君のことが好きなんだ

待宵月

第1話 幼馴染

 居心地の良いリビングの柔らかなソファーの上で、寝転びながらスマホを覗いていた音無千鶴(おとなしちづる)はふと顔を上げる。時計を見れば、まもなく夜の8時になろうとしていた。そのまま視線を下げると、ローテーブルの向こう側に若い男が座っている。

 彼の名前は、有馬真一(ありましんいち)。

 千鶴のお隣に住む幼馴染だ。

 二人はこの春から高校生になっていた。

 近くの公立に進んだ千鶴に対し、真一は偏差値が超高くて有名な私立高校に通っている。それも、成績はいつも上位にいるようだ。

 つまるところ、頭がいい。


(何で差がついた? 子供の頃はずっと一緒に遊んでいたのに……)


 真一は平日だけ千鶴の家で夕食を食べに来る。

 そして、今日のように夕食を食べ終わるとすぐに頭が痛くなるような問題集を解いていた。


(どれだけ勉強が好きなの? 理解出来ないわ~)


 一方の千鶴は、勉強はどちらかというと苦手な方だ。今も一つに束ねるにはまだ長さが足りない緩い癖のある髪を左右に分けて結い、ラフな部屋着姿で寛いでいる。

 そして、これもまたいつものように、夕食後の夜の8時から一時間だけ、千鶴は真一から勉強を教えてもらうのだ。

 俯き黙々と問題を解いている真一の姿をそっと盗み見る。集中しているのか、見られていることにまったく気付いていない。何だか楽しくなってきて、幼馴染を観察することにした。

 艶のある黒髪に、アイライン不要の睫。すっとした高い鼻梁。目も唇の形も綺麗だった。

 ほぼ毎日のように会ってはいるが、こんなにじっと真一の顔を見ることなどなかったので、思った以上に整った顔だったことに改めて驚く。


(え? マジで綺麗な顔なんだけど……。でも、真一は自分の顔にコンプレックスを持ってるんだよね)


 小学校の頃の真一は本当に良く女の子と間違われていて、その事をかなり嫌がっていた。


(私は、男の子と間違われていたけどね~。やさぐれてもいいだろうか……)


 子供の頃は、真一とは登下校だけでなく、帰宅後もお隣同士だったから暗くなるまでずっと一緒に遊んでいた。そのおかげで真一が何を好きで何が嫌いかなんて嫌というほど知っている。いや、知っていた、と言ったほうがいいのかもしれない。


(今は何を考えているのかよく分かんない奴になっちゃったから……)


 小学6年生の秋の終わり。

 突然、真一は千鶴と遊ばなくなったのだ。

 理由は言われた。中学受験だと。

 だが、真一はただ一緒に遊ばないだけではなかった。学校へも一緒に行かなくなった。迎えに行ってもすでに家には居なかったのだ。


(避けられていた、なんてものじゃなかった。あれは完全に私との接触を断とうとしていた)


 希望の学校に合格してからも、真一の態度は変わらなかった。それ時以来、真一が何を考えているのかまったく分からなくなっている。

 その頃のことを思い出しただけで、胸の奥がズキッと痛む。はっきり言って、記憶から消してしまいたいほどだ。

 千鶴は軽く頭を振る。


(真一の事なんて、考えるのは止めよう!)


 右手を強く握り、そう決心する。


(……ん? んん? あれ? そう言えば、真一って、いつから夕飯をうちで食べるようになったんだった?)


 と考えて、はっとする。千鶴は頭を抱えて身悶えた。


(真一の事は考えない! って、せっかく気持ちを切り替えたのに!)


