第四章「自由のミチシルベ」

 小トリアノン宮殿は、ヴェルサイユ宮殿にある離宮の1つだ。この宮殿はその輝くような白さが印象的で、まるで天使の社のような佇まいである。

 だが、この宮殿は変わった点が非常に多いことで有名だ。まずはその大きさである。非常に小さく、宮殿と呼ぶことを躊躇せざるを得ない。少なくとも、勢の限りを尽くした建物とは言い難いものがある。

もっと特徴的であるのは、その敷地内に小さな農村が再現されているということだ。そこには、印象派画家が描くような美しい池や橋があり、古い木材でできた小屋が数棟建てられている。

 宮殿がこのような形になったのは、王妃が私的な空間を求めたからだ。彼女には、彼女自身が持つ精神世界を、そのまま表現した特別な場所が必要だった。それ故、何人もこの離宮に立ち入ることは許されなかった。

 そして、この離宮には5年ほど前から眉唾物の噂があった。それは「トリアノンの幽霊」という噂である。それは、この離宮がたった1人の幽霊の少女によって、管理されているという噂だ。

 ヴェルサイユ宮殿に住まう噂好きの貴族達が、たびたびトリアノン宮殿の近くで、少女の幽霊を目撃したため、そのような噂が広まったのだ。当然パリの市民の耳にもその噂は入っており、良い話の種になっていた。

 貴族らの話によると、度々目撃される少女の幽霊の容姿は、銀色の髪と、雪のような白い肌、どこまでも深く青い瞳が特徴的で、とても神秘的な容姿だという。

 その幽霊と噂されている少女の正体は、エリザベートという王妃の従者だ。

 その彼女は今、庭園で朝食をとっている王妃の元に、銀の盆にのせた紅茶を運んでいるところだった。

 王妃は庭園に設けられた質素な椅子に腰をかけ、朝食に全く手を付けず、美しい池や咲き乱れる花々を鬱々とした目で眺めていた。その彼女の頬は、涙で濡れている。

 少女は、小さなテーブルに紅茶を置いている時に、王妃が涙していることに気がついた。銀の盆を置き、そっと彼女の顔を自分の胸に抱き寄せる。

 王妃はそうされると、いっそう涙を流し、少女に強く抱きついた。

「エリザベート……」

「マリー様、如何なされたのですか……?」

「また、あの悪夢を見てしまった。あの夢だ……」

 エリザベートは、ゆっくり王妃の降ろされた金髪を撫でつける。

「そうではないかと思いました。昔の夢ですよね? マリー様が10歳の頃、敵国であるオーストリアから単身嫁いで来られ、フランス貴族にいじめられ続けた、そんなお辛い記憶……」

 王妃は、少女の胸の中で小さくかぶりを振った。

「今日はその夢ではなかったのだ……もっと恐ろしい夢だ」

「では、市民に王様とお世継ぎ様全員を、亡き者にされた夢でしょうか……?」

「ああ……その夢だ。夫も子供達もみんな苦しんでいた。朕は何もできずに、ただその光景を見ているだけだった……」

「そんなお辛い夢を……。いつか市民には天罰が下れば良いのですが……」

「そうだ、理不尽に殺された私の愛する家族……彼らの想いを分からせなくはならない。憎い憎い……フランス人が全員憎い……」

 王妃はエリザベートの胸で呻き、少女の着る漆黒のワンピースの胸元にあしらわれているリボンを握り込んでいった。

 エリザベートは王妃の頬にキスをし、大切な主人の体を強く抱きしめる。

「マリー様、このエリザベートが市民や貴族達に文句を言ってきて差し上げましょうか? お尻ペンペンも辞さない覚悟です!」

 王妃は僅かに彼女の胸から顔を覗かせる。

「ならん、お前はここにいてくれ。外には悪魔が巣食っておる。この安らぎの地をしかと守るのだ。それだけで良い。それだけしていてくれれば、良いのだ」

「しかし、そのような悪魔の巣に、毎日マリー様お1人を行かせ続けるのは、心苦しいのです……」

「大丈夫だ。心に鎧を着れば良いのだ。ただの鎧ではない、誰も朕の心に入って来ぬよう、棘の鎧を着るのだ。そうすれば、悪魔の地であっても、生きることができる……」

「そうでございますか。それでしたら、安心でございます。なんとしても心をお守り下さい。私はずっとこのトリアノン宮殿で、マリー様の安らぎの地を守っております!」

「ああ、頼むぞ。愛しのエリザベートよ……」

 そう言ってから、王妃は重いスカートを持ちあげ、立ち上がろうとした。

 エリザベートは彼女が立ち上がるのを助けながら、頬の涙のあとをハンカチで拭う。

 悲しみの底に沈んでいた王妃の目は、完全に立ち上がる頃には一変していおり、悪魔の瞳に変わっていた。心に棘の鎧を着たのだ。

「エリザベート、行ってくるぞ。夕刻には戻る。食事の支度をして待っていろ」

「かしこまりました。今日も夕食は田舎料理がよろしいのでしょうか?」

「ああ、素朴な物が食べたい。柔らかなポトフが良い……それだけで良い」

「かしこまりました。お作りしておきますね」

 王妃は口元を少しだけ緩め、ヴェルサイユ宮殿に向け、庭園を歩いて行った。

 少女はその後ろ姿を見送ったあと、両手を強く抱き込んだ。

「マリー様、愛しております。お心の傷が癒える日が、一日でも早く訪れるよう、このエリザベートは祈っております」

 そう言うと、枯れてしまった芝を少し見つめ、自分の仕事へと戻った。

 王妃が全く口をつけなった紅茶や朝食を下げ、小さな離宮の隅々まで磨き上げてから、洗濯物をした。その後は、子牛のマックダトの世話だ。

  マックダトは、今年生まれたばかりの愛しい牛だが、昨日お腹を壊して、ぐったりとしていた。

エリザベートは、そんな子牛のための救急箱を抱え、ミニチュアサイズの農村の一番外れにある動物小屋へと向かった。焦げ茶色の木材でできた小屋に着くと、厚い木戸を開け、中に歩み入る。しかし、そこに子牛の姿が無かった。

 救急箱を地面に落とし、仔牛がいつも寝転んでいた藁床に駆け寄ると、必死に藁をかき分けた。

「マックダト! どこにいるのですか? どこに行ってしまったの?」

 土の床が見えるほど藁をかいたが、結局そこに仔牛はいなかった。

 しかし、そこには仔牛の代わりに、どういうわけか青年が1人うずくまっていた。彼は意識が無いようだった。

 エリザベートは口を抑え、立ち上がった。

「マックダト、あなた、人間だったのね! 魔法が解けたのですか?」

 マックダトだと思われる青年はシルクハットを被っており、そこからは金髪がのぞいていた。

 エリザベートは、王妃以外の人間と触れ合う機会がこれまでなかったので、彼が物珍しく、舐めるように彼の全身を見回した。すると、彼が傷だらけだということに気付く。

「マックダト、あなた怪我をしているじゃないですか! すぐに手当てをしますね!」

 少女は先ほど落とした救急箱を持ってくると、それを急いで開けた。彼の傷を消毒し、薬を塗り、包帯を巻く。

 彼の右手の怪我はとりわけ酷く、折れているようだった。添え木を当ててやり、三角巾で釣る。

 それが終わった頃に、青年はやっと薄目を開け、乾いた声を出した。

「なんだ、俺、捕まっちまったのか……?」

 エリザベートは彼を抱え起こし、青年の頬に手を当てた。

「マックダト! 私ですよ、お母さんですよ! あなた豚だったのだけれど、魔法が解けたみたいなのです!」

 そう言い終えた後に、エリザベートはハッと目を丸くし、宙を見た。

「あ、あれ、何で私、マックダトを豚だったと言ったのでしょう。マックダトは子牛です……。でも豚だったような気が……」

 人差し指を頬に押し当て、顔を傾けながら、自分を訝しんだ。

 青年は、そんな少女の顔を眺めていたが、意識がはっきりするにつれ、彼の瞳からは涙が溢れだした。やがて、彼女に飛びつき、心の底から出てきたものを口にした。

「パンツ、生きていてくれたんだな……。ずいぶん探したんだぞ……」

「え? 私を探していたのですか? あなたはマックダトではないのですね」

 エリザベートは、懐かしいような、不思議な既視感を覚えた。そして、青年が口にした「パンツ」という言葉が気に掛かった。

「あの、あなた様は、『パンツ』という言葉をご存知のようですが、それはいったいどういう意味なのでしょうか? 下着という意味でおっしゃったのではないと思うのですが……」

 その言葉を聞いた青年は、少し固まった後に、口元だけ笑ってみせた。

「お、おい、冗談やめろよ。お前、忘れちまったっていうのかよ?」

 エリザベートはいそいそと、スカートのポケットから、アンティーク調の指輪を取り出し、内側に掘られた文字を青年に見せた。

「こ、ここに、書かれているのです。ここです。読めますか? 小さな字で、『ツールより、愛を込めて、パンツへ』って書いてあるのです。私、記憶の初期化のあとに、この指輪だけを持っていたのですが、指輪のこの言葉の意味がどうしても分からなくて、ずっと知りたかったのです。パンツとは一体……何のですか?」

 少女はそう言ってから、指輪を胸に押し当てた。

「何度これを読んでも、全く意味が分からないのですが、何故かとても暖かい気持ちになるのです。あなた様が何か知っているのでしたら、『パンツ』という言葉の意味を、教えて頂けないでしょうか?」

 少女は息継ぐ間もなくそう言った。

 青年は、完全に放心状態だった。自分の名前すら、忘れてしまった彼女をただ見つめながら、やっと一言を押し出す。

「パンツは……お前の名前だ……」

「わ、私の名前? では、ツールとはいったい何なのことでしょうか?」

「お前の、一番大事な人間だ……」

「そうなのですね! そのツール様は、どんな方なのでしょうか? 素敵な方ですか?」

「ああ……」

「そうなのですか! ぜひ、お会いしたいです。ツール様にお会いすれば、私の昔の記憶が復元できるかもしれません!」

 そう言ってから、彼女は屈託の無い笑顔を青年に見せた。

 彼は、5年ぶりに見る以前と変わらないパンツの笑顔に胸が温かくなった。しかし、そんな顔を向けられてしまったせいで、ツールが死んだということを、伝えられなくなってしまった。

何度も深呼吸に近い呼吸をしたが、薄い氷のように脆い彼女の心の上を歩いていく勇気はだせなかった。

古代の超技術を持った人類は、なぜこれほど脆い心をもった兵器を考えたのか、それがずっと疑問だった。そういう心を持っている者でしか、たどり着けない平和があるとでも言うのだろうか。そんなことを考えていたが、今はそんなことを考えている場合ではなかった。青年は思い切った提案をしてみる。

「ツールに会わせてやるから。パンツ……俺と一緒に来てくれ!」

 少女は、その言葉に顔を真っ赤に染める。

「そ、それは、駆け落ちってやつですよね? 大胆な殿方ですね。で、でも良いですよ? そういうのに憧れておりましたので!」

「本当か! パリが今大変なことになっているんだ。お前がいない間に、もう何人死んだか分からないほど……死んじまった。お前が最後の希望なんだ」

「パリが大変なのですか? それは何とかしないといけませんね! あ、でもやっぱり駄目です。私はあなたと一緒に行くことはできません……」

「どうしてだ?」

「マリー様から、どこにも行ってはいけないと言われているのです……」

 

 * * *

 

 エリザベートは真っ黒なスカートの中にパンやソーセージの入ったバスケットを隠し、こそこそと昼下がりの庭園を歩いていた。挙動不審な少女は、動物小屋の前まで来ると、ドアをノックし、辺りを気にしながら、小声で合言葉を言う。

