第20話 真一の彼女。
白球が体育館の天井に向かってふわりと上がる。
「来るよ!」
「はい!」
相手コートから撃ち込まれてくるボールを止める為、ブロックが三人タイミングを合わせて床を蹴る。
だが、ボールは腕の間をすり抜け、一瞬反応が遅れた音無千鶴の顔面を直撃した。衝撃でふらつく千鶴をあざ笑うかのように、ボールは体育館の2階部分に設けられた手すりの向こう側へと消えた。
ピーッ!
無常に笛が鳴り、相手チームに点が加算される。
「音無! 何をぼーっとしている! グラウンドを10周走って、その寝ぼけた頭を冷やしてこい! 代わりに前田! コートに入れ!」
顧問の先生が千鶴を叱咤する声が体育館中に響く。
「はひっ!」
顔面が痺れて変な返事をしながらコートから出る千鶴の肩を、慰めるように舞が軽く叩いた。振り向いた千鶴の顔を見て、舞の目がまん丸になる。
「先生! 音無さん、鼻血、出してま~す!」
あははははっ
「もう、いつまで笑うの?!」
「だ、だって、思い出したら可笑しくて……」
「マジ勘弁してほしかったわ。あの後、血が止まるまで、ティッシュを鼻に突っ込んだ千鶴の姿が視界に入ってきて、笑いを堪えるのに苦労したわ」
「そうそう、先輩もみんな笑ってたよね」
「ほんと、もっとコートから離れたところにいてほしかったわ」
「………それは、どうもすみませんでしたね!
あははははははっ
土曜日の昼過ぎ、駅前のスタ〇で舞を含む部活の仲間達と千鶴はいた。午前練だった部活の後、千鶴達は新作を求めて立ち寄っていたのだ。そこで、千鶴のやらかした失態のことで、皆勝手に盛り上がっている。
「あ~美味しかった!」
「いっぱい笑ったね~」
「じゃあ、またね!」
「ばいば~い」
散々笑った仲間達は、ぼんやりと飲んでいた千鶴を置いてさっさと帰って行こうとする。慌てて飲み干そうとする千鶴の肩に舞が手を置いた。
「ちづ、慌てなくていいよ。大丈夫。待っててあげるから」
「え? いいの? 舞! ありがと~」
優しい舞のお陰で、一人寂しく取り残されることはなくなった千鶴は、ほっと息をつく。浮かしかけていた腰を下ろすと、安心したように椅子に背を付けた。その姿をまるで観察するようにじっと見ていた舞が唐突に口を開いた。
「………ねぇ、昨日、何かあった?」
「え⁈」
「あったのね」
「な、何でわかるの?」
ふん、と舞は鼻で笑う。まるで何でもお見通しだよとでも言わんばかりだ。
「ちづは、分かりやすいからね~。………で、何があったの?」
「……」
千鶴は言うか言わないか少し迷いはしたが、舞には話さなくてはいけないと思った。それに話せば少しは悶々とした状態から脱出できるような気もしていた。
「………………真一に、彼女がいるみたいなの」
「はあ? なにそれ……」
舞の反応は千鶴が思っていたのとは違っていた。テーブルを叩きそうな勢いで手を置き、ずいっと身を乗り出してくる。驚くとは思っていたのだが、驚いているのとは何かが違うような気もする。不機嫌そうに目が座っている。
「お、落ち着いて、舞。幼馴染の私でさえ、すごくびっくりしたんだもん。舞は、真一の事を好きだったから、信じたくないのは分かるよ」
「違うわよ!」
「え………?」
「あ、いや、そうじゃなくて………。私は、有馬君の事、とっくに諦めているから、というか、すでに吹っ切ってるから。それに、今はもう好きとかそんなんじゃないから!」
「そ、そうなんだ……」
慄いている千鶴の姿に気付くと、舞はコホンとひとつ咳払いをして居住まいを正した。
「……それで、何で、彼女がいると思うの?」
舞の剣幕に千鶴は若干ビビりながらも話を続ける。
「………さくらって」
「え? 何? さくら?」
「そう。昨日、真一と話していた時に、さくらって子から真一のスマホに直接電話があって、真一ってば、『さくら』って名前を呼び捨てにしてたし、私にはその子との会話を聞かれたくなかったみたいだし、なんだか慌てて出て行っちゃったし───」
「うそ………、マジで?」
「そう、マジで」
「───」
話を聞き終わっても、舞は釈然としない表情を浮かべていた。もう好きではないと言いながらもきっと信じたくないのだろう。千鶴だってショックなのだから、諦めるとは言っていたが、真一を好きだった舞の衝撃はそれ以上だったはずだ。
騒がしい店内で、千鶴と舞の席だけが、異空間のように静まり返っていた。
「………ねえ、有馬君に彼女がいると知って、千鶴はどう思った? 驚いたんだよね?」
「うん」
「本当は、驚いただけじゃなくて、すごくショックだったんじゃない?」
「え? ………えっと────」
「それも、ぼうっとして、ボールを顔面に受けてしまうほどに、ね?」
(なんだろう。この質問にはなぜか素直に頷きたくないんだけど………)
「ショックだったんだよね?」
考え込む千鶴に、舞は答えを求めてくる。
「……………………うん」
降参とばかりに、舞に向かって頷けば、舞は優しい笑みを浮かべた。
「どうしてショックだったか、千鶴は本当の理由が分かっているんじゃないの?」
「────本当の、理由?」
(それは、もう勉強を教えてもらえなくなるから………、もう毎日会えなくなるから………)
「ねえ、………ちづの心の中に、蓋をしている気持ちがあるんじゃない?」
「蓋───?」
舞の方がショックなはずなのに、どうしてなのか、ひどく大人びた表情で千鶴を見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます