第5話 地下室の扉の向こう側

 それは突然起こった。


 いつもと変わらない一日。

 そうなると思っていた。


 既に日課となっていたリュードとのおしゃべりのために、ミリルは地下室の扉の前に立った。


 今日もこの扉の向こうに、リュードが来てくれる。

 そう思うだけで、胸が踊るようだった。


 無機質な鉄の扉。

 少し錆びた、冷たいそれに指を這わせる。


(これがなければ、リュードに会えるのに……)


 たった一枚の扉。

 しかし、絶対に越えることのできない境界。


 いつしかミリルの心の中では、この扉の向こう側へ行くことを目標としていた。

 それは、ただの好奇心ではない。


 直接リュードに会いたい。

 その思いが、ミリルの中で大きくなっていたのだ。


 扉をなぞる手が、ドアノブにかかる。


 そのときだった。


 ガチャ


「……えっ?」


 何気なく回したドアノブが、なぜか回ったのだ。

 毎日確認しているわけではないが、普段は鍵がかかっており、ドアノブが回ることはなかった。


(お母さんが鍵をかけ忘れたのかしら?)


 原因はわからないが、事実として鍵はかかっていない。

 それはつまり……。


「ミリル、いるか?」


「リュード、どうしよう……!

 鍵がかかってないっ!」


「なんだって!?」


 扉の反対側に来たリュードが、ドアノブを回した。

 すると、こちら側のドアノブも、その動きに連動して、ガチャガチャと回ったのだ。


「ほんとだ、かかってない……」


 今までこんなことはなかった。

 絶対不可侵の扉。

 そう思っていたものが、なんの前触れもなく、その口を開けようとしていた。


(今なら開けられる。

 リュードに会うことができるわ。

 でも、そうしたらお母さんたちとの約束が……)


 もうリュードが、セシルたちの言う怖い存在ではないと、ミリルは確信している。

 だが、リュード以外の存在。

 リュードには無害でも、ミリルには有害な存在がいるかもしれない。


 もし扉を開けて、ミリルがそのなにかに傷つけられたとしたら。

 きっと、セシルやウィールはすごく悲しむだろう。

 それは、嘘をつくことより、自身が傷つくことより、よっぽど怖かった。


「リュード……。

 私、リュードに会いたい。

 会いたいの!

 でも、お母さんたちとの約束を破って、悲しませたくない。

 ねえ、私はどうしたらいいの……!」


 期待、不安、いろんな気持ちが、ぐちゃぐちゃに混じりあう。

 吐きそうなほどの、溢れる感情の奔流に、なぜだか頬が濡れた。


「ミリル、僕もミリルに会いたい!

 そりゃ、お母さんたちとの約束は大切だけど、でも、今会わなかったら、もう一生会えないかもしれない。

 そうなったら、絶対僕は後悔すると思う。

 大丈夫、ミリルのことは僕が守る。

 魔術だって毎日練習しているんだ。

 何があったって、絶対守るよ。

 少し会うだけだよ。

 またいつもみたいに、お母さんたちが帰ってくる前に戻ればいい。

 だからミリル。

 僕と会ってくれないか」


 それは、あまりにも荒唐無稽な話だった。

 リュードがミリルを守りきれる根拠なんてどこにもない。

 セシルやウィールほどの魔術師ですら、ミリルが地下室の扉を越えることを危険だと考えているのだ。

 二人よりも劣っているだろうリュードの力など、たかが知れている。


 扉を開けるべきではない。

 そんなこと、本当はわかっている。


 だが、リュードの言葉は、ミリルの背中を押すには十分だった。


 もう、この気持ちを抑えることは、ミリルにはできなかった。


「リュードッ!」


 ドアノブを回し、ゆっくりと扉を開けていく。


 ようやくリュードに会える。


 扉の先。

 果たしてそこにいたのは、黄金色の髪をした一人の少年だった。


「リュード、なの……?」


「そうだよ、ミリル」


 照れ臭そうにはにかむリュード。

 その表情には、確かにウィールの面影があった。


 ミリルは境界線を越えた。


「リュード!」


 駆け寄ったミリルを、リュードが受け止める。

 リュードの腕の中は、セシルと同じように温かかった。


 ずっと会いたかった存在。

 それが幻ではないと確かめるように、ミリルも力一杯抱き締める。


「リュード、リュード、リュード!

