11. 鯉沼市廃墟 ニナガワ 

 ニナガワの兄は旧日本領で死んだ。兄が死んだその場所で、ニナガワは兄と同じ稼業を始めることになった。 

 

「やった、当たったぞ!」

 望遠鏡を覗き込んでいたヤオが、うれしそうにガッツポーズをした。正面にあるのは、直線的なフォルムのビル街とは不似合いなリゾートホテルの建物だ。広い庭園やプールは長い間放置されたことで荒れ果てているが、建物はかなり保存状態が良い。ただ構造が頑丈なだけでは、あれほど綺麗な状態にはならない。今でも人の手で管理されているからだ。

 ニナガワが体重を預けていた〈馬〉が立ち上がり、ぐずるように動き始めた。不機嫌なときにする仕草だ。せっかく自分がホテルの展望台にいる人間を発見したのに、ヤオに殺されたと勘違いして抗議しているのだ。〈馬〉は歩道橋を下りて、自分の所有者であるイシルガという男のところへ向かった。

「調査隊の人数が増えるらしい」

 ニナガワは、展望台にいた人間とは関係のない話題を出そうとした。非復興地に住む人間なんて、現代人と比べれば野生動物とほとんど変わらないが、それでも遊びで狩りの標的にするのは気が引ける。

「本当か? 国内で反対デモが盛り上がって、大変なことになってたんじゃねえのかよ」

 イシルガが歩道橋の下から反応した。

「ニュース見てないのか。大阪市の大学から持ち出されたデータプレートに、日本海近郊の海底資源の分布図が入ってたって話、どうやら本当だったらしいぞ。あそこにはもう行けねえ。いい漁場だったのに」

「ああ、中国から来たやつらが見つけたプレートだろ。海を渡るときに海軍に見つかって、全員拘束されちまってた」

 ヤオが言った。

「別にてめえらの土地じゃねえんだからさぁ、俺たちがここで何しようが、何を持って帰ろうが、あいつらに手ぇ出される筋合いなんて無えのによ」

「あちらさんは、そうは思ってないらしいぞ。なあ、ニナガワ」

「ああ」

 政治と宗教の話題は初対面の人間にはタブーとされているが、琉球国内ではここに旧日本領問題が加わる。深い山地と廃墟だけが残されたこの土地の扱いをめぐり、意見は二分されていた。

 片方は、もともと同じ国だったのだから我々に管理する権限があるという。将来的には、そこに住んでいる人々も含めて、琉球国に編入するべきだという考え。

 もう片方は、この土地は今も細々と生きている日本人の末裔のものであるべきだという。支援はおろか、この土地に立ち入ることすら、彼らにとっては侵略に等しいのだと主張する。

 当人のいないところで、議論は続いている。

 ニナガワは、明日の糧が手に入るのなら何でもいい。

「行ってみるか」

 ヤオが歩道橋の柵を乗り越えて、下に飛び降りた。脚に巻いた補助ベルトのおかげで、怪我することなく軽々と着地できる。

「止めとけよ。ほんの数人だし、きっと何も持ってないぞ」

 ニナガワは言った。

「何でだよ。ありゃこの近くの集落の奴だぞ。俺たちと同じで、データプレート目当てで来た奴らじゃねえのか」

「でも、展望台にいたのは子供だったんだろ?」

「大人もいた。ホテルに入っていくところも見たじゃねえか。一人はしょっちゅう廃墟に出入りしてる人間だ」

「どうしてそうわかる」

「武装してた。お前の兄貴を死なせた奴かもしれないぞ」

 ニナガワの頭の中で、苦々しい記憶が蘇った。

 旧日本領から戻ってきた兄は、とうに虫の息だった。森の中に仕掛けられていたブービートラップにかかったのだ。

 兄の代わりに家族を養うことになったのは、まだ十代の終わり頃だったニナガワだった。

 トラップを仕掛けたのは、ニナガワの兄とその仲間が戯れに襲った放浪者の二人組だった。中年の男と、ニナガワと年齢のほとんど変わらない若い男だった。中年の男は死に、もう一人を追いかけている最中に、ニナガワの兄は罠にかかったのだ。

「入ってみるか。どうする」 

 ヤオが訊いた。挑戦的な目つきはニナガワの神経を逆撫でした。

「俺は行く。手ぶらで帰るのだけは嫌だからな」

 イシルガが立ち上がって、服の土埃を払った。ニナガワは仕方なく歩道橋から飛び降りて、二人の後に続く。不安げに脚をばたつかせる〈馬〉の背中を叩き、ついてこいと命令を下した。

 日本にしかなかった美術品やマニア向けの雑貨だけでなく、個人が所有していたデータプレートでさえ、欲しがる奴はごまんといる。滅亡した国や過去の人々が生きた証となる代物に、ある種の感傷を見出す現代人は少なくない。ひとときの感情を消費するために、自分が何に加担しているかなど、知ろうともしないだろう。

 危ない仕事だ。稼げなければ、ただ自分の身を危険に晒すだけだ。野生動物や琉球軍の調査隊、自然そのものが、侵入者に容赦なく牙を剥いてくる。

 自分には向いていない仕事であることは、とうに気付いている。しかし、他にどんないいやり方があるというのだろう。


「誰もいねぇ」

「当たり前だろ。地上から狙い撃ちにされたってのに、一階に下りてくるバカがいるか」

 無人のロビーに、ニナガワの声が響き渡った。こんな秘境となった島に住んでいるとはいえ、彼らも同じ人間だ。自分たちと同じように考え、生きている。戯れに殺して許される相手ではないし、彼らの領域を踏み荒らすのは罪深い行為だ。わずかに残った良心を、ニナガワは何度も噛み潰そうとした。が、思っていたよりも自分は普通の人間であるらしい。

「庭の方に出てみるか」

「相手は子供だろ。ビビって部屋にでも籠もってるんじゃないのか? なあ、もう出ようぜ。その武装した男ってのには、できるだけ会いたくない」

「お前の兄貴はそいつのせいで死んだかもしれないのに?」

「お前が遊びたいだけだろうが。俺の兄貴をダシにするんじゃねえ」


 ニナガワは感情に任せて怒鳴った。ヤオは眉をぴくりと動かして反論を試みようと口を開いたが、寸前でイシルガが「おい、もう止めとけ」と静止した。

「でっけえ声出すんじゃねえよ、バカ」  

 ニナガワの顔がかっと熱くなった。怒りをこらえて、三人で中へ進んでいく。

「仲間割れは良くない。せっかくこれから一緒に仕事することになったんだから、仲良くしようや」

 ニナガワは答えなかった。ヤオとイシルガと三人でと組むことになったのは本意ではない。

 できることなら、もっと真っ当な方法で金を稼ぎたかった。しかし、いまさら我儘を言ってもどうにもならないことは、よく理解している。ニナガワの兄も、顔も知らない父親も遺跡盗賊だ。生まれた家と環境は、自分の意志だけではどうしようもない。

「上るか?」

「先に馬に探させよう。こっちには武器もあるが、戦うのはゴメンだね」

 イシルガは〈馬〉に指示を出して、非常用階段へ向かわせた。


 

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