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 人の愛がわかる。優慈はそういうことは自分ひとりで楽しむべきものだと思っていた。しかし、高校生になると、その能力を秘密にすることはできなくなった。同じ一年D組の高田亨に話し、そいつが思いを寄せていたC組の下平由紀との愛をとりもってやったら、その情報は一日で全校生徒に伝わった。異性に飢え、なんとかカップルになりたいと思っているものたちが昼休みや放課後に優慈のもとへ相談にくるようになった。


 優慈は両思いの愛はもとより、一方的な愛も、心の中の愛を公表したがらない優等生、いわゆるお高くとまっているやつらの愛も叶えてあげた。


 叶えてあげるというのは、両思いの場合は、その事実を相手に伝えてあげることで、たいていの愛は結びついた。片思いの場合は、例えば高田の時は「高田は下平さんのことが好きみたいなんだ。下平さんさえ良ければ高田とつきあってみない」と高田亨の気持ちをまず下平由紀に伝えることから始めた。告白を伝えられるとたいていの女性は戸惑ったそぶりを見せるが、優慈が頼むと相手との交際を断るものはいなかった。


 水天宮祭とか住吉神社祭とかお祭りの季節になると他高の生徒もやってきた。生きている上ではまず友人にならないような、細眉毛の、もしくは眉毛なしの怖い連中も校門のところで待ち伏せしていて、「女を紹介しろ」と優慈に迫った。優慈は拒む理由はなかった。優慈は誰の愛もわけへだてなくかなえてあげた。


「さあ、並んで順番に」


 高圧的な態度で脅しのように愛をかなえろといってくる連中には、もったいぶった演出をした。跪かせ、眼を瞑らせ、祈らせた。「誰に祈るんだ?」聞いて来る者に優慈はこう答えた。「恋愛の神様に」そして、あのピアス男のように肩に手を回し、耳もとで「心のままに」と囁いた。


 そうやって優慈は多くの愛を叶えながら一年目の高校生活を過ごした。しかし、優慈と結びつく女性は誰一人いなかった。


 好きな女性はいた。


 まず、美波あや。あやは「フィフティーンガール」でデビューした沖縄生まれの歌手で、優慈よりひとつ年下だった。それまでテレビのアイドル歌手なんて別に興味はなかったけれど、あやは別だった。テレビの歌番組で最初にその姿(おしりを包むショートパンツにへそだしチューブトップ)、その黒髪(モナリザ)、その脚(体の半分が脚だ)を見た時、体中がサッカースタジアムのようにざわめいた。


 優慈はテレビの人間に初めて恋をした。CDの初回限定版を買い、彼女の等身大のポスターを手に入れ、部屋の壁に貼った。そして、毎日学校へ行く前と夜ベッドに入る前に、あやちゃんの唇にキスをした。

 

 色辺マリアのことも忘れられなかった。優慈はマリアと同じ港陵高校に進学したが、クラスは別々で、一年生の冬まで言葉を交わしたことはなかった。が、思わなかった日は一日もない。ベッドで目を瞑るたびに、優慈はマリアのことを考えた。それは中学時代からの習慣であったが、もはやマリアに関する新しいネタはなかった。枕にのせた頭の中で思うのは、すべてがマリアのメモリーだった。同じ校舎にいるというのに、優慈はマリアの美しい顔を忘れないように、胸の内側でひたすら思い続けていた。


 あやとマリア。自分はどっちが好きなのだろう。


 胸はどっちで、脚はどっちで、声はどっちで。優慈は二人を採点した。各項目では勝ち負けはあっても、一人を選ぶとなると優劣がつかなかった。ああ、二人と交際できればいいのに! もっと細かくいえば、青春期に交際をするならあやで、将来結婚するならマリアだ。いや、その逆だろうか。どっちがいいんだろう。どっちがベストなんだろう。今日はあやが一番と思ったら、次の日はやっぱりマリアは最高だと思ったり、その日の感情や体調によって、あるいは天候によって、あるいは歌番組で見たあやのスカートの短さや学校の廊下ですれ違った時にちらっと自分を見つめたマリアの眼差しによって、二人の順位は優慈の中でコロコロと変わっていった。


