第25話 恩返し。

 窓際にある自分の席に座り、真一は眉間に皺を寄せていた。

 今朝、真一は珍しく明るい気持ちで目覚めた。夜になり、千鶴に会うのが待ち遠しく感じながら登校してきていた。

 だが………、


「有馬~、おはよう! 会いたかった!」

「…………………後ろにいる奴は、何?」


 朝からいつも以上にハイテンションな男に真一は尋ねる。要は嬉しそうに真一に纏わりつきながら後ろを振り返った。彼の後ろには、まるで背後霊のように男が佇んでいた。要よりも背が高く、鍛えた体と短く刈った髪型のせいなのか、もしくは目つきが鋭いせいなのか、威圧感が半端ない。


「え? 森口だよ。同じグラスの!」


 相変わらず的外れな返答をしてくる要に、真一の眉間の皺が深くなる。


「………俺も同じクラスなんだ。森口なのは知っている。どうして、佐倉の背後に森口がずっと張り付いているのかと聞いたんだ」

「あ~」


 要は少し照れた様子で右頬を人差し指でポリポリと掻く。目が泳ぎ出したので、おそらく誤魔化すつもりだろう。


「この前の金曜日の夜、俺は佐倉に助けてもらった。恩を返すために、そばにいる」


 答えたのは要の背後にいる森口だった。


「………金曜の夜?!」


 要に視線を向ければ、すぐさま目を逸らされた。

 だが、すぐに観念したように要は両手を軽く上げる。

 そして、しぶしぶ事の経緯を語り始めた。心底知られたくなかったのだというように。


「………森口がからまれていたんだよ。助けに入ったんだけど、有馬みたいにかっこよくはいかなくてさ。避けきれずに一発食らっちゃったんだよね」

「いや、佐倉は本当にかっこよかった。俺にとっては正義のヒーローだった。いや実際ヒーローだった」

「お、おい! まだ言ってるのかよ! もう止めてくれ!」


 酷く慌てた様子で要は森口の口を塞ぐ。きっと朝からこの調子で森口は要の事を誉め続けているに違いない。

 だが、口を塞がれてしまった森口は言い足りないらしく、要の手を自分の口から引き剥がすと再び熱い口調で語り始めた。


「………俺があのまま諍いに巻き込まれていれば、先輩たちがこれまでに必死で野球に打ち込んできた努力がすべで台無しになってしまうところだった。佐倉にはいくら感謝してもしきれない!」


 右手を強く握りめながら話す森口の姿はいたってまじめだ。ふざけているわけではなさそうだ。

 二人の話を聞きながら、真一は森口が野球部だったことを思いだしていた。今年の野球部は強いらしく、甲子園へ行けるかもしれないとかなり噂になっている。

 まさか要の怪我が森口を助けるために負ったものだとはさすがに思いもよらなかったが、要のことをかなり見直すきっかけにはなっていた。


「おまえは何も悪くないだろ! 誰もが見て見ぬふりをしてるのに、森口だけが絡まれていた女の子を助けようとしただけじゃないか!」


 珍しく要が怒りを露わにしている。いつも言動が軽く見える要だが、意外と熱い男だと最近わかってきた。それが時々ものすごく面倒臭く感じることも確かだが。

 しかし、先ほどまで熱く語っていた森口はまったく表情を変えることなく、わずかに首を左右に振っている。この男は熱くなりそうに見えて意外と冷静で、自分の感情をコントロールできるタイプなのかもしれない。


「いや、他に方法があったはずなんだ。佐倉を巻き込んで本当に悪かったと思っている」

「悪いとか思うなよ! 俺が勝手にやったことなんだからな!」


 熱く語り合う二人のそばで真一はふと室内に視線を向け、すぐに背を向けるように顔を窓の方へ向けた。


「………おい、二人共、その熱い友情は他でやってくれ。目立って仕方がない」


 顔は窓の外へ向けたまま真一は呟く。


「「え?!」」


 仲良く声を合わせた佐倉と森口は共に振り返って驚いているようだった。いつのまにかクラス中の者達がこちらを見て騒いでいる。特に女達の視線が尋常でない。


「ちょっと! こっち見たよ!」

「わっ! 有馬君がメガネしてないよ! ヤバくない?!」

「コンタクトにしたのかな? 超かっこいい!」

「私はメガネの方が好き」

「ねえ、珍しい3人組だよね。何話してるのかな?」

「イケメンが三人もそろうと存在が半端ないわ! 眼福」

「すごい! 他のクラスからも見に来てるよ」


 異様な女達の様子に、クラスの男達も何事かと遠巻きで見ている状態だ。


「おまえ達のせいだぞ」


 真一が再び呟くと、要が大仰に溜息をつく。


「………有馬、自覚ないの? 今日はメガネをかけてないし」

「? ………!」


 要に指摘されるまで、真一はメガネをかけ忘れていることに今更気付く。すぐに鞄の中からメガネを取り出した。


「もう遅いと思うよ?」


 要は気の毒そうにつぶやいた。


「何を騒いでいる! ほら、早く席につけ!」


 担任が教室へ入って来た途端、蜘蛛の子を散らすように生徒達はバタバタと慌ただしく自分の席へ戻っていく。


「──────とりあえず、俺達も席に戻るよ」


 要は森口を背に張り付けたまま、自分の席へ戻って行った。その後ろ姿をちらりと目で追い、真一は溜息を漏らす。

 

(…………まさか、これからずっと二人で俺のところに来るのか?)

 

 さすがにそんなことにはならないだろうと思いたい真一だった。

 そして授業が始まり教室にいつもの静けさが戻ってくると、再び真一の心を占めるのは千鶴の事だった。

 今夜、真一は千鶴の本心を聞き出すつもりでいた。


(しくじるわけにはいかない)


 真一は無意識に拳を強く握りしめていた。

 もしかすると、良くも悪くも今日から二人の関係が変わるかもしれないのだから。

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