第4話 心の底から君が

「看過し得なくなってきたな、これは」


 休廷中の合間を縫って、俺の控え室にやってきたハーバルが俺に言う。何のことかと俺は聞かなかった。スノウの報道のことなのは明白だからだ。はじめの報道から、一月以上が経とうというのに、各紙のスノウに対する報道合戦は熱を帯びるばかりだった。戦争後の閉塞感が心中が満ちた人々の好奇心に、それは格好の話題だった。


 俺はもういちいち報道を確かめるのに飽き飽きしてはいたが、それでも、あることないことが面白おかしく記事にされているのを、ハーバルから聞くに及び、俺は新聞社に銃を持って殴り込みたい気分になる。

 だが、良いのか悪いのか、いまの俺に行動の自由はない。法廷と家の往復。それが俺の毎日だ。おかげで俺は殺人者にもなれず、いまこうして、ただ、くすぶっている。


「情報操作の疑いがあるな。君に対するイメージを落とし、世論から不利益な判決を導きだそうという意図を私は感じる」


「だったら、俺を新聞社に送り込ませてくれよ。何発か殴って、誰のどういう仕業なのか吐かせてやる」


 俺の本音と諦めがまぜこぜになった台詞に、ハーバルは苦笑する。


「……それはできぬが、だが、ドヴォルグ。こうなってきたら我々も手をこまねいてるわけではない」


 意味深なハーバルの言葉に思わず俺は、彼を見返した。


「内偵させている。いったい、誰がそもそも君の恋人に対する誹謗中傷を始めたか、その火元をな。だから、もう少しの辛抱だ、何とか堪えてくれ、ドヴォルグ」


 ハーバルの言葉は淡々としていたが、そこには確固たる語気の強さがあった。


「礼を言う……」

 

 俺はやっと一言そう述べた。どういう権限かは分からぬが、ハーバルの操る権力に頼るしかないのが今の実情だ。まったく、不自由な身体に不自由な身柄では、なんともしようがない。

 ハーバルは軽く口に笑みを浮かべると部屋を出ていこうとしたが、その直前、俺の方を振り返るとこう言った。


「君は君のやり方で、恋人を守りたまえ。あの雪原の中でも出来たことだ、いまも同じことをするだけだな、ドヴォルグ」


 控え室の扉がバタリ、と閉まった。俺の心には最後の彼の台詞が矢のように刺さった。そうだ、俺は俺の出来ることで、いや、俺には俺しか出来ぬことでスノウを守らなければ。



 その日、俺は家に帰ると、真っ先にスノウを抱きすくめた。


「やっ…・…」


「スノウ。俺を拒むな、気持ちはわかるが」


 あの泣き崩れた日以来、俺が抱き寄せようとしても身を固くして、どこか怯えるばかりのスノウに、俺は強めの口調で言い聞かせる。


「俺が嫌いか」


「そういうわけじゃない、イヴァン……だけど……」


「なら、俺を拒まないでくれ、スノウ。俺は、君を汚したあんな奴らとは違う。分かるだろう」


 ビクッ、とスノウの身体がすくむ。のことを思い出フラッシュバックさせてしまったかもしれないな、と俺は思う。だが、俺はスノウの唇を半ば無理矢理覆い、口づけを奪う。そして、怯える黒い瞳をまっすぐに見据えた。


「君は、何も悪くない。あの旅の途中でも言っただろう、覚えているか」


「ええ……覚えて、いる、わ……」


 俺はその答えに少し表情を緩めつつも、彼女の腕に回した手に力を込める。


「ならいい。なら、俺を信じてくれ。俺は君が居てくれるから、こうして生きているんだ。……だから、死んでいれば良かった、なんて言うな……!」


 自分の声が説得から懇願へと、色合いを増してきたことにスノウは驚きを隠せない表情でいる。いや、俺自身、驚いていた。だが俺の思わぬ衝動は、口からあふれ出すばかりだ。


「俺はこれ以上、大切な人を亡くしたくないんだ…・…頼む……」


 そして俺の胸から、ついぞ零さなかった言葉が、遂に漏れた。


「もう、誰も、俺をひとりにしないでくれ……!」


 俺はスノウを抱きしめた、というより、その腕ごと細い腰にしがみついた。

 ……そうだ、俺はどうしたらこの報道スキャンダルの嵐から彼女を救おうか、慰めようかばかり考えていたが、俺はそれ以上に、こんなことでスノウがいなくってしまったら、という恐怖の前にするばかりだったのだ。

 ああ、これはあの旅路と同じではないか。俺たちは失った者同士だ。そのことにまたしても途中で気づかされる。そう、俺たちは似たもの同士なんだ。

 だからこそ、いま、ここにこうして、存在する、2人、なんだろう?

 そうだろう?スノウ。


「好きなんだ……必要なんだ、君が、スノウ…・。だから…・…」


 気が付けば俺の左目からは、涙が流れ落ちている。つくづく俺はかっこ悪い男だ。だけど、こんな俺が好きだと言ってくれたよな、スノウ、君は。


「イヴァン……痛い…」


 スノウが急にぽつりと言った。俺はぐちゃぐちゃになった顔を上げてスノウを見る。


「手ぇ……力、強すぎて、ちょっと痛いわ……」


 よく見れば、俺はしがみつくあまりに、スノウの腕に赤い跡を付けてしまっていた。


「あ、すまん……」


 俺は慌てて彼女の腕と腰から手を離す。そんな俺をスノウはふふっ、と笑ってみた。その彼女の目にも涙がいつの間にか溜まっている。だが、その瞳に躍るのは悲しみの火ではなかった。


「いいの、嬉しい、イヴァン……」


 そしてスノウは顔を赤らめながら小さな声で俺に囁いた。


「跡を付けるなら、体中に付けて欲しい…・…私の穢れを覆いきってしまうほどに」


 …・…俺は頷き、彼女の腕を再び手に取り、寝室へと連れていく。

 そして、スノウをベッドに横たわらせると、その上に覆い被さる。


 ……・朝が訪れるまで、互いの吐息を全身に浴びながら、スノウと体を重ね、俺は彼女の望みを叶えた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る