 冬休みになると、マリアがずっと一番になった。


 それはマリアをじっくり想う機会があったからだ。


 クリスマスイブの夕方、優慈は父親に頼まれてケーキショップに予約のデコレーションケーキを受け取りにいった。その帰り、花園銀座街の雪をかぶった路上で、優慈は改めて思った。この冬も白が流行りのようだ、と。


 翼を持った白いやつらは師走になって増えてきたが、クリスマスイブの今日はやけに多かった。彼らは、すべてがかっこいいわけではない。なかにはファッションにはうとそうなおやじもいたし、安っぽそうな白服を着ているものもいた。コート、マフラー、セーター、フリース、パンツ、ブーツ、スノトレ、・・・それぞれが家にある白をコーディネートして街にくりだしたという感じだった。


 彼らの多くは弓を持ち、カップルの背後をついて歩いていた。カップルというのは、腕をぶつけて歩くような、お互いに好意を持ちながらもまだ手をつなぐ間柄になっていない二人連れのことだ。もっと正確に言うならば、クリスマスをきっかけに異性と結び合おうと考えているものたちのことだ。すでに交際しているカップルとか夫婦のそばには、彼らはいなかった。


 クリスマスだというのにプレゼントを渡す相手すらいない、独りぼっちの優慈のそばにも彼らは寄ってこなかった。優慈は彼らが何ものなのかまだわからなかったが、彼らが愛をとりもつものたちであることが、今日という日になって理解できた。


 マリアはどんなふうに、もしくは誰とクリスマスイブを過ごしているのだろうか。マリアの近くにも、白いやつらはいるのだろうか。そんなことを考えながら雪の中を歩いているうちに、マリアが恋しくなってきた。優慈の胸の中はマリアであふれた。こんなことは、中学校三年生の秋以来だった。


 優慈は決心した。マリアをデートに誘おうと。


 年が開けて間もなく、優慈はマリアの携帯に電話をし、マリアを映画に誘った。マリアは、一瞬の迷いも、驚きもなく、「いいわよ」と即座に答えた。二人は翌日に会うことになった。

 

 翌日は、朝から吹雪きだった。二人は築港のショッピングセンターで待ち合わせをして、四階のシネマ館に入った。映画はホラー映画だった。


 霊が忍び寄ってくる効果音が流れるたびに、マリアは怯え、顔を両手で覆うか、優慈の左腕にしがみつき、頬を肩に摺り寄せてきた。なっ、なんて、可愛いのだろう。優慈はマリアの腕を逃がさないように思いきって手を握った。マリアは一度優慈を見て照れくさそうにうふっと笑ったが、その手を払ったりはしなかった。これでマリアは自分のものになったと優慈は確信した。


 優慈は高校生になってからマリアの愛を感じとろうとしたことはない。マリアが誰を愛しているかなど知りたくもなかったからだ。が、今、手を握られたままにしているマリアの様子を見て、ひょっとしたら自分のことが今だに好きなのではないだろうかと思えてきた。中学校の卒業式前日以来まったく話したことがないのに、突然のデートの誘いに困惑した様子もなく、すぐに承諾したのも、自分に好意を持っているからに違いない。優慈は映画を観ている最中に、マリアの心をそっとのぞき、愛を確かめた。


 しばらくして、時間にして五秒もたたぬうちに、優慈はゆっくりとマリアの手から自分の手を離した。


 マリアは恋をしていた。相手は優慈ではなかった。一年A組の田畑研二を愛していた。こうして映画を見ている間も、マリアの胸の中は田畑研二のことでいっぱいだった。横の席にいる優慈に関しては、もう想いの欠片もなかった。 


 マリアが優慈の誘いを驚きもなく承諾したのは、男から誘われることに、単に慣れていただけだ。交際している男はいないが、マリアを好きな男は学校の内外に大勢いる。優慈もそのひとりに過ぎず、手を握らせたのは、マリアのサービスだった。


