16. 取材資料 伊奈巳町元町民の証言

 ユキちゃんの紹介で来られたんですよね。あの事件の話ならぼくの方がよく知ってるからって。

 ユキちゃんとは、今でもときどき連絡を取るんです。お互い、いい大人だし、ここに移住してきて十年近く経ってますけど、やはり同郷の仲間は特別ですよ。

 取材なら他にも受けましたよ。まあよく、ぼくのことを見つけ出したものだと感心しましたね。ユキちゃんも何度か受けたそうですよ。あなたは信用に値する人だって聞いてます。

 個人によって捉え方の違う敏感な事件の一部ですから、ぼくらが話したことを都合よく歪曲して記事に書くジャーナリストがいるんですよ。


 理由は忘れてしまったけど、ぼくは小学生時代、寮の部屋を一人で使っていた時期がありました。ぼくの名字が渡瀬わたせで出席番号がいつも最後だったのですが、ぼくのあとにもう一人いたような気もします。綿野わたのだったか、和野わのだったか……。まあ構いません。これはこの件に関係ありませんから。

 二年生に上がったときに、担任の教師から、ぼくの部屋にもう一人入ることを知らされました。そりゃあ、嬉しかったですよ。毎日一人部屋で寂しかったですからね。

 新しい友達の名字が森郷だと聞いて、ぼくは、あの森郷診療所の子か、と思いました。あ、健弥のほうです。妙に背が高くて、誰よりもスポーツが得意で、あまり愛想のない男の子でした。

 でも彼、ぼくの三つか四つ年下だから、まだ小学校には上がっていなかったんですよ。


 現れたのは全然知らない同い年の子供で、驚きましたよ。

 その子、柊弥は生まれてすぐに大病に罹って、最近快復した子だと教えられました。確かに、彼は町にある建物の名前も、学校にある道具の使い方も、何一つ知らなかったんです。ぼくは手取り足取り彼の面倒を見ていたのですが、授業を受け始めて、柊弥がぼくよりはるかに頭のいい子供だということに気付いて、何故か腹が立ったのを覚えてます。

 柊弥とはそれなりに仲良くやってましたよ。喧嘩はしましたけど、まあ、人並みの友人関係と変わらない程度のものです。


 小学校の卒業が近くなった頃、柊弥からあることを頼まれました。夕食前の点呼のとき、自分の姿が見えなかったら適当に理由を付けて誤魔化してほしいと。

 どうして? と聞くと、彼はしゅんとした様子で「健弥が学校に行ってないんだ」と言いました。あ、健弥はその時点で寮から出て自宅にいたそうです。


 必要な書類とか、提出物のやりとりをしなきゃいけないから、誰かが学校と森郷家を行き来する必要があるじゃないですか。森郷家は学校からかなり離れた場所にあって、誰かに郵便屋を頼むのは申し訳ないから、仕方なく柊弥が数日に一度帰宅していたのだそうです。外出扱いになるから毎回必ず届け出をしなきゃいけないんですけど、それに対してきつい嫌味を言う教師がいたんですよ。

 ……はは。嫌な先生はいつどこの国にもいるもんですね。

 外出が重なるごとに、柊弥に対するその教師の当たりが強くなって、もう嫌気が差してきたから、届けは出さずに帰宅する、と彼は言いました。

「そいつ、何のために柊弥に暴言なんか吐くんだよ」

「誰にも言うなよ」

 柊弥はそう前置きして、その理由を話し始めました。

 

 伊奈巳町にある医療機関は中央病院と森郷診療所の二つだけでした。診療所は、夫婦が二人で運営していました。ということは、町に入る医薬品の配分は、病院と診療所の采配で行われることになりますよね。診療所は夫妻だけで管理されてるぶん、夫妻がその決定に強く関わるわけです。

 「その教師」の旦那さんは町長の秘書だった人物で、当時なにかの病気にかかって、症状を和らげるために投薬を行っていたそうです。そのために必要な薬を、旦那さんは森郷夫妻から優先的に入手していたのですが、ある時、町に同じ病気の患者が増えて、夫妻は薬の横流しを渋ったのだそうです。

 あとは勝手に想像できましたよ。その教師は夫妻への当てつけに、診療所の跡取り息子に嫌がらせをしたんです。森郷夫妻は診療所をやってくだけでも大変そうなのに、そんな面倒臭い連中の相手をしなくちゃいけないのか、と同情した記憶があります。


 点呼を誤魔化すのは造作もないことでした。柊弥は図書館で自習してる、と言えばよかったんです。学校の自習室は狭いし、図書館は町の外れにあるので、帰宅が多少遅れても大目に見られる雰囲気がありました。それに、診療所の跡取り息子となれば、ガリ勉やってるくらいが丁度いいですから。

 一度、ぼくもその無断外出について行ったことがあります。森林管理局の上月さんが健弥を登山に連れて行くことを計画して、ぼくはそのオマケとして誘われたわけです。あれは楽しかったなぁ。


