第32話 可愛い。

 空は雲一つない晴れ。

 日曜日の繁華街は、大勢の人でにぎわっていた。


「ねえ、さっきは何だったの?」


 千鶴は隣に並ぶ背の高い幼馴染の横顔を見上げる。


「さっき、って?」

  

 前を見ていた真一が首を回し、千鶴を見た。


「ほら、電車に乗る前に……」

「ああ」


 再び真一は前を向いてしまった。その整った横顔を千鶴は探るように見つめる。


「……やられたって、思ったからね」

「ん?」


 何のことかさっぱり分からない。千鶴は首を傾げる。真一は前に視線を向けたままだ。顔が見えないから、表情で意味を読み解くことはできそうにない。


「くらって、なるよね」


 何でもないように続けた言葉に、千鶴はぎょっとする。


「え! めまい⁈ 立ち眩みだったの? 今は? 大丈夫?」


 調子が悪いことに気付けていなかった事を後悔しながら千鶴は真一の前に回り込み、その両腕を掴んだ。子供の時よりもずいぶん逞しくなった腕に戸惑いながらも心配して見上げた千鶴の姿を、真一は眩しそうに目を細めて見下ろしている。


「心配ないよ。全然、元気だし。なんならキノを担いで走ろうか?」

「……いや、やめて。担がれて走られたら、私発狂するよ。って、本当に大丈夫なの? 無理してない?」

「うん」

  

 心配ないと真一は言うが、千鶴はすぐには信じられそうになかった。真一は自分の事に無頓着だ。あまり自分の事も言わない。昔から熱があっても平気そうにしていたりする。触れた体温でびっくりさせられることも一度や二度では無い。

 まあ、今日は本人が言うように、確かに体調が悪そうには見えなかった。電車の中でもしっかりと立っていたし、逆にいつもより調子は良さそうにさえ見える。


「……疲れたなって、少しでも思ったら、ちゃんと言ってよね?」


 ついお願いするような口調になってしまう。真一はしっかりしていそうで、意外と無茶をするからだ。


「うん」


(何だろう、さっきから返事が可愛い……。可愛い⁈)


 千鶴は自分の考えに驚く。


(自分より図体のデカイ男に、可愛いとか思うなんて……。ない! ない! ないから!)


 ありえない考えを振り払うように、千鶴は左右に頭を激しく振った。


「どうしたの? 首の運動にしては激しいね」


 相変わらず変なところで感心している真一を横目に、とにかく大丈夫そうなので一安心だ。

 いろいろ困ったところがある男ではあるが、やはりずっと笑っていてほしいと思う。それに、真一が笑顔でいれば、どうやら千鶴は安心していられるみたいなのだ。


「到着したみたい」

「……やっぱり、並んでいるね」 


 目指していたお店が人気があるというのは、本当のようだった。すでに十人ぐらい並んでいる。


「ん~と、名前を書いて待つみたいだね」


 千鶴は受付表に名前と人数を記入し、列の最後尾に真一と並ぶ。 

 だが、すぐに名前を呼ばれることとなった。


「オトナシ様、カウンター席でよろしければ、すぐにご案内いたします」

「あ、はい。お願いします!」


 どうやら、先に並んでいた若い女の人達はグループで来ているようだった。そのおかげで、2人で来ていた千鶴達に先に順番が回ってきたのだろう。千鶴は店内へと案内されながら、先に並んでいた人達に対して申し訳なく思い頭をペコペコと下げつつ進む。

 だが、彼女達に視線を向ければ、誰一人として千鶴を見ていなかった。彼女達の視線はすべて後から付いて来る真一の顔に注がれている。 


『有馬君の周りには、女の子が勝手によって来るんだね』


 ふと親友の声が蘇ってきた。


(……真一が隣に引っ越して来なかったら私も彼女達と同じように、自分に見向きもしない真一の姿を目で追ったりしたのかな?)


 一瞬過ぎった疑問に、千鶴は心の中を冷たい風が吹きぬけていくような感覚に襲われ、身を震わせたのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る