第18話 写真。

 佐倉要は有馬真一の部屋の中を感慨深く眺める。想像していたとおり、とてもキレイに片付けられていた。

 だが、殺風景だったリビングとは違い生活感があった。

 ベットには眠った痕跡があるし、正面の窓辺には木製の机が置かれ、その横には本がぎっしりと詰まった本棚もある。


「ああ! ここは有馬の部屋なんだ」


 感動しながら要は呟く。


「邪魔だ」


 部屋の入口で立ち止まっている要を押し退け、真一は客用の布団を持ち込むと、右手にある窓辺のベッドと左側にある壁面クローゼットの間にどさりと置いた。

 部屋は、布団を持ち込んでも狭苦しく感じない程度には広い。

 

「………有馬、空手を習っているのか?」


 壁に掛けられていた制服の横に、空手着があるのを見つけ要が問う。


「ん? ああ、今は習っているというより体を慣らしにだけ行ってる」


 真一は布団を敷きながら答えた。

 だが、敷き終わってもなぜかじっと布団を見つめたままでいる。


「ど……」


 どうしたのかと要が尋ねようとしたその時、真一が突然顔を上げ要を見た。


「な、何?」

「佐倉。今夜はおれのベッドで寝ろ」

「ええ? 一緒に寝るってこと?!」


 ふっと形の良い真一の目が細められた。


「そんなわけがないだろう」

「そ、そうだよね。……じゃあ、なんで? 持ってきてくれたその布団は客用だよね? 俺のために敷いてくれたんだよね? その布団で寝るよ。俺、ベッドじゃないと眠れないとか言わないし」

「いや。おまえは、おれのベッドで寝ろ」


 何がなんだか分からなかったが、有無を言わせないオーラを出す真一に要は素直に従うことにした。


「…………………………………………分かりました。有難くベッドで眠らせていただきます」


 そう言って平伏した要は、顔を上げた時に机の上で視線が止まった。そこには、懐かしい算数のドリルが置かれている。


「え?! 小学生の算数って………復習にしては遡り過ぎなんじゃないのか?」

「おれのじゃない。ちょっと頼まれて、小学生に勉強を教えている。まあ、小遣い稼ぎにもなるし……」


 そう説明しながら、真一は机の上にあった写真立てをさり気なく伏せた。その事に気付かない要ではなかったが、あえて見て見ぬふりをする。


「………有馬、喉が渇いたんだけど、何か飲み物とかもらえないかな?」

「水で、いいか? それなら冷えたものがある」

「うん。ありがとう。助かるよ」


 真一が出て行った扉に向かって要は手を合わせた。


「ごめん! 有馬」


 そう言うと、すぐさま先ほど真一が伏せた写真立てを手に取った。そこにはとても楽しそうに笑い合っている二人の子供が写っていた。一人はキレイに日焼けした短い髪が特徴的な弾けそうな笑顔の男の子と、もう一人は艶々でサラサラの黒髪のとびっきり綺麗な少女が微笑んでいる。


「え? なんで、子供の写真? ………まさか、有馬ってロリコンなのか? そう言えば、小学生に勉強教えてるって言ってたな」 


 てっきり有馬の彼女が映っていると思っていた要は、期待が外れがっかりしながらも写真の美少女から目が離せないでいた。


「なんかこの子、有馬に似ているかも……。まさか、有馬なのか?!」


 見れば見るほど、有馬とよく似ている。目元なんかは特に。要は食い入るように写真を見つめ続ける。


「そうだ、絶対に有馬だ。 ………マジで、女の子にしか見えないんだけど」


 写真に釘付けになっていた要の耳に階段を上がって来る足音が聞こえて来た。


「あわわわわ……」


 写真立てを急いで伏せると、要はベッドへ飛び込む。

 だが、その衝撃で傷口が痛み、思わず唸り声が漏れる。


「持って来たぞ。………もう寝たのか?」


 間一髪で間に合った要は、扉を開け入って来た真一に向かって微笑みながら布団から顔を上げた。


「いや、まだ起きてるよ。………ちょっと、いろんなところが痛いなぁ~と思って」

「そうだな、明日は絶対に腫れるだろうな。ほら、水」

「あ、ありがとう………」


 真一から差し出された水のペットボトルを受け取りながら、要はぎこちなく笑う。

受け取った水は良く冷えていた。熱を持つ口元をそっと冷やしてから蓋を開ける。ゴクゴクと喉を鳴らし要はあっというまに飲み干してしまった。思いのほか体が水分を渇望していたようだ。


「ほら、かせよ。捨てて来る」

「………ありがとう」


 再び扉の向こうへ消えて行くすらりとした後ろ姿を要は黙って見送る。真一は驚くほど面倒見がいい。その事に気付き、さらに彼へ心が傾倒していく。

 なぜかぶっきらぼうなようにみせかけているが、本当はとても優しい奴だということはとっくに知っていた。

 それだけが理由ではないが、どうしても真一と友達になりたかった。

 だが今は、ただの友達というよりも彼にとって特別な存在になりたいと切実に思っている。


「どうやれば、心を開いてくれるのかな……」


 そんなことを考えながらふと目が向いた先にはさきほどの写真立てがあった。


(どうして、あの写真だけをわざわざ写真立てに入れてまで毎日見える場所に飾っているんだ? 気に入っているってことだよな……)


 確かに、あんなに楽しそうな顔で笑う真一を要は見たことがない。


(………いや、一度どこかで見たことがある──)


 要は記憶を辿る。

 先日駅前で女の子を二人侍らせていた真一は、写真と同じようにとても楽しそうに笑っていた事を思い出す。

 

『────ふんわりの方は、おまえから見ても可愛い、と思うのか?』


 真一の声が脳裏に蘇ってきた。


(まさか………)


 写真の中で、真一と一緒に笑っていた子供。

 髪があまりに短かったから男の子だと思っていたが、駅前で真一といたくせ毛の子と髪の色などどこか似ているような気がする。


(あの写真のもう一人の子って、………実は、女の子なのか?! まるであべこべじゃないか)


 そう思いながら、真一の鉄壁の冷静さを崩せるのは、写真に写っていたあの子だけなのだと要は確信する。


(いったいどんな子なのだろう? 有馬に直接聞いたって、教えてくれないんだろうな……)


 それどころか、やっとここまで築き上げてきた真一との仲が壊れる可能性だってある。それだけは、絶対に避けたいと思う要だった。


「まだ起きていたのか? 今日はもう寝るぞ。電気消すからな」


 部屋に戻って来た真一はベッドに座り込み見上げてくる要に声を掛けると、電気を消した。レースのカーテン越しに月明かりが差し込む。要は床に敷いた布団に入る真一の姿を目で追う。まるで夢を見ているような気分だった。

 だが、しばらくすると真一の規則正しい寝息が聞こえてきた。どうやらすぐに眠ってしまったようだ。かなり疲れていたのかもしれない。もちろんその原因は要にあった。恐らく心配して大急ぎて駆けつけてくれたのだ。


「有馬?」


 囁くような声で名を呼んでみたが、起きる気配はない。要はベッドから起き上がると、真一を起こさないようにそっと近づく。月明かりの中、眠っている端正な横顔を覗き見る。布団に顔を押し付けるようにして眠る真一の表情はとても穏やかだった。彼がどんな夢を見ているのかとても気になった。


「………もっと知りたいんだ。有馬のこと」


 吐息のように零れ出た声は、すでに夢の住人となった真一の耳にはもう届いていなかった。

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