第17話 真一と要。

「あたたたたっ……も、もう止めて。 痛ッ!………痛いって、有馬~」

「あっ、動くな」


 有馬真一のリビングでは、佐倉要が怪我の手当てを受けていた。

 すでに真一はいつもどおりの塩対応で、クールな表情で痛がる要の傷口に容赦なく消毒液を押し付け、悲鳴をあげさせていた。


「………ガーゼはいらないな。このまま乾燥させた方が直りも早いだろう。口の横だしな」


 薬箱を片付けながら、真一が言う。


「………これ以上痛くないなら、なんでもいい───」


 ソファーに突っ伏して放心状態で要が呟くと、キッチンに向かっていた真一が冷たい視線を向ける。


「おれの唯一の至福の時間を削っておいて、なんでもいい、はないだろう。早く傷を治したいんじゃなかったのか?」

「え! 至福の時間って何? 有馬、何をやってたのさ?」


 勢いよく顔を上げた要は、興味深々な眼差しで真一をみる。意気消沈していた姿は幻かと思うほどの変わりように、真一は呆れた表情を浮かべた。


「………うるさい。ほら、さっさと食べろ」


 キッチンから戻って来た真一は、運んできたトレイをリビングのテーブルの上に置いた。


「?」


 要の目の前に置かれたものは、一人用の小さな土鍋だった。恐る恐る蓋を開ければ、白い湯気と共にカツオ出汁の香が器の中から立ちのぼってきた。


「………え? もしかして、雑炊? マジで?! 有馬って料理も出来るのか?」

「料理ってほどのものじゃない。まだ熱いから気を付けて食べろよ。おれもシャワーを浴びてくる。食べ終わったら、空いた器は流しに置いてていいから」


 それだけ言い置くと、真一はさっさとリビングから出て行ってしまった。

 まさか手作りの料理が出てくるとは思っていなかった要は、驚きを通り越して感動すらしていた。目を輝かせながら添えられていた木製のさじで雑炊を掬う。


「あっ! シイタケと卵が入っている。痛っ! ………でも、美味い─────」


 さじを恐る恐る口に入れれば、切れた口内が沁みて痛みが走ったが、要はその痛みをものともせず、あっという間に小鍋の中身を自分の胃袋の中へ納めてしまった。


「ふう………」


 空腹が満たされると、要の心にもやっと余裕が出て来た。柔らかな革のソファーに背を預け、リビングの中を見渡す。

 部屋の中は綺麗に片付けられていた。というよりも、物があまりに少ない。


「………あいつ、本当にここで暮らしているのか?」


 10畳ほどあるリビングにあるものといえば、壁際にテレビが置かれている木製のローチェストと、要が座っているソファーとローテーブル。それだけだ。

 家具の展示場でさえ、クッションや雑誌に置物など、生活用品がいろいろ置かれているというのに。

 

「………何? 人ん家が珍しいのか?」


 タオルで頭を拭きながら、真一がリビングに現れた。


「何か、生活感があまり感じられないな~、と思って」

「そうか?………まあ、この家は借り物だからな。家主が海外に赴任中の間、家の管理をする代わりに住まわせてもらっているだけなんだ。………まあ、普段居るのは自分の部屋だけだし。それより、泊まるんだろ? 寝るのは2階のおれの部屋だ。来いよ」

「え! 有馬の部屋⁈」

「おまえ、………いちいち煩い」


 肩越しに振り返った真一の目は、あからさまに要の事をウザがっていた。


「ごめん……。でも、俺、マジで有馬と仲良くなりたいんだ」

「……変な奴」


 そう呟いた真一は、今までに見たことがない表情を浮かべていた。どこか戸惑っているように要には感じられた。じっと見つめてくる要の視線から逃れるように真一はくるりと背を向けた。


「………………母さんが戻って来るのは、水曜日だ。おまえが、まだ帰りたくないなら、それまでここにいたってかまわない」

「!」


 口調はいつも以上に素っ気なかったが、要の事情を考えた上での有難い申し出に、要は目に涙を滲ませる。

 だが、その顔には満面の笑みが溢れる。


「ありがとう! 有馬っ!」


 感極まった要は思わず真一の背後からガバっと抱き付き、力の限り強く抱きしめた。


「うぐっ!」


 背後へ大きく仰け反り、うめき声をあげたのは要だった、顎を下から突き上げるように、真一の掌底がさく裂したのだった。


「………追い出されたいのか?」

「…………………ご、ごめんなさい」


 拳を握りしめ仁王立ちで氷のような視線で見下ろす真一の姿を、要は痛む顎を押えながら見上げる。つい調子に乗ってしまったことを深く反省しながら。

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