 そうなのだ。

 ここ最近、千鶴はどこかおかしいくなっている。今まで気にもならなかった真一の事が何だか気になって仕方が無いのだ。

 子供の頃は、真一の事を意識した事など全くなかった。そばにいるのが当たり前だったし、ただ一緒に笑い転げていた。

 だが、真一が側にいなくなってからはふと気づくと、真一のことばかり考えている。


『ちょっとだけお話するのもダメなのかな?』

『おはようって言ったのに、知らん顔ってどういう事よ!』

『嫌われるような事をしちゃったのかな?』

『あんな奴もう知らない!』

『もしかしてすごく怒ってるの?』

『真一……』


 一方的に無視され続け、寂しさと不安と怒りが千鶴をずっと悩ませ続けた。そんな状態が結構長く続き、今度は突然家にやって来たのだ。

 今までの事が夢だったのではないかと思うほど何食わぬ顔で現れ、夕食を共にしている。


(こっちは平常心を保つのにどれほど苦労させられているか……)


 千鶴は思い出す。


(真一が夕飯食べにまた家に来るようになったのは、中二の冬だ! もう一年以上一緒に夕飯食べてる!!)


 母子家庭だった真一の母親の仕事が忙しくて、帰ってくるのも非常に遅く、出張で数日帰って来られないこともあったようだ。そんな状況を心配していた千鶴の母と真一の母親の間で何か話し合いがあったのだろう。真一は千鶴の家で一緒に夕飯を食べることになったのだ。

 久しぶりに千鶴の家に現れた真一の姿は、小学生の頃とは随分と変わっていた。女の子と間違われるほど長めだった髪は短くなっていて、背も高くなっていた。時々、真一の姿を遠目に見ることはあったが、目の前に立たれるとインパクトは半端なかった。

 だが、一番驚いたのは、まるで避けていたことが嘘だったように普通に話しかけてきたことだ。

 それは、千鶴をひどく戸惑わせた。


『あれ? キノ、そんなにウロウロして、どうしたの? まるで動物園の熊みたいだね。あ! 下痢でもしてるの? そういえば、顔も変だね』


 さらに、嫌な事まで思い出してしまい眉間に皺が寄る。


(くぅ~、思い出したら腹立ってきたわ! あの時、私は真一に対しどう接していいのか分からず狼狽えていたのよ! なのに! 真一ときたら、思い悩むいじらしい私の姿を見て、顔が変だとか言ってデスってきたんだったわっ!)

 もちろん、千鶴は憤慨した。

 だが、その時でさえ、千鶴は真一を嫌いにならなかった。

 いや、なれなかったのだ。

 避けられていた時でさえも……。


(すぐに大嫌いになれていたら、どんなに楽だったか……)


 理由も良くわからないまま避けられ続け、負った心の傷は思った以上に深い。

 今でこそ普通に話せるようになってはいるが、いまだに千鶴から真一に近づくことは出来ない。

 また突然冷たく突き放されたら、きっと人間不信になってしまうだろう。そう思うからどうしても真一には警戒してしまうのだ。

 そして、さらに事態が変わった。

 再び家に来るようになった真一とただ一緒に夕飯を食べるだけだったのだが、千鶴の成績がなかなか伸びず、第一希望の高校は無理かしら、と母が真一の前で溜息をついたのだ。


『僕で良ければ、勉強を見ましょうか? いつも夕飯を食べさせていただいているので』

『えっ? な、何言ってるの?! 良いわけないで──』

『あら! あらあら!! いいの? 嬉しいわ~ 真一君、ありがとう!」

「ち、ちょっと! お母さん!」

「だって、真一君はあの陵蘭に行っているのよ! その真一君が勉強を教えてくれるんだから嬉しいじゃない! でも、夕飯のことはまったく気にしなくていいのよ。作るのは二人分も三人分も一緒なんだからね!』


 即座に拒否しようとした千鶴の声は、飛び跳ねそうなほど喜んだ母の明るいそれに掻き消され、千鶴の中で要注意人物から勉強を教わるというとんでもない事態になってしまったのだ。


(あの時は、心臓が口から飛び出すかと思うほどびっくりしたんだよね)


 悔しいことに、真一は顔だけでなく、頭も良いい。


(どうして? 神様は二物を与えないんじゃないの?!)


