第7話 勇者の証。

 音無千鶴はまだ戻ってきていない。

 目の前にいるとびきり美しい容姿をした男は再び店の外へと顔を向けている。

 舞はただ静かに座っている有馬真一という男を見つめる。あれだけ酷い扱いをされたというのに、この男への怒りなどすでにどこかへ飛んでいってしまっていた。

 不思議な気分だった。

 きっと彼が秘めていた想いを打ち明けてくれたからかもしれない。信用してもらえたようで、正直嬉しいと感じていた。


(少しは悪いと思ってくれたってことなのかな……)


 もちろん、有馬真一が千鶴を好きなことを、誰かにばらしたりしないし、想いを伝えるつもりはないと言っているのに、千鶴本人に教えようとも思ってはいない。

 それに、彼の気持ちも理解できる。

 とても大切に想っている子が、自分の表面だけに群がってくる人達にいいように扱われて、腹立たしく感じないわけがない。

 もしかしたら、これまでにも千鶴は彼がらみでいろいろあったのだろう。あまり人を疑ない千鶴のことだから、いいように使われていたに違いない。その度に、彼は心を痛めてきたはずだ。

 そんな考えにたどり着いた舞は、「冷血」とまで思っていた真一に対し、「いい奴」だとさえ感じ始めていた。

 舞の真一を見る目が今度は違う意味で輝き始める。


(これだけハイスペックな男が、好きだという気持ちを押し隠して、大好きな幼馴染を影ながら見守っている! これほど美味しいシュチュエーションがある? それも今目の前にいる!)


 二人には申し訳ないのだが、どうしてそんな間柄になっているのか好奇心がうずき、舞は聞かずにはいられなくなっていた。

 舞は思い切って首を突っ込むことにする。


「……私は関係あるでしょ?」


 突然、舞がそう告げれば、遠くを見ていた真一の視線がゆっくりと向けられた。怪訝そうに僅かに寄せられた眉が、彼の心の内を現している。


(絶対、鬱陶しいと思っているよね)


 だが、一応は千鶴の友達として認めてくれているのか、先ほどのように邪険には扱わないようだ。

 ならば、今しか機会がないと、舞は畳み込むように言葉を重ねる。


「だって、私はあなたの勘違いで酷い扱いをされたのよ。どれほど傷ついたか」


 悲嘆にくれるように顔を両手で覆う。


「……」

「私はあなたの事が好きだって言ったよね? どうして諦めなくちゃいけないのか、ちゃんと理由を言ってくれない? そうでないと、あなたの事を諦められない!」


 顔を上げ、真一の目を正面から直視した舞はドキリとする。あまりにも澄んだ瞳だったからだ。


「好き……ね。うっかりじゃなかったのか?」

「! あ、あれは、動揺のあまり勢いで言っちゃったというか、一目惚れは本当だから!」


 言ってしまってから、舞は自分の顔が火を噴いたように熱くなっていくのを感じていた。本人に、面と向かって『好き』だとか、『一目惚れ』だとか『諦められない』とか言っている自分のことが、無性に滑稽で恥ずかしくなってきた。


(私って、一体何をやっているんだろ……)


 内心冷や汗を流し始めた舞を、さらに真一は追い詰めるようなことを言ってくる。


「おれは、勘違い冷血男なんだろ?」

「……それは言い過ぎたと思ってます。ごめんなさい」


 気まずい空気が流れる。今更だが、どうやらこの男は一筋縄ではいかないようだ。


(こんな男に根掘り葉掘り聞き出そうとするなんて、私はなんて無謀な事を……)


 心の中で猛省しつつ、これ以上は無理だと諦めかけたその時、突然真一が腰を僅かにずらし深く椅子にもたれかかった。彼の視線は空に向かい、さらにどこか遠くを見つめているようにも見えた。


「……千鶴の左腿に、大きな傷があるのを知ってる?」


 長い沈黙の後、真一が呟くように尋ねてきた。


「? ええ、知ってる。ちづは勇者の証だって誇らしげに言っていたけど?」


 何を言い出したのかと首を傾げながら舞が応じると、真一がクスッと小さく笑った。

 それも、とても愛おしそうに。


「千鶴らしいね」


 そう囁くと、真一は舞の目をまっすぐに見つめてきた。彼が自分に好意がないと分かっていても、舞の心臓は煩く騒ぐ。


(なんて綺麗な目をしているんだろう)


 心の中で身もだえながら、舞は真一の眼差しをしっかりと受け止める。


「─────あの傷は、おれのせいなんだ」

「……え?」


 もうすぐ暑い夏が来る。

 そんな予感を感じさせる午後の風が、舞と真一を優しく撫でるように吹き抜けて行った。

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