第3話 友達の恋。

「ねぇ、……今日は、試験勉強をするために来たんだよね?」


 千鶴の部屋にあるテーブルの上には、すでに教科書とノートが広げられている。

 だが、千鶴と舞はまったく手を付けておらず、真剣な表情で顔を突き合わせていた。舞がさらに千鶴の方へずいっと顔を寄せてくる。


「な、何……?」

「ねぇ、有馬君と仲いいの?」

「べ、別に普通だと思うけど?」


(ああ、やっぱり始まってしまった。そういう話は勘弁してほしい……)


「普通って何? 同い年で、お隣同士で、超イケメン! どんな関係なのか気になって勉強に手が付かない! 照れずに教えてよ」

「照れてないよ。だ・か・ら、ただの幼馴染! だぶん、舞が思っているような漫画やドラマみたいなそんな憧れるような関係じゃないからね!」

「ええ~、つまんない~」


 帰り道で偶然会った真一が千鶴の幼馴染だと知って、舞は勝手に妄想を膨らませていた。確かに、世の中では真一がイケメンと呼ばれる容姿をしていることは認める。

 でも、恋とか愛とか、それ自体千鶴には良く分からない感情だ。それも真一に対してどうだと聞かれたら、さらに分からなくなる。

 真一に対する千鶴の感情は、もやもやとしていて言葉ではうまく言い表せない。はっきりしていることは、幼馴染だという事だけだった。

 舞はアイスコーヒーに浮かんでいる氷をストローでカラカラとかき回しながら、ブーブー文句を言い続けている。


(ダメだ……。もう舞のことはほっておこう)


 千鶴はシャーペンを手に取った。


「もう、勝手に始めちゃうからね!」


 そう宣言し、千鶴はおもむろに英語の教科書を引き寄せた。


「ねえ、……有馬君ってさ、今、彼女いるのかなあ?」

「彼女? ……今は、いないと思うよ?」


 テスト範囲を確認しながら答える。

 以前、それも中学の頃、真一には付き合っている子がいた。正確には、人達だ。真一を見かける度、隣にいる人が違っていたからだ。年上の人と一緒にいるところも見たことがあった。

 でも、最近の真一は誰とも付き合っている様子はない。


(確認はしていないからよくは分からないけれど……)


「本当? 今はいないの⁈ これってチャンスなんじゃない?」

「チャンス? ……誰の?」


 思わずノートから顔を上げれば、舞が目を爛々と輝かせ、千鶴を見ていた。


「私の! だって、ちづはただの幼馴染なんでしょ? あれだけのハイスペックな男が傍にいても、何も感じないんでしょ?」

「でしょ? って……、まるで私が不感症みたいに言うのは止めてよ」

「立派な不感症だと思うけど? さっき、道ですれ違う人は大体みんな有馬君の顔をガン見してたもん。男の人でさえ目で追ってたよ」


 真一の姿を思い出しているのか、舞はうっとりと宙を見ていた。どうも冗談ではなく、本当に真一を好きになってしまったのかもしれない。 

 もし、本気なら、恋する女を止めることは出来るだろうか? 

 いや、何人たりとも止めることなど出来はしない。

 この場合、千鶴が言えることといえば………。


「が、頑張ってください」


 そう呟けば、ガシっと音がしそうな勢いで舞が千鶴の手を両手で掴んできた。


「じゃあ、そう言う事で! ちづも手伝ってね!」

「え? て、手伝う⁈」

「そう。ちづが有馬君に私がいい女だと売り込むの! それから、テスト明けの日曜日、部活は午前中で終わるから、お昼から有馬君を駅前に連れ出して来てね。そこで、私と偶然に出会うのよ! それから、そのまま一緒にお茶をして……」

「それは、偶然とは言わない!」

「いいの。いいの。有馬君が偶然だと思ってくれたらいいんだから。運命を感じさせるの!」


 舞は力強く右手を握りしめた。


(そうだった。舞はこんな奴だった!)


