第12話 放課後。
「あ~りま❤」
名前を呼ばれた有馬真一は、読んでいた本から顔を上げた。彼はいつものように放課後を、進学校で有名な私立陵蘭高校の図書室で過ごしていた。
「女子には興味ありません! みたいな顔して、隅におけないんだから~」
いつにも増してふざけたしゃべり方で真一の向かいの席を陣取った男は、同じクラスの佐倉要(さくらかなめ)だ。
この学校では珍しく、軽いノリの男だった。人を寄せ付けないようにしている真一に対し、唯一親し気に接してくる男でもあった。
ある意味、空気を読まないともいうが。
僅かに眉間に皺を寄せ、『対応の必要無し』と判断し、再び本へ視線を戻す。
「お、おい! 放置?!」
慌てた要が声を張り上げた。
その途端、『静かにしろ』と周りから避難を受ける羽目になってしまった。至って、端迷惑な男だった。
真一は溜息を一つ吐くと、本を閉じ、静かに席を立つ。
「えっ?!」
背後から焦った声が聞こえ、ガタガタと椅子を動かす音がする。真一は振り返ることなく、一人で図書室を出た。しばらく廊下を歩き続けていたが、突然足を止め、くるりと振り返った。
「……」
案の定、背後にいたのは要だった。何が嬉しいのか、ニッと笑いかけてくる。
(まるで大型犬に懐かれた気分だ)
真一はあからさまに溜息をついた。
もちろん、このまま無視を決め込んで立ち去るつもりだったのだが、どうしても視線は要の髪の上で止ってしまう。この男の明るい髪の色は千鶴とよく似ていた。少し癖のあるところも彼女を思い起こさせる。
千鶴とは通う学校が違うために、夜にしか会うことが出来ない。真一にとってはどれほど鬱陶しいと思う男であっても、その髪を眺めることでしか日中の千鶴欠乏症を緩和することができないので、あまり無下にすることも出来ずにいた。
今も目の前でヘラヘラと笑っている姿を見て心底イラっとしていたとしてもだ。
「有馬。昨日の事なんだけどさ~」
水素よりも軽そうな口調で話しながら要は抱き付くように肩へ腕を回してきた。背後から長身の男に圧し掛かられ、真一の眉間の皺が深くなる。
この男の事が気に食わない多くの理由の中に、先月の身体測定で身長が177㎝ある真一より2㎝も高いことが判明したこともある。
さらに、馴れ馴れしいところも真一をイラつかせていた。千鶴と髪が似ていなければ、今すぐにでも投げ飛ばしていただろう。
「あっ、要君! 今から私達カラオケに行くんだけど、一緒に行かない?」
背後から賑やかな明るい声が聞こえて来た。帰宅する女子グループが要に気付き、声を掛けてきたようだ。
実は、要は女達と仲がいい。彼女はいないようだが、よく廊下や教室で女生徒達と楽しそうに話をしている。
だが、なぜなのか、気付くと要は真一の傍にいる。ほぼ毎日張り付いていると言ってもいい。どんなに邪険にしても離れようとはしない。真一にとってまったく理解不能な男だった。
「あとで参加するよ! 場所が決まったらLINEして」
「OK! 絶対来てよ!」
真一の背に抱きついたまま要が応じている。要の影から真一が視線を向ければ、話しかけていたショートヘアの女と目が合った。
途端、彼女は驚いた声を上げる。
「え? 有馬君⁈」
「本当だ! 有馬君だ!」
「ねえねえ、二人で何やってるの?」
「いつも一緒にいるよね? すごく仲がいいだね!」
何が引き金だったのか、きゃあきゃあと女達が騒ぎ始めた。
「有馬君も、一緒に行こうよ!」
「行かない」
即答すれば、声をかけてきた女は顔を強張らせた。勝手に期待して傷つく。いつものことだ。これだから、近づいてくるなと牽制しているというのに。
「よし! まなちゃん、俺が有馬の分まで歌うから楽しみにしててよ!」
突然要が陽気な声をあげるた。女達の間から『きゃっ!』と、さらに黄色い声があがり、一際騒がしくなる。
だが、真一だけは我関せずを貫き、要を背に張り付けたまま歩き出した。残念がる女達の声が背後から聞こえてくる。要はまるでフォローするように彼女達に『また後でね』と手を振っている。どうしてなのかは分からないが、真一に女が接触してくると、決まって要が今のようにうまく女達を引き受けてくれる。そのことは、正直に助かっていた。誰かを傷つけたいわけではないからだ。
「有馬君、またね! 要君! 早く来てよ!」