 無許可外出に協力したことは、今でも後悔しています。教師に報告してでも、柊弥を殴ってでも止めるべきでした。そうしていれば、あの事件の顛末はまた違うものになっていたんじゃないか、と今でもかんがえます。きっと、伊奈巳町が迎える未来だって別物になっていたことでしょう。


 ぼくは児童行方不明事件が起こっていた当時、体調を崩しがちになって、捜索にはほとんど参加しませんでした。

 ただ、健弥と柊弥の二人が森の中で発見されて……そうだ、ぼくはその日の深夜に、事情聴取のために担任に呼び出されました。体調が悪かったので「明日にして下さい」と頼んだら、君の部屋で聴取するから寝たままでもいい、と言われてしまいました。

 部屋にやってきたのは当時のぼくの担任と、まったく知らない中年の男性でした。物腰や雰囲気からして、きっと伊奈巳町の住民ではなかったのだと思います。

 質問をしてきたのはほとんどその男性で、担任は横で頷いたり、僕の話を補足したり、何か書類をめくって確認しているだけでした。

 聴取の途中に、担任が「森郷くんは夕食前の点呼に現れなかったことが何度かあったそうだけど、渡瀬くんは何か知ってる?」と言いました。

 ぼくはその理由を正直に話しました。柊弥にはあえて言わなかったけど、無断外出のことはとっくにバレていたと思っていたからです。そこでぼくが嘘をつけば、余計な面倒事を生みかねませんでしたから。

 ぼくは、あることに気が付きました。

 教師たちは、そのとき、必死になって子供たちの行動記録を洗い出していたはずです。小さな子供たちを連れ去った犯人が、もう少し大きな子供だと掴んだ時点で、犯人を特定するために水面下で動き出していたことでしょうね。

 普段からキャンプや登山に出掛けていて、山の地理に詳しくて、親族には森林管理局の調査隊所属の職員がいる。年下の小さな子供を騙して、誰にも気取られぬまま連れ去ることができる程度の知恵がある。無断外出を繰り返したせいで、児童行方不明事件が起こっていた期間の行動記録が存在しないも同然……そんな子供がいたとしたら。誰しも、一度はその子のことを疑いの目で見るでしょうね。

 もちろん、そんなこと本気で信じたわけじゃありませんよ。

 でも、この先、犯人が一向に見つからないとなると、町の住民はどう思うか。自分たちの隣人や子供や、お世話になったあの人や、大好きな祖父母やいとこや友人が殺人者かもしれない。そんな恐怖を抱えて生きなければならなくなる。あの閉ざされた町じゃ、本当に耐え難いことだと思います。そんなことになるくらいなら、多少強引な手を使ってでも、事件の幕引きを図りたいと考えるはずです。

 

 最終的に事件の結末を定めたのは、事情聴取のあとに起こったもう一つの出来事でした。

 支援団体の人が、柊弥の身柄を引き取りたい、と申し出たんです。

 伊奈巳町の住民に食料や医療を提供してくれる支援団体がある国――つまりはここですね――は、出自を問わずに優秀な子供を集めて、教育を与える仕組みを持っているでしょう? その選抜試験が、伊奈巳町でも行われていたんです。

 試験問題は本物だったそうですよ。どうやって手に入れていたんでしょうね。

 その試験で、優秀な成績を取ったグループの中に柊弥がいたそうです。支援団体の人は柊弥を琉球国に連れて行きたがっていたけど、森郷夫婦と本人が渋るので、諦めざるを得なかった……というのが、ぼくらに知らされていた表向きの流れです。彼の身柄が欲しかった人間にとっては、この上ないチャンスだったのでしょう。

 誰がはじめにそんなことを考えたのか。柊弥が町を去ってしまうのなら、見つかる気配のない殺人者の看板を彼に負わせてしまえということになったのですよ。過去に実例があるでしょう? 少年Aとかいう。少年Aは事件後に出版された犯罪にまつわるあらゆる書籍に記述がありますし、本人の手記すら出版されていましたが、それらの本が伊奈巳町に存在していたかどうかはわかりません。今でも書籍の大半は図書館の書庫の中に眠ったままだそうですよ。探せばあるんじゃないですか?

 事情聴取を受けた子供の中には、柊弥の無実を証明できる証言をした子が何人もいました。ちょうど殺された子が消えた時間帯に、柊弥がクラスで集めた提出物を職員室に運んでいたとか、行方不明になったある子供とよく似た子を連れて歩く女性を見たとか。でも、そういった証言はすべて黙殺されてしまったようでしたね。そういう杜撰な対応が、その後の町の運命を左右したと言ってもいいでしょうね。


 ちょっと休憩しましょうか。口が乾いてきました。

 

 健弥のことですか? 