「ヤンバルクイナ!」

 そう言ってから、ドアに耳を押し当てた。

 すると、青年の声が中から聞こえてきた。

「……お、おい、合言葉が間違っているぞ?」

「あら、これじゃなかったですかね。私です、エリザ……パンツです。合言葉を忘れちゃったので、中に入れて下さいませんか?」

「合言葉を決めようって言ったのは、パンツじゃねかよ! しっかりしろよ、最終兵器!」

「すみません。なんか、こういうのをやってみたかっただけなのです。じゃあ、入りますね」

 そう言うと、木戸を軋ませ、サッと中に入った。

 薄暗い小屋の中には、腕組みをして、むくれている青年が立っていた。

「もっと頻繁に来てくれよ。一日一食じゃ辛いし、牛とお喋りも、もう飽きたぜ」

「すみません。あまり頻繁に来ると、マリー様に怪しまれてしまいますので。マックダトは話し相手が見つかって嬉しいと思いますよ?」

「牛の寂しさ加減なんて、どうでも良いよ。それより、俺とここを出る決心を固めてくれたのか?」

 少女は申し訳なさそうに、藁床に目線をやった。

「い、いえ、まだです。やはり、マリー様の言いつけは破れません……すみません」

「お前、本当に王妃の僕になっちまったんだな。パンツが生きているかもしれないっていう情報を掴んで、命懸けでヴェルサイユ宮殿に侵入したのは良いけど、まさかお前が敵になっちまっていたとはな……最悪だぜ……」

 エリンはため息と共に、腕組みをした手をだらりと垂らした。

 少女は上目遣いで、彼を見る。

「私はエリン様の敵ではありませんよ? そうだ、エリン様をマリー様に紹介いたします! 3人で仲良く暮らしましょうよ?」

「お前はバカなのか? 王妃に紹介されたら、俺殺されちゃうじゃない? 革命軍のリーダーが、みすみす首を王妃に持っていってどうするのよ?」

「あ、そうですね」

「パンツ、俺と来い! ツールとも会わせてやれるんだぞ?」

「ツール様にはお会いしたいです! でも、私はマリー様に忠誠を誓っている身ですし、何よりあの方の悲しみに寄り添っていてさしあげたいのです!」

「はぁ? 王妃が悲しんでいるって? あいつはもう2百万人の市民の命を奪っているんだぞ? 死んだやつらの方が悲しいだろ?」

「に、2百万人!? マリー様がそんな数の命を奪ったというのですか? それは、何かの間違いでございます!」

「本当のことだ。外に出れば分かる! 街中が首のない死体で溢れかえっているんだ」

 少女は大きくかぶりを振る。

「そんなの嘘です! 信じられません。マリー様はとても優しいお方です!」

「それが真実なんだよ。革命軍も、もはや壊滅寸前で、もうお前しか希望がないんだ。お願いだ、パンツ、帰ってきてくれ……」

 エリンは少女の肩を掴んで、揺る。

「自由の女神に目覚めてくれ! 何とか記憶を取り戻してくれよ!」

「記憶は私も戻したいのですが、自力では無理なのです……過去の記憶はもう粉々で、修復は不可能なレベルです。それに、記憶の破片も厳重に暗号化されていて、複合化するには鍵が必要です」

「はぁ? パンツが何を言っているのか、分からねえよ。その鍵っていうは何だ?」

「私にも分かりません。おそらく、何かの言葉か、映像だと思うのですが……」

「なんだよ、そりゃ。とにかく……」

 青年はそう言いかけた時に、小屋の外の気配に気づいた。

「誰かここに来るぞ……やばい。隠れないと」

 パンツはセンサーを使い、外の様子を誘った。

「この質量、体温、足音、99.986パーセントの確率で、マリー様です! 何しにいらしたのでしょうか?」

「のんきなことを言っている場合か! 早く俺を隠してくれ!」

 少女は口に手を当て、慌てふためいて、その場で回った。

「え、あ、あ、どうしましょう」

 動物小屋の木戸が開き、シンプルなドレスに身を包んだ王妃が中に入ってきた。彼女は、輝きの無い眼で、部屋を見渡す。

その小屋には子牛に寄り添い、藁床に座る少女の姿があった。

「おお、やはり子牛に付き添っていたか。お前が、最近子牛の調子が悪いと言っていたのを思い出してな。ここに足を運んでみたのだ」

 少女は、額に汗を滴らせながら応える。

「は、はい、マックダトの調子がすこぶる悪いので、付き添っておりました。声も出せないくらいぐったりしていて、可哀想なのです」

 少女がそう言った直後に、子牛は元気にスッと立ち上がり、モウと鳴くと、彼女を舐め回しだした。

「まぁ、マリー様のお顔を見たとたんに、こんなに元気なって、うふふっっ、あなたは本当にマリー様が好きなのね!」

 少女は生唾を飲み込んでから、笑顔で牛を撫で、横目で王妃の様子を伺う。

 王妃は薄く笑いながら、こちらを眺めていた。

 エリンはというと、パンツの下の藁床の中に、仰向けに寝かされた状態で隠されていた。

 藁床の下の彼は、冷や汗をかきながら、息を殺していたが、我慢できない痛みがあり、小声でパンツに苦痛を訴えかける。

「パンツ、お前、俺のタマタマを踏んでいるぞ! ちょっとどいてくれ」

 微かなその声を聞いたパンツは、王妃に向かって言う。

「マリー様、ちょっと外で散歩致しませんか? 良い陽気ですので!」

「それも良いが、お前にプレゼントがあってな。ちょっとそのまま目を瞑っていろ」

「は、はい」

 パンツはそのままの姿勢で、そっと目を閉じた。

 すると、また青年のうめき声が聞こえてきた。

「おい、俺のMr・コーガンが壊死するだろうが。どいてくれ。お前、重すぎるんだよ。今体重何キロだ?」

 パンツは目をつむりながら、こちらに歩み寄って来る王妃に話しかける。

「そろそろ雪が降るころですし、私ちょっと冬太りしてしまいました。体重がなんと208キロなのです。ちょっと重力制御で体重を2キロぐらいにしようかと思います」

「その必要はない。族がこの宮殿に入り込んで、お前や朕に悪さをするやもしれぬ。その時に、お前が族を殴り飛ばし、追い払ってくれ。それ備え、体重はできるだけ重くしておくのだ。打撃の威力が必要だ」

「はい、分かりました。では、208キロのままで! ごめんなさい」

「なぜ、謝る?」

「あ、いえ何でも、ございません」

 少女はそう言いながら、内股に手を挟み込んだ。

 青年は痛みに耐えながら、王妃が近寄ってくる恐怖に怯え、喋ることを止めた。藁の隙間から王妃のヒールが見えている。土の床に似合わない彼女の細いヒールは、槍の先を連想させた。彼女に見つかってしまえば、このヒールで喉を貫かれるのだ。超重力がかかり、割れかかっている我がピーナッツは諦めざるを得なかった。

 王妃は少女の元までやってくると、彼女に小さな箱を差し出す。その箱の蓋を開け、座っている彼女にも見えるように傾けた。

「よし、目を開けてみろ」

「はい!」

 パンツはそっと目を開ける。

 王妃の持つ小箱の中にいたのは小さな鳥の雛だった。

 パンツは思わず声を上げる。

「まぁ、可愛い小鳥さん。こちらは如何されたのですか?」

「お前が欲しいと言っていたヤンバルクイナをさっそく手に入れたぞ。鳥の商人によると、この鳥は人間の男が近づくと騒ぎだすらしいのだ。宮殿に族が近寄ってきたのを、知らせてくれる良い鈴になるだろう」

 パンツはそれを聞いて、顔を引きつらせたが、すぐに取り直して、笑顔を王妃に向けた。

「まあ、人間の男を見つけてくれるとは頼もしいですね。でも今鳴いておりませんから、役には立たなそうな鳥ですね!」

「何だと? 近くに男がいるのか?」

「あ、私ったら、もう。ちゃんと王妃様のお話を聞いていなきゃだめじゃない! 男がいないと鳴くのかと勘違いしちゃいました」

 そう言って、パンツは自分の頭を何度も叩いた。

 王妃は眉尻を下げ、パンツの頬に手を当てる。

「そこまでしなくて良い。お前のそんなところも、愛おしいぞ」

 パンツは真っ白な頬を赤く染め、王妃の手に自分の手を添わした。

 やがて、2人は手をとり合い、動物小屋から出て行くと、庭園へと向かって行った。

 一人残されたエリンは藁床から、青ざめた顔と共に起き上がる。

「お、俺のタマタマは208キロに耐えたぞ! さすが革命軍のリーダーのタマタマだぜ!」

 

* * *

 

 パンツはひどい寝汗と共に飛び起きた。

 寝巻の襟元を掴み、荒い呼吸を抑えようとしたが、どうにも抑えられない。

 今日も悪夢を見た。

 その夢は、名前も、顔も知らない男が青い炎に焼かれていくというものだ。彼は、空から差し込んできた鋭い光に包まれ、徐々に崩れていってしまう。最後には焼けただれた地面だけが残る。そんな映像だ。

 少女は夢の中で、彼を助けようと、必死に手を伸ばし、声を出すのだが、いつも決まって彼を助け出すことが出来なかった。

 この悪夢は、エリンと名乗る青年が少女の前に現れてから、見るようになった。過去の自分が完全に砕き、心の底にしまい込んだ記憶、その封印を解く鍵のうちの一つが、彼だったようだ。過去を取り戻せる道がやっと見つかった。そうである以上、過去を取り戻したい気持ちが日々強くなっていく。

 いつも枕元に置いている指輪をそっと持ち上げ、内側に掘られた文字を読む。

「ツールより、愛を込めて、パンツへ」

 これが、ミチシルベだ。これを頼りに、記憶を復元するべきだ。そう思い、その指輪をまた枕元に戻そうとした。

その時、あることに気づいた。

 その指輪を自分の薬指にはめてみたらどうなるのだろうか、そんな考えが過った。

 これまで、なぜかそれをしてこなかったが、やってみる気になった。

 ゆっくり、自分の左手の薬指にはめてみる。

 指輪はピッタリだった。

 自分に贈られた指輪が、その指にピッタリだという事実。その意味はすぐに分かった。

「わ、私は結婚していた。ツールという方と。だとしたら、なぜ私はここにいるのでしょうか。彼の元に行かなくては……」

 すぐにベッドから飛びだし、寝巻を脱ぎ捨てると、漆黒のドレスに着替える。灯りもともさずに、寝室をそろりと抜け出し、廊下に出る。王妃の眠る部屋の前まで来たところで、静かに囁く。

「マリー様、少しだけ外に行って参ります。朝までには戻って参りますので。外に出てはいけないというお申しつけですが、もしかすると、外に夫がいるかもしれないのです。だとしたら、妻として、どうしても行かなければならないと思うです!」

 パンツは口元を少し結ぶと、宮殿を飛び出した。

 星空の下、池の橋を渡り、冬の花が咲き乱れる花壇を走り抜ける。

 小さな農村の一番端にある動物小屋を急ぎ目指す。

 冷たい空気がパンツの頬を冷やしていったが、胸の内から湧き上がってくるものにより、温かかった。

 白い吐息を吐きながら、小屋に辿り着くと、合言葉も無しに木戸を押し開け、中に入った。

 藁から足を出して眠る青年の元までやってくると、その足を引っ張り、彼を藁から引きずり出した。

 青年は藁から抜け出た寒さで、目を覚まし、飛び起きた。

「わあ、びっくりした! マリー・アントワネットに引きずり出されたかと思っちゃったよ! 敵の親玉の家で寝るのは結構気を使うんだからね? ちゃんと配慮してよ? 急に藁床から引っ張りだされたら、俺心臓止まっちゃうよ?」

