あだ花の花束に寄せて

海島

第1話

アルドは驚いて立ちつくしている。


「いったいこの騒ぎはなんだ!?」


ユニガンの街があふれんばかりの人々でごった返している。

目に映る人々はみな、一様に浮き立って興奮をおさえられないようだ。


凱旋門の横に仮設された天幕てんまくには、さまざまな動物に仮装した警備兵や衛生兵たちがひしめきあっていて、準備に慌ただしい。


街のあちらこちらの壁や柱には、動物や魚をかたどった大仰な紙の張りぼてや、狩りや漁を題材とした民芸品のレリーフなどが色とりどりに飾られている。


そして、どの家々や商店にも、ミグランス王家の紋章の旗が威風いふうたたえてひるがえっている。これは、王国をあげての盛大なお祭りなんだ。


アルドの前を、演奏服を着た少年少女の楽隊が隊列を組んで颯爽さっそうと行進する。


― 華やかなファンファーレが鳴り響く!


「街全部がまるで、劇場の舞台になったみたいだ!」


平時とは異なるユニガンの喧騒けんそうに、アルドも童心のように湧きあがる胸の高鳴りをおさえられない。


はやる気持ちのまま市場の入り口に向かうと、そこはまさに打ち寄せる怒涛どとうのような人波で、アルドは人海じんかいの中を色めき立ちながら精いっぱいに行軍こうぐんした。


あとからも入場者がたえまなくやって来るものだから、押し寄せる波に無力に流されるように、アルドは奥へ奥へと流れのままに漂流していく。


「アザまでつくったのにひとつも売り物を見れなかったな…」


波にもまれて広場に漂着すると、ようやく行き先を選べる余地が生まれた。


広場には手押し車に仮設された出店が多く並んでいる。地元ユニガンの商人だけではなく、リンデや、はるばるザルボーの旅商人たちもこの日の為にユニガンに出張してきているようだ。


広場に近い商店街に入ると、祭りに合わせて風変わりな売り物がたくさん並ぶ。


鍛冶工房はかわいい動物のかたちの飴細工、骨董品屋では子供向けの仮面や変装セットが売られ、織物工房の七色の綿菓子や、くだものが散りばめられた果実店の氷菓子は、若い娘たちでにぎわいを見せている。


いつも人気のパン屋では、月影の森由来の香りの高いハチミツを塗って焼き上げられたというお祭り限定の焼き菓子が売られている。


よほど評判が良いのか、店にはいつにも増して長い行列ができていて、甘い香りに誘われた蝶々が物欲しそうに菓子の上を舞っている。


巳の国の出身だという商人の出店は、子供たちで大いに盛況している。大きな桶に張った水に、華美かびな紋様のまりを浮かべて、それを子供たちが紙でできた網で懸命にすくってはしゃいでいる。


芝居劇や射的の店などもある。小さな子連れの住民たちは、比較的平和なこの商店街の出店で和気あいあいと祭りを楽しむようだ。


飲食街まで出ると、人々がまたひしめいていて、その熱気と活気でむせかえるような蒸気があがっている。


飯屋や酒場の店先のほとんどに、切株きりかぶのような大きな獣肉や、小舟ほどの大きさもある巨大魚が吊るされており、店主たちがそれを大袈裟おおげさ口上こうじょうと音頭で切り分けていく。


これは祭りの名物らしく、笑いと喝采とあおりで大いに盛り上がる。まるで、お笑い劇でも観ているようだ。


各店であらかじめ料理の分担を相談するのか、この地方のすべての肉料理や魚料理が酒池肉林の様相ようそうで連なる。客達は、腹におさまらないような量の料理や酒を、かたっぱしから買い漁っていく。


酒樽やかめの用意も今日はずいぶんと多い。

いや、多いなんてものじゃない。まるで湯浴みにでも使うようなばかげた量だ。


まだ陽のある最中なのに、酩酊めいていする者がずいぶんいて、衛生兵や自警団があわただしく市中を駆けまわっている。


― 祭りの盛況に終始圧倒されたまま、アルドは市街地の奥の方まで流れ着いた。


魔獣との戦禍せんかの後に、この国にまさかまだこれほど豊かな蓄えと底力があったとは。本当に驚かされてしまった。


国民たちの、日々の赫々かっかくたる努力と営みの成果の結実だ。あらためて、この国には感心と敬意を抱かされる。




「楽しんでるかい?お兄さんはここらへんでは見ない顔だね」

アルドは手売りをしている土産物屋の女将に話しかけられた。


「旅をしているんだ。生まれはバルオキーだよ」

「ユニガンのこれは何の祝い事なのかな?すごい騒ぎだね」


「あんた知らないでここにいるのかい!とんだ阿呆あほうだね!」


「今は、年に一度の謝肉祭しゃにくさいだよ!この祭り目当てに各地から観光客がユニガンに大挙してやってくるのさ。中には、東方の大陸の果てから大船でやってきちまう痴れ者までいるんだ」


「そうなんだ!?」

「ユニガンで謝肉祭があるのは以前に聞いたことがあったけど、これほど盛大なお祭りだったとは想像もしなかったよ」


「わはは!びっくりしただろう!」

「これでも以前よりは慎ましやかなくらいなんだよ。まだ復興がままならないからね」


「外から謝肉祭に来た大人たちは、みんな一日遊んで食べて飲んだくれたいのよ。だから、子供らのことなんてほっぽってくるんだ。自分たちも連れていけと言われたらバツが悪いから、子供らには祭りのことを教えなーいの!」


またも高笑いをする女将。


「そうなんだ…」

アルドは半ば呆れながら苦笑いをした。


「ねぇ、うちの土産物もちょっと見てってちょうだいよ!」


売り込みをする女将の横面よこつらに、突如、黒い煙がもわっとかかった。


いや…これはどうやら黒いもやだろうか。


唐突になんだろう?