 さらに、真一は教えるのも上手かった。


(まあ、そのお陰で無理だと思われていた高校に受かることが出来たのだけれど……)


 悪いのは性格だけなのだ。

 もちろん、千鶴としてはすごく感謝をしている。

 でも、どうしても素直になれない。

 高校に受かった時も、ただ『ありがとう』と言っただけだった。

 色素の薄いくせ毛の千鶴には羨ましいサラサラの黒髪が時折揺れるのを見るともなしに眺めながら、真一と初めて会った時の事まで思い出していた。

 真一がお母さんと二人で引っ越しの挨拶に来た日の事だ。


 小学3年生の春。

 真一が隣の家に引っ越して来た。

 その日は千鶴にとって最悪の日だったのだ。

 千鶴は母に新学年になるからという理由で、髪を短く切られてしまっていた。短いだけならまだいい。くせ毛のせいで前髪は眉毛よりはるか上でくるりと丸まり、後ろも横も同じようにふんわりと丸くなった頭は、まるでマッシュルームか何かのようだった。


「うううっ、嫌だ。嫌だ。嫌だよ! こんな髪型で学校に行ったら、絶対に笑われちゃう……」


 二階にある自室に引きこもりひどく落ち込んでいた千鶴を、階下からテンションの高い声で母が呼んだのだ。何事かと慌てて階段を駆け下り、玄関にいる人影に驚きリビングの扉の陰に逃げ込んだ。

 そしてそっと覗き見て驚いた。

 そこには雑誌の中から出て来たような女の人が立っていたのだ。子供の目でもとても綺麗だと感じるほどの人だった。彼女の隣には千鶴と同じ年ぐらいの子供もいた。その子は肩に届きそうな長さの髪で俯いていた。長い前髪のせいで顔は見えなかった。

 だが、その子供がふいに顔を上げた。その瞬間に髪の隙間から覗いた顔が、とても綺麗だったのを今でも千鶴は鮮明に覚えている。

 それが、真一だった。

 その時の服装は覚えていないのだが、男の子にしては髪も長かったせいで、女の子だと勝手に思いこんでしまったのだ。


(本当に可愛いかったんだよね。あれじゃあ、男の子だと言っても信じてもらえないわよ)


 初めて会った日の真一の姿を思い出し、ひどく懐かしい気持ちになる。

 今でこそよく笑うし、スッキリとした髪型で爽やかオーラをまき散らしているが、初めて会った時の真一は、母親の隣で笑うでもなく、緊張しているとかでもなく、すべての感情を遮断したような表情でただ立っていた。

 しかし、どんな子であろうと、その頃の近所には男の子しかいなかった千鶴にとっては、女の子の友達が出来るのだと思って飛び上がるほど喜んだ。その勢いのままひょっこりと顔を出せば、真一のお母さんがひどく驚いた顔をしたのを今でもよく覚えている。

 切れ長の涼し気な目が大きく見開かれ、口はぽっかりと開いていた。


『こ、こんに……』


 元気よく挨拶をしようとした千鶴の声は、突然真一のお母さんが勢いよく吹き出したせいで掻き消されてしまった。

 あの日、どんなにクールな美人でも噴き出したりするのだと知った。

 そして、それがまるで合図だったかのように、真一が突然笑いだしたのだ。

 それも、あろうことか、


『ふ……、……ふふ、ふふっ……は、はは……、ははは……、あははははっ! ……キ、キノコだ!』


 と声をあげ、指先はしっかりと千鶴に向いていた。


(真一が涙を流しながら笑っていた姿を、私は一生忘れないだろう) 