 私、ずっとあなたに会いたかったの。

 ずっと、ずっと……」


「僕もミリルに会いたかった」


 腕の中で顔を上げると、すぐ目の前にリュードの顔があった。


「リュード、格好いいわ。

 想像していたより、何倍も格好いい」


「ミリルも綺麗だよ。

 とっても綺麗だ」


 静寂が二人を包む。

 だがそれは、不快ではない、心地の良いものだった。


「そうだ、ミリル。

 ミリルに見せたいものがたくさんあるんだ!」


 そういうと、リュードはミリルの手を引きながら、地下室へと続く階段を


 そこは、とても明るい世界だった。

 ミリルのいた地下室にも明かりはあったが、こんなに温かな光ではなかった。


「ねえリュード。

 この光はなに?」


「これは日の光だよ。

 今は昼間だからね。

 ほら、こっちへ来て」


 リュードに連れられるままに、ガラスでできた板の前に来た。


「ほら、見て!」


 ガラスの板の向こう側。

 いったいどれ程の高さがあるのだろう。

 青い天井がどこまでも広がっていた。

 そしてその中心に、目が眩みそうなほど、強烈な光を放つ明かりがあった。


「リュード!

 天井がすごく高いわ!

 それにすごく青くて広い!」


「あれは空だよ」


「空……」


「それで、あの眩しいのが、お日様。

 あまりじっと見るのは、目に悪いみたいだから、見るのはちょっとだけね」


「わかったわ」


 既に凝視して、チカチカしていた目を擦る。


「リュード、すごいわ!

 地下室の扉の先が、こんなにすごい世界だったなんて!」


 ミリルは新たな世界を見ることができた感動とともに、これまでずっと考えていた疑問に頭を悩ませた。


(確かにお日様の光に目がチカチカしたけど、まさかそれが怖いことの正体ってことはないだろうし……。

 いったい、お母さんたちは、何を恐れているのかしら?)


 そのときだった。


「ミリル!?」


 その声に振り向くと、そこには血相を変えたセシルの姿があった。


「お母さん!?

