第31話 駅。
お互い言いたいことを言い合っている間に、音無千鶴と有馬真一は駅にたどり着いていた。休みの日だけあって、大勢の人が行き来している。そんな中、二人並んで歩いていたのだが、駅のコンコースのど真ん中で突然千鶴は足を止めた。
「……」
「? どうかした? ……もしかして、漏れそうなの? トイレに行く?」
「ちがーうっ!」
気遣うような顔で覗き込んでくる真一を、千鶴はキッと睨む。
「もう! 人が感慨にふけっているのに!」
「キノ、感慨にふけるって意味、ちゃんとわかってる?」
「失礼ね! しっかりと解ってるよ!」
そう全力で言い切り、プイっと真一から顔を背けた。
「キノ?」
真一の声に気遣うような響きがあった。
「……不思議だなって。見慣れた場所なのに、真一が隣にいるだけで何だか違って見えるんだもん」
上手く言えない感覚を持て余しながら、千鶴は感じたままを口にする。
だがこの時、真一に背を向けていた千鶴には、彼がどんな表情を浮かべたのか知りようもなかった。
ぐえっ!
突然、千鶴はヒキガエルのような声を上げた。
もちろん、蛙の鳴き真似がしたかったわけではない。不意に背後から覆い被さられ、口から心臓が飛び出すのではないかと思うほど驚いたのだ。
「な、何? 真一⁈ どうしたの?」
「──狡いよ」
「は? 何が?」
千鶴の頭の中を、疑問符が飛び交う。
その一方で近くを通り過ぎていく人の視線があまりに痛い。何とか振り返ろうと試みるのだが、頭ごとがっちりとホールドされていて振り向くどころか、動かすことさえ出来ない。ジタバタともがく千鶴の視線の先を巡回中の警官の姿が飛び込んできた。
千鶴の顔は一気に青ざめる。
「! 真一! ヤバい! ヤバいよ! け、警官がいる! 不純陳列罪で捕まるよ! 早く放して!」
ぷっ
背後で噴き出す音がした。
「くくくっ。……それは一体どんな罪なの?」
「真一?」
「……でも、捕まるのは嫌かな」
笑みを含んだ声と共に、まるで戒めが解かれたかのように絡まっていた腕がするりと外れた。
だが……、
「!」
真一の大きな手が千鶴の手を掴み取り、駅の改札に向かって走り出す。
「ち、ちょっと、待ってよ! まだ切符を買ってないってば!」
慌てる千鶴を真一はちらりと振り返り、まるで手品のように切符を手渡してきた。
「! あ、ありがとう……」
驚きながらお礼を言い、切符を受け取る。真一は満足げに微笑み返すとそのまま改札へと入って行く。真一は腕時計をタッチして、『ピッ』と鳴らしているのを羨ましく思いながら、千鶴も真一の後に続いた。
「キノ、急いで」
改札を抜けた途端、再び千鶴は強引に手を引かれ、駆け出さなければならなかった。
「え⁈ ち、ちょっと!」
真一の背を見つめながら千鶴はホームに上がる階段をひっぱられるように駆け上がる。何とか躓くこともなく階段を上り切ると、まるで計ったかのように、電車がホームへと入って来た。
「わあ! すごいタイミング!」
だが、扉が開き、人が出入りするのを横目に、止まると思っていた真一が走るのをやめてくれない。
「真一⁈ どこまで行くの?」
「一番後ろに乗ろう」
「ええっ?」
驚くのも当然だと思う。
真一に強引に乗せられた車両は一番込んでいた。何を好んで人が多い車両に乗り込むのか、意味が分からない。平日に比べればずいぶんとましではあるが。
それでも、最後に乗り込んだ千鶴は奥へ行くことも出来ず扉に背を付けて立つ。その前を真一が扉ドンの状態でいる。降りる駅までこのままの状態なのかもしれなかった。
(これは何の拷問?)
視界は真一の胸元しか見えない。もっと空いている車両があったと文句でも言ってやろうと千鶴は顔を上げ、固まる。
千鶴を見下ろす真一の顔が思いのほか近くにあったからだ。
「……何?」
そう言って微笑まれ、はっとした千鶴は慌てて俯く。
「……もう少し離れてよ」
勢いをそがれ、ぼそりとした呟きになってしまう。
「それは、無理」
一方の真一は何がそんなに嬉しいのか至極ご機嫌だ。
自分だけが落ち着かない気持ちでいるのかと思うと、悔しいような、焦れるような、そんなすっきりとしない感覚を千鶴は持て余していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます