第二章 愛の家庭教師田中

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 四月最初の日曜日、優慈宛に手紙が届いた。


 手紙を届けにきたのは緑の制服を着た郵便配達員ではなかった。顔がまん丸のスキンヘッドの男が手紙を人差し指と中指に挟んで持ってきた。白服を着た男は雪像のように大きく、肩に申し訳程度の小さな翼が下がっていた。家の中にあがってあったかなミルクティーでも飲みたそうな顔をしていたが、優慈は大男が怖かったので、手紙を受け取ると、玄関のドアを締め、すぐに鍵を掛けた。


 カード会社から送られて来るような横長3の封筒は真っ白だった。送り主は日本クピド教会北海道支部。中には三つ折りにしたA4サイズの挨拶状が一枚入っていた。


 拝啓 森村優慈様におかれましては益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。

 さてこの度、貴方様をクピド予備軍に認定いたすことになりました。本状が届  いた方は、プロとなるためのクピド適正試験をお受けください。クピド適正試験は夏に実施いたします。

 なおクピド適性試験は何度でも合格するまで受けられます。

 日取りや会場が決まりましたら、あらためてご案内いたします。それまで日々精進し、各自が愛について事前に学んでおきますようよろしくお願い申し上げます。

                               敬具


   日本クピド協会北海道支部会長 愛田雅広



「だいぶまえのことだけど、吹雪の晩に変な男に会ったよ」


 夕食をダイニングテーブルで食べながら、優慈は爽彦に話した。


 食事はいつも爽彦が作る。今日のおかずは昨日と同じハンバーグだった。優慈は人生のほとんどをハンバーグと過ごしている。


「変な男というのは?」

「背中に翼が生えた、白いロングコートの男」

「誰なんだ」

「恋のキューピット。北海道支部の会長」

 父親は優慈が見せた挨拶状を手に取り、

「この愛田雅広とかいう人物か」

「ああ」

「そうか」

「驚かないの」

「驚いてるさ。でも翼が生えて恋のキューピットになるというのは、そう珍しいことではない。父さんにそのものが見えるわけではないが、恋のキューピットはこの世に多く存在するそうだ。だから、お前がキューピットに会ったからと言って、騒ぎ立てることでもないさ」


 爽彦がそう言ってハンバーグを口に運んだ。


 その時だった。別に知ろうとは思わないのに、優慈は父親の愛が見えた。父親はずっとただひとりの女性を愛し続けている。それは、優慈の母親だった。他の女性への想いはひと欠片もなかった。母親が死んで十七年近くたった今も、心の総てが母親で満たされていた。


 爽彦は小樽でガソリンスタンドと中古車販売の会社を経営している。まじめを絵に描いたような人物だが、爽彦は街で一番美しい女性と結婚することができた。


 優慈にはその女性の記憶がない。優慈を産んでまもなく死んだ。自殺だった。なぜ自殺をしたのか、優慈はその理由を父親に聞いたことはない。母親がおらず、父親と二人で暮らしている。優慈にはその日常しかなかった。


 その母親を、父親は今でも愛している。


 写真でみる若い頃の母親は、ほんとうにきれいな人だった。さえない父親がなぜこんなにきれいな母親と結婚できたのか、優慈は不思議でならなかった。


「で?」

 爽彦がふいに聞いた。


「で? で、って?」

「その男はおまえには何を言った」

「僕も仲間だって。キューピットの。おかしいでしょう」

「おかしくないさ」

「でも、その前に試験を受けなきゃいけないみたい」

「試験?」

「キューピットになるための資格試験のようなものじゃないかな」

「お前は合格の自信があるのか」

「自信もなにも、そんなものは受けないと思うよ」

「なぜ」

「合格するということが、僕にどんなメリットがあるのかわからないし、なんのために試験を受けなきゃいけないのかもよくわからないから。受けない方がいいよね」

「キューピットの資格を得ることができるのだろう。別に受けても、いいんじゃないのか」爽彦は試験をすすめるように優慈に言った。

「でも、資格といってもキューピットのだよ。将来の就職に役に立つとは思えないけど」

「それでも、資格を持っていれば損はない」

「でも、僕は愛について何も知らないし、受けたって落ちちゃうよ」

「塾でも、家庭教師でも、勉強の方法は幾らでもあるだろう」

「愛を教えてくれる塾ってある」

「なら、家庭教師だ」

「家庭教師を雇っていいの?」

「ああ。あてでもあるのか」

「協会に頼めば派遣してくれるみたいなんだ」

「じゃあ雇えばいいさ。で?」

「で?」

「ほかに、何を言った」

「ロビンノコって言っていた。聞き違いかもわからないけど、ロビンノコってなんだろう」

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