今まさに号砲をあげる時刻なんだ。話に夢中で忘れるところだった」


いそいそと準備を始める花火師。彼の頭よりも大きな玉を一つ軽快に脇に抱えると、となりの部屋の勝手口からひょいと外へ出て駆けていく。


男のあとを追って勝手口から顔を出し、空き地を見回した。


― 遠くでわずかに鐘の音が聞こえる。


砲台の裾に着いた男を確認して、まもなく、すさまじいとどろきの不意打ちが起こった!


花火がひゅるりと空へ舞い上がって、アルドの上で大きく爆ぜた。


>>> どがーーん <<<


はげしい音のあとに、大気を震わせながら衝撃波がほと走る。


ふいに尻尾を踏まれた猫のように、アルドは逆毛を立てて肝をつぶした。

アルドはその場で固まったまま、しばらくぽかんと口を開けて身をすくめた。


― …大砲よりもすさまじい衝撃だ。


まだ耳の奥で重く鈍い余韻がある。


落ち着いたところで庭を見回してみたが、花火師の姿はもうないようだ。

念の為、また例の場所へ駆けていったのだろうか。


そのうちに、空から黒くて小さなすすがたくさん降ってきた。

アルドは体の煤を払いながら、男を探しに勝手口から外へ出て、玄関の方へと周った。


花火の衝撃で飛び立った鳥たちが、隣家の屋根に烏合うごうの衆をつくっている。


…!!


玄関のそばで片付けをしている花火師を見つけ、アルドが目を丸くする。


屈んでいる彼の背後で、例の黒い靄が立ち込めているのだ。

男の背後にさした陰のあたり、まさに例の魔物が佇んでいる。


魔物は、花火師の背のあたりを掻くような動作で何かもぞもぞとやっているようだ。


やはり、花火師は魔物の存在に全く気づいていない様子だ。

気もそぞろ、アルドに緊張が走る。


魔物の手によって、突如、花火師の背中から一輪の赤い花が摘まれた。

魔物は深く息を吸うように、その花の香りを味わうような不気味な動作を見せている。


アルドが叫ぶ!


「現れた!例の魔物だ!早くこっちに向かって駆けて来てくれ!」


乱暴に叫んだそばから、すさまじい速さで抜刀して、アルドは魔物に向かい駆け出した。


魔物はすぐさまそれに反応して、アルドの方へと頭をひねり、無機質な眼差しを向けてくる。


大きな身の丈のわりに軽やかな飛翔を見せ、アルドから少し間合いを取った。


花火師はアルドの突然の叫びに反応できずにその場から動けないでいる。


アルドがその横をするりと通り抜け、魔物を警戒しながら刃を構える。


そのうちに、魔物の輪郭がひとまわりも大きくなった気がする。

いや、今まさに魔物の体がうなりを上げて膨張していく!


アルドはその胴体に向かって目にもとまらぬ剣の一閃を見舞う。


しかし、刃に手応えはない。


返す刃をためらう一瞬の間に、魔物は大きく爆ぜて霧散うさんした。


― これはまずいぞ!!!