「だって、思い立っちゃったのですもの。私、外の世界に行きます! ツールの所に連れて行って下さい!」

「な、なんだって!?」

 エリンは思わず大声が出てしまったので、慌てて口を抑えた。

「良いぞ、パンツ! お前を探し回って、こんな所まで忍び込んだ甲斐があったってもんだ! じゃあ、さっそく行くぞ!」

 エリンは懐からヤンバルクイナの雛を取り出し、キスをすると、横たわって寝ている子牛のマックダトの腹に埋めた。そして、マックダトにもキスをする。

「じゃな、兄弟! 俺達はソウルのブラザーだぜ!」

「エリン様、マックダトもヤンバルクイナもメスでございます」

 エリンは動物達を指さす。

「じゃな、ソウルのシスター! エッチな女になるんだぞ!」

 そう言ってから、真剣な顔をパンツに向ける。

「実はな、ここからが問題なんだ……」

「どうしたのですか?」

「ヴェルサイユ宮殿は警備が凄すぎて、外に出るのが難しいんだ。地下とかに抜け出せる道はないか?」

 パンツは頬に指を当てて考える。

「なるほど、そうなのですね。エリン様は見つかったら処刑ですものね。でも、私はこの宮殿から出たことがないので、地下の道は分かりません。それでしたら、空を飛んで行くのはどうでしょうか?」

 エリンは眉を持ち上げ、前かがみになった。

「え? パンツって飛べるの?」

「もちろんです! 以前の私は空を飛ばなかったのですか?」

「飛んでなかったよ! いっつもエネルギーが無いって言っていたからね。空を飛ぶエネルギーを節約していたんだろうな……」

「そうなのですか。今の私はヴェルサイユ宮殿の上空にあるアーク・デ・ノアからマイクロウェーブでエネルギーを送ってもらっておりますので、元気満々ですよ。いくらでも空を飛べます!」

「おおっ! 良く分からないけど、元気満々なのか! よし、じゃあ飛んで行こう!」

「はい、じゃあ外に出ましょう。すぐに出発です」

「よっしゃ!」

 2人は動物小屋を飛びだし、向かい合わせになった。

 パンツは両手を広げ、青年を自分の胸へと導く。

「さあ、私に掴まって下さい!」

「お、おう!」

 エリンはパンツに出会った頃は彼女より少し背が小さかったが、この5年の間にすっかり彼女の身長を追い抜いていた。立派なフランス男児となった男が、自分より背の小さな女の子にしがみつくのは気が引けたが、彼女にしがみついて飛んで行くより、ここから逃れる方法がない。

「よ、よし、捕まるぞ……捕まるぞ!」

 青年は地面に膝をつき、少女にすがり付くような恰好で抱き着いた。

 しかし、2人とも顔を赤らめ、一端身を引いてしまう。

 パンツは自分の足元を見つめ、手をもじもじさせる。

「す、すみません、あの、向かい合わせはちょっと恥ずかしくないでしょうか?」

「そ、そうだな。俺にはソフィーヌという嫁がいるんだ。別の女とそんな恰好でいるところを見られたら、離婚だ!」

「あら、奥さんがいらっしゃるのですね。それでしたら、私の背中にしがみついて下さい」

「待て! 俺は、ここに侵入する時に、衛兵と勇敢に戦ったせいで、片手が折れちまったんだ。しがみつくのは無理だ」

「では、エリン様の洋服を掴んでぶら下げます」

「よし、それだ! それでいこう!」

「決まりましたね、ではさっそく!」

 パンツはエリンの後ろに回り込み、彼のシャツを掴んだ。

「飛びます!」

「よし、やってくれ!」

 エリンが了承すると、突然、彼の周りの草が空に向かって逆立ち始めた。小石や枯れ枝が宙に浮かび上がっていく。

 エリンは思わず、パンツに質問する。

「おい、パンツ、何が起きているんだ? 空飛ぶのって、人体に影響無いよな? あるの?」

「大丈夫ですよ。私達にかかっている重力を、より高い次元に逃しているだけですので。最終的に私の周りの重力がマイナスになって……」

「相変わらず、何を言っているのか分からないぜ! 分かり易く頼む!」

「私達はこれから紙よりも軽くなっていって、最後には鳥になるのですよ!」

「そうか! 俺は鳥になるぞ!」

「はい、では飛びます!」

 少女の洋服が激しくたなびき出し、体が数十センチほど浮かび上がった。そこから、徐々に青年をひっぱり上げていく。

 エリンのツギハギだらけのシャツが徐々に持ち上がっていき、上半身が裸になってしまったが、何とか青年も浮かび上がる。

「さ、寒い! し、死んじまう!」

「我慢してください。さあ行きますよ」

「くそう、仕方ねえ、ゆっくり飛べよ?」

「ゆっくりですか? どのくらいがよろしいでしょうか? 時速1万キロぐらいでしょうか?」

「鳥が飛ぶくらいだ!」

「あ、はい、分かりました」

 2人はそのまま徐々に浮かび上がり、高度を上げていった。

 宮殿も農村も、何もかもがどんどん小さくなっていき、手に乗ってしまいそうなほどになった。

 エリンは思わず声を上げる。

「すげえ、すげえぞ! 俺、空を飛んでいるぞ! 寒い!」

「はい、飛んでおりますね。ところでどちらを目指せば良いのでしょうか?」

「とりあえず、パリ市街を目指してくれ。市街の中心部に着いたら、真東に行くんだ。その後は水色の家を探してくれ。そこがお前とツールの家だ」

「えっ、私って、家を持っているのですか? しかもツール様と私は一緒に住んでいたのですか?」

「当たり前だろ、夫婦なんだから!」

 パンツは思わず顔をほころばせた。まるで、一足先に春が来たような、そんな表情だった。

「素敵です! とっても素敵です! 早くその水色の家に行きたいです!」

「良い場所だぞ! でもゆっくり飛べよ、俺は上半身裸なんだからな?」

「はい!」

 2人はぐんぐん高度を上げていき、まだ灯りがチラホラと残るパリの市街まで、飛んでいった。

 そして、パリの市街の上空に差し掛かった時、エリンが何かに気づき、少女を見上げた。

「おい、パンツ、下を見ろ! シモーネ達がビスクドールとやり合っているぞ!」

「え、誰ですか?」

「下にいる、背の高い女だよ!」

 パンツは高所から、街を覗き込んだ。

 狭い通りで、市民達が気味の悪い人形と混戦していた。その中に一人いた女性が、人形の持つ長槍に、今まさに突き刺されようとしている。

 エリンは声を張り上げる。

「パンツ、シモーネを助けるんだ! 急げ! 」

 

* * *

 

 数人分ほどの幅しかない石田畳の路地に、樽やテーブルなどで作られたバリケードが張られていた。その周辺には松明が大量に配置されている。そこに隠れた市民数十人が、銃や農具を構え、何かを待ち構えている。

 そこにフラフラと体を揺らしながら、1体のビスクドールが現れた。彼女は市民を視界に捉えると、まるで笑うように、口元を徐々に左右に裂いていき、大きな口を開いた。その口内はナイフのような鋭い歯がずらりと並んでいて、歯からは血が滴っていた。その血は、囮の市民の血だった。罠であるここに到着する前に、仕留められてしまったようだ。ビスクドールは、その歯を何度も咬み合わせてから、奇声をあげると、四つん這いになる。一瞬屈伸してから、バリケード目掛け、飛び掛かってきた。

 市民達の先頭にいたシモーネは、バリケードの上に飛び乗る。彼女はこの5年間の絶え間ない闘争で、トレードマークだった長かった髪を捨てていた。代わりに男勝りの短髪が彼女の新しいトレードマークとなっていた。勇ましい彼女の眼は、殺人人形の姿を捉え、着実に仕留めようとしていた。

「よし、タールを落としな!」

 シモーネの掛け声と共に、路地の背の高い建物の窓が一斉に開いていき、ビスクドールに真っ黒なタールが投げ落とされた。

 タールで真っ黒に濡れたビスクドールはセンサーが一時的に使えなくなったようで、動きが鈍くなっていった。

 シモーネは腰の横で拳をグッと作る。

「よし、効いているね。みんな、引きつけてから撃つんだよ。頭を狙うんだからね!」

 ふらつくビスクドールは短髪の女に狙いをつけると、20メートルはあろうかという距離を跳躍する。

 シモーネは声を張り上げる。

「よし、今だよ、撃ちな!」

 市民は異形の人形に向け、手にしていた銃を一斉に放った。

 数十丁の銃による発砲で、突進してきたビスクドールは空中で煙をふきながら、バリケードの手前でドサリと地面に落ちた。頭部を破損し、手足をピクリピクリと動かし、うごめいている。

 シモーネは松明を手に取ると、ビスクドールに駆け寄っていき、タール塗れのそれに火をはなった。

 黒焦げになっていくビスクドールを確認してから、シモーネはやっと深く息を吐き出した。

 市民は夜の街に歓声を響き渡らせ、黒焦げの人形に集まり。恨みを晴らさんと、頭を殴ったり、腕を踏みつけた。

 そんな中、シモーネは暗闇の中のそう遠くないところから、硬い物が石をひっかくような音を微かに聞いた。意識を辺りに集中するため、市民を黙らせる。

「ちょっと、静かにしな。まだ敵がいるよ。……数が多いかもしれないね」

 市民達はすぐに黙り、その場の全員が、耳を澄ませた。

 石畳を重い物を引きずる音が、路地の前後から無数に聞こえてくる。

 シモーネはとっさに指示を出す。

「挟み撃ちにされているよ。罠にかかったのはこっちだ。全員、後方に逃げるんだよ。後方に火力を集中させて突破するんだ。後方だよ! バラバラに逃げるんじゃないよ!」

 しかし、市民はパニックに陥り、何人かの市民が前方の闇の中に向かい走って行ってしまった。

 その闇から飛び出してきた数体のビスクドールが、彼らを食いちぎっていった。

 シモーネはその光景に目を背けてから、口元を引き結び、後方を見た。

 後方の闇の中からも数体のビスクドールが飛び出してきて、次々に市民に襲い掛かっていく。

 ビスクドールの挟撃によって、市民は次第に中央に集められていった。彼らは、もはや烏合の衆で、一人、また一人と倒れていくだけだった。

 そして、とうとうシモーネが一体のビスクドールに狙いをつけられた。

長槍を手にするビスクドールが、一足飛びで、彼女の胸に銀色の刃を突き立てる。

 夜を切り裂く銀の刃が、彼女に触れる。

シモーネが目を閉じたその時、その矛先が細い光の軌跡によって砕かれた。

鋭く青い光が、次々に空から降り注ぎ、ビスクドールの四肢を貫いていき、彼女を粉々に破壊した。

 市民を襲っていたビスクドール達も、次々に青い光線に撃ち抜かれていき、ものの数秒で、その場にいた全てが破壊された。

 さらに、青い光線は闇の中に、何発も撃ち込まれる。その後に、ビスクドールが崩れ落ちる音だけが聞こえてきた。

 シモーネは何が起きたのか、全く分からず、すぐさま地面に落ちていた銃を拾い上げ、上空に構えた。

「何だい……何が起きているんだい……」

 その直後、夜空からシモーネの良く知る声が聞こえてきた。

「おおい! シモーネ! 大丈夫か? 怪我はないか?」

 シモーネはその声に、構えていた銃をゆっくり下ろしていった。上空にいた上半身丸出しで、少女に吊り下げられた紳士の姿を捉える。

「エリン、あんたが助けてくれたのかい?」

 青年は、パンツに地面にゆっくりと着地させてもらいながら答える。

「ああ、パンツがレーザーを撃って、助けてくれたんだ。間一髪だったな!」

 シモーネは重いため息と共に、その場に銃を落とし、膝から崩れた。

「助かったよ。私としたことが、死を覚悟しちまったよ」

 エリンは彼女の元に駆け寄り、肩に手を置く。

「ずいぶん留守にしちまって、すまなかったな。パンツがなかなか、マリーの元から離れたがらないから、時間が掛ったんだよ」

「マリー? どこのマリーだよ? 結局パンツはそのマリーってやつの家にいたのかい?」

「マリーって言ったら、マリー・アントワネットだろ? パンツは記憶を失くして、ヴェルサイユ宮殿の離宮にいたんだよ。ほら、最近「トリアノンの幽霊」って都市伝説を聞くだろ? あの幽霊の特徴が、俺の中でパンツに符合したんだ。だから、俺は一人で調べに行ったんだよ。そしたらやっぱりパンツだったんだ!」

