第15話 テロリズム

「何だ?!」


「上の階で、なにかが爆発した!」


 人々による口々の叫び声と共に、途端にロビーはパニックとなった。皆が皆、出口への方へと殺到する。だが、私の脳裏に一番に浮かんだのはイヴァンのことだった。私の身体は反射的にそれまでと逆の方向を向き、人波に逆らってイヴァンの病室に戻ろうと病院内に歩を進めた。エレベーターは止っているのが目に入り、私は慌てて非常階段を目指す。


「危ないよ、お嬢さん、上に行っては!」


 その声と、私を止める人の腕を振り切って、私は息を切らして一気にイヴァンの病室のある3階まで駆け上がろうとした。

 非常階段にも白い煙が充満している。この状況だと、イヴァンの不自由な身体では、逃げ遅れてしまうのではなかろうか。私は焦ってイヴァンの病室に駆け戻るべく、階段を駆ける。すると、3階まであと一息というとき、私のハンドバックが震えた。テレフォンが鳴ったのだ。

 こんなときに、と思いながらも、私は反射的にそれを手に取った。そして、画面を見れば、私たちの“お目付役”であるハーバルからの着信だった。


「スノウか? 今どこに居る? 病院か?」


「ええ、火事らしいの、それで、非常階段でイヴァンの部屋に戻ろうと……」


「それはだめだ、スノウ。イヴァンの部屋には戻るな、すぐ逃げろ」


 ハーバルの静かな、だが、有無を言わせぬ声に、私は絶句した。息を整えて、どうにか反論を試みる。


「どうして?! それじゃイヴァンが逃げ遅れてしまうわ!」


 息を切らし立ち尽くす私の目に、モニターに映る苦虫をかみつぶしたようなハーバルの顔が飛び込んでくる。


「それはただの火災ではない、テロだ。先ほどマスコミ、そして我々の法廷に“黒い蜘蛛”から犯行声明が送られてきた」


「“黒い蜘蛛”……」


 その名には聞き覚えがあった。たびたび、私たちの家にも脅迫文を寄こしたことのある極右団体だ。

 ……ということは……。

 青ざめる私にハーバルは、相変わらずの静かな声、しかし暗い顔つきで、私に残酷な事実を告げた。


「奴らの狙いはイヴァンだ。……奴らは、イヴァンの命を盾に、裁判の差し戻しを要求している」


「そんな……」


 言葉を失った私は暗い非常階段の壁に、へなへなと寄りかかった。そんな私に向かって、モニターからハーバルの厳しい声が飛ぶ。


「スノウ、気持ちは分かるが、今はそこにいる場合ではない、逃げろ!」


 だが、その声に反して、私はよろよろと階段を昇ることを止められなかった。私はなおも逃げるように告げるハーバルの声が飛ぶテレフォンを、ハンドバックの中に押し戻した。すると、私の手にかつん、と固いなにかがバッグの中で触れた。

 ……イヴァンの杖だった。


「あ……」


 私は、はっ、として、折り曲げていた杖をもとに戻して、そっとそのカバーを外した。すると、なかから現われたのは、イヴァン愛用のレーザー銃だった。


 ……これがあれば……もしかしたら……。


 私はイヴァンのレーザー銃を、震える手で握りしめると、慣れぬ手つきながら、見よう見まねで構えてみた。そして、大きく息を吐くと、3階に通じる非常階段のドアをそっと、そっと、音を立てぬように開いた。そして細く開けた隙間から、フロアの様子を伺う。


 廊下には白い煙が充満していたが、廊下、そして、イヴァンの部屋の前には人影はなかった。私はパンプスを脱ぎ捨てると、姿勢を低くし、ハンカチで口を覆いながら、イヴァンの病室へとゆっくりと歩を進めはじめた。

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