第6話 秘めた想い。
店内に流れる音楽はボサノバだったのだと、三嶋舞は気付いた。千鶴がいる時はまったく気に留めることもなかったのだが、その音楽がしっかりと耳に入ってくるほど、残された舞と有馬真一の間では、完全に会話が途切れていた。明るいテラス席にいるというのに、二人の間には重い空気が流れる。
初めは真一と二人きりになれた幸運を思わず叫び出したくなるほど喜んでいた舞だったが、千鶴の姿が見えなくなった途端、真一の雰囲気がガラリと変わってしまった。あらゆるものに興味を失ってしまったかのように、通りを行き交う人々をただぼんやりと眺めている。舞が目の前にいるというのに、一瞬でも視線を向けようともしない。
今、彼が一体何を考えているのかはまったく分からなかった。
ふと視線を感じ店内に顔を向けると、女性客達がちらちらとこちらを見てくる。正確には、お洒落なカフェのテラス席で物憂げに佇む若い男の姿を盗み見ている。
やはり、有馬真一という男の容姿は非常に目立っていた。
一方、その男にまるで傍に誰も居ないような態度を取られ続けている舞は、いたたまれない。思わず席から立ち上がった。
「今からでも、ちづを追いかけた方がいいんじゃないかしら」
発した声でやっと舞がいることに気付いたかのように、真一が顔を上げた。その表情からは一切の感情を読み取ることが出来なかった。形の良い唇は閉じたまま真一は手招きするような仕草で座るように促してきた。
一瞬、どうしようかと迷った舞だったが、とりあえず座りなおす。
すると、不意に真一が口を開いた。
「三嶋さんって、美人だよね。モテるでしょ?」
あまりにも唐突だったので、舞はすぐに反応することができなかった。褒めらたのだと気付き、一気に頬が赤く染まっていく。好意を感じている相手から褒められて、嬉しくないはずがない。舞の沈みかけていた心はあっというまに急上昇していく。
もしかしたら嫌われているかもしれないと思い始めていただけに、喜びはひとしおだった。赤くなった顔を真一から隠そうとするように、舞は両手を顔の前で激しく振る。
「そ、そんなことは全然─────」
「今日、本当はおれに用事があったんでしょ?」
「え?」
舞が動きを止めた。驚きを隠すことも出来ずに、真一の端正な顔を凝視する。
一方、真一は表情を変える事無く、切れ長の目でじっと舞を見ていた。
「おれのことが、好きなの?」
「!」
突然、秘めた想いを言い当てられ、舞の顔が強張っていく。ふと、ここには居ない親友の無邪気な笑顔が脳裏を過ぎった。
(ちづったら、ばらしちゃったの⁈)
舞はまるで逃げ場を探すように視線を左右に彷徨わせた。無意識のうちに握っていた掌に汗がにじむ。
だが、逆にこれはチャンスだと思い直し、覚悟を決める。目の前の男の澄んだ黒い瞳に視点を合わせてこくりと頷いた。
「ふっ」
突然、真一が優しい笑みを浮かべた。二人きりになってからまったく表情を動かそうとはしなかった男が笑ったのだ。その威力は半端なかった。舞は椅子に座ったまま眩暈を感じた。
「へぇ、そうなんだ。……………でも、おれのすべては千鶴のものだから、諦めて」
一瞬、真一が何を言っているのか理解出来なかった。目を見開いたまま茫然と真一を見つめる。まるでそこに答えがあるかのように。
(…………え? ど、どういう事? ……………………………もしかして、千鶴と有馬君は付き合って…………いるとか?)
その可能性に気付き、一気に頭のてっぺんから血が引いて行くような感覚に襲われる。
好きだという気持ちを勝手に暴かれたうえ、そのまま振られたのだ。その衝撃は、かなりのものだった。紅潮していた顔はすでに青ざめている。すぐにでも席を立ち、一刻でも早くこの場から走り去りたかった。
しかし、足がまったく思うように動かない。
座ったまま俯く舞の向かいの席で、立ち上がる気配がした。反射的に顔を上げると、真一が立ち去ろうとしていた。
舞は言葉も無く、その姿をただ茫然と見つめる。
だが、ふいに真一が立ち止まり、舞の方へ整った顔を近づけてきた。
「もう、千鶴を出しに使うのはやめてくれ」
低く囁く真一の視線の冷たさに、舞の背をぞくりとしたものが駆け抜けた。
「それじゃ、さようなら。三嶋さん」
一方的に別れの言葉を口にし、テーブルの上に置かれていた伝票に真一が手を伸ばす。
ガシッ
音がしそうな勢いで、舞は真一の腕を掴んだ。
「─────ちょっと、待ちなさいよ。この勘違い冷血男」
まるで地を這うような恨みの籠った声で舞は真一を呼び止めた。
「………………勘違い冷血男?」
抑揚のない声で言葉をなぞるように呟きながら、真一が舞を見下ろしている。
「ちょっと、いいから座って! あなたは目立つのよ!!」
「……………目立つのは、あんたが大きな声を出すからだ」
心外だとばかりに、真一が眉をひそめる。
だが、真一は舞の言葉に素直に従い、再び椅子に腰を下した。その顔は面倒だという気持ちを隠そうともしていない。
一方の舞は真一の表情がまったく気にならないほど怒っていた。憤慨していたのだ。
「まずっ! あなたみたいな見かけだけの男にうっかり一目惚れした私が馬鹿だったわ」
「……」
「言っておくけど! 私はちづを出しに使ったりなんかしてないから! ちゃんと、ちづがあなたに対してまったく好意が無い事を確かめた上で、お願いして協力してもらったのよ!」
「──」
「ちづも酷いわ。付き合っているなら、ちゃんと言ってくれたらよかったのに!」
怒りでわなわなと震えながら言いたい事をぶちまける舞の姿を黙って聞いていた真一が、ふいっと顔を背けた。
「……付き合ってないよ」
「はあ?」
「おれと千鶴は付き合ってはいない」
「…………」
真一の言葉に、舞は困惑した表情を浮かべる。
「でも、さっき…………」
「おれは、一言も『付き合っている』とは言ってない。あんたの勝手な妄想だ。それに、千鶴はおれの気持ちに気付いてさえいない。…………まあ、云うつもりもないけどね」
「─────それって、有馬君がちづに片思いしている、って、こ…………と?」
恐る恐る尋ねてみたが、そっぽを向いたままの真一は返事どころか、何の反応も返してくれそうになかった。それでも、舞は聞かずにはいられなかった。
「どうして言わないの? 好きだって」
「あんたには関係の無い事だ」
(ちづの事が好きだ、って事は否定しないんだ)
突き放すような言葉とは裏腹に、そう言った真一の声にはすでに険しさは無くなっていた。
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