浦島太郎・改

e層の上下

浦島太郎・改

 昔、あるところ、海岸沿いの木道を男が歩いておりました。今日は青空で、まだ朝だというのに木綿の服に汗がにじむほどの暑さでした。こんな日は海もあざやかに青く映えて、白い雲がクジラのように浮かんでいました。そんなときです。どこからともなく子供たちの声が聞こえてまいりました。

「やいやい、亀、さっさと顔を出さんか」

「閉じこもってちゃわかんないだろうが」

 男がそちらを見ると、波打ち際、流木で亀を叩いている子供たちがいるじゃありませんか。男は義憤にかられ、そちらに向かいます。その間も子供たちは蹴りを入れていじめておりました。

 近づくと亀は子供たちの膝小僧くらいの大きさで、首手足を引っ込め耐えているようでした。

「なあなあ君たち亀をいじめちゃあいけないよ」

 男は言いました。

「あんた何者だい。俺たちゃいじめてなんかいないさ、話が聞きたいだけだ」

 子どもの内、一人が答えました。

「俺は浦島太郎、ただの漁師だ。亀は怯えきっているじゃないか。さあ、いじめるのはやめにして、どこかへ行きなさい」

「ちぇっ」

 子どもたちは文句をたれながらも太郎の言うことを聞き、去っていきました。

「さあ、亀さん子供たちは行ったよ。お顔を出してごらん」

 太郎はひざを浜につき、甲羅をなでながら言いました。甲羅はすっかり乾いて、砂が粉砂糖のようにまぶしてあるようでした。

 しかしこの亀、子供たちが行っても一向に顔を出しません。よほど傷ついたのか、人を怖がっているのか、わかりませんがびくともしないのです。太郎はこの亀が死んでいるのではないかと思ったほどです。

「なあ、亀さん。おうちはどこだい?」

 もちろん返事はありません。どうしたものかと太郎は悩みました。

 時間は過ぎていき、お天道様は頭の上でさんさんと輝いています。もうかれこれお昼過ぎになってしまいました。さらに太郎は悩みました。そしてある結論にたどり着きました。

 亀は竜宮城に住んでいると聞いたことがあったのを思い出しましたのです。太郎は亀をおうちへ返してあげようと考えました。そうと決まれば太郎は縄を亀の甲羅にくくりつけ始めました。その間も亀は全然動きません。そして背中にしょい込み、どぼんと海の中に入っていきました。

 

 太郎は泳ぎに自信がありました。亀を担いでいても海底の竜宮城でもなんのその。太郎の目にはちからが宿っています。

 海の中は澄んでいて、わかめやこんぶが踊っています。小魚もたくさんおりました。こんな景色に戻ってみても亀はやっぱり顔を出しません。

 ――どうしたものだろう――

 太郎は困り果ててしまいました。

 

 しばらく泳いでいると竜宮城が見えてまいりました。あざやかな純白なお城です。日光が届いており神々しい存在感で、そのわきにはきらきらと赤いサンゴが紅葉のように輝いています。極彩色な魚たちもゆうぜんと漂っています。まるで極楽といった様子で、太郎は大変感動いたしました。

「ついたぞ、亀さんよ。もうここには誰もいない。そろそろ顔を出してくれないか」

 太郎が聞いてもやっぱり答えません。

「やれやれ」

 太郎は竜宮城の扉の前に立ちました。大きな門が立ちはだかります。

「あのお、おたくのところの亀さんがいじめられていて、あまりにも顔を出さないんで、心配で連れてきたんですが」

 そういうと立派な門はゴゴゴと音を立て海底の砂を押しながら開き始めました。そこに立っていたのは、なんともまあ、美人な娘さんでした。頬はほおずきそように赤く、眉はしゅっとしていて、姿は白いはごろもがとても上品です。

「あれ、人ではないですか。どうしたんです」

「それが訳あって……」

 太郎は事情を説明しました。すると女は優しい笑顔をし、亀に話しかけました。

「ああ、亀よ。この乙姫は悲しいぞ。こちらにおいで」

 太郎はいそいそと縄をほどき、亀を開放しました。亀はゆらゆらとしながらやっぱり顔を出さず、乙姫の手ほどきを受けながら竜宮城へと入っていきました。

 お城は中も石灰石でできているのでしょう。真っ白です。

 亀と乙姫はゆっくりと城の中に入ると、扉のついている部屋の前に歩き始めました。そして扉をあけると亀はその部屋に吸い寄せられるように入っていきました。

 太郎は結局、亀の顔を見ることはなかったのです。

「ありがとうございます、男の方。お礼と言っては何ですが、お食事でも召し上がっていきませんか」

 乙姫は笑みを浮かべながら言いました。

「いいんですか。いやーうれしいな」

 太郎は快く喜びました。

 