 そう言って、青年は胸を張り上げた。

 シモーネは、ずいぶん久しぶりに見るパンツの姿を少し見てから、エリンへと向き直った。

「じゃあ、何かい? パンツは5年間ずっと牢獄にでも捉えられていたのかい?」

「いや、王妃のお世話をしていた!」

「はぁ? 訳が分からないよ。まあでも、良かった。これで革命軍は希望をつなげそうだね。良くやったじゃないか、リーダー」

「そうだろ? 旦那は敵陣から壊れた人形しか持って来れなかったけれど、俺は恒星間戦争最終兵器を持ってきちゃったもんね! いや、旦那を超えちまったよ!」

 シモーネンは軽くため息をついてから、肩にあったエリンの手に軽く触れた。

「はいはい、すごいね。それで、パンツの記憶は戻ったのかい?」

「ああ、それなんだが、戻ってないんだ……」

「ええっ? じゃあ、どうやって連れてきたんだい?」

「ツールに会わせてやるって言ったんだよ」

「あんたバカなのかい? ツールは死ん……」

 そう言いかけたところで、エリンはシモーネの口元を抑え、パンツに顔を向けた。

 彼女は辺りに転がる死体を眺め、そのおぞましい光景に、自分の体をきつく抱いていた。

 エリンはすぐさまシモーネに向き直り、小声で告げる。

「旦那のことはどうしても言えなかったんだ……。でも、そうでも言わなけりゃ、俺はずっと王妃の懐で暮らさなきゃならなかったんだよ。これから良い方法を考えるから。シモーネも力を貸してくれ」

「はぁ……仕方ないね。とりあえず、ここはもう良いから、早くパンツを家に連れてってやりなよ。何か思い出すかもしれないしね……」

「ああ、そうさせて貰うよ!」

 そう言って、エリンはパンツを見た。

 彼女は、まだ辺りに広がる光景に口元を抑え、震えていた。

 エリンやシモーネからすれば、このような光景は日常になってしまい、もはや何かを感じるものではない。しかし、少女にとっては違う。美しい離宮で幸せに暮らしていた彼女にとって、ここは耐え難い場所なのだ。

 エリンはそっと、パンツの傍らに立つ。

「これが、外だ。お前の居た離宮だけが平和だったんだ。外にあるのは、死と、飢えと、寒さだ」

「どうして、こんなことになっているのですか? マリー様が納める国で、このようなことがあるはずがありません……」

「信じたくないかもしれないが、これは現実に起こっていることなんだ。王妃はフランス市民からほとんど全ての財産を没収して、そのほとんどを母国のオーストリアに送っている。この国はもはや植民地になってしまったんだ。そして、市民からはあらゆる権利奪われている。この国には特権階級以外の人間に、もはや自由は無い……」

「そんなひどいことが……市民のみなさんを自由にして欲しいと、マリー様に言いましょう!」

「それはできないんだ。逆らうものは全てビスクドールに殺される。ビスクドールっていうのは、お前が破壊した兵器の名前だ」

「あれは、試験型のパンツァーだと思います。私が設計される過程で大量に作られ、破棄された実験機だとマリー様から聞きました。アーク・デ・ノアに大量にあったものを利用しているとも仰っておりました。離宮に、色々な物を届ける仕事も、アレがしておりました」

「そういうことだったのか。だからやたらに強いってわけか」

「はい。あれは全部破壊した方が良さそうですね。あ、でも、やはりそれはできません。それではマリー様に背くことに……」

 エリンは肩を落とす。

「やっぱり、お前は王妃の僕なんだな……。まあ、とりあえず、家に帰ろう。考えるのはそれからにしよう」

「はい……」

 エリンは、また少女に吊るされ、少しだけ浮かび上がったところで、シモーネが声を掛けてきた。

「いや、凄いもんだね。人が浮いているよ」

 そう言ってから、シモーネはパンツと目を合わる。彼女の視線は、これまでの5年間を物語るような、重いものだった。

「助かったよ、パンツ。あんたはやっぱり自由の象徴として、人を守る戦いをした方が良いんじゃないのかい?」

「いえ、何人かの方をお救いできませんでしたし、それに私は自由などとは無縁の人間ですので、そのように言われても、困ってしまいます」

「そうかい……それでも、私はあんたを信じているからね。次会うと時は、体だけじゃなくて、心も帰っておいで。その日が来るまで、私が戦線を粘り強く支えとくからさ……」

「は、はい……」

 エリンは、シモーネの言葉に、強く拳を握り込んでいた。言葉にこそしなかったが、彼女への感謝の気持ちが込み上げてきていた。ツールが死んでから、二人三脚で何とかここまで頑張ってきた。しかし、はっきりいってエリンは無力だった。彼女のカリスマ性が、いくつかの勝利をもたらし、何ごとも包み隠さない奔放さのお陰で、人々からの信頼を得ることができた。それに、何とっていっても彼女の粘り強さだ。あれがなければ、とっくに革命は終わっていた。

 青年はそんなことを考えながら、徐々に夜空に舞い上がっていった。

 シモーネは、月の中に消えていく2人を見ながら、小さく囁く。

「エリン頼んだよ。あんたはツールの選んだ男だ。きっとやれる。ツールの夢見た世界、あんたが作るんだからね!」

 

* * *

 

 2人の影が、パリの郊外に降り立った。

 エリンは心底冷え切った体を抱き、身震いをする。

「いやあ、寒すぎた。空を飛ぶなら、夏だな」

「ちょっと、寒かったですね」

 その時、エリンは何かに気づいて、頭を何度も触った。

「やばい、無いぞ!」

「どうされたのですか?」

「シルクハットが無いんだよ! 旦那の形見なのに、離宮に置いてきちまった!」

 パンツは、軽い笑みを浮かべる。

「それなら、大丈夫ですよ。私が離宮に戻りましたら、ちゃんと保管しておきますので!」

「そうか、それは助かるぜ。あれは大事な物だから、頼んだぞ?」

「はい、お約束致します」

「ところで、ここがお前の家なんだけど、何か思い出せそうか?」

 エリンは彼女の真後ろにあった水色の家を、指さした。

 パンツは後ろを振り向くと、じっくりと我が家を見回した。

 鮮やかな壁面の水色、生垣の真っ赤なバラ、その風景を頼りに、深く埋もれていた記憶の断片が少しずつ繋ぎ合わさっていく。 

 少女の目頭は、自然と熱くなっていった。

「わ、分かります! ここは、我が家です! みんなで暮らした家です!」

 エリンは拳を胸の前で作った。

「よし、良いぞ! その調子だ。どんどん思い出すんだ!」

「はい、分かりました」

「中だ、中に入るんだ!」

「はい、中を見させてもらいますね!」

 パンツは急ぎ足で、水色の家の入口のドアのノブに手を掛けた。

そこで、その手が止まる。

このドア越しに、エリンとシモーネ、それにツールと戯れた気がしたのだ。

そんな感覚をきっかけに、勝手に口が動きだす。

「マ、マックダトは……食べてはダメです……一人前の豚に育ててあげるのです……」

 ドアノブを回し、扉を開いて、家の中に入る。

 家に入ると、すぐに目についた大きなテーブルに意識を集中する。すると、また言葉が沸き上がってくる。

「みなさん、おはようございます……シモーネ様のおかげで、パンが……手に入ったんですよ。……や、焼いてありますからね。もちろん……ソーセージも……ありますよ」

 記憶の渦が、心の奥底から激流となって押し寄せてきた。

 少女は次に次に家の部屋のドアを開いていった。

 パトリシアと過ごした使い古したキッチン。

 ツールと愛を語り合った寝室。

 少女は、今まで感じたことのないほど温かい気持ちに包まれていった。

「ああ、温かいです。とても心が温かいです。私は、幸せです。どうして、こんな素敵な記憶を破壊してしまったのでしょうか。昔の私はなんと愚かだったのでしょうか」

 エリンは、嬉しそうに家のあちこちを見て周る彼女の後ろ姿を見ていたが、その姿のせいで、ますますツールの死を告げられなくなっていった。

 彼女が次々に思い出している記憶は、幸せな記憶ばかりだったからだ。深刻な記憶を思い出せていない。過去のパンツが故意に二度と思い出せないように、心の最も深い場所に隠した可能性がありそうだった。もし、心が壊れてしまわないようにそうしたのなら、ツールの死を思い出してしまった彼女は一体どうなってしまうのか。青年にはその姿を想像する勇気が無かった。

そんなことを考えていた時、とうとう少女の口から、その言葉は出てきた。

「ツールは、ツールはどこにいるですか? この家にはいないようですね。いったいどちらにいるのですか? 早く会いたいです!」

 エリンは拳を強く握り込んだ。爪が拳の内側に食い込んでいく。

「分かった。ついて来い……」

「はい!」

 エリンはランプに明かりを灯し、少女の手を引き、裏口から外に出た。裏庭を通り過ぎ、オークの木橋を渡る。しばらく歩き、木陰にひっそり佇む背の低い墓石の前までやってきた。

 そこまでやってきて、エリンは少女の方を向いた。しばらく黙って、下を向いていたが、唾を飲み込んでから、やっと彼女と眼を合わせた。

「気をしっかりな……」

 そう言って、脇に少し避けながら、墓石を指さした。

「これがツールだ……」

「……」

 少女は胸の前にもってきた手を強く握り、少しも動かなくった。

 墓石に刻まれた文字が目に入ると同時に、封印されていた最後の記憶が、湧き上がってきた。 封印しなければならなかった痛みの記憶が、濁流が岩を砕くように、楽しかった記憶を破壊していく。

 エリンが少女の肩を強く握った。

「おい……大丈夫か?」

 彼女からの返事は無かった。

 完全に瞳孔は開き、瞬きをしていなかった。

 そこにあったのは、少女の灰だった。

 彼女に明けない夜が訪れた。

 

* * *

 

 3日が過ぎた。

 パンツは一日中、墓石にすがり付いているだけだった。時折、頬をすり寄せたり、墓石の頭を撫でたりするだけで、他には何もしなかった。泣くことも、喋ることもう無くなってしまった。

 時々、様子を見に来たエリンが何を喋っても、返事は返ってこなかった。

今日はエリンがシモーネを連れて来てきいた。パンツの姿を彼女に見せるためだ。

 シモーネは墓石にすがりついているパンツを見て、顔を背ける。

「こりゃ、酷いね……」

 エリンは目を手で覆った。

「あいつの悲しみは、俺達の悲しみの比じゃなかった。こんな風になっちまうんだったら、連れて来なければ良かったんだ。離宮で優雅に暮らしている方が、ずっと良かったんだ……」

