第39話 千鶴の学校。
キッチンから見える窓の外に、二羽の雀が仲良く並んで羽繕いをしていた。
「行ってきま~す!」
朝のコーヒーを淹れる真一の耳に、家を出る千鶴の元気な声が聞こえてくる。真一は手を止め、顔を上げた。
「どんな顔をするかな?」
独り言ちると、真一は目を真ん丸にした千鶴の顔を想像して、くすっと笑う。
今日、東校へ行くことを千鶴には伝えていない。言わなかったのは、もちろん千鶴の驚く顔が見たかったからだ。
キレイなきつね色に焼けたパンにバターを塗り、口に頬張る。バターの香りと、香ばしいパンのうまみが口の中に広がっていく。気持ちが浮き立つ時は、食べ慣れたパンでさえ特別に旨いと感じるのだから不思議なものだ。
朝食を食べ終えるとすぐに皿とマグカップを片付け、シャワーを浴びる。土曜日ではあったが、私服では万が一東校に入れない場合を考慮し、制服を着る。いざとなれば、陵蘭高校の野球部員ですとでも言うつもりだった。革靴を履き、佐倉と待ち合わせしている場所へと向う。
「おっ! 有馬~!」
待ち合わせ場所には、すでに佐倉が待っていた。真一に気付くと満面の笑みを浮かべ、音がしそうなほど大きく手を振ってくる。
「……おはよう」
「おっはよ! 休みの日に制服を着て、有馬と一緒にいるなんて、新鮮だ。楽しすぎる!」
いつも以上にハイテンションの佐倉と肩を並べ歩き出す。
「東校って、可愛い子が多いんだよね~」
上機嫌な佐倉を横目でちらりと見た真一は、そのまま空へ視線を向けた。
季節は梅雨。
だが、今日は梅雨とは思えないほどの気持ちの良い快晴だった。まるで真一の心を映し出しているかのようだ。
不思議な事に、今日は佐倉がどれほど隣ではしゃごうと気にもならない。真一は自分でもはっきと分かるほど、心が浮き立っていた。
「ふんわりちゃんは、今日は部活なのかな?」
「……ああ」
やはり佐倉には真一が東校へ行きたがった理由がバレているようだった。
「なあ、有馬はあの子の事が好きなんだろ?」
「……」
無言のまま佐倉を見る。この男は、どうしても真一の口から『千鶴が好きだと』という言葉が聞きたいらしい。
「おれが誰を好きかを、なぜ佐倉が気にするのか分からない。……それとも、まさか千鶴の事を───」
一つ思い当たる感情があることに気付き、真一はピタッと足を止めた。剣呑な眼差しを向けられ、佐倉が慌てだす。両手を前に突き出し、一歩後ずさった。
「え? ええっ! ち、違う、違うって!」
「違う……?」
うんうんと、佐倉は何度も首を縦に振る。
だが、すぐに強い眼差しで真一を見返してきた。
「俺は、もどかしいんだよ! こんな風に俺に威嚇するくらいなら、『好きだ』って言えばいいじゃないか」
「……おれからは言えない」
「何でだよ! 何で言わないんだよ。好きなんだろ?」
しばらくの間、二人は睨み合う。
だが、先に目を逸らしたのは真一の方だった。
「……おれの問題だ。それに、もう二度と失うわけにはいかないんだ」
「失うって……。なあ、有馬。何があったんだよ。言ってくれよ。言わなきゃもっと分かんないよ。俺にも何かできることがあるかもしれないじゃないか」
固い表情で再び歩き出した真一の後を、なおも言い募りながら佐倉が追いすがってくる。
突然、真一はくるりと振り返った。まっすぐに佐倉を見る。
「佐倉にしてほしいことは、ある」
真一がそう告げると、佐倉の顔がパッと輝いた。
「! よし! 任せておけ! で、何?」
「おれの事はほっておいてくれ」
佐倉の表情筋のすべてが凍り付く。一度がっくりと項垂れたと思ったら、ガバっと真一に縋り付いてきた。
「有馬! 俺は有馬に何かしたいんだよ。このまま諦めるのか? 何もしなければ後悔するって!」
「何もしない、とは言っていない」
「おおっ!」
真一の言葉を聞いて、佐倉が目を見開く。その瞬間、真一は『しまった』と後悔したが、もう遅い。纏わりつく佐倉を引き離さすことに気を取られ、真一はつい本心をもらしてしまったのだ。
「え⁈ 何をするつもり? 聞きたい!」
案の定、佐倉は興味深々な様子で訊いてくる。真一はうんざりした表情を浮かべた。
「おまえは、ホントに煩い。……着いたみたいだな」
突然立ち止まった真一の視線の先を、佐倉も追う。
「……本当だ。東校だね~」
言い合っているうちに、いつのまにか二人は目指していた場所まで来ていた。何の変哲もないコンクリートの建物。
だが、ここに千鶴が居ると思うだけで、特別なものに感じる。好きな映画や本に関連する場所へ、聖地巡礼する者達の気持ちが分かった気がする。同じ場所に身を置く喜びは格別だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます