第2話 帰り道。

 ランドセルを揺らして子供達が駆けて行く。先頭は赤いランドセルの髪が短い少女だ。その後を同じ年頃の男の子達が彼女の名を呼びながら追いかけていた。


『ちい!』

『おとなし!』

『ちづちゃん!』

『千鶴ちゃん』

『千鶴!』


 だが少女は振り返らない。


『サル!』


 勝気な目の少年が叫んだ。

 途端、先頭を駆けていた少女がピタリと立ち止まって、勢いよく振り返った。


『誰が、サルよっ?!』

『ちい、一人で走って行くなって!』


 少年は呆れたような声で話しかけながら、少女の隣に並び立つ。二人は楽し気に声を上げで笑い合うと、肩を並べて歩き始めた。そんな二人の姿を見て、後から追いついた少年は形の良い切れ長の目を僅かに細める。少女のような綺麗な顔が僅かに歪がみ、そのまま大きく息を吸い込んだ。

 

『キノコッ!』


 ビクッと反応した少女は、『キノコじゃないもん!』と背後の少年に対して声を上げた。

 しかし、少年は少女が不満そうにしているにも関わらず再び口を開く。


『キノッ』


 とうとう少女はぷうっと頬を膨らませる。


『もう! キノコじゃないってばっ!』

『キノコなんて、今は言ってないよ』


 しれっと少年が呟く。


『! むううううっ』


 凄く悔しそうな表情を浮かべる少女とは対照的に、少年は端正な顔をほころばせた。自分を見ている少女へ、とても嬉しそうに笑顔を向けたのだった。



             ************



「キノッ!」


 いつもの通い慣れた学校からの帰り道。

 音無千鶴は反射的に勢いよく振り返った。

 突然聞こえてきた声に反応してしまったのだ。声変わりし低いが良く通る聞き覚えのある若い男の声に。


「うぎゃっ!」


 花のJKとは思えないような声を漏らし、千鶴は目を剥く。

 右手を軽やかに挙げ、千鶴に向かって颯爽と駆け寄って来るのは、名門陵蘭高校の制服である白いブレザーに濃いグレーのズボンを着こなす、すらりと背の高い男だ。

 近くを歩いていた若い女達はともかく、散歩しているおばあさんや買い物帰りの女性までもが振り向き、その男の姿に視線が釘付けになっている。

 女性達の熱い視線を一身に集めているのは、お隣に住む有馬真一だった。


(真一って、こんな大きな声を出せるんだ……)


 驚きつつも千鶴は感心していた。

 幼馴染の真一は冷静沈着を絵にしたような奴で、動揺をしているところを見たことがなかった。感情にもあまり起伏がない。今のように大声を出すことなど皆無と言ってよかった。とても珍しい事だった。

 一方の千鶴は、感情がすべて表に出てしまう。なので、真一にはからかわれてばかりいる。

 

「え? ちょっと! 誰?! ちづの知り合い?」


 すぐ隣から興奮した声が千鶴の鼓膜をビンビンと震わせる。同じ高校に通う親友の三嶋舞(みしままい)だ。千鶴の左肩をバシバシと叩きながら質問攻撃を始めた。

 今日は舞を伴って自宅に向かっているところだったのだ。


「い、痛い、痛いってば!」

 

 肩の衝撃に顔を歪めながら舞から一歩距離を取る。

 そして親友の顔を見て頬を引きつらせた。どんな時もクールな目がギラギラと輝いていたからだ。


「え?! どうしちゃったの?」


 どこか物事を静観しているところがある舞が、珍しく感情を露わにしている。驚きを通り越して正直怖い。


「キノ」

「ぎゃっ!」


 舞の様子に動揺している間に真一が千鶴の隣に立ち、見下ろしていた。


(ん? んん? こんなに背が高かった? また身長伸びてない? それに、こんな感じだった……?)


