第三章
14. リバーサイドホテル鯉沼 ニナガワ
客室のある二階へ続く中央階段を上がっていくヤオとイシルガの背中を見送りながら、ニナガワはこっそり舌打ちをした。
「ガキどもがここに来るわけねえだろ。ふざけやがって」
うなるように吐いた独り言も、廃墟に虚しく溶けていった。
実際、二人が消えてからロビーに人の気配は全くなくなってしまった。頭上の採光窓から入る日光が薄れ、日が傾き始めたことがわかる。面倒事は日没までに終わらせたかったが、この調子では原住民の子供を見つけるのに夜までかかってしまうかもしれない。
ニナガワは瓦礫の上に腰掛けて、上を向いた。九階まで吹き抜けになったロビーを、客席の扉が層になってぐるりと囲んでいる。ところどころで瓦礫が積み重なって廊下が塞がれていたり、フェンスが崩れ、その破片がロビーに散らばったりしていた。子供たちがいた最上階の十階は展望台とレストランのはずだった。
この旅が終わって本島に戻ったら、何か仕事を探そう。何度したのかも覚えていない決意を、また繰り返した。
軍隊や水上警察による規制は年々厳しくなり、仕事にかける労力と稼ぎが釣り合わなくなってきた。
遺跡盗賊は、世間では卑しい犯罪者と見下される集団だったが、自分たちなりに矜持を持って生きてきたはずだった。海軍の目をくぐって旧日本領に上陸する航海技術や遺物狩りのノウハウを世代間で受け継いできた。それが今は、
子供の悲鳴が聞こえ、ニナガワは周囲を見回した。
五階の廊下に〈馬〉がいた。数メートル離れたところで、原住民の子供二人が馬と向かい合っていた。
足を負傷したらしい少女が、尻餅をついたまま後ずさった。痩せぎすの少年は大声で何か怒鳴ると、木製の手すりを握り、腕に力を込めた。彼がガラス製のフェンスを蹴飛ばすと、錆びついた金具が砕け、手摺が外れた。
少年は姿勢を低くして、手摺で馬の脚を引っ掛けようと試みた。しかし、馬は器用にステップを踏んで手すりを避けたはずだ。少年が怒りに任せて何かを叫ぶ。ニナガワは思わず馬に指令を出すための中継機を探した。
「あいつらが持っていったな……」
後頭部に熱戦を充てられるような感覚がして、ニナガワは振り返った。空気が唸った。ほとんど間もなく発砲音がした。放たれた銃弾はニナガワの左腕の装備をかすめてロビーの床に着弾していた。
二発目の銃弾がニナガワの肩を砕いた。傷口を押さえてうずくまったとき、異変を察知して中央階段を駆け下りてくるイシルガとヤオの姿が見えた。
ロビーの奥の噴水にある巨大な彫像から、人影が飛び降りた。引き締まった長身にくっきりした目鼻立ちの男だった。年代はニナガワと同じくらいか、少し下に見えた。狩猟用の長銃を持ち、腰に山刀を下げている。
「こっちに来るな!」
ニナガワは走り寄ってくる二人の仲間に向かって叫んだ。二人は状況を飲み込めず、狼狽してロビーの中心で周囲を見渡した。
「何があった……」
男とニナガワとの距離は五、六メートルに迫っていた。ニナガワが腰の拳銃を抜こうとした瞬間、彼は残りの距離を一気に跳躍した。男は着地の寸前に、猟銃の銃身を握り、水平に振った。ニナガワは横に弾き飛ばされ、地面を転がった。石礫で耳や足の皮膚を切り、大量の血がロビーの床の上に広がった。
ニナガワは激痛の中で、仲間の怒声と鈍い衝撃音を聞いた。イシルガのヤオのどちらかが投げ飛ばされ、地面に叩きつけられた音だった。
5階の廊下から、金属を引っ掻いたような悲鳴が響いた。
「健弥! 助けて! 誠が落ちちゃう!」
回廊の手摺の一部が崩れ、もみくちゃになった馬と子供の身体が傾いだのが、仰向けになったニナガワの視界の端に映った。少年はまだ崩れていない手摺の柱を掴み、身体を支えながら6脚運搬機の横腹を蹴り上げて落とそうと試みていた。胴に大量の荷物を載せた運搬機は、いとも簡単にバランスを崩し、エントランスホールの床へ落下した。
日の入りが迫り、琥珀色の西日が差し込むホテルの廃墟に運搬機が砕け散る爆音が轟いた。知らずに聞けば、なにかの爆発音と勘違いしただろう。落下の衝撃で四散した機械部品が、いくつもニナガワの頭上を掠めていった。
ニナガワは首だけを動かして、尚も戦い続ける三人を見た。ヤオはサバイバルナイフを握って長身の男に飛びかかると、上半身を滅多刺しにしようと試みる。しかし、刃先が男の身体に食い込む寸前で手首を掴まれ、せめぎ合いが続いた。男の額がぱっくりと割れて出血していた。先ほど砕け散った機械部品が激突したのだろうとニナガワは思った。
投げ飛ばされて気絶していたイシルガがゆっくりと起き上がり、ヤオに加勢しようと腰の拳銃を抜いた。イシルガが銃口を男の頭に向けたとき、ふっと糸が切れたように意識を失い、その場にくずおれた。ヤオを見ると、同じように気絶して男に覆いかぶさるように倒れている。
何が起こったんだ? ニナガワが再び入り口側に顔を向けたとき、5階にいた少年と少女が手を繋いだまま落下した。
ホテルの入り口から、中型犬くらいの大きさの何かが凄まじい速度で飛び込んできた。シルエットは手足の細長い引き締まった体つきの猟犬に似ていたが、首から先がなかった。偵察や戦闘に使われる軍用ロボットの類だと、ニナガワは察しをつけた。
二人の子供が地面に衝突する直前、その〈犬〉は身体を膨らませたかと思うと、そこに直径七、八メートルほどの巨大な青い風船のような物体が出現した。二人の子供がその風船の上に落下すると、風船は大量の空気を吹き出しながらゆっくりとサイズを縮めていった。完全に空気が抜けたとき、そこに呆然とした二人の子供の姿が現れた。
ニナガワの顔を、ベリーショートヘアの女性兵士が覗き込んだ。ネコ科の猛獣に似た獰猛さのある、少年っぽい中性的な顔立ちだ。
女性兵士は首を傾げた。
「あれ? 私、あんたのこと知ってる。蜷川明弘だよね。手配書で見たよ」
女性兵士は立ち上がり、ニナガワの体を跨いだ。すでに場は大勢の兵士たちに囲まれている。
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