「……!!」


アルドはぎょっとして後ずさり、とっさに帯剣の柄に手を掛ける!


「うわっ!!!」


まだ事態が判然はんぜんとしないまま、それを見上げて全容を見る。

アルドはおののいて凍りつく。


突如として、巨大な身の丈の魔物が、アルドの目の前にあらわれた。

背丈だけではない、も言われぬ異様な形相ぎょうそうだ。


魔物は、通りをゆく男のすぐあとを連れ立っている。

周囲の人々はなぜか誰も魔物に反応を示さない。


「…」


「…おい!あんた!!」


少しためらって、アルドが男に呼びかけると、魔物の周囲の靄が段々と濃くなり、建物の陰にさしかかったところで、すっかり気配を消されてしまった。


アルドは周囲を警戒するが、いまさらまったく無駄なようだ。完全に見失ってしまった。男の方もとうに人混みに消えている。


あんなものが現れたのに、まったく騒ぎにならなかったのはどういうことだ?

周りの人々はあの異常な存在の往来に気づかない様子だった。


…あれが見えなかったのか?


アルドは目を丸くしたまま、さきほどまで話をしていた女将の方を向く。


「なんだったんだ!?」


「何の話よ!?」あっけにとられる女将。


「急に大きな声をあげるからびっくりしたわ!あんたこそなんなのよ!」


やはり、目の前にいた女将の目にも、あの魔物は見えなかったようだ。


― あんな得体の知れない禍々まがまがしいものが、こんな街中の人混みに平然とあらわれるなんて。


あっけなく消えてしまったあたり、夢か幻でも見ていたのか?


とにかく、人々の間で騒ぎになっていないようだから、いまのところは魔物の被害はないのかもしれない。


動揺を落ちつけながら、アルドは事態を反芻はんすうしている。


不吉な黒い靄の中に浮かぶ巨大な魔物、まるでファントムのようにあいまいにぼやけた姿をしていたな。


胸の前には赤い花を抱えていた。思い出しても不気味で身震いする。


「ねぇ、今の東方の羽織りを着た男。あれが誰かわかるかな?」

もう姿の見えない男の方を指さしながらアルドが尋ねる。


「花火師のことだろ?ここらじゃ有名な男よ。声をあげたからてっきり知り合いなのかと思ったわ」


「いや…知り合いではないんだ。ちょっと、彼に気になったことがあってさ」


…花火師とはずいぶん珍しいな。


「はっきりしないわね!」


「いや、やはり今からでも追いかけてみようかな」


「ちょっと待ちなさいよ。ちょっとちょっと。この人混みの中から探すなんて、あんた阿呆がすぎるわよ」


「それにあんた…彼はちょっと事情があるひとなんだよ。無神経に訪ねるような真似はだめだよ」


アルドはさっきから上着の袖を女将に掴まれている。

「どんな事情があるんだ?彼の所在しょざいを知っているの?」


女将はため息をついて、肩に下げてる籠の中から巻きワラ人形を出してアルドに手渡した。


「…こんなものいらないよ?」

なんだろう?このの張る珍妙ちんみょうな人形は。


「気の利かない坊やだね!続きが聞きたいならお勘定が先だ!こっちは仕事中なんだよ!」


…女将はアルドから財布をふんだくると、ちゃっかり釣り銭を渡さずに、自分の酒を三杯も買ってきた。




― 女将の話では、どうやら三年前から花火師の恋人のミーニャという女性が行方不明だというのだ。彼はずいぶんと身を削って、いまも彼女の捜索を続けているらしい。


ミーニャは、元々は謝肉祭の催事さいじに巡業で呼ばれていた旅芸人の一団の踊り子で、みんなからずいぶんと評判の良い娘だったという。


「それはそれはきれいで愛僑もあって、気立ても良い子でね。ショーのときはまるで蝶々のように優雅にひらひらと踊るのさ。それがまた可愛らしくて。みんな彼女に見惚れちゃってメロメロだったわ」


「お花が好きだったもんだから、男たちは<蝶のきみ>なんて持てはやしてね。片っ端からプロポーズされていたわ」


「ユニガンに根をおろして、花火師の彼と暮らすようになってからはいつも幸せそうに一緒にいたわよ。とても仲むつままじい二人だったの」


「でもそのせいでずいぶんと羨ましがられて、嫉妬もされていたわ」


「ここだけの話、あたしはね、ミーニャはしつこい男にでも強引にさらわれて、どこかに監禁でもされたんじゃないかと思っているのよ!」


「とても気の毒よ。二人ともあんなに幸せそうにしていたのに。残された彼もショックであんなにやつれちゃって」


― 突然のことで魔物にばかり目がいったけど、たしかにどこか生気のない男に見えたな。


いずれにせよ、あの魔物の存在はあまりに異様だ。

あんなものがユニガンの街を悠々ゆうゆう闊歩かっぽしているなんて一大事だぞ。


すぐにでも男の様子を見に行ってみよう。


女将から花火師のいる工房への順路を聞いた。


「色々とありがとう!ちょっと彼を訪ねてみるよ」


「礼はいいから、もう一杯おごんなさいよ」

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