『あら、やっぱり変よね~。くせ毛って切るのが難しくて』


 何が起きたか理解出来ずに固まる千鶴の隣から、呑気な母の声が聞こえてきた。

 あの時、やっぱり母は私の髪を切るのに失敗した自覚はあったのだ。


『あ、いえ、そんな事は……。こちらこそ、す、すみません』


 慌てて息子の口を押えながら真一のお母さんが謝っていたが、必死で笑いを堪えているのが千鶴には分かった。真一のお母さんの肩は小刻みに震えていたからだ。


『──あの、……このようなことを申し上げるのは大変おこがましいとは思いますが、私がお嬢さんの髪を少し整えさせていただいても宜しいでしょうか?』


 突然の真一のお母さんからの提案に千鶴の母は少し驚いたようだった。

 もちろん良い意味で。


『あら! 本当にお願いしてもいいのかしら?』

『ええ、もちらんです。とても丁寧に切っておられるので、あと少し髪に動きを持たせるだけで大丈夫だと思いますよ』

『あら、そうなのね。じゃあ、お願いします』


 真一のお母さんの提案に能天気の千鶴の母は喜んで飛びついた。初対面の人に提案されるほど可笑しな髪型だったってことだ。


『はい』

『嬉しいわ。どうぞ上がってください。後で、お茶にしましょうね。ちょうどパウンドケーキを焼いたところなの。主人は単身赴任で居なくて、この子と二人ではちょっと多かったの。一緒に食べてくださらない?』


 その日から、千鶴と真一は家族ぐるみの付き合いが始まった。

 言うまでもないが、真一の母親の手はゴットハンドだった。あのへんちくりんな髪型を、かっこいいショートヘアへと、あっと言う間に変えてしまったのだから。


「何?」


 声変わりした低めの声が、静かなリビングに響いた。

 はっとした千鶴は、物思いから引き戻される。真一は下を向いたままだった。千鶴は慌ててスマホへ視線を戻す。


「は、はい? どうかしたの? 真一」


(『何?』が何なのか分からないが、真一を見ていた事は気付かれていないはず……。ここは当然、とぼけたほうがいいに決まている!)


 それに、何だか真一の事を見ていた事は知られたくなかった。


「ふ~ん」


 気のない声が聞こえてくる。千鶴は真一の様子が気になりそっと目を向ける。

 すると、真一がゆっくりと顔を上げた。母親似の切れ長の目とばっちり合ってしまった。その眼差しは、ロックオンという言葉がまさにぴったりだった。

 トクンッ、と心臓が鳴る。


「な、何よ……」


 内心ビクつきながら虚勢をはる。

 だが、その姿のどこがおかしかったのか、突然真一の目が弧を描き、口角が上がった。


(この表情は、やばい!)


 長年の間に培われた感が警鐘を鳴らす。頬が引き攣るのが分かる。


「キノ、……おれの事、ずっと見ていたよね?」


 再び心臓が大きく跳ねた。


(ずっと下を向いていたんじゃないの? なのに、なぜ? ばれてる!)


「キ、キノって、呼ばないでよね! ……それに、誰が誰を見てるっていうの? んん? 何? もしかして、真一って、自意識過剰なんじゃないの? すっごく、キモイんですけど~」


 わざと嫌そうにツンっとそっぽを向けば、背後で真一が立ち上がる気配がする。嫌な予感に恐る恐る振り向けば、突然頭上から何か細長い物が落ちてきて顔に当たる。それが何か確認する前に、『ヘビ』と、呟いた真一の声に千鶴は過剰に反応してしまった。


 うぎゃああああああああああああああっ! 


 悲しいかな『きゃあ』とかわいい悲鳴ではない声を上げながら千鶴はその場から逃げようとした。

 しかし、慌てていた為に、ソファーの上に仰向けで寝そべっていた姿勢からはすぐに起き上がることが出来なかった。見事にバランスを崩し、頭からずり落ちていく。床にぶつかる衝撃が脳裏を過ぎり、千鶴は反射的に目を閉じた。

 だが、想像していたような衝撃や痛みはない。その代りに真一の声がすごく近くから聞こえてきた。


「──ふぅ、危なかった……」


 千鶴は固く閉じていた目を恐る恐る開ける。

 そして、目の前の状況に思考は停止した。真一が驚くほど至近距離にいた。


「……キノ?」


 石のように固まっている千鶴を心配したのか、真一がさらに覗き込むように顔を近づけきた。


「! ち、近い!! 近いっっっ!!!」


 我に返った千鶴は慌てて真一の顔を両手で押し戻す。激しく両足を動かしたせいで、ゆったりとしたハープパンツが捲れ上がり、白い両腿が露わになる。千鶴の左腿には、20センチほどの長さの傷跡がくっきりと浮かび上がっていた。