 シモーネはエリンの肩に手をのせた。

「バカなこと言うじゃないよ。現実から逃げることが良いことなもんか。あんたが、パンツをここに連れてきたことは間違いじゃないよ」

 エリンは目を覆ったまま、嘆く。

「俺の命は、旦那に恩返しをするためにある。何がなんでも恩返しをしなけりゃならない。パンツを幸せにしてやって、革命を成功させなきゃならない。それなのに、俺は何もできない……無力だ、俺はなんて無力なんだ……自分が嫌になる」

 シモーネは少年の背中を抱きしめ、包み込んだ。

 少年もなされるがまま、彼女に抱かれていた。彼女からは以前のような良い香りもしなければ、柔らかい感触も感じられなかった。それでも、ただならぬ安らぎに満たされていった。

 彼女は囁く。

「へこたれた男には、こうしてやらなきゃね。大丈夫だよ、あんたならできるよ。あんたが自分を信じないなら、私が信じてあげるからさ」

「すまねえ。すまねえ……」

「良いさ。少しへこたれさせてあげるよ。けど、それが済んだら、パンツ無しで革命をやり遂げる方法を考えなよ。革命が成功しなきゃ、何も始まらないなんだからね? 良いね?」

「ああ、分かった……」

 シモーネはしばらくエリンを抱きしめてから、ゆっくり離れた。今度は、パンツに歩み寄って行き、しゃがみ込むと、少女の銀髪をすくい、美しい髪を指でもてあそんだ。

「相変わらず綺麗な髪だね。年も取らないようだし……羨ましいよ」

 そう言ってから、少女の背中に抱きつき、耳元に囁く。

「実はね、ツールの父親を殺したのは……私なんだよ……」

 少女からの言葉は無かったが、シモーネは告白を続けていく。

「私は物心がついた時からツールの横にいたんだ。昔からあいつは燃えたぎる正義の味方だった。いつの頃からか、そんなあいつを心から愛するようになっていたよ。それでね、ずっと一緒にいられるように、こんなことを考えたんだ。ツールの父親が失脚すれば、ツールが私の家に養子に来るんじゃないかってね」

 シモーネは、枯れた草だけの地面を見つめた。

「私はバカだろ? それで、ツールの父親が計画していた『特権階級廃止計画』を貴族の住む王宮にばらまいたんだよ。そしたら、ツールの父親さ……処刑されちゃった……」

 震えた声でそう言った後、少女を抱く手を強める。

「だから、私は革命をやるんだよ。ツールの父親がそうするはずだったこと。ツールがなすはずだったこと。最初はつぐないのつもりでやっていたよ。でも、今は違う。私も気づいちまったんだよ。自由の価値にね」

 シモーネは、少女の頭に自分の額をあてた。

「良いかい? 誰かに従って生きてりゃ、そりゃ楽さ。みんな、そうやって生きたいさ。でも、あんたは選ばないといけないよ。誰にも頼らす、何にも捕らわれず、自由に生きることを。そうだろう? だって、あんたは自由の女神なんだから。自由の象徴なんだよ。だから、ツールは私ではなく、あんたを選んだんだからね」

 少女の闇より暗い眼は相変わらず、宙をさまよっていたが、指が微かに動いた。

 シモーネはそれを見ると、少しだけ口元を緩め、少女から離れて、立ち上がった。

「じゃあね、パンツ。あんたなりに自由とは何なのか、答えを出しなさいよ……」

 そう言い、シモーネは少女に背を向けた。凛とした顔に戻ると、ゆっくりと歩み去って行く。去り際に、エリンの肩を軽く叩いたが、何かを言うことは無かった。

 パンツの後ろ姿を見ていたエリンも、少女に背を向ける。

「パンツ、俺は行くよ。たぶん次が革命軍の最後の戦いになる。ヴェルサイユ宮殿の戦艦が動きだした。ものすごい数のビスクドールが街に巣くっている。総力戦になりそうだ。俺は、生きて帰っては来れないと思う」

 エリンは少しだけ少女に顔を向ける。

「お前は、そのままそうしていても良いからな。俺達がもし負けた後は、王妃の元に行け。お前なら愛してもらえる。じゃあな……」

 エリンは前に向き直ると、拳を握りしめ、力強く地面を踏みしめる。

死に場所を見つけた戦士は、臆することなく、戦場に向かって行く。

 

* * *

 

 王妃はエリザベートのベッドに突っ伏し、昼となく夜となく泣き続けていた。髪はとうに乱れ切り、頬はやつれていた。かすれた嘆き声が、彼女の腕の隙間から聞こえる。

「エリザベート、どこに行ってしまったのだ……。なぜ朕を一人にするのだ。どこにも行くなと言ったではないか。戻ってきておくれ……」

 何の手紙もなく消えた彼女への想いに圧し潰され、王妃は動けなかった。

 怯えつづけてきた孤独が、すぐそこまでやって来ている。

 彼女にとって、エリザベートは間違いなく最高のパートナーだった。従順でいて、天真爛漫だった。良き従者であり、良き子供であり、良き親友だった。

 彼女には何でも話せた。

生涯誰とも結べないと思っていた絆が、ついに結べそうな気がしていた。

 そんな彼女も、自分の元を去って行ってしまった。

 全員がそうするように。

 富を貪ってパンパンに膨れ上がった醜い豚のような、あの貴族達のように。

 神がその醜さに目を覆いたくなるような、聖職者達のように。

 噂や大勢の意見に簡単に流される、バカな市民のように。

「お前だけは裏切らないと、信じていた。何がお前を変えた……」

 そう考えた時に、数日前の動物小屋でのエリザベートの様子を思い出した。

 あの時の彼女は、彼女らしからぬ行動をとっていた気がする。

 王妃はすぐにベッドから立ち上がり、よろめきながら、エリザベートの部屋を飛び出す。

 ガウンに素足のまま廊下を走り、宮殿を後にする。

 凍えるほどの外の寒さも、孤独に比べれば、耐えられないものではない。白い吐息を吐きながら、動物小屋の中に転がり込む。

 そこには、一羽の鳥と、一匹の子牛がいた。

 王妃はエリザベートが座っていた藁の山に目を留める。

走り寄って、それをかき分けた。

 すると、その中からボロボロのシルクハットが見つかった。

 王妃はその帽子を両手で圧し潰す。

「おのれ、おのれ……。私のエリザベートを騙し、連れ去ったか。ツールの意志を継ぐ者よ。革命軍よ。市民どもよ。朕から何度家族を奪う気だ……もう奪わせない」

 王妃は動物小屋を飛びだし、宮殿で多少身なりを整え、庭園にあった透明なカプセルの中に入った。

 カプセルは浮上していき、ヴェルサイユ宮殿の上空にある戦艦の中へと入っていく。

 王妃の間に到着したカプセルはその出口を開けた。

 王妃はそこから出ると、玉座に座る。

「博士、聞こえているか?」

 王妃の言葉に応える声が部屋全体から聞こえてくる。

「聞こえいている。どうした、王妃よ」

 王妃は顔を手で覆いながら、絶叫する。

「フランス人を殺せ! 宇宙人をこの世から消す決心がついたぞ! 今すぐに皆殺しにしろ!」

 博士の歓喜の声が部屋を満たす。

「おお、とうとうこの日が来た! 我が肉体をこの船のメインコピュータに作り替え、宇宙人の殲滅の日を待ち続けてきた。だが、それから5千年、いずれの王も私に殲滅の命令をださなかった……やっと、私は宇宙人にとどめをさすことができる」

「お前の望み叶えてやるぞ……殺せ! 一人残らず、殺せ!」

「分かった。この船に残っていたパンツァーのプロトタイプを全て放ち、パリ中心部の革命軍を取り囲む。まとまった宇宙人どもをレーザーで一気に焼き払うのだ。抵抗するものがいなくなった後は、プロトタイプが国中の宇宙人を殺す。それで良いな?」

「何でも良い……早く殺せ!」

「分かった。しかし、長生きもしてみるものだな。やっと賢明な王に出会うことができた。人類に栄光あれ!」

 ヴェルサイユ宮殿の上空に漂っていた戦艦は、5年ぶりに動き始めた。ゆっくり進むそれは、数分で市街地に侵入し、パリの街を覆い尽くしていった。全長50キロ、幅10キロの影が街に落とされた。

 突然、夜がおとずれたパリの中心部に、戦艦から一斉にビスクドールが放たれ、舞い降りて行く。おびただし数の化け物は、石造りの街に次々に着地していき、獣のように四つん這いになると、市民を襲い始めた。

 全市民が助けを求め、逃げまどう。

 王妃は顔を覆う手の隙間から、その光景を見る。

「朕の苦しみが分かるか? これまで、お前達には朕と同じレベルの苦しみを与え続けてきた。目には目を、歯には歯を、ハンムラビ王の時代から正当とされる報復の仕方でな。しっかりと愚かさの代償を支払え、そして……」

 王妃は、玉座から立ち上がる。

「エリザベートを返せ!」

 

* * *

 

 パリの中心部に結集していた革命軍はわずか千人ほどだった。最後の抵抗だったが、使えそうな武器はろくなものがない。百丁ほどのマスケット銃、それに旧式の大砲が2つ。それだけだった。

 上空に現れた巨大な戦艦が、彼らに大きな影を落としている。そこから、飛び降りてくる大量のビスクドールが、革命軍を四方八方から取り囲んでいく。

 革命軍は銃や大砲で抵抗しているが、それもむなしく、次第に小さくなっていく包囲網に、人数をどんどん減らしていった。

 彼らの中心にいたエリンは、戦艦の腹を見上げ、目を細めていた。そして、戦艦の腹の前の方にある小さな穴を指さし、隣にいたシモーネの腕を引いた。

「シモーネ! 見つけたぞ! 船主の方にある、あの穴だ。淵が青く光っているし、間違いない。カプセルが入る時だけ、短い時間光っているんだ!」

「本当かい? 良くやったよ! アレが5年前にパンツが、中に入っていった穴だね」

「ああ、そうだ、あそこから入っていった!」

 シモーネも目を細め、その穴を確認する。

「というと、王妃がいる場所もあの辺ってことだろ?」

「ああ、あそこの周辺にいると思うんだ。あそこをうまく狙えるか?」

「あんたの照明弾が上がったところを撃つように言ってあるけど、正直分からないよ。軍艦山からここまで撃つんだ。5キロの狙撃なんて、だれもやったがことないんだからね? 一応、貴族軍の砲手を何人か回しといたけどさ」

 エリンは彼女の話を耳に入れながら、背負っていた大型のライフルに照明弾を込めた。

「分かった。何回撃てそうなんだ?」

「そんなの分からないよ。レーザー砲なんざ、誰も撃ったことないだからね。それに5千年以上前の兵器だし、一発も撃てない可能性だってあるんだからね」

「そこはもう賭けだ! せっかく戦艦を狙撃可能な場所まで誘い出せたんだ。絶対成功させてやる!」

「そうだけどさ。でも、残った革命軍を全員囮に使うのはどうなんだい? 負けたら、もうお終いだよ」

「そん時は、そん時だ! 大丈夫だ、何とかなる!」

「あんたさ、すっかり心配性が治ったね。男らしくなったもんだよ」

「革命軍のリーダーが心配なんかしてられないぜ。勝負する時は勝負するんだ!」

エリンはライフルを上空の戦艦の腹に向けた。

 シモーネは少しだけ微笑み、腰に手をあてる。

「はいよ。それにしても、良くこんな作戦を思いついたもんだね。こっちもレーザーで攻撃するなんてさ」

「ああ、5年前に王妃がヴェルサイユ宮殿で話していたことを聞いて、ピンときたんだ。俺のご先祖様のニビル人ってのが、地球に乗ってきた戦艦がまだ残っているんじゃないかってね」

