第33話 パンケーキのお店。
甘い香りが漂う店内は、窓が大きくとても明るい。
「やったー! 全部食べた!」
音無千鶴は満面の笑みを浮かべ、握りしめた右手を天井に向かって突き上げた。
これほど喜ぶのには、もちろん理由がある。
ふんわりと厚みのあるパンケーキ3枚にたっぷりの生クリームが添えられ、これでもかというほどチョコレートソースがかかったものを、一人で食べ切ったのだ。
無邪気にはしゃぐ千鶴の姿を、隣に座っている真一が感心した眼差しで見つめている。
「凄いね。本当に、全部食べたんだ。なんだか、途中から完食するのが目的みたいになってたようだけど」
「当然でしょ。残したら絶対後悔するもん。それに、全部食べた時の達成感が超半端ない! すっごい幸せ~」
頬を紅潮させて熱く語れば、真一は可笑しそうにくすくすと笑う。
「ほら、口の横に生クリームとチョコが付いてるよ」
「え⁈ どこ?」
目を真ん丸にして慌てて口元を拭えば、真一が手を伸ばしてきて止められた。
「そんなに擦ったらダメだ」
そう言いながら、真一は紙ナフキンでそっと拭い取ってくれる。
真一はもともと面倒見がいい。
でも、最近はさらに面倒見がいいのを通り越し、過保護になっているような気さえする。
「キノは、いつも楽しそうだね」
「そう? でも、今日は特に楽しいかも!」
ハイテンションで答え、今日は特に変なスイッチが入っている事を自覚する。
それは、食べたかったものをお腹いっぱい食べられたからだが、それだけでないことにも本当は気付いている。
いつも向い側に居る真一が隣の席に座っているからだ。
さらに、お店に入る前に変な考えが過ぎったことも関係している。
「それだけ喜んでくれると、誘ったおれまで嬉しくなるよね」
本当に嬉しそうに微笑む真一の姿に、心臓の鼓動が早くなったような気がした。
「そうなの? じゃあ、また誘ってよ」
つい少し前のめりで言えば、真一は僅かにのけ反り、驚いたような表情を見せた。
「……本当に? また、誘うよ?」
どこか探るような目をして、真一が尋ねてきた。
「うん。 また一緒に出かけようね!」
心からそう答えると、真一は不意を衝かれたように息を飲んだ。
そして、眩しそうに目を細める。それはまるで晴れた日の太陽を見ようとしているようだった。
「───了解。早速、次にどこへ行くか探しておくよ。じゃあ、外に出ようか? 待っている人も多そうだしね」
「そうだね。あっ!」
真一が伝票を持って立ち上がるのを見た千鶴は、慌てて鞄の中から財布を取り出し、真一の服の裾を引っ張った。
「今日は私が払うからね!」
「……いいから、財布をしまいなよ。今日は、おれが誘ったんだよ」
「ち、ちょっと!」
真一は千鶴の財布を鞄の中に押し戻し、あっという間に蓋を閉じてしまった。
どうやら真一は初めから千鶴の分も支払うつもりでいたみたいだ。
「ダメだよ。切符のお金もまだ払ってないのに、これ以上甘えられないよ!」
「いいから。ほら、行くよ」
そう何度も奢ってもらうわけにはいかないと思っているのに強引に腕を掴まれ、そのままレジへ連行されて行く。
当然ながらレジの前は混んでいた。千鶴が再び鞄の蓋に手を掛けると、すかさず真一は長身の身を屈めて千鶴の耳もとへ口を寄せる。
「キノ、ここは混んでいるから、先に外に出て待っていてくれる?」
至近距離で囁かれ、千鶴は思わず耳を押えて顔を上げた。顔から火を噴きそうだ。
目が合うと、真一は、いいね? とほほ笑みかけて来る。千鶴は暗示にでもかかったようにこくこくと頷くことしかできなかった。
さすがに、狭い場所でお金がどうのと言い合うのもどうかと思い、この場は真一に甘えることにする。
「……じゃあ、外で待ってる。ありがとう、真一」
笑みはそのままで、真一は分かったというように頷いた。
一人店を出ながら、どうしたものかと考えていると、まるで待ち構えていたように二人の女が近づいて来た。顔を上げた千鶴の前に立ち塞がる。
大学生だろうか、大人っぽい綺麗な人達だった。一人はアッシュブラウンの長い髪で、もう一人は黒髪のショートだ。
「?」
誰だろう? と首を傾げれば、黒髪の女性が口を開いた。
「ねえ、あなたと一緒にいた人って、有馬真一って人なの?」
「?! そ、そうですけど……?」
千鶴は警戒しながら答えた。
「あら、本物だったわ……」
「だからそう言ったじゃない! 私が見間違えるわけないんだから!」
「だって、長い間会ってなかったんでしょ? それに、聞いていた感じと違うじゃない。可愛いっていうより、すっごいイケメン! 有馬真一って、本当に綺麗な顔をしてたのね」
突然騒ぎ出した女達に、店の外で順番を待っている人達が何事かと視線を向けてくる。
「少しこちらへ来てくれるかしら?」
他の客の視線に気付いたのか、二人は千鶴を挟むようにして店から少し離れたところへ連れて行く。本当は一緒に居たくなどなかった。
だが、素直に従ったのは、髪の長い方の女性に見覚えがあったからだ。
(う~ん。どこで会ったのかな?)
必死に思い出そうとする千鶴の姿を、まるで値踏みでもするかのように女達は見ていた。
「ねえ、有馬真一と付き合っているの?」
尋ねてきたのは、先ほどと同じ黒髪の女性だった。
「え⁈ ち、違います!」
ぶしつけな質問に千鶴は驚き、慌てながら両手を振って否定する。
すると、二人は満足そうに微笑んだ。
そして、髪の長い女性がまるで憐れむような目を千鶴に向けてきた。紅い唇が残酷な言葉を紡ぐ。
「そうだと思ったわ。あまりに不釣りあいだったものね」
ズキっと、千鶴の胸に痛みが走った。向けられた眼差しには、明らかに侮蔑の色が濃くにじみ出ていた。
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