 床に激突する寸前で千鶴の頭をしっかりと受け止めていた真一だったが、その傷跡を目にした途端、整った顔を歪める。その瞬間、力を失った彼の掌から零れるように千鶴の頭がスルリと滑り落ちた。


 ゴトッ


 千鶴の後頭部に鈍い痛みが走った。


「! うっっ……、痛った~」


 床にぶつけた箇所を擦りながら千鶴は上半身を起こす。


「あっ、ごめん……。大丈夫? これ以上、キノの頭が悪くなったら大変だ。色んな意味で頭が痛いね?」


 とても失礼な事を唇から垂れ流しながら、頭を押さえる千鶴の手の上に真一が掌をそっと重ねてきた。


「誰のせいよ!」


 振り向きざま、真一の手を勢いよく振り払う。恨みがましく睨む千鶴に対し、真一はあからさまに『はぁ』と小さく息を吐いた。無言のまま床に落ちていた紐を右手で摘み上げる。

 そして、まるで千鶴に見せつけるように指先でつまんでクルクルと回し始めた。


「……本当に、蛇だと思ったの? 蛇がリビングに居るわけ無いじゃないか。紐を蛇と間違えたりする人がいるなんて、冗談だと思っていたんだけど……。ここに、いたね」


 ちらりと千鶴を見て、クスクスと笑いだした。

 そして、なおも真一は続ける。


「……でも、さっきのリアクションはなかなか面白かったよ。残念なのは、動画で残せなかったことだね。キノは凄いよ。いつも体を張って笑わせてくるんだもんね?」


 真一が頭を傾け、千鶴に同意を求めてくる。

 そして、千鶴と目が合うと、ゆっくりと顔を綻ばせた。その表情はとても優しそうで、普通の女性であれば、頬を赤く染め、心をときめかせたに違い。

 だが、千鶴は普通の女性ではなかった。幼馴染だ。この表情を浮かべた真一にロクな事がなかった事を学んできている。

 そして、今回も真一が吐き出した言葉はしっかりと千鶴の耳に届き、頬を緩めた真一の表情は馬鹿にしているとしか思えなかった。

 千鶴の怒りは頂点に達する。


「くうっっっ! こ、この男はっ!」

「あらあら、相変わらず仲良しね」


 え⁈ どこが? 


 と、突っ込みたくなるような事を言いながら、千鶴の母が湯気の立つ紅茶と、真一のお母さんのお土産だという大振りの真っ赤なイチゴを持ってにこやかにリビングに現れた。


「真一君が、千鶴のお婿さんになってくれるといいんだけど」


 千鶴はぎょっとして母を見た。


(突然なんて事を言うのだろうか? この人はっ!)


 蒼ざめ口をパクパクとさせている千鶴に、母はにっこりとほほ笑みかけてくる。


(なぜ笑ってるの? 見てたよね? 絶対見てたよね?! あなたの娘はたった今、隣の悪魔に意地悪されてたんだよ!)


「ありがとうございます。嬉しいです。……でも、どうなのかな? 僕は、嫌われているみたいだから」


 真一はしれっと言った。ちらりと向けてきた目が可笑しそうに笑っている。


(絶対に面白がってる!)


「よくそんな思ってもいない事が言えるよね! 真一が、私の事を、嫌ってるくせに!」


 勢いのまま口から飛び出した自分の言葉で、千鶴の心は凍り付く。勝手に傷つき、痛む胸に困惑している千鶴に対して、真一は再び口を開いた。


「どうしてそう思うの? 一度だって千鶴を嫌いだなんて言ったことないけど?」

「!」


 確かに、『嫌いだ』と言われたことはなかった。


(でも、どう考えたって嫌いでなきゃ、あれほど無視し続けるなんてやらないでしょうが!)


「……好きだって、言われたこともないからねっ!」


 むきになって言うと、今度は真一が笑みを消した。あまりにまっすぐな眼差しに千鶴は思わず怯んでしまう。


「──好きって、言ってほしかったの?」


 予想を大きく上回る爆弾発言に、千鶴の顔は一気に赤く染まった。


「! ほ、欲しいわけあるかーっ!」


 絶叫する千鶴の声が部屋の中に虚しく響いたのだった。

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