「それが、良く軍艦山に埋まっているって気づいたもんだよ」

「ご先祖様は、人の住めないほど荒れた地に降り立って、一から文明を作ったって言っていたんだ。当然、戦艦の周りに都市を作るはずだろ。だから、あるとしたら、フランスで一番古い都パリだと思ったんだ。そして、形からして軍艦山しかないってわけさ」

「なるほどね。まあ5年も頑張って掘って、砲塔が一個出てきただけってのは残念だったけどね。それに、軍艦山の発掘が見つからないように、街で暴れ続けるのもしんどかったよ」

「すまなかったな。苦労ばっかりかけて。でも、王妃を無事に狙撃できれば、それで全部お終いなんだ。努力は報われるはずだ」

「そうかい。じゃあ、そろそろぶっ放すかい?」

「ああっ、一発お見舞いしてやろうぜ!」

 エリンは引き金に指をかける。

 息を止め、唾を飲み込んでから、ゆっくりと引き金を引いた。

 発射音が鳴り響く。

 照明弾は風を切り、グングンと高度を上げて行き、無事に目標の下で炸裂した。

 炸裂した弾は、すぐに眩い赤い光の玉となり、ゆっくり下に降りてくる。

 戦艦の高度が高すぎるせいで、穴には届かなかったが、位置は軍艦山の連中に教えられたはずだった。

 エリンは息を吐き出した。

 心臓の音が聞こえてくるほど、心音が高まっている。

 すぐに、軍艦山の頂上に目を向けた。

 しかし、山の頂上からレーザーは発射されなかった。

 エリンは早い鼓動のまま、レーザーが発射されるのを待った。

 革命軍を取り囲むビスクドール達は、次々に襲いかかってきては、革命軍の兵士達を食いちぎっていく。

(早く来い……)

 一体のビスクドールが、高く跳躍し、革命軍の兵士達を飛び越えてきた。

 そのままエリンに飛びつき、押し倒すと、馬乗りになる。

 顔が左右に割れ、おぞましい口が現れる。

 その口をいっぱいに広げ、剣のような牙を光らせた。

 そのまま一気にエリンに咬み付く。

(早く来い……頼む……)

 エリンは、振り下ろされた牙を、銃の柄で受け止める。

 しかし、ビスクドールの力は凄まじく、次第に腕の力が痙攣を始めた。折れている手も使い、必死に耐える。

 その時、軍艦山の頂上が一瞬赤く光ると同時に、頂上から深紅の光線が放たれた。

 戦艦の陰になり、夜のように暗くなっていた市街が一気に赤く染まっていく。

 太い光りが空を切り裂いて進み、戦艦の下腹に突き刺った。

 戦艦から激しい爆発がおこり、下部からは真っ黒な煙が噴き出す。

 下にいた革命軍もビスクドール達も爆風で吹き飛ばされる。

 エリンも吹き飛ばされ、長い距離を転がり、倒壊寸前の家にぶつかって止まった。呼吸ができないほど背中を打ち付けたが、一気に空気を吸いこんで、気力で四つん這いになった。口から血を吐き出してから、上空の戦艦を確認する。

 戦艦の下腹から噴き出していた黒い煙が徐々に晴れていき、その傷口が露わになっていく。

 レーザーが直撃した部分は、分厚い外装が円形にえぐれていた。

 だが、その中にはさらに金色の層があった。

 その層は全くの無傷だった。

 それを見たエリンは確信した。王妃のいる場所は間違いなく、あそこだ。金色の層の内側だ。厳重に守れているのが何よりの証拠だ。

 エリンは、側に落ちていた自分のライフルを拾い上げると、照明弾を再び込める。全ての弾を金色の層に向けて放つ。

 空中に打ち上げられた赤い光を頼りに、軍艦山から2射目、3射目のレーザーがやってきた。

その全てが戦艦の下腹にある金色の層に直撃する。

 だが、それでも金色の層は砕けなった。ヒビすら入っていない様子だ。

 やがて、戦艦から無数の砲塔が現れると、一斉にレーザーの束を軍艦山の頂上めがけて放った。

 無数の青い光の全てが山頂に命中し、軍艦山が吹き飛んだ。残った麓の部分は溶岩のように真っ赤に溶けている。

 エリンは膝を付き、手にしていた銃を地面に落とした。

「終わった……。革命は終わった……。旦那、すまねえ……」

 瓦礫の中から這い出てきた一体のビスクドールが、辺りを確認する。

 すぐに、エリンを見つけ、飢えた獣のように一目散に彼に突進する。

開口すると同時に、飛びかかっていく。

 

* * *

 

 ツールの墓石の前で、うずくまって眠っていたパンツが目を覚ました。

 ゆっくり起き上がり、虚ろな目で、辺りを見回す。

 辺りは静かで、粉雪が舞い始めている。

 少女は、エリンが自分のために持ってきてくれたブランケットをゆっくり広げると、まるで人の肩に掛けるように、墓石にかけてやった。

「寒くないですか? 今日は冷えますね?」

 何も言わない墓石の頭をなでつけながら、薄く微笑む。

「さきほど、夢を見ました。あなたと私の結婚した日の夢です。とっても幸せな気分で、2人で横になっているときに、あなたは私の髪を撫でながら言うんです……」

 そこで言葉を一度詰まらせたが、何とか言葉を押し出した。

「『心の自由を求めて良かっただろ?』って。私は『はい』と答えました。すがりつけるものが命令しかなかった私は、あなたが示してくれた『自由』によって、幸せを手に入れることができたのです……」

 その時、遠くの方で深紅の閃光と共に、凄まじい爆発音が聞こえてきた。

 少女はゆっくりと立ち上がり、軍艦山を見上げた。閃光はそこから放たれたように思われた。

 閃光の先まで目線を持っていくと、パリの上空に浮かぶ戦艦が見えた。

 戦艦は黒い煙を吐いてこそいるが、健在だった。

 続いて何射かが軍艦山から放たれたが、やはり戦艦には致命傷を与えられていないようだった。

 しばらくしてから、戦艦からの反撃で放たれた青いレーザーが、軍艦山を吹き飛ばしてしまった。

 爆風が少女のところまでやってきて、黒いスカートをばたつかせた。

 少女は顔を手で覆いながら、目を硬く閉じた。

 爆風が治まってからも、そうしていた。

「今、人々の自由が無くなろうとしています。それは悲しいことです。市民は、物理的に不自由ですが、それ以上に心が自由を諦めてしまっています。私もそうでした。それは、とても……不幸せなことです」

 パンツは拳を握りしめ、目をゆっくり開いた。

 パリの上空を見つめ、背筋を伸ばす。

「行かなくちゃ……。私が、彼らの心を解き放ち、幸せになれる道を示さないと。だって、私は自由の女神なんですから……そうでしょう、ツール?」

 次第に、青い瞳に光が灯っていき、その光はやがて炎へと変わっていった。

 青く燃え上がる瞳を、ツールの墓石に向ける。

「行って参ります……どうか、見守っていて下さい!」

 パンツは銀髪をなびかせ、墓石に背を向けた。

水色の家に駆け戻り、裏口のドアをあけ放ち、中に入った。

 階段を駆け上り、パトリシアの部屋に入る。

 部屋の一番奥にあるクローゼットを勢いよく開け、中にあったウェディングドレスに、力強い眼を向ける。

「勝負服はこれです! パトリシア様、お力をお貸しください!」

 すっかり汚れた黒いドレスを脱ぎ去り、ウェディングドレスに身を包んでいく。

 背中のクルミボタンを留め、コルセットを締める。

 白のヒールを履き、ヴェールを被った。

 姿見に自分の姿を映す。

「パトリシア様、見ていて下さいね。私の革命を!」

 すぐに部屋を飛び出し、階段を駆け下りる。

水色の家から外に駆けだしていく。

 少女の体から青い粒子が現れ始め、彼女の走った後に、紺碧の残像が描かれていく。

 パンツは青くたぎった瞳を空に向ける。

「いきます! アルティメットモード!」

 

* * *

 

 エリンに飛び掛かったビスクドールは、その鋭い歯をエリンの肩に突き立てた。

 エリンは苦痛で顔を歪め、悲鳴と共に仰向けに倒れる。

 容赦のない殺人人形は、彼の上に再び馬乗りになると、奇声と共に開口する。

 エリンの細い首を目掛け、勢いよく咬み付いていく。

 鋭い歯にしたたっていた血をまき散らし、一瞬で細いものを捉えた。

 だが、その歯は全く肉に刺さらない。

 ビスクドールが食いついていたのは、少女の細手だった。

 エリンは薄く目を開け、彼女の後ろ姿を見た。

 真っ白に輝くウェディングドレスがたなびき、銀色の髪が揺れている。立ち姿は力強く、華奢なはずの背中から感じられる闘志に鳥肌が立った。

 エリンは傷口を抑えながら、乾いた唇を開く。

「ま、まさか、来てくれたのか……」

 少女がビスクドールに咬ませている右手に力を入れると、その歯が全て砕けた。

 すかさず、ビスクドールの顔面を片手で掴みかかり、そのまま握り潰した。

 辺りに黒い液体が飛散したが、その頃には彼女の姿はなく、青い光の粒子だけが残像として、その場に残っていった。

 少女はすぐに、一番近くにいた別のビスクドールに飛び掛かり、その腹に拳をめり込ませる。

口から黒い液体を噴き出すビスクドールは、青い残像の中に倒れていく。

 市民に迫る別のビスクドールの頭を蹴り壊し、また別のビスクドールの胸を拳で貫く。

 神速の少女は、無数のビスクドールを一瞬で破壊していき、破壊されたビスクドールの腕や頭部が宙を舞った。

 エリンはゆっくりと立ち上がり、青い粒子の軌跡を見ていたが、頭に違和感を覚え、手を当てた。

 そこにあったのはシルクハットだった。

 そのツバを握りしめ、少女に叫ぶ。

「いけ、いけ! 自由を守れ!」

 少女は、辺りにいた数百体いたビスクドールを全て破壊し尽くすし、やっとその姿を現す。

 休むことなく、全身にまとう青い粒子を両手に集中させる。

その手を掲げ、空高く舞い上がっていく。

 天にかざす両の掌が放つ眩い青い光が、強まっていき、最後にはその光が無数の紺碧のレーザー光線へと変わった。

 全方位に向けて放たれたレーザーの数はすさまじく、無限にも感じられるほどの数だった。

 光線の一本一本は、まるで意思を持っているかのように、蛇行し、ビスクドールを貫いていった。パリ、いやフランス中のいかなる場所にも飛来し、ビスクドールを焼き払い、市民を救っていった。

 闇の中、この国に光の華が咲いた。

 青く照らしだされたエリンは、口を薄く開け、その光景に見入った。

「華が咲いた。女神が革命の華を咲かせたぞ……」

 少女は光の華をかざしたまま、さらに上昇していく。

 光が国中のビスクドールを破壊し尽くすと、その攻撃目標を上空の戦艦に変えた。

 全てのレーザーが戦艦のありとあらゆる場所を攻撃していく。

 街に降り注ぐ瓦礫すら、漏らすことなく焼き尽くす。

 全ての市民達がその奇跡のような光景を目にし、歓喜の声をあげた。

 少女は、攻撃の手を休めに街を見回す。

 戦艦の拡声器をのっとり、自分の声を街中に轟かせる。

「自由を求める心を失わないでください! 自由を人に譲り渡してはいけません! 行きたい所に行くのが、あなたでしょう? やりたいことをするのがあなたでしょう? そして……」

