第15話 さくら。

「数学Ⅰが90点。英語Ⅰ84点。現代文は88点……」


 テーブルの向かい側でテストの結果を見ていた有馬真一が視線を上げた。音無千鶴は得意げに指を二本立てる。


「どうよ。見直した?」

「まあね」

「どれも平均点より15点以上上だよ! 凄くない?!」

「……おれが教えているからね。これぐらいは取ってもらわないと」

「え~」


 いつもの真一との勉強タイム。

 先日の中間テストの結果を千鶴は真一に見せていた。今回は自分でも結構頑張ったと思ってる。

 だが、真一の反応はとても薄い。褒めてもらえると思っていただけに、気分はダダ下がりだ。項垂れるようにテーブルに突っ伏し、ふと真一へ視線を向けて目を疑った。


(あれ? 笑って……る?)


 まだ答案を眺めていた真一の口角が明らかに上がっている。口ではつれないことを言っているが、本当はかなり喜んでくれているようだ。


(もうっ! ちゃんと褒めてくれたらいいのに!)


 そう思いつつも、真一の笑顔を見れただけで気分は一気に上がり、無性に嬉しくなる。次回こそは真一にちゃんと褒めてもらえるように頑張るぞと、心の中で誓う。


「じゃあ、今日はテストで間違ったところを一緒にやってみようか」

「うんっ!」


 食いつき気味に答えれば、真一が無邪気に声を立てて笑う。この笑い方が千鶴は一番好きだった。

 

 ブーブーブー。


 勉強会も終盤に差し掛かった頃、突然真一のスマホが振動し始めた。珍しいことに真一の視線が画面に釘付けになっている。


「……キノ、間違った単語を辞書で調べて例文を書き出してくれる? それをとりあえず十回ずつ書いていて」


 そう言い残すと真一はスマホを持って立ち上がった。珍しく急いでリビングを出て行こうとする。気になりながらも言われたとおり間違った単語を辞書で調べる千鶴の耳に、扉が閉まる寸前に発した真一の声が届いた。


「……佐倉?」


 その瞬間、千鶴の手が止まる。


「さく……ら…………?」


 聞こえた言葉を無意識にそのまま繰り返す。

 確かに真一は『さくら』と言っていた。


(女の子の、名前……? ……え? …………………誰?!)


「あっ、10回書かなくちゃ……」


 手が止まっていることに気付き、慌てて書き始める。


(さくら……、同じ学校の人なのかな? 下の名前で呼ぶなんて、それも呼び捨て。かなり仲がいいってことだよね? もしかして、……彼女?)


 『さくら』という名前が千鶴の頭の中でぐるぐると回り続ける。いつのまにかノートにはびっしりと『さくら』の文字で埋め尽くされていく。さきほどまで高かった千鶴のテンションは、すでに地にのめり込むほど低くなっていた。


 カチャ


 再び扉が開き、真一が入って来た。千鶴は弾かれたように顔を上げれば、真一と目が合う。

 たが、真一はどこか気まずそうな表情を浮かべると、すぐに視線を逸らしてしまった。


(! 真一……?)


「……ごめん、ちょっと急の用が出来たんだ。悪いけど、今日はこれで終わりにしよう。……キノ?」

「え? あ、うん。分かった。じゃあ、また明日!」

「明日は土曜日だよ。キノ」

「あ、ああ、そう、そう! 明日は土曜日だったね! えっと、じゃあ、また月曜日ね。今日はありがと! お疲れ様~」 

「……」


 元気なふりまでして明るく言えば、真一がじっと千鶴の顔を見つめてくる。


「な、何?」

「……いや。何でもない。じゃあ、おやすみ」


 真一は言葉を濁した。

 本当はいろいろ尋ねたかったのに、どうしても聞くことが出来なかった。


(もし『さくら』という子が彼女だったら、勉強会のことは私から断ったほうがいいのかもしれない)


 あんなに真一に勉強を教わるのが嫌だったのに、いつのまにか真一に勉強を教えてもらっている時間がとても楽しく感じている。


(勉強会が無くなったら、きっと真一は夕飯を食べに来なくなる気がする。……また避けられるのかな? 避けられるなんて、考えるだけで嫌だ……)


 避けられた理由が分からないだけに、不安が押し寄せて来る。


(これからも、普通に友達として接してくれないかな?)


 帰って行く真一の後ろ姿を見送りながら、途方に暮れる千鶴だった。

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