 映画館を出ると、二人はショッピングセンター内のイタリアンレストランでスパゲティとピザを食べた。優慈は、マリアを退屈させないように、話のテーマを用意していた。芸能人のこと、スポーツのこと、友達のこと、将来のこと。会話は淀みなく流れ、途切れることはなかった。が、こうして食事をし、話している間も、マリアの心には田畑研二がいた。


 田畑研二は美形のサッカー部員だったが、汗や根性が似合うスポーツ少年と言うよりもどこか粗野で不良っぽいところがあった。研二もマリアのことを入学式早々の春から狙っていた。二人はお互いに愛しあっていたが、そのことを本人たちは知らない。二人とも胸の思いをおもてに出さないタイプだったので、二人の友人たちも両思いに気付くものはいなかった。知っているのは、優慈だけだ。彼女の恋愛をとりもってあげるべきか否か少しは考えたが、悩みはしなかった。優慈は結局、二人には知らせないようにした。


 優慈は初めて自分の能力に背いた。これまで結びつけてきたのは慈善事業のようなものであり、自分は総てのものに異性という愛を恵んでやるほどのお人好しじゃない。お互いが愛しあい、交際を望んでいることを知っていたとしても、優慈には何の関係もないことだった。

 

 パスタを食べ終え、話すこともなくなり、コーラを飲み干したグラスの底の氷をストローでつっ突いていると、沈黙を嫌ったのか、マリアが「あっ、そうだ」と言って、優慈に尋ねてきた。


「啓ちゃんっているでしょう。彼女から聞いたんだけど、森村君さ、恋のキューピットだって、ほんと」

「恋のキューピット? なんだいそれは」

「啓ちゃん、森村君に頼んだら彼ができたって言ってた」

「ああ、そのこと。僕にもよくわからないけどさ、僕が仲を取り持てば、必ず結ばれるんだって」


 優慈はとりあえず愛が見えることは秘密にしておいた。


「彼女のほかにも、C組の野村と菅野とか、F組の成宮と土屋のカップルも僕が世話をした。あと高田と下平も」

「へえ、あの二人もそうなんだ。いいなあ」

「マリアもかなえてほしい?」と言ってしまってから、優慈は今の質問は無しにしたかった。


 マリアが頷いたら、自分の立場はどうなるのだろう。


「ううん」マリアは顎を振った。「いいなって言ったのは、森村君の人の仲を取り持てる才能のこと」

「才能か」

「なんか、素敵じゃない」


 こう言っている間も、マリアが田畑研二を胸の中に浮かべていることがわかる。が、優慈はマリアが田畑との交際を頼んでこなかったことにホッとした。


「ほんとに恋のキューピットなら、いまに翼が生えるかもね」

「翼かあ」

「うん」

「実は、マリアだけに言うんだけど」

「なあに」

「誰にも言っちゃだめだよ」

「うん」


 優慈は共通の秘密を持つことで、絆のようなものを作ろうと思った。


「何月何日だったか忘れてしまったけど、中三の冬の初め頃かな、一度だけ生えたことがある。翼が」

「ほんとに」

「うん」

「今はないわ」

「一日で消えてしまったんだ」

「そう、残年ね。でも、どうして翼が生えちゃったのかしら」

「さあ」


 風呂場でマリアを浮かべ、ちょっといやらしいことを考えていた、とは言えなかった。それに、翼が青いことも。


「空を飛べたらいいわね」

「でも、僕のはちっちゃな翼だから、飛べないかも知れない」

「飛べないんなら、なぜ翼が生えたんだろうね」

「アンテナかな」

「アンテナ?」

「愛を感じるアンテナ、ピピッとね」


 なにがピピッとだ。しー、それ以上話すな。優慈はグラスの氷を口の中へ流し込んだ。


「いいな、私も愛を感じてみたいな」マリアは可愛らしい顔で言った。「今度また、翼が生えたら、さわらせて」


 マリアは翼のことをどれだけ本気で信じているのかわからなかったが、「うん、いいよ」優慈が頷くと、

「絶対よ」とマリアは優慈に言った。


 マリアはいい子だ。優慈は改めて思った。彼女の心に自分とは別の男がいても、最後には心を甘く満たしてくれる。


 夜八時。二人はショッピングセンターからタクシーで帰った。途中でマリアを家の前でおろした。猛吹雪で、家がよく見えなかった。雪の中に窓辺から洩れる家の明かりが黄色く滲んでいた。