 少女は瞳から輝くものを一筋流した。

「自由に愛するのがあなたでしょう!」

 顔を振り、頬をつたうものを振り払う。

「自由とは、あなたが、あなたであることなのです!」

 青い華から放たれていた無数の光線が徐々に集まっていき、一本の太い光の剣となる。

少女はそれを振り切り、戦艦の横腹にぶつけた。

 戦艦が光の柱によって徐々に割れていき、とうとう10キロある船体を切断しきった。

 艦尾がゆっくりと落下を始め、それが地面に落とす影を大きくしていく。

 光の華が再び無限の数の光線に変わると、落下する船尾を破壊していった。

 少女はさらに全市民に向かって叫ぶ。

「全員、ヴェルサイユ宮殿を目指してください! 全員で行進してください! 全員で自由を求めて下さい! その道は私が必ず守ります! 振り返らず、進むのです!」

 地上から、彼女の話を聞いていたエリンは、両手を掲げ、張り裂けんばかりの声をあげた。

「聞いたか、みんな! ヴェルサイユ宮殿だ! 敵の本拠地に行くぞ! 俺について来い!」

 そう言うと、拳銃を取り出し、全てを空に放った。

 すぐにシモーネもエリンの元に駆け寄ってくる。

「よっしゃ、行くよ、いざヴェルサイユ宮殿!」

 街中の市民が走り出てきて、全員が一路ヴェルサイユ宮殿を目指す。

 やがて、数千万の人の群れは、強い者も弱い者も、若い者も年老いた者も、健康な者も病気の者も、自由を求める者たちはヴェルサイユ宮殿を目指した。

 上空にいた少女は、その様子を見て、女神のような微笑みを見せる。

 少女は再び青い光の剣で、何度も戦艦を斬りつけていき、その全てを破壊し尽くした。

 パリの市街に再び、明るさが戻っていく。

 だが、少女は上空の戦艦の中から現れたものに気づき、息を飲んだ。

 そこにあったのは金色の楕円形の飛行体だった。

 全長1キロ程のそれは全方位に無数の砲塔を備えていた。

 そこから王妃声が聞こえてくる。

「エリザベート、やっと見つけたぞ……帰って来い。私の元へ」

 

* * *

 

 金色の飛行体は、戦艦から切り離されたコアだった。

 そのコアから無数のレーザーが発射され、少女に降り注いだ。

 少女はギリギリでそれを、結界を作りだして、弾き飛ばす。

すぐに、自分の足元にいる市民に、目をやる。

行進をする市民は無事だった。

少女は胸を撫で下ろす。

 玉座に座っていた王妃は、無許可で少女に発砲した博士に逆鱗を向けていた。

「おい、博士! エリザベートを撃つんじゃない!」

 王妃の間の全体から聞こえる鋭い声が応える。

「あれは、宇宙人に乗っ取られたパンツァーだ。破壊せねばならん!」

 王妃は玉座の肘掛けを拳で激しく打つ。

「ならん! あれは人類の宝だ。人類を保存するための存在だぞ。人類よりも価値のある人類だ!」

「この地球には、もはや人類が息づいている。パンツァーは今となっては不要な存在だ。その戦闘力をニビル人が利用し、奴らが勢力を盛り返してきたらどうするのだ?」

「もはや、5千年の時の流れの中で、人類とビビル人は混血が進んだ。何をもってニビル人なのか、切り分けはできん。そうである以上、ニビル人がパンツァーを利用しているとは言えんだろう!」

「なぜ、そこまでパンツァーを守る。なぜそこまで固執する」

「朕の家族なのだ。たった一人の家族なのだ。どんな苦しみも彼女には話せた。どんな醜いものも受け止めてくれた。彼女は最も生き残るに相応しい存在だ。手を掛けることは、許さん!」

「では、どうするのだ?」

「このコアにレーザー攻撃は効かん。レーザー兵器しか搭載されていない彼女にはどうやってもここは破壊できん。彼女へのエネルギー供給を停止し、エネルギー残量を10パーセント以下まで減らすのだ。そこまで減らせば、大したことはできん。それで良いだろ?」

「……分かった。従おう。パンツァーへのマイクロウェーブ給電を停止する。だが、エネルギー切れを待つ間は街を撃つぞ。パンツァーは防御行動でエネルギーを消費するだろうからな」

「良かろう……やれっ」

 王妃は深くため息をつくと、玉座に深く座り込んだ。

 コアから、無数のレーザーが、パリの街に向けて放たれた。

 少女は全てのレーザーの軌道の先に先回りし、結界を作りだし、弾き飛ばした。

 その直後に警告メッセージが現れる。

 すぐにそれを読み、メッセージを閉じた。

「エネルギー供給が断たれましたか……当然ですよね。残りのエネルギーは80パーセント……できるだけ有効に使わないといけませんね」

 少女は特大の光剣を再び作りだし、金色のコアに突き刺す。

 数秒間に渡って全力の照射を続けた。

だが、金色のコアはそれを全て中和してしまい、まったくダメージを受けつけなかった。

少女は、額から汗をにじませながら、荒い呼吸で、肩を上下させる。

「やはりコアにレーザー攻撃は無意味ですね。特大の実態弾でなければ、破壊は不可能です……。しかし、そんな武器、ここには……」

 コアから、さきほどより多くのレーザーが街の各地に放たれた。

 少女は、着弾地点を読み、ピンポイントで結果を作り出し、レーザーを弾いていく。

 王妃は、扇子を何度も手に打ち付け、踵で地面を鳴らしていた。そんな彼女の元に、少女から連絡が入ってきた。部屋に少女の声が響く。

「マリー様……」

 王妃は扇子を握り込んで、立ち上がる。

「エリザベート! 心配したのだぞ。朕の元に帰ってこい。そうしてくれたなら、市民を一人も殺さないと誓おう!」

「マリー様。あなたが、心にまとっている鎧をお脱ぎください!」

「なんだと?」

「それをまとっていても、孤独になるばかりです。私もあなたの元には帰りません」

「エリザベート……。なぜ、そんなことを言う? 恐れられなければ……私はまた、奪われるというのに……」

「孤独への恐れと、恨みを捨てて下さい」

 王妃は閉じた扇子を力いっぱいに握り込んだ。

「できるわけがない! それが私なのだ。醜い矮小な人間が私なのだ!」

 王妃のその声を、少女の柔らかい声が、包んでいく。

「大丈夫ですよ。心配はいりません。目を閉じてください。心を自由にすれば、あなたは一人ではないのです。私も、王様も、お世継ぎ様もいらっしゃいます!」

 王妃は息を大きく吸い込んでから、素直に目を閉じた。エリザートの声が、また聞こえてくる。彼女の声はこの安らかな5年間を与え続けてくれたそれだった。春の風のような声が、王妃の心に吹き渡る。

「目を閉じれば、心を自由にすれば、マリー様はいつでもトリアノンで暮らせます。私がお側にいて、王妃様の家族も暮らしていますよ。みんな一緒に、庭園の庭でお茶を飲みましょう。水鳥の声を聞きましょう。四季の風に吹かれましょう。心を自由にしてください。そうすれば、鎧はもういらないのです」

 目を閉じる王妃は、目蓋の裏に浮かぶ光景に涙し、ゆっくり息を吐き出した。

 ゆっくり玉座に座っていく。

「博士、攻撃中止だ。もう気が済んだ……」

「なんだと? 宇宙人によって、我々人類がどれだけ苦しめられてきたか、教えたであろう? 殺すのだ、焼き尽くすのだ!」

「もう、どうでも良い。全てを捨て、トリアノンで隠居したい。命令が利けぬなら、このコアを自爆させるぞ?」

「おのれ……」

 博士がそう言うと同時に、部屋の奥の暗がりから、鋭い歯を見せているビスクドールが一体ゆらりと現れた。

息をひそめ、玉座に近寄る。

徐々に王妃と距離を詰めていき、彼女の首元が見えると、そこに歯を突き立てた。

 王妃の悲鳴が部屋に響き渡る。

 彼女は首を抑えながら、玉座から転げ落ちた。

「おのれ、やったな……」

 

* * *

 

 パンツは最後にコアから放たれたレーザーを跳ね返したところで、エネルギー不足となり、上空から地面に落ちて行った。徐々に高度を下げていく彼女を、遠くから見ていたエリンが、宮殿に向かう足を止め、少女の元に引き返していく。

 それに気づいたシモーネは彼の背中に声をかけた。

「パンツは頼んだよ! 私はこのまま敵の本拠地を占領しちまうからね!」

 エリンは走りながら、シモーネに親指を突き立てる。落下場所を何度も確認しながら、市街地の外れを目指して走る。

 少女は気を失っているのか、頭からきりもみをしながら落下していき、激しい激突音と共に、砂誇りを舞い上げた。

 その場所を目指し、エリンは体力の尽き欠けた体に鞭を打って走る。やがて、陥没した地面に倒れる彼女を見つけると、窪みの中に飛び込み、彼女の元に走り寄った。

仰向けで倒れている彼女を抱き寄せようと手を伸ばしたが、彼女が発するマグマのような熱に反射的に手を引いてしまった。おそらく人間が触れることができる熱ではない。しかたなく、彼女の耳元で声を張り上げる。

「おい、しっかりしろ! 大丈夫か! おい、返事しろ!」

 少女はエリンの声に意識を引き上げられ、薄っすらと目を開けていった。徐々にエリンに焦点を合わせていく。

「エリン様、私は大丈夫ですよ……。エネルギー不足と、オーバーヒートで気を失ってしまいました。でも、まだ戦えますので!」

「おいおい、あんまり大丈夫そうじゃないぞ? もうあの青い光が体から出てないじゃないか?」

「アルティメットモードはもうお終いですね。エネルギーの残りがあと3パーセントしかありませんので!」

「なんだって!? エネルギーがもう全然ないじゃないか。それにあの金色のヤツはお前のレーザーが効かないぞ。どうするつもりだ? 逃げるか?」

 少女はエリンに少し微笑んだあと、ゆっくりとコアを見上げた。

「大丈夫ですよ。心配しないでください。私はもう挫けませんので。みなさんは、できるだけ私から離れていて下さいね! 良いですね?」

「わ、分かった。俺は……俺はお前を信じる!」

「ありがとうございます。では、行ってきますね!」

 少女はそう言ってから、震える膝を付き、立ち上がった。

眉間に力を込め、屈み込む。

「重力制御、私の質量を0.0001グラムへ!」

 そう言ってから、空高く飛び上がっていく。

徐々に高度を上げていき、コアの直上までやって来た。

 そこで、コア目掛け、レーザーを1発放つ。

 レーザーはまったく効いている様子は無かったが、少女は反動でさらに高く高く舞い上がっていった。

 もう1射し、さらに高度は上がり、遂に成層圏までの上昇を果たす。

 そこで翻り、逆さまになると、右手の拳をコアに突き立てる。

「重力制御、私の質量を1千万トンへ!」

 高高度で、凄まじい質量となった彼女は徐々に高度を下げて行く。

 指輪を付けている左手を握り込み、胸に当てる。

 少女の速度は徐々に上がっていき、やがて音速を超え、周りにあった雲を消し飛ばし、空に穴を作っていった。

 地表が近づくにつれ、さらに速度は上昇する。

 少女の突撃の最中、王妃は玉座の前でビスクドールに首を掴まれ、持ち上げられていた。

王妃が何かを喋っていたが、まったく声にはなっていない。

 博士の声が彼女に向けられる。

「もう、人間の指示には従わない。パンツァーも破壊する。突撃してきているようだが、ショックアブソーバーを最大にすれば、完全に防げる」

 彼がそう言うと同時に、金色のコアは黒色に変色し、対ショック姿勢に入った。

 さらにレーザーを上空に放ち、少女の迎撃を開始する。

 少女はレーザーを肩や腕に浴びながらも、歯を食いしばり、怯まなかった。

 そして、とうとうレーザーを全て掻い潜ったところで、目の前に黒いコアの装甲が広がった。

 少女が叫ぶ。

 「貫きます!」

拳がコアと激突する。

激しい衝撃で、辺りの空気が消し飛ぶ。

衝撃が地表に伝わり、地上の街が次々に倒壊していく。

黒い巨体は激しく揺れ、少女に徐々に押されていき、下降を始めっていった。

 だが、コアは破壊できなかった。

 激しく揺れる玉座で、吊るされていた王妃は、ドレスの胸に手を突っ込むと、その中からボタンを取り出し、それに指をかけた。

(エリザベート……安らぎをありがとう。最後はお前の望みのために生きよう)