「はい。は~い」
去っていく真一達を見送る女達はまだ何事か騒いでいるようだが、真一はもう気に留めていなかった。それよりも背中に張り付いている男の邪魔加減が限界にきていた。
「重い! いつまで張り付いてるんだ? 早く退け! そして、早くカラオケへ行け!」
「え~、俺の話はまだ終わってないのに……」
真一は強引に体の向きを変え、不服そうな様子の要をまっすぐに見据える。
「じゃあ、早く話せ」
不機嫌であることを隠そうとしない真一に対し、どこに喜ぶ要因があったのかは分からないが、要が笑う。
そして、真一の腕を掴むと、近くにあった非常階段へ続く扉を開けた。淀んでいた空間に新鮮な風が流れ込んで来る。
「もうすぐ夏だな!」
非常階段の踊り場に出ると、要は塀の上に両腕を置いた。そのまま視線の先にある運動場を眺めている。その傍らで、真一は腰を下ろし、壁に背を預けた。
「……で、話って何だ?」
問いかけていながら、真一の声には要の話にあまり興味を持っていないことがありありと現れていた。目は青い空に白いチョークで書いたような真っすぐに伸びる飛行機雲に向けられている。
「昨日、駅前のカフェで女の子二人侍らせて楽しそうだったね?」
視線は運動場へ向けたまま要は天気の話でもするかのように切り出してきた。どうやら千鶴達といたところを見られていたようだ。真一はもちろん聞こえてはいたが、答える気はさらさらなかった。要にはまったく関係の無い事だからだ。
しかし、要は何の反応も返さない真一に対し、めげる事無く話し続けてくる。
「……ふんわり可愛い系と、シャープな美人のどっちが本命なのかな? と思って」
無言のまま真一はゆっくりと視線を要に向けた。要もいつのまにか真一を見下ろしていた。その顔はこの男にしては珍しく真剣な表情を浮かべている。
沈黙が二人を包む。
だが、先に動いたのは要だった。一言も発しない真一の前にしゃがみ込み、目の高さを合わせてきた。
そして、真一がかけていた黒縁の眼鏡に両手を伸ばし、ゆっくりと外していく。
「これ、度が入ってないよね? 伊達メガネまでかけて、女の子達を寄せ付けないようにしていたのは、女が苦手だったからじゃなかったの? ……でもさ、これもあまり効果は無いって知ってる? 有馬のファン、すごく多いんだよ」
「……のか?」
「え? 何? ……うわっ!」
突然、要が焦った声を上げた。真一が要の襟元をネクタイごと引っ張ったからだ。要は前のめりになり、真一の顔とくっつきそうになる。真一は切れ長の目を細めて要を睨んだ。
「──ふんわりの方は、おまえから見ても可愛い、と思うのか?」
「え? か、可愛いんじゃない? ……って、何? 何でめっちゃ怒ってるの?」
あまり感情を露わにしない真一のあまりにもの変貌ぶりに要は酷く驚いている様子だった。真一は突然掴んでいた手を離し立ち上がった。掴まれていた襟元を離された要はその勢いで体勢を崩し尻もちをつく。
「……やはり同じ学校へ行くべきだったんだ」
唸るように呟き、しばらくの間真一は考え込む。
毎日のように夜になると千鶴に会えてた真一は、それだけで満足してしまっていて、学校生活に何の期待もしていなかった。
だから、ある日、まだ中学生だった千鶴が陵蘭高校の制服を『かっこいいよね!』と言ったことがあった。その言葉を聞いて、真一はそのまま喜々としてそのまま陵蘭高校へ進んでしまったのだ。もちろん、千鶴に『かっこいい』と思われたいからだ。
『千鶴のそばから片時も離れたくない』
『千鶴におれ以外の男を寄せ付けたくない』
これほど思い知らされることになるとは思ってもいなかった。今頃になって、同じ学校へ行かなかったことが悔やまれた。
苦悩していた真一は、ふと視線を滑らせる。
そこには、腰が抜けたように座り込み、茫然と真一を見上げている要の姿があった。
「おまえは、何をやっているんだ?」
「……」
ため息を漏らしつつも、真一は要に向かって右手を差し出した。要はその手と真一の顔を何度か見比べた後、そっと真一の手を取る。
「どこまでも世話の掛かる奴だな」
真一はその手をしっかりと掴むと、勢いよく要を引き上げたのだった。
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