 見慣れた景色の中、日の光の下に立つ制服姿の真一は、ある意味強烈だった。

 いつもは夜に室内でしか会ったことがないのだから雰囲気が違って見えるのは当然と言えば当然なのだが、なんだかとても眩しい。

 真一と毎日のように外を遊び回っていた事はあった。

 だが、それは小学生の時の事だ。それに、6年生の冬休みに起きたある事件からは真一と外で一緒にいたことはない。

 その後は中学も高校も別で、今は毎日のように会っているとはいえ、それは真一が千鶴の家に訪れる夜だけだ。


「どうかした? おれの顔に何か付いてる?」


 少し首を傾げ、不思議そうに顔を覗き込んでくる。


「! べ、別に……」


 はっとした千鶴は、プイッと顔を逸らす。


「珍しいね。今帰り?」


 何が嬉しいのか、真一は終始ニコニコとご機嫌な様子で尋ねてくる。


「試験一週間前だもん。部活はお休みだからね」


 いつのまにか見下ろされるようになってしまった身長差を心の中で嘆きながら、質問には素直に答えた。


「えっ……」


 千鶴の返答に、突然真一が驚きの声を上げた。その声に千鶴も驚く。


「!? 何? ……あっ!」


 真一の驚く姿を見て、ようやく試験日程を報告し忘れていたことに気付いた。といっても千鶴自身、今日まで試験のことをきれいさっぱり忘れていたのだ。

 罪悪感が襲ってくる。

 実は、真一は千鶴に勉強を教えるようになってから、テスト前になると千鶴のために対策を練ってくれるようになっていたのだ。責任感が強いから、こんなに突然だときっと困らせてしまうだろう。

 

「い、一週間後が中間テストです……。ごめん」


 たらたらと冷や汗を流しながら手を合わせる。

 そして、真一の顔色を窺うようにゆっくりと顔を上げていく。嫌味の一つや二つ言われるのを覚悟していたのだが、真一は呆れつつも微笑んでいた。


「あのっ!」


 きょとんとしている千鶴を弾き飛ばし、舞が真一の前に立つ。明らかに興味深々な様子の舞の姿に真一は視線を向けてから、千鶴を見た。

 これは千鶴に無言で『紹介しろ』と言っているのだ。自称人見知りの真一は、体はデカくなっているというのに、いまだに初対面の人と話をするのは嫌らしい。


(はいはい、紹介させていただきますとも)


 やれやれとばかりに、千鶴は親友の紹介を始める。


「えっと、私の親友で……」

「三嶋舞です。私はちづとはクラスは別だけど、同じバレー部なんです」


 千鶴からの紹介を途中でぶった切り、舞は自ら名乗りだした。


「有馬真一です」


 珍しく真一が舞から視線を外すことなく見つめている。真一にガン見され、いつも冷静な舞がかなり興奮しているようだった。


「君が、三嶋舞さんなんだね。 キノの話の中に君の名前が良く出てくるんだ。キノって、学校ではどんな感じ?」


 驚くことに、いつもと違うのは舞だけではなかった。あまり他人に興味を見せない真一が自ら話しかけている。


「……きの?」


 真一が勝手につけた千鶴の呼び名に、舞が首を傾げる。千鶴は慌てて真一の背を押した。

 

「今から私の家で舞と一緒に試験勉強するの! じゃあね、真一、バイバイ!」

「ふ~ん。友達と勉強? ……三嶋さんの邪魔はしないようにね、キノ」

「だ・か・ら、キノって呼ばないでってば!」


 千鶴が怒っても、真一は何食わぬ顔だ。右手を軽く振りながら立ち去って行く。その後ろ姿を見送る千鶴の腕を、舞ががっしりと掴んできた。


「ちょっと! 何者? 凄いイケメンじゃない! それに、あの制服って、陵蘭だよね? 顔も頭も偏差値超高いんですけど! って、何追い払ってんのよ! もっと話しがしたかったのにっ!!」


 ものすごい勢いで舞に詰め寄られ、千鶴は顔を引き攣らせて仰け反る。


(真一が絡むと、なぜか物事があらぬ方向へ行ってしまうような気がする……)


「だから、あれは有馬真一」

「そうじゃなくて、ちづとどういう関係なの?」

「え? ただの幼馴染だよ」

「幼馴染⁈ 何それ! その美味しいシチュエーションは‼ さあ、ちづの家で、もっと詳しく教えてもらいましょうか!」


 元気に千鶴の腕を引っ張りながら再び歩きだした舞の姿を眺め、はあ~、と千鶴は遠い目をして盛大にため息を漏らした。

 これで、今日の勉強会は終わったな、と。


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