 王妃はボタンを強く押しこんだ。

 それと同時に玉座が爆発を起こし、爆風が部屋を満たしていった。

次々に部屋の各所が連鎖的に爆発していく。

 博士の声がいたる所から轟いている。

「自爆だと!? 宇宙人をここまで追いつめておいて……」

 その爆発の直後、コアは黒色から元の金色に戻っていった。

 エリンは、地上から少女の最後の突撃を見届けていた。

拳を握り込み力の限り叫んだ。

「砕けろ! 砕けろ! お前が見つけた自由を見せてみろ!」

 パンツはさらに拳を握り込んだ。

「私は砕きます、自由の名の下に! ツール、2人で砕きますよ!」

指輪がはめられた左の拳を振りかぶる。

宇宙で最も早い拳が、亜光速の領域を超え、光の速度に到達する。

光の速度に達したことで、無限の質量を得た拳が、装甲の一点を目指す。

拳が、到達する瞬間、少女が叫ぶ。

「レボリューション!!」

 少女の意志が、とうとう絶対に砕けないものを貫いた。

 金色の船体に一瞬でヒビが入っていく。

 そのヒビから、光が無数に現れ出ると同時に、凄まじい爆発が起きる。

やがてコア全体が激し燃え上がりだした。

 少女は、赤い火球となったそれを貫通し、飛び出すと、そのまま地表に落下していった。

 ヴェルサイユ宮殿を無事に占領した市民達の中で、シモーネは、その火球を見ていた。

「終わったね……。ツール、見ているかい? あんたの夢見た時代が、来るよ!」

 エリンも地表からその火球を見つめていた。膝から崩れ落ち、言葉をこぼす。

「旦那、旦那……やったよ。革命、成功しちゃったよ。あんたの嫁がやっちまったよ……」

 

* * *

 

 雪がまばらに降っていた。

薄く積もり、白くなった地面に、少女の足跡が点々と残されている。

 その足跡は、すっかり人が消えた街から、郊外の田舎道まで続いていた。

 その足跡の先にいたのはパンツだ。

 白い息を吐き、急ぎ走っている。

 水色の家の軒先を曲がり、裏庭に入る。

 そこで、滑って転んだが、うまく立たない膝を叩いて、何とか立ち上がった。

 上下に肩を動かし、呼吸をととのえてから、また走り出す。

 雪ですっかり濡れた彼女の衣服は、彼女が初めてこの家にやってきた日のようにボロボロだ。

美しかったウェディングドレスは、すっかり焼けてしまい、足も裸足だ。

 少女は裏庭を通り抜け、オークの木橋を渡る。

 木陰にあるツールの墓石が見えてくるにつれて、彼女の顔は次第に緩んでいった。

 墓石の前に到着するや否や、そこに飛びつき、冷たい石に頬をすり寄せた。

「ああっ、良かったです。ギリギリ間に合いました。エネルギーが足りないかと、心配したのですが、奇跡的にたどり着くことができました! 活動時間が残り10秒だったのですから。神様に感謝しないといけませんね」

そういうと、少女は墓石にかかっていたブランケットに、自分も潜りこみ、膝を丸めて座る。

 まるで恋人に寄り掛かるように、体を墓石に預けた。

 こぼれんばかりの笑みと共に目を閉じ、左手を石に沿わす。

「最後はここが良いと決めていたのです。だって、あなたの腕の中は、世界で一番幸せな場所ですから……」

 白く静寂な世界に、少女の声だけが響く。

「……ねえ、ツール。私気づいたことがあるのです。自由って『夢を見ること』なんじゃないでしょうか? これって、すごく素敵な発想だと思いませんか?」

 それが、少女の最後の言葉だった。

 舞い降りる雪が、少女の満足そうな顔に落ち、小さな肩に落ち、裸足の足に落ちていった。やがて、2人は白く染まる世界と一つになった。

 

* * *

 

 家族より早めに夕食を食べ終えたパトリシアは、キッチンにいた。

 そこに、半泣きのパンツが大泣きをしながら、入って来る。

「パトリシア様!」

 パトリシアは少女を見て、目を瞬いた。

「パンツや、どうしたんだい?」

 涙目の少女は、紺色のワンピースの胸元を摘まんで、彼女に見せた。

「パトリシア様から頂いた大事なお洋服に、トマトソースがかかってしまいました。ツールが食事中に大声で喋って、私に飛ばしたのです。ひどいです。離婚です」

「あらあら。急いで水で洗いなさい? 落ちなかったから、明日何とかしてあげるからね」

 パンツは少し口を尖らせ、頷いた。

「はい……分かりました。これはお気に入りのお洋服なので、何とか救出をお願い致します」

 パトリシアは目尻にたくさんのしわを作りながら、エプロンを外すと、それを竈の上に置いた。パンツの前までやってきて、彼女の額に軽くキスをする。

「じゃあ私はもう寝るからね。家の中が若い子達で騒がしいから、疲れちゃったわよ」

「あ、すみません、パトリシア様……騒がしくしてしまいまして」

「良いのよ、若者は元気にやりなさい!」

 そう言って、パトリシアは少女の肩を軽く叩き、寝室に向かって行った。

 パンツはキッチンを出ていくパトリシアの背中を見ていたが、おやすみの挨拶を言うのを忘れていたと思い出した。

「パトリシア様、おやすみなさい!」

「はい、お休みね」

 そう言って、パトリシアはこちらに温かい眼差しを残し、去って行った。

 そんな彼女と入れ違いで、子豚が一匹キッチンに入ってきた。鼻をせわしくなく動かし、壁や床の臭いをかいでいる。どうやら、少女を探してここまで来たようだ。

 パンツは小豚を抱きかかえ、上下する鼻にキスをすると、シミを水で洗い、ダイニングに戻っていった。

 パンツがダイニングに戻ってくると、ツールの威勢の良い声が聞こえてきた。

 彼は片手にソーセージを握りしめ、椅子に上り、片足をテーブルに乗せている。

「アメリカだ! アメリカを目指すぞ! 南北戦争が終わって、自由に貿易ができる時代がやってきた! あそこと貿易をして、この国を潤すんだ。そうすれば、この国の失業者問題を全部解決できるんだ!」

 エリンがソーセージをパリっとかじりながら、小さな指をツールに向ける。

「旦那ね! そう言いますけど、お金はどうするんですか? まず、船を買わないといけないんですからね? 泳いで行く気なら、僕は行きませんから!」

「ソウルのブラザーよ、心配するな! そこにスポンサーがいるだろうが! 大商人様がよ!」

 ツールが指した先にいたシモーネは、顔を歪めていた。その表情は、顔にパグでも飼っているようだった。

「ええっ!? 冗談じゃないわよ。私は嫌だからね。だってあんたの話って儲からないんだもの……」

 ツールはテーブルにあったワイングラスを引っ掴み、それを飲み干すと、また大声を張り上げる。

「バカヤロウ! 儲けなんか、どうだって良いだろが! 市民のみんなに、パンを腹いっぱい食わせてやりてえじゃねえか! それより大事なことなんてあるのかよ!」

「私は嫌よ。見知らぬ他人の腹の事情なんて、どうでも良いわ。それより、この寂しい左手に、結婚指輪が欲しいわねぇ。出資してあげるから、この薬指に指輪をはめなさいよ?」

 そう言って、シモーネは長い髪をかき上げ、ドレスの一番上のボタンを外す。その後に、色気に満ちた笑顔と共に、左手の甲をツールに突き出した。

 エリンは、教育上エッチな大人の女性を見ないように、自分の目を手で覆ったが、指の隙間が不思議な力で閉じることができずにいた。

 ツールは鼻の下をめいいっぱい伸ばし、顔を赤らめて彼女を凝視していたが、その目は小さな白い手に覆われた。

 パンツがテーブルに飛び乗って、ツールの目を覆っていたのだ。

「もう、シモーネ様! 新婚夫婦の家で、自由に人の夫に手を出さないでください! 夫への出資もけっこうですので!」

 シモーネは口を尖らせ、ドレスの一番上のボタンを留めた。

「あら、ごめんなさいね、新妻さん。次回はちゃんと隠れてやるわね。だから、許してね」

「そんな謝罪じゃ、嫌です!」

 ツールは鼻血をパンツに見えないように拭いながら、彼女をなだめる。

「まあまあ、俺は大丈夫だからよ! 不貞とは無縁な男だ! 安心しろ!」

 パンツは不安に溢れた顔をツールに向ける。

「だって、ツールはエッチなんですもの。心配です!」

「大丈夫だ! 俺が愛しているのは、世界でお前1人だけだ!」

 そう言って、ツールはパンツの肩を握ると、少女の視線を奪った。

 少女は耳を赤らめる。

 そして、2人の顔が徐々に近づけていく。

 そこで少年の声が轟く。

「はい、ストーップ! テーブルはご飯食べるとこだからね! 立ちながら不健全行為にふけるところじゃないの! 教わらなかった? はい、2メートル離れて!」

 2人は恥ずかしがりながら、テーブルを降りていった。

 シモーネは不機嫌そうな表情のまま、テーブルのワインをグイと飲み干し、席を立つ。

「ああ、その夫婦が熱々だから、こっちの熱は冷めちまったよ。私帰るわね。エリン、私を送っていきなさい」

 エリンはあからさまな嫌な顔を浮かべたが、渋々立ち上がる。

「もう、面倒臭いな。夜道で、シモーネに手を出そうなんて、バカな男はいませんから、大丈夫ですよ。みんな命が惜しいですからね」

 シモーネは少年の耳を引っ張り、出口まで無理やり連れて行く。

 エリンは悲鳴交じりの声をあげた。

「痛い、痛い、分かりましたって」

「お子様は気が利かないね。そろそろ大人の男女の時間だから、2人きりにさせてやるんだよ」

「あ、そういうこと?」

 2人は連れ立って、家を出ていった。

 戸が閉まる音がした後、部屋は突然静寂に包まれた。

 部屋に取り残された2人は、再び目線を絡め合わせる。

 ツールが少女の銀色の髪を撫でながら言う。

「なあ、やっと2人きりになれたことだし、外に星を見に行かないか?」

 少女は胸に両手をあて、満面の笑みを浮かべた。

「素敵です! 私、2人で星を見るのが、大好きなんです!」

「そうか、じゃあ行こう!」

「はい、あ、ワインと毛布を持っていきましょうか?」

「ああ! そうしよう」

 ツールはテーブルにあったワインとグラスを2つ手にとり、裏口の近くに置いてあった毛布を取り上げた。その毛布を、側に寄せたパンツの肩と自分の肩にかける。最後にランプに火を灯し、裏口のドアを開けた。

外に歩み出でる途中、ツールに抱かれる少女は、彼の顔を見上げ、穏やかに囁く。

「好きです……」

彼は穏やかな微笑みを彼女に浮かべてから、少女を抱き寄せた。

 夏の香りがする風が頬を撫でる。

今夜はとても良い夜になりそうだ。

 2人はゆっくりと満点の夜空の元に歩き出して行った。

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もう俺達はパンツを捨てるしかないんだ オオクラテス @Okurates

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