次の瞬間、アルドは真っ黒に飽和する粉塵ふんじんかたまりに包まれ、左右どころか天地すら曖昧となって所在を失った。


無闇な決死の逃亡も空しく、こらえていた止息が切れて一呼吸ののちに、アルドは麻痺を起こしてその場に昏倒こんとうする。


アルドの視界はぐるりと反転し、意識がうずまいたような感覚に陥っている。それにつられて、徐々に体まで一緒にうずまいてねじれながら引き攣っていくようだ。


すぐそばで花火師も粉塵の強毒きょうどくに巻き込まれた。


魔物は倒れたアルドたちをしばらく見降ろすと、靄が晴れていくように気配を消して去った。


― どうやら、追撃はないようだ。


アルドは運よく命を拾ったなと思った。


ねじれた意識と体をゆっくりと巻き戻しながら、アルドは次第に回復していく。


周囲を警戒しながら、花火師が目覚めるのを待った。




「いったいなにがあったんだ。あんたが叫んだ直後、すぐ近くにおぞましい気配を感じた」


「その気配に震えあがったそばから、目の前がほろをかけられたように暗くなって、そのあとは、まるで夜の海にでも放り込まれたように溺れてもがいていたよ」


アルドが応える。

「おれたちは例の魔物に襲われたんだよ」

「とり乱して魔物を余計に刺激してしまった。あんたを危険に巻きこんですまなかった」


「いや、謝らないでくれ。そんなことよりもやはり魔物があらわれたのか!」


「またも姿を見ることはかなわなかったが、おれにもやつの存在が認識できたのは大きな一歩だ。ついにしっぽをつかんだ気分だ」


「そうだな。あんたの話の中で聞いた<黒い靄>は、この魔物の仕業でほとんど間違いない。ミーニャと魔物の件は繋がっているはずだよ」


「ああ、おれはひさしぶりに興奮をおさえられないよ。しかし、目に見えない魔物をどうやって打ち倒したらいいものか…ミーニャはどこかで生きていてくれてるだろうか…」


アルドは悩んでから白状する。

「おれもどう対応したものか考えあぐねている」


「おかしい話なんだが、あんたの背中のあたりから魔物が赤い花を持ち去っていったのを見た。どんなからくりなのかはおれにもわからないが…」


「おれの背から!?」

上着を脱いで、姿見で背中を確認している。見た目には何も異常はない。


花火師は口元に手をやって、青ざめながら考えをめぐらせている。


「…魔物の目的は、おれからその花を採取することなのか」

「ミーニャの件も、その花に関係があるのか?」

「そもそも花とはなんだ。人間の生気でも奪っているのか」


ぶつぶつとつぶやきながら、次第に焦燥していくのがわかる。


さっきの魔物への対応もそうだが、花火師に対しても、もう少し上手い対応があったのだろうなとアルドは内省した。


ことを急いて、この男に余計な混乱を招いてしまっている。


「始終説明がつかないな。魔物の姿が見えないあんたにはなおさらだ。混乱しているよな。すまない」

「得体がしれないことばかりだが、あんたのそばにたしかに魔物の存在があるのはわかった」


「いや、本来はおれの抱える問題だろう?親身にありがとう。謝らないでくれ」

「それにしても、アルドにだけ魔物が見えるというのも不思議な話だな」


「そうだね。おれにも理屈がわからないや」

― そういえば、魔物が現れる前に鳥たちがざわめいていたな。


「ともかく、あんな魔物を見て見ぬふりはできないよ」

「それに困った事態に陥っているあんたを放ってはおけないだろう?」


花火師がようやく笑顔を見せる。

「そっか。アルドは本当にいいやつなんだな。これ以上、野暮なことは言わないよ」


アルドは謙遜して応える。

「さっきはあんたも魔物から危害を受けたけど、この三年の間、あんたには何か思い当たる危険はなかったのかい?」


「…別段、おれに危険という危険はなかったと思うよ。当時より衰弱したということくらいのもので、それに関しては自分の心の問題だろうしな」


一応、アルドはまだ周囲の警戒を緩めていないが、こちらからアクションを起こさない限り、あの魔物に脅威はないという根拠のない予感がある。


― 今のうちに一度整理をしよう。


疑問も謎も山積みだが、解決しなければならない問題はあくまで<ミーニャの安否と所在の確認><花火師の身の安全の確保>だ。


そうなると、結局、最優先は<魔物の討伐>となる。


再び対峙したところで、おれはまたあの粉塵にやられるか逃げられるかの二択だ。

いや、やられた上に逃げられてしまうの一択だろう。次は容赦なく始末されるかもしれない。


あれの正体を暴いた上で、対処を思いつかない限りはどうやら何も進展がないな。


魔物の次の出現を待って、手がかりを探すか?

やつがどこから現われてどこに消えていくのか。これも重要だ。


あれに見つからないように隠れてどこかから観察するくらいしか、今はできることがないよな。


いつあらわれるかわからないものを、いつどこから観察するんだ?陰にひそんで、花火師を一日中観察するか?


考えれば考えるほど難題だな。


いずれにせよ、あの魔物はおれにしか見えないのだから、おれがどうにかするしかないんだ。


― 猫が花火師に擦り寄る。

「待ってろ、あとでおいしい肉を出してやろう」


「かわいらしい猫だね」


「いつからかうちに居ついた迷い猫だよ。彼女がいなくなってからは、こいつがそばにいてくれてずいぶんと気がまぎれているよ」


やさしい手つきで背を撫でながら、花火師は微笑む。


「そういえば、さきほど打ち上げた花火は日に一度の号砲といったね?」


「ああ。逢魔おうまときを告げる号砲として、おれが毎日打ち上げる決まりなんだ。遠くで神殿の鐘も鳴っていたろう?」


「ミーニャがいなくなってしまってからは、彼女が迷わずここに帰ってこられるようにと、おれは毎日あの花火に手を合わせて願いを込めているんだ」


「だけど、未だ成果はなくてね。ひとりよがりのあだ花さ」




少し話過ぎたな。花火師は蒼白な顔をしている。

ときおり咳き込むあたり、容体も気がかりだな。


「一度失敬するよ。また明日までには顔を出す」

アルドはことわって立ち上がる。


「ありがとう。よろしく頼むよ」

「あっ!待て、アルド!何か落としたぞ!」



「…これは…おまえの趣味なのか…?」


…土産物屋の女将に無理やり買わされた巻きワラ人形だ…


「おまえ、わざわざ謝肉祭でこんなものだけ買ってきたのか…」


…そういえば、あんなに色々見てまわったのに、祭りでおれが買ったのはこの人形だけだったな…


花火師は必死に笑いをこらえて、アルドを見送った。


― さてどうしたものか。


このままでは手筈てはずも無いな。

行動を起こすにしても、徒手空拳としゅくうけんだ。


少し歩いた先で、アルドは考え耽っている。


ふと、花火師の家の方から飛び去っていく蝶々を見かける。


アルドの胸の内に何かが引っかかっている。


― よし、いっちょう、蝶々でも追いかけてみようか。

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