第4話 日曜日のお誘い。

「ねぇ、真一。来週の日曜日って、午後から何か用事ある?」


 夕食後、いつものように真一に勉強を教えてもらっていた千鶴はさり気なく声を掛けてみた。


「……用事? 無いよ」


 千鶴の答案を添削しながら、真一は気のない声で返してきた。


(用事はないのね。……暇なんだ)


 千鶴も用事は無かったのだが、自分のことは棚に上げて真一の事を暇人扱いする。


「……ねえ、駅前で一緒にお茶しない?」


 舞の望みどおりに真一を誘ってみた。

 何となく聞き覚えのあるフレーズで誘ってみたが、これで良かったのだろうかと一抹の不安が過ぎる。

 そして、ふと気づいた。


(そういえば、真一と一緒に外で何かを食べたりした事なんてあったかな?)


 思い返してみても子供の頃でさえ無い。


(まあ、いつも夜になると嫌でも顔を突き合わせているから、わざわざ外で会う必要もないんだけど……)


 千鶴は自分から声を掛けておきながら、身も蓋も無い事を考えていた。

 だが、実はかなり緊張もしていた。

 自分から真一へ何か提案することなど小学生ぶりだったからだ。


(ん? あれ? 今の誘い方って、ナンパの時の誘い方なんじゃない?!)


 千鶴は急に変な汗が出て来た。

 これではまるで真一にからかってくださいと言っているようなものだ。

 警戒しながら真一の動向をさぐる。勢いよく赤ペンを動かしていた真一の手がぴたりと止まっていた。


(来る!)


 かなり身構えていたのに、顔を上げた真一の表情を見て拍子抜けする。想像していたものと違っていたからだ。


(ん? んん? まさか、喜んで……る?)


 一瞬真一の顔がぱっと輝いて見えた気がした。


(イヤイヤ、きっと見間違いだわ。……でも、かと言って嫌がっているわけでもなさそう。どちらかというと、戸惑ってる? う~ん、何か勘ぐっているのかな?)


 とにかく、複雑そうな表情を浮かべている。

 いつもと違う真一の様子に首を傾げながらからかって来ないからOKと言うことで、千鶴は話を続けることにした。


「えっと……。この前、学校の帰りに舞に会ったでしょ? その舞とね、最近駅前にできたカフェに行こうって話になったの。それで、真一も一緒にどうかな? って……」


 無言のままだった真一の形の良い眉がわずかにピクリと動いた。


「あっ、気が乗らないなら別に断ってもいいからね。ちゃんと私から舞に……」

「いいよ」


 慌てて話を終わらせようとしたのだが、真一の声に遮られる。


「へ?」


 思わず間抜けな声が千鶴の口から漏れる。


「だから、来週の日曜日に3人で新しいカフェに行くんだろ? いいよ。……舞って、三嶋舞って子の事だったよね? よくキノの話の中に出て来るよね? 一度話してみたかったんだ。やっと顔と名前が一致したしね」


(! びっくりだ……)


 真一があっさりと舞のお誘いを受けてしまった。


(一度話してみたかった……? え? ええ?? どういうこと⁈)


 予想に反した反応に、千鶴は慌てふためく。


(えええ───っ⁈ 真一、どうしちゃったの⁈ 人見知りはどうなっちゃったのよっ!)


 茫然としている千鶴に真一が気付き、顔を覗き込んでくる。


「どうかした? いつも以上に面白い顔になってるよ。俺を笑わせようとしている?」


 クスクスと真一が笑いだした。とても楽しそうに。


「だ、誰が、変な顔なのよ?!」

「怒らない、怒らない。そうだ、一度家に戻ってシャワーを浴びたいから、待ち合わせは2時頃にして欲しいんだけど、いいかな?」

「……しゃわー?」

「そう。シャワー。午前中は、空手なんだ。さすがに、汗臭いままで行けないだろ?」

「──了解……」

 

(そうだった、真一はいつのまにか空手を習っていて、それも中学3年になる頃にはすでに黒帯で、今も週に一回は通っていると言っていたんだった。でも……)


 千鶴は自分の耳を疑った。


(シャワー……。女心をちっとも分からないデリカシーの無い真一が、わざわざシャワー? 一体何が起きているの?)


 しかし、よくよく考えてみれば、これまで真一から汗の臭とか、臭いと感じたことは一度も無い。それどころか、いつもいい香りしかしていない。あまりに自然な香りなので気に留める事も無かったのだ。


(何の香りなのかな? ……シャンプー? まさか、香水とかかな?)


「待ち合わせ場所と時間が決まったら教えてよ、キノ」

「! あ、……うん。分かった」


 真一の香りに気を取られていた千鶴はびくっと体を震わせ、慌てて応じる。

 再び添削を開始した真一に変わったところは無い。それどころか、舞と会うことにとても乗り気な様子だ。千鶴はますます真一の事が分からなくなる。

 混乱する千鶴は、どうしてもその後の勉強に集中できなくなってしまっていた。

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