 いつか王子様が……なんて、運命の人を待っているような女ではない。近くに居ないなら、大海原へ運命の人を探しに船を漕ぎ出すタイプだった。


「……こ、怖い──」


 怯えながら千鶴は呟く。


「怖いって言わないでくれる? 初めて理想だと思える人に出会えたんだからね! もっと会って話がしたいって思うのが普通なんじゃない?」

「……そうだね。でも、嘘は嫌だよ」

「ああ、そうだね。うん、ごめん。ちょっと、舞い上がってる。舞だけに!」

「……」


(クールなはずの舞がとうとう親父ギャグを……。痛い)


 唖然として見つめる千鶴に向かって両肩を少し上げ、舞は照れたように笑う。その姿はとても可愛いかった。


「……真一ってね、意地悪だよ。しょっちゅうからかってくるし、女の子の気持ちなんて全然分かってないよ。私を怒らせることはある意味天才だと思うし」

「え? そうなの?!」


 千鶴の私情が入った評価に、舞は目を丸くしている。


「でも、……本当は、優しい、とは思う。それに、とてもいい奴だってことは保証する」

「な~んだ。良かった!」


 舞はほっとしたような笑みを浮かべた。


「……とりあえず、テスト勉強しない?」

「そうだね」


 それから二人は真剣に勉強に取り組んだ。カリカリとシャーペンが走る音だけが部屋の中に響く。

 しばらくして、千鶴の手がぴたりと止まった。

 少し首を傾げ、胸に手を置く。先ほどからどうも胸の奥の方が気持ち悪い。

 この感じには身に覚えがあった。それは真一が知らない女の子と歩いているところを初めて目撃してしまった時に感じたものだ。きっとその時の事を思い出してしまったからかもしれない。

 真一に避けられていた頃だったから自分でも驚くほどショックだったのだ。

 何か大きな塊が胸の奥にあるような苦しさと言いようのない寂しさ、とても悲しかった事まで蘇ってくる。

 その日を境に、真一は見かける度に違う女の人と一緒にいた。モテて鼻の下を伸ばしているのかといえば、そうではなかった。

 その頃の真一は、ちっとも楽しそうには見えなかった。初めて会った時でも、あれほど感情を抑え込んでいるようには見えなかった。

 だが、どれほど千鶴が心配していても、避けられている身としては、近くに住んでいるのに声さえかける事も出来なかった。

 そんなある日、千鶴は衝撃的な光景を目の当たりにすることになった。


 中学二年のクリスマスイブの前日、真一が家の門の前で、身なりの美しい綺麗な年上の女の人に頬をひっぱたかれている姿だった。

 その瞬間にたまたま出くわしてしまった千鶴は、自分が打たれたかのようなショックを受け、茫然と立ち尽くしてしまった。

 そうしている間に、真一と目が合った。気まずそうにおろおろとしてしまったのは千鶴の方で、真一はどこかすっきりとした表情で微笑み返して来たのだ。

 それは本当に久しぶりに見る真一の笑顔だった。


(そうだ! その次の日だ! 真一が私の家に来て、夕飯を一緒に食べるようになったのは!)


 それ以来、真一は千鶴を避けなくなった。

 そして、平日の夜は必ず夕飯を食べにやって来る。まるで避けていた日々が嘘のように。

 おかげでほぼ毎日と言っていいほど顔を合わせているが、今になっても避け続けた理由を訊いたことは無い。


(今なら聞けるかな?)


 理由が分かれば、もっと自然に真一に接することができるようになるかもしれない。そう思う一方で、知る事は正直怖かった。


(怖い? 何が怖いのだろう? 私は……)


 千鶴は自分の事もよく分かっていなかいことに気付く。


「はぁ~」


 思わずため息が零れる。


(今後、もし舞と真一が付き合うことになって、今までのようには二人といられなくなっちゃったらどうすればいいんだろう?)


 そう考えただけで、急に落ち着かない気持ちになってしまう。

 千鶴は頭を軽く振った。

 それはまるで頭の中に浮かんだ妄想を振り払おうとしているようだった。


(二人が付き合うと決めたのなら、友達として、幼馴染として、二人を応援するんだ!)


 まるで自分に言い聞かせるようにそう思った。



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