 あの子は、事件から数年経った十五歳くらいのときに失踪して、それから戻ってきたんです。

 当時、ユキちゃんが看護師として努めていた病棟に、四年ぶりに帰郷した健弥が入院させられていたそうです。

 入院といっても、彼は軽い栄養失調以外に健康上の問題はなかったそうです。健弥の扱いを決めあぐねた町のお偉いさんのせいで退院できなかったのでしょうね、きっと。

 なぜ無事でいられたのか、どうやって伊奈巳町にも戻ってきたのか、本人は何も語らなかったそうです。放浪中に見たもの、経験したものを一切口外しないという条件で、彼はあの町にもう一度住むことを許されていました。すみません、それ以上のことはよく知らなくて……。


 健弥が失踪した当時、ほとんど同時に町を出ていった女の子がいました。島堀優香という子で……そうです、ユキちゃんが話していたのと同じ人です。

 彼女もまた戻ってきました。 


 ぼくの上の子が小学校に上がったとき、島堀さんが子供の担任になったんです。入学式で彼女の顔を見て、目玉が飛び出るかと思いました。名前は変わっていましたが、確かに彼女でした。 

 用事があって小学校を訪れたときに、島堀さんと話をする機会がありました。彼女はぼくが誰だったかを思い出すと、人目のないところで話がしたいと言い出しました。

 図書館の五階、歴史資料閲覧室という場所でした。人気がまったくないから、異性に交際を申し込む場所に使われていたこともあったそうですよ。ぼくらがしたのは、そんな浮ついた話ではなかったですが。


 島堀さんは、さきほど話した試験で、そこそこ高成績を取っていたグループでした。高校卒業まであと半年といった時期に、支援団体の人から声がかかったそうです。

 いや、選出の基準ははっきりしていませんでした。成績だけで決まっていたわけじゃなかったみたいですね。

 島堀さんは琉球国内のある離島――といってもかなり発展した都会だったそうです――そこで生活することになって、数年間学校に通って勉強を続けていたみたいです。月に一度、支援団体の職員の面談を受けて、悩みを聞いてもらったり、生活のアドバイスを受けたりしていたそうです。

 ただ、彼女はそこでの生活に疲れ果ててしまい、日に日に伊奈巳町に帰りたいという気持ちが強くなっていたのだとか。

 ぼくは自分で希望してここに渡ってきましたけど、彼女からすれば有耶無耶のうちに異世界に連れてこられたようなものでしたから、そうなるのも無理はないでしょう。

 支援団体のカウンセラーに望郷の思いをぶちまけたとき、カウンセラーは、ある条件を飲めば伊奈巳町に帰れるよう取り計らってもいい、と言いました

 ある条件というのは、町に戻ったあと、町民と支援団体の間に立って各種の業務をこなすことです。

「もう一つ、あなたに頼みたい仕事がある。町に戻ったとき、誰かがその仕事をあなたに依頼してくる。それが誰なのか、どんな仕事なのか、あなたにはまだ教えられない。彼ないし彼女の指示に従って、実行してほしい」

 というのが、そのカウンセラーが提示した条件だったと、彼女は話していました。


 そうだ、一つ奇妙なことがあったと聞きました。島堀さんの面談を担当していたカウンセラーはいつも同じ方だったのですが、そのときは何故か、初めて会うカウンセラーが面談相手だったそうです。どういう人物だったのかは聞きそびれてしまいました。すいませんね。

 どんな仕事だったか? それは彼女から直接聞きました。

 伊奈巳町の学校には、過去二十年以内の生徒の調査票が保管されていました。その中から条件に従って、リストアップした生徒の情報を送るというのが、島堀さんに与えられた指示だったそうです。

 条件というのは、年齢が十四歳から十七歳の間で、そのときの身長が一六〇センチ前後、痩せた体型で、心身ともに健康な子供というものでした。

 たくさんいる? まあ、確かにそうですよね。でも、条件がもう一つあって……それに該当する子は、あまり多くなかったです。

 そう、その最後の条件というのが、家族との関係に何らかの問題を抱えていた、というものですね。

 誰が当てはまったか? そうですね。柊弥とか。あそこの両親は診療所にかかりきりで、兄弟は上月さんや近所の人によく面倒を見てもらっていましたから。健弥は背が高いのでリストアップされませんでした。島堀さんは……小柄だから違うな。

 その写真の人……見たことあるような気がします。でも顔が少し違いますね。そんなに大人びていませんでした。名前は? 冨岡茉奈……ええ、知ってます。

 冨岡茉奈さんは……小学校の児童会長をやってた人ですね。ぼくと同じ地区に住んでいました、確か中学生のときお父さんが病気で亡くなって、そのあと祖父母の家で暮らしていたそうですけど、詳しいことは知らないですね……。申し訳ないです。

 彼女も、それくらいの体格だったような気がします。あまり記憶が定かではないのですが。

 島堀さんに指示を出していたのは誰か? それは健弥です。本当ですよ。彼もまた、自分に与えられた仕事の意味を知らされていなかったようですけど。

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