別れ
やっと家に戻った僕は、母さんにオキシドールを持ってくるように叫んだ。
その声に驚いた母さんは何事かと玄関に顔を覗かせた。
玄関口に横たわる鶴を見た母さんは事の真相が理解できず、頭は混乱しているようだ。
「かあさん、後で説明するけん、早くオキシドールば持って来て!」
僕は叫んだ。
次に弓を
まずは刺さっている矢を半分に折る。
少しずつ折れた矢を翼から抜いた。
矢が抜けた瞬間、鶴の白い翼は真っ赤に染まった。
純白が真っ赤に染まっていく美しさは、見てはいけないものを、見てしまった怖さに似ていた。
痛さで鶴が
鶴は痛さに首を大きく横に振った。
僕は首を両手で抱きかかえながら鶴をなだめる。
「大丈夫だよ、僕がここにおるけん。お前を絶対に傷つけんよ」
鶴は僕の言葉が理解できたのか、小さな顔を僕の顔に添えて穏やかになった。
塗り藥をつけた後は三十センチほどの半分に割った竹を、翼の両側に挟んで
鶴が翼を動かさないためだ。
鶴は体力を消耗しているようで布団の上にぐったりと横たわる。
かあさんに、「おやすみ」と言った後で自分の部屋の戸を閉めた。
鶴は静かに僕の布団の上に横たわっている。
一人でも狭い部屋なのに鶴と一緒だとより小さく感じた。
でもこの
一人で寝るよりも落ち着いた空間。
そのひと時の時間を楽しんでいる僕の部屋の窓の外には、大きな満月が光輝いている。
満月と鶴……
不思議な一日だったと、今日あった事件を思い返しているうちに、深い眠りの中に溶け込んでいった。
次の日から寝ずの看病が続いた。
鶴はほとんど何も食べることもなく、生と死の間をさまよっているようで動こうともしない。
僕は無理矢理に
すると喉を詰まらせたようにして、すり身を飲み込んだ。
不安な夜が数日続く。
三日目の晩、疲れはてた僕は鶴の夢を見た。
鮮やかな着物を着た女の子に変身した鶴が、僕の家に訪ねてきた。
玄関に入ると、
「おかげさまで良くなりました」
鶴は頭を下げて僕に礼を言った。
次の朝から
ネットで色々と調べてみると鶴は雑食動物で、何でも食べると書いてあった。
確かに冷蔵庫にあるものは僕たちと同じように食べる。
食べれば食べるほど、どんどんと回復していった。
最近では庭の入り口で僕の帰りを待つようになった。
僕は学校から帰ってくると鶴の首を抱いてやる。
そうすると嬉しそうに声を上げて鳴き叫ぶ。
隣のおじさんのところに仕事に行く時も、必ず僕の後を付いてくる。
仕事をしている間、いかにも僕が何をやっているのか解るのか、ずっとこちらの方を見ている。
僕と鶴はどんどん仲良くなっていった。
もう鶴を助けて二ヶ月が立った。
後数日で正月だ。
鶴はすこぶる元気になった。
母さんが独り言のように僕に話しかけた。
「そろそろ鶴を自然に還すときが来たね……」
確かに母さんの言う通りだ。
翼はほとんど元に戻っている。
長い間、人間に飼われていれば、自然に戻れなくなってしまう動物もいると言う。
一晩中考えたあげく明日、鶴を見つけた田んぼに連れて行くことに決めた。
おじさんの軽トラの後ろに鶴と一緒に乗り込む。
鶴を両手で抱えながら、この2ヶ月間の思い出が僕の頭の中を駆け巡った。
胸が詰まってしまうほど寂しいが、鶴を自然に
そう自分に言い聞かせながら寂しさを吹っ切ろうとする。
天から白い綿がゆっくりと降りて、僕の掌に落ちて溶けた。
止まった軽トラの上に一つひとつゆっくりと雪が降りてくる。
おじさんが前の座席から飛び降りて空を見上げた。
「おー、雪がふっちょる、ふっちょうる」
僕に視線を向ける。
「
確かにこの田んぼで鶴に出会った。
鶴を荷台から抱き下ろす。
どんどん降ってくるぼた雪のなか、鶴は真っ白な翼を大きく広げた。
しかし飛び去ろうとする気配はない。
逆にこちらの方に一歩いっぽと近づいてくる。
もう一度抱きしめたい衝動を抑えて僕は叫んだ。
「お前、もう飛んでいけよ!」
両手を大きく振って脅かす。
鶴は何歩か後ずさりして大きな驚きの声を上げた。
僕は今にも流れそうな涙をこらえて叫んだ。
「うるせえな。もうお前なんか要らんとぞ!」
鶴は大きな翼を広げて舞い上がり、僕の上空をゆっくりと旋回し始めた。
1回
2回
純白の美しい翼が降ってはおりる雪を撫でるようにしてはばたく。
3度旋回した後で、まるで「さようなら」を言いたいように大きな声で鳴いて、北の空へと飛び去ってく。
鶴の飛び去っていく後ろ姿を目で追い続ける。
瞳には涙が浮かぶ。
別れたくない。
一緒にいたい。
最後にその白い一点も雪に混じって見えなくなった。
僕は心の中で言い続けた。
「これでいい。これで良かったっちゃん」
でも僕の心の中には大きな穴が空いた。
鶴を失ってしまった大きな穴が…………
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