第5話 傷を舐め合う

「私……いつの間にか、こんなに弱くなったのかしら……?」


 情事のあと、スノウが俺の短く刈った髪を触りながら零す。


「私ね、あなたとの旅で強くなったつもりだったのよ。ちょっとやそっとじゃへこたれない人間に。なのに、今回のこのざまじゃね、勘違いもいいところだわ」


 俺は体ごとスノウの方に向きを変え、まっすぐにその愛しい顔を見つめた。


「それほどのことだったんだよ。スノウ。君は傷つけられることに慣れすぎてきたんだ……あんな目に遭わされて、死にたくならないほうがおかしい……」


「そうね……。だとしたら、私の今の弱さはあなたのせいね」


「俺の?」


「イヴァン、あなたは出逢ったあの日から、今日まで、私のことを大切にしてくれてたじゃない。そんな風にされたこと、幼い日以来……私にはなかった…・…」


 スノウはそこまで言うと、目を瞑り、大きく息を吐いた。過去の記憶を拾い上げるかのような痛ましい顔つきで。


「だから私は傷つけられるのに、ずっと鈍感でいたんだわ、そうでなけりゃ、生きて来れなかったもの。それがあなたの優しさに触れて、ようやく、痛みを痛みとして感じられるようになったってことよ……そういう意味」


 痛々しいスノウの告白に、俺の心は軋む。うまい言葉が見つからず、間をおいて口から出た台詞は平凡なものだった。


「そうか……。それはいいことだ。人間、傷ついたり痛い目に遭ったときは泣いて当然だ」


 するとスノウは言った。

 

「じゃあ、いまここで泣いていい?イヴァン、あなたの胸で」


 俺は即座に答えた。


「いいとも」


「じゃ、遠慮無く……私、ずっと、男の人に弄ばれて、弄ばれて……辛かったわ……」


 俺は、その絞り出すようなスノウの言葉に胸をえぐり取られるような痛みを覚え、思わず彼女を抱きしめた。俺たちの体の境目を感じなくなるほどに、ぎゅっと。


 スノウの頬に透明な涙が伝ってることを、俺は肌で感じとったが、存分に泣いて欲しくて、俺は指先でそれを拭いたくなるのを堪え、ただその肢体を抱きとめる腕に力をいれた。


 俺たちはどれだけの間か、そうしてただ互いの熱を感じつつ、じっとしていたが、しばらくして口を開いたのはスノウだった。


「イヴァン。あなたも辛いでしょう?」

 

「ああ。でも、俺はさっき君の前で、もう、泣いちまったから、いいんだ」


「嘘。あなた、殺された奥さんのことも、お子さんのことも、私の前では口にするまい、としているのを知ってるわ。私のことを思ってでしょうけど、あなたも辛いことをそう感じられなきゃ、なんというか……フェアじゃないわ。ねえ、今日だけは、私に本当の気持ちを打ち明けてみて……」


 俺はスノウにそう乞われ、ためらいながらも、胸の奥にしまい込んでいた、かつての家族の思い出をそっと引き出した。


「……辛いさ。ターニャも、ナターシャも、俺が殺したようなものだからな。彼女らを俺は心から愛していた。彼女たちに関わる証言を求められるたびに、俺の心臓は罪の意識で縮こまる……」


 懐かしい家族の光景が胸に映し出される。スノウの言うとおり、俺が失った家族のことを口に出して憂いたのは、今夜が初めてだった。なんとも言い得ない暗く哀しい感情がじわっと心の奥に滲むのを感じて、俺は、自分もまた傷つけられることに鈍感になっていたと気づく。


「スノウ。俺たちは、やっぱり似ているな」


「そうよ」


 俺は不自由な手をおずおずと伸ばして、スノウの手を強く握った。


「……だからさっきも言ったが、俺をひとりにしないでくれ、スノウ。傷を舐め合う相手が、俺たちが生きのびるには必要なんだ……きっと」


 スノウが笑った。そして、俺の手を握り返しながらゆっくりと答える。


「傷を舐め合う……それは素敵な関係ね。なかなかそんな相手、人生で見つかること、ないものね」


 窓から朝の陽がベッドに差し込み始めていた。乱れたシーツの上に転がる、俺たちふたりの上にも。俺はその光に浮かび上がる、スノウの美しい裸体の上に再び覆い被さり、深く口づけた。

 この愛しい存在と巡り逢えたことに、心からの感謝を込めて。

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