「じゃあね」

「うん」

「バイバイ」

「バイバイ」


 タクシーは優慈の家へ向った。


 雪は小樽の夜を白い深海に変え、走る車のヘッドライトが潜水艇のサーチライトのようにくぐもって見えた。まるで白い小鳥が群れをなして真正面からぶつかって来るみたいにフロントガラスをめがけて雪が飛んでくる。スノーワイパーで払っても払っても、雪は窓に附着する。やがて視界は羽のような雪にふさがれ、車は坂道を上り切らぬうちに立ち往生した。


「ひでえ雪だ」


 運転手は助手席の足元に置いておいたスノーブレードを手にとった。車から降りて窓の雪を払うつもりらしい。


「あっ、僕はここでいいです。すぐそこだから」


 優慈は金を払い、車を降りた。家は五十メートル程先にあった。


 優慈は吹雪の中を進んだ。顔に雪がぶつかってくる。優慈は目元を毛糸の手袋をはめた手で拭った。手を見た。小さな白い羽がついていた。オーバーを叩き、羽のような雪を払い落とし、前方を見ると、ほんとに白い羽が吹き飛んで来る。その先に、背の高い白い男が精霊のように立っていた。


 男は白いロングコートを着ていた。白い山高帽、白いロングマフラー、白いブーツ。

 

 若い男ではない。自分の父親くらいの中年だった。


 男は、雪の中で名刺をよこした。


   日本クピド協会北海道支部会長 愛田雅広


「クピド協会・・・」


 優慈は、クピドという響きを聞いた覚えがある。クピドってなんだろう? 心で思うと、

「キューピットのことだ」と男が答えた。

「キューピットって、あの恋のキューピットとかいうやつのこと?」

「ああ」男は低い声で頷いた。「協会では、この一年ちょっとの間、君のことをみてきた。君は本来我々がやるべきことをやってくれた。感謝している」

「やるべきこと?」

「男女を結び付けた。恋のキューピットになってな」男は言った。

「恋のキューピット?」優慈は笑い出した。「僕が?」

「まあ、聞きなさい」男は強い声で言った。「人は誰かを愛することはできる。それはわかるな」


 優慈はマリアを思った。


「うん」

「だが、人間だけではその愛をうまく相手に届けることはできないし、相手との気持ちを一つにすることはできないのだよ。もっと分りやすく言えば、愛や想いの大きさだけでは、人間はカップルにはなれないのだ。男と女を結び付けることができるのは、クピド、恋のキューピットだけだ」


 優慈は苦笑した。「それって、迷信じゃないの」


「現に、君はこれまで男女の仲をとりもってきたじゃないか」

「あれは遊びだよ。念じたらたまたまうまくいっただけさ。もしも僕がほんとにキューピットなら、もうとっくに僕は、好きな女の子と結ばれているよ」

「それはない。キューピットは異性とは結ばれないんだ。それよりも君の能力だ。遊びでも、君は多くの男女の愛をひとつに結んできた。普通の人間にはそういうことはできない。それができるのは、翼を持ったものだけだ」

「証拠はあるの」

「証拠もなにも、私も、人の愛が見える。君と同じように。そして、君と同じように」

 男は体をひねり、白コートの背中を見せた。一双の翼が付いていた。翼のところだけ晴れの世界があるように、雪で濡れていなかった。「私も翼を持っている」


「僕には翼はないよ」

「翼はある。まだ未熟だから、翼をコントロールできないだけだ」

「僕も仲間だというの。つまりその、恋の、キューピットの」

「そういうことだ」

「その話、僕が信じると思う」

「信じようが、信じまいが、翼が生えたのだから、君はクピドになる資格はあるのだ。正式なクピドになるには、テストを受けなければならないがな。春には協会から君のもとへ通知が届くだろう。必要なら家庭教師も派遣しよう。君はロビンノコであり、翼を持った我々の仲間だ」

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