 城の中を乙姫に案内され大きな部屋に入りますと、そこには何もない部屋でした。

「お客さんだよ、お食事の準備を」

 乙姫が声をかけると、付き人でしょうか、人が現れ二つのおぼんと二膳のお箸をもってきてくれました。

 おぼんの中には焼き魚の煮つけやごはん、酢の物が並べられていました。

「うまい!」

 太郎は焼き魚を鳥のようにつつきはじめました。

「うふふ、それはよかったわ、じゃあこちらもどうかしら。舞妓をよんできなさい」

 すると青白いはごろもを着た舞妓が現れ、たいやひらめと踊りを舞ってくれました。いつのまにか用意されていた酒をおおいに飲みながら太郎はくつろいでいました。 

 そして宴もたけなわ、太郎は亀の事を思い出したのです。

「そういえば亀の部屋に行ってみてもいいかな」

「いいえ。決して亀の部屋の中を覗いてはいけませんよ」

 乙姫は眉をひそめ言いました。

「うーむ、そうですか、お別れに一言、お礼をと思ったんだけどなあ……」

 そして酒をたらふく飲んだ太郎は、酔っぱらって寝てしまいました。


 太郎は目を覚ますとそこは朝の浜辺でした。

「あれ、俺、何をしていたんだっけ。ん?」

 太郎は、黒い玉手箱があることに気が付きました。

 ――そうだった、俺は――

 太郎はいままでのいきさつを思い出しました。しかしこの玉手箱のことは何も知りません。

「なんだろう、この箱は」

 振ってみても何も音がありません。

「開けてみるか」

 丁寧に結ばれている紐をほどき、ゆっくりと玉手箱を開けてみました。

 内側は紅で中には紙一枚。――開けてはなりません――の文字。

「おい! 開けてほしくないなら箱の外に書いておいてくれ!」

 思わず太郎は叫んでしまいました。

「なんなんだ、全く」

 そして太郎は帰宅の途についたのです。


 しばらく時が経ち、太郎はいつものように海岸沿いの木道を歩いておりました。すると二人の若者が近寄ってきました。

「太郎さん!」

 しかし呼ばれた太郎には見覚えがなく、困惑していました。

「あの時、亀をいじめていた男です」

「ああ、あの時の。随分と大きくなったな。子供の成長は一瞬だ」

「はは、それでなんですがいじめていた亀はあの後どうなったんですか?」

 若者二人は反省した表情を見せながら、聞きました。時が経ちいじめていたことへの後悔がでてきたのでしょう。

「ああ、あのあと竜宮城へと帰してあげたよ。でも顔は一度も見なかったな」

「そうですか、もし会うことがありましたら『いじめてごめん』と謝っていると伝えてもらえませんか」

「ああ、わかったよ」

 あのあと太郎は竜宮城へとは一度も行ってません。何しろ海の中ですから行く機会が無かったのです。おもむろに太郎はこう思いました。

 ――世話になったし、一度お礼を言いに行こう。その時亀にもまた会えるだろう――

 太郎はまた竜宮城へと行くことを決めました。いてもたってもいられなくなった太郎は、またしてもどぼんと海に身を投げました。


 海の中はあの時とは違い暗く、波があるというわけでもないのにどこか不気味です。海底は深い青で覆われ海藻も見えません。太郎は闇に向かって泳いでいる気分に

なってしまいました。サメが太郎の上の方でたむろしています。

 竜宮城があった場所も暗くて何も見えません。しかし太郎は泳ぎ続けました。

 

 ――なんということだ――

 竜宮城を発見した太郎はこう思わずにいられませんでした。何しろ竜宮城は穴だらけ。白い城壁にいくつも虫があけたような小さな穴、虫歯のような穴だらけだったのです。輝いていたサンゴも死に果てていています。門は倒され何者をも通すようになっています。太郎は絶句し、見つめていました。

 中は至ってはさらにひどく、黒ずみやごみが散乱し、貝殻が捨ててあります。もう極楽というよりはゴミ捨て場ような光景に太郎は絶望していました。

 乙姫も使いの者もみんないません。

 しかしある扉だけきちんと閉まっていたのです。

 亀が乙姫に誘われるように入っていった部屋。そこだけがあの時の記憶、そのままに残っているのです。太郎はほっとした表情をし、その部屋に近づきました。

 しかし同時に乙姫の言葉を思い出したのです。

「いいえ。決して亀の部屋の中を覗いてはいけませんよ」

 そう言っていた乙姫の表情の鬼のような形相……。そして太郎は気づきました。あの玉手箱の中に入っていた紙切れ――開けてはなりません――とはこの部屋のことではないか、と。

「おい、亀さんよ、この中にいるのか?」

 返事はありません。

「あの時いじめていた子供たちが『いじめてごめん』と言っていたぞ」

 返事はありません。

「いないのか?」

 返事はありません。

 太郎は部屋の扉に手をかけます。しかし……。

 ――本当にいたらどうしよう――

 そう考えると開ける気にはならなかったのです。扉を触れた手が震えているのがわかります。太郎は唇をかみました。そして太郎の体は恐怖にひるみ手を放してしまいました。そしておじおじと竜宮城をあとにしたのです。

 

 初めての竜宮城からの帰路、太郎は考えました。たくさんたくさん考えました。これでよかったのか、と。自分のせいで亀は、竜宮城はこうなってしまったのではないか、と。後悔ばかりが頭の中によぎります。必死に泳ぐことで頭の中を空っぽにしようとしました。そして海面近くまで泳ぎ切り、あの浜辺へと帰ってきたのでした。


 太郎はあの木道を通るたびに竜宮城を思い出します。亀の事を乙姫のことを思い出します。そして太郎にはこころには罪悪感だけがつのるのでした。

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