 どうしてこんな時間に!?」


 まだ昼食の時間にもなっていない。

 いくらなんでも、帰ってくるのが早すぎる。


「地下室の鍵をかけ忘れた気がして、慌てて帰ってきたのよ。

 それよりもミリル。

 どうしてあなたがここに……」


「それは……」


「僕が連れ出したんだ」


 リュードがミリルを庇うように前に出た。


「僕がミリルに会いたくて。

 扉が開いていたから、ミリルに会いたいって。

 だから、えっと、ミリルを連れ出した」


 リュードもパニック状態なのだろう。

 整然としている弁とはいいがたかったが、それでもミリルを庇うために、一生懸命言葉を紡いでいた。


「あなたたち、もうお互いのことを知っていたのね」


「扉越しに、毎日お話していたの。

 約束を破ってごめんなさい!」


 ミリルは精一杯頭を下げた。

 その横で、リュードも一緒に頭を下げた。


 そんな二人の様子を、セシルは嬉しそうな、少し悲しそうな顔で見ていた。


「……二人とも顔を上げて。

 本当に謝らないといけないのは、お母さんとお父さんのほうなの。

 ごめんなさい」


 そういって、セシルは二人を抱き締めた。

 その温もりは、ミリルの胸を締め付けた。


 ◇


 セシルは「二人に全てを話すわ」といい、仕事を休んで、ウィールも呼び戻した。


 帰ってきたウィールは、しかしセシルほど驚いている様子はなかった。

 もしかしたら、いつかはこうなることがわかっていたのかもしれない。


 四人でテーブルを囲む。

 正面に両親が座り、左にはリュードが座った。


「まずそうね。

 ミリルのことから話しましょうか」


「私のこと?」


「ミリル、あなたは私たちの本当の子供ではないの」


「……」


 やっぱりそうか。

 なんとなく、そんな気はしていた。

 そして、リュードに会って、その予想は確信に変わった。


 リュードには、セシルとウィールの面影があった。

 だが、ミリルには、一切それらしいものがないのだ。

 髪や瞳の色も、顔も何もかも。


 これまでは、セシルとウィールしか見たことがなかったから、親子といっても、そういうものだと思っていた。

 だが、本当に血の繋がった親子を目の当たりにして、そんな思いは吹き飛んだ。


「ミリル、あなたは私たちが創り出したホムンクルス。

 人造生命体なの」


「ホムンクルス……」


 静かに言葉を反芻するミリルを見ながら、セシルはゆっくりと話し始めた。


「昔、私たちは子供を授かることができなくてすごく悩んでいたの。

 そして、どうしても子供が欲しかった私たちは決断した。

 子供を授かれないのなら、創り出せばいい、と」


「それが、私……」


「そうよ。

 でも、人造生命体の研究は、国の法律で禁忌とされているの。

 禁忌とわかっていて、私たちはミリルを創った。

 もし国に見つかれば、私たちもミリルも処刑されてしまう。

 そうならないように、私たちはあなたを地下室に隠した。

 いいえ、閉じ込めたの。

 ミリルには辛い思いをさせるかもしれないけど、それでも三人で幸せに暮らせると思っていた」


 どうして、地下室から出ることを禁じられていたのか。

 おおよその理由は理解した。


 血の繋がりがないというのは、少しだけ寂しかった。

 だが、この体は二人が創ったもので、この体に注がれた愛情は本物だ。

 二人を責めるような気持ちにはなれなかった。


 それにまだ、この話は終わりではない。


「そんなある日、私が子供を授かったの。

 これまでまったく授かることができなかったのに。

 私たちは悩んだわ。

 ミリルがいるのに、子供を産むべきかどうか。

 でも、産むことにしたの。

 やっぱり、諦めきれていなかった。

 自分で子供を産みたかった。

 そしてリュード、あなたが産まれた」


 リュードは静かに話を聞いていた。

 だが、ミリルが机の下で手を伸ばすと、リュードはその手を力強く握ってくれた。


「幼いリュードをミリルに会わせるわけにはいかなかった。

 もしリュードから、ミリルのことが外に漏れたら、と思うと会わせられなかった。

 だから私たちは、地上と地下の二つにわけて、二つの家庭を築くことにした。

 二人を別々に育てることにした。

 それが私たちの選んだ道。

 今まで黙っていてごめんなさい」


 セシルとウィールが頭を下げた。


 張り詰めた空気が漂う。

 左手を握っているリュードの手が、静かに震えていた。

 いや、もしかしたら、震えているのはミリルのほうかもしれない。


 想像していたよりも壮大な話に、頭が追いつかない。

 だが、不思議と心は落ち着いていた。


「お母さん、お父さん。

 私とリュードのこと好き?」


 静寂を破るように呟かれたミリルの言葉に、二人は目を見開いた。


「ええ、もちろんよ!」


「当たり前だ!」


「そう、なら私はいいわ。

 リュードはどう?」


「僕はとくに何もないよ。

 大変なのはミリルみたいだし、ミリルがいいなら、僕もいい」


「二人とも……っ!」


 感極まったように、セシルが肩を震わせる。

 そんなセシルを、ウィールが抱き締めた。


 相変わらず、仲のいい夫婦だ。


「そうだ、もうひとつだけ確認したいことがあるの」


「ぐすん……。

 何かしら?」


 鼻をすすりながら、セシルが潤んだ瞳をミリルに向けた。


「私って、子供を授かれるの?」


「えっ!?

 ええ、まあ、原理的には問題ないはずよ」


「なら良かった。

 これでリュードの子供を宿せるわ」


「ち、ちょっと待って!

 ミリル、あなた何をいっているの?

 あなたたちは二人とも、私たちの子供なのよ」


「だって血の繋がりはないんでしょ。

 それに、外に出ることができない私を貰ってくれる人なんて、リュードの他にはいないわ!」


「それはそうかもしれないけど……。

 ちょっと、あなたもなにか言って」


「……リュード、お前はどうなんだ?」


「僕もミリルと結婚したい」


「そうか……」


「そうか、じゃないわよ!」


 賑やかな声が、いつまでも響いた。


 ◇


「ミリル、リュード、行ってくるわね」


「「行ってらっしゃい!」」


 セシルが慌ただしく仕事へと向かっていく。


「そうだ、リュード。

 地下室に面白そうな魔術書があったの。

 あれなら、今のリュードでも使えると思うわ」


「あはは、お手柔らかにね」


 ミリルはリュードの手を引っ張って、地下室へと入っていく。


 もう、地下室の扉が閉ざされることはない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

地下室の扉の向こう側 黒うさぎ @KuroUsagi4455

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