第17話 晴れの日

 ……その後、こってり、たっぷりとハーバルに絞られた私は、結婚式を予定より2週間遅れで迎えた。


 退院してきたイヴァンは私の無謀な行為に対して、何も言わなかった。私は、そんなイヴァンが不気味だった。いつものイヴァンなら、なんであんなことしたんだ、死ぬところだったんだぞ、と一喝してもおかしくないのに。だけど、そうこうしているうちに、その日はやってきてしまって。

 とはいえ、式と言っても、未だ目立つことはできないから、役所に届けを出し、小さなレストランで、ささやかな結婚パーティをするのみの私たちだったが。


「綺麗よ。スノウ。あなた、本当に、白が似合うわね……!」


 この日のために、バレンシアから駆け付けてくれたアンナが、髪を結いながら、ウエディングドレス姿の私に向かって微笑む。


「……ありがとう、アンナ」


 そう言いながらも、花冠にマーメイドラインの白いドレスを纏った、鏡のなかの自分は、なんだか自分ではないようで、まるで、私は夢のなかにいるように、ふわふわと落ち着かない心地でアンナのされるがままになっている。そんな私にアンナは、最後の仕上げにと、この日のために他の惑星から取り寄せてくれた、鈴蘭のブーケを私に手渡す。そして、部屋の扉を開けて叫んだ。


「新郎、来なさいな! さあ、宇宙一綺麗な、新婦のお出ましよ!」


 そして私の肩をポン、と叩くとアンナは私に囁いた。


「さ、パーティまで、2人でゆっくりなさい。士官学校の同期の連中は、騒がしいことこの上ないから、パーティ中はゆっくりはさせてくれないわよ」


 そう言うと、さっさとアンナは部屋を出て行った。


 やがて、アンナと入れ替わりに、着慣れぬ白いスーツに身を包んで、なんとも落ち着かない、といった表情のイヴァンが杖を突きながら、部屋に入ってくる。だが、その顔は私の姿を見た途端に、晴れやかな笑みに包まれた。


「スノウ……!」


 ……だが、そうとだけ名前を呼んだが最後、イヴァンは、しばらく床に目を落として黙りこくってしまった。それがあまりにも長い時間だったものだから、私は不安になってしまって、イヴァンの顔を思わず、覗き込んで囁いた。


「イヴァン……? 私、変かしら……?」


 すると、イヴァンは慌てて顔を上げ、途切れ途切れに語を継いだ。その美しいブルーの左目には、うっすらと涙が滲んでいる。


「とんでもない……いや、あまりに綺麗なものだから……、その、うまく言葉が見つからなくてな……すまん」


 やがて、イヴァンは、白いものの混じりだした頭を掻きながら、やっとの事で、こう呟く。


「やっと、俺の妻に、なってくれるんだな」


 そう言うと、イヴァンは私を抱き寄せた。感極まったかのように、勢いよく。彼の手から杖が離れ、かたーん、と音を立てて床に転がる。

 そして……少しの間を置き、そのままの姿勢で、イヴァンは不意に語を零した。


「頼みがある……もう、危ないことはしないでくれ。あそこで君を失っていたら、俺は……死んでいたと思うんだ」


「イヴァン……」


 ……私は突然のイヴァンの発言に、彼の胸の中で、言葉を失なう。

 すると、イヴァンは唐突に私の唇を、自分のそれで覆った。やがて、しばらくの後、イヴァンは、ゆっくり私から顔を離す。そして、一言、一言、私に言い含めるように静かに語りかけてきた。


「……もっと、俺たちは幸せになれると思うんだ……スノウ、君となら。だからこの日々が一日でも永く続くように、ふたりで力を尽くそう」


 じんわりと、イヴァンの私を想う気持ちが、心の中に温かく広がる。私は、いつまにか流れ出した涙を拭うこともできずに、その言葉に、頷いていた。彼の胸に寄り添い、ただ、幾度も頷く。深い、深い、同意を込めて。



「……イヴァン! もうお前、嫁さん泣かしているのかよ!」


 ……静寂は突然の喧噪で破られた。勢いよく開け放たれた扉を見てみれば、正装し、花束を手にしたイヴァンの友人らしき男どもが十数人が、私たちに熱い視線を投げながら、からかいの声を上げている。


「……お前ら!」


 イヴァンは突然のことに真っ赤になりながら、悪友たちの方に向き直り、怒鳴り声を上げた。


「こんな綺麗な若い嫁さんもらって、それだけで、罪作りなことだっていうのにな!」


「やかましい! 嫌みを言いに来たのなら、帰れ、お前ら!」


 だが、イヴァンの怒号をものともせず、彼らのなかには、口笛を吹いてる者さえ居る。私は口をぽかん、と開けて、ただ騒々しい冷やかしの嵐に呆然とするのみだ。


「ひでえこと言いやがるな、イヴァン! あんまりひでえこと言うと、嫁さん貰っちまうぞ!」


「……五月蝿い! ……誰がお前らにスノウをやるものか!」


 イヴァンはそう言うと、私を再び抱き寄せると、これ見よがしとばかりに、私の唇をまたしても、力強く貪った。


「ちょっ……イヴァン、くうっ……」


 ……私の赤面しながらの、その困惑の声は、さらに高まる口笛と冷やかしの声に埋もれて、彼には届かなかった。……いや、届かぬふりをしていたのかもしれない。


 ……やがて彼らを追い散らすアンナの怒号が聞こえる。さらには、アンナが肩をすくめて、部屋を出て行く気配がする。周りが再び静寂に包まれる。それでも、イヴァンは口づけから私を解いてはくれない。


 彼の舌が、私のなかを深く、浅く、そしてまた再び深くと、数度角度を変えて、まさぐる。私たちは、それまでに経験のない、永い口づけを交わした。いったい、どれほどの時間、それを続けたか分からなくなるほどの、蕩けるような、気が遠くなるような。


 ぼんやりとする私の胸に、彼と出会ってからの出来事が去来する。

 ウィリアム街での出会い、宇宙での旅、雪の中での初めての交わり、そしてそれからの永い永い日々のこと。いろんなことがあった、だが、その思い出、全てが愛しい。

 イヴァンにまつわる全ての記憶が、日々が、愛しい。


 それらは、これからも、変わりなく……否、これまで以上に愛おしいであろうことを、私は疑いなく信じる。

 そして、それが互いにとってそうであることは、もう、言葉で確かめ合う必要の無いことなのだ。

 もはや、私たちふたりには。



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