9. 取材資料 伊奈巳町元住民の証言 

 ここの暮らしに慣れたか? いいえ。何年経っても慣れませんよ。何もかも、異世界にいるようです。大きな建物も、よくわからない機械で囲まれた暮らしも、人が多すぎるのも、どこか空想の国にいるみたいです。

 

 あの事件のこと? ええ、よく覚えてますよ。わたしのような紅炎プロミネンスに何の関係も無かったただの元住民に取材に来るのだから、聞きたいのはそのことだと思ってました。

 わたしは森郷柊弥の同級生でした。友達と言える仲ではなかったですが、ときどき話しました。気さくで穏やかな、とてもいい子でしたよ。

 確かに、そんな証言もあるみたいですね。でも、それは全部、大人になってからのものじゃないんですか? 違うの? さあ……ああ見えて、気が強いところもありましたから。あなたも会ったことがあるなら、彼の人柄は知ってるんじゃないですか? 

 弟の森郷君とは、大人になってから何度か会いました。外見にそぐわず、どちらかというと物静かで、穏やかな人でしたね。子どもの頃からそうらしいです。


 わたしが中学一年生だった冬です。朝起きたら、いきなり講堂に呼び集められて、小学二年生だった女の子が昨夜から見つからないことを知らされました。その日の授業は中止になって、全員が捜索隊に加わりました。

 見つからなかったです。そうこうしているうちに、二人目が消えて……。

 一人目の遺体は、二人目の捜索中に見つかりました。見つけたのは、まだ小学生だった健弥君です。

 伊奈巳町は雪がたくさん降る町でしたから、冬になると、毎朝屋根から雪を下ろす作業があります。そのとき建物のそばを歩いていていると、落ちてきた雪に埋もれて出られなくなる、ということがときどき起こってました。その雪山の中から、真っ白になって凍りついた遺体が出てきたのだそうです。

 ここは雪なんて降りませんから、想像しにくいかもしれませんね。

 三人目が出たところで、子どもが捜索隊に入ることはなくなりました。ほとんど外出禁止のような状態になって、教室と寮を往復するだけの生活がしばらく続きました。先生方も大変だったでしょうね。

 妙な女子生徒ですか……。わかりません。ちょっと待ってください。話してるうちに思い出すかもしれませんから。

 お茶のお代わりは要ります? コーヒーもありますよ。そう、コーヒー。町にいた頃は珍しい品でした。


 いくら理由があっても、ずっと引きこもりみたいな生活を強いられてたら、だんだん精神が参ってくるでしょう? わたしは脱走する勇気なんてありませんでしたけど、夜に学校の敷地の外に出て行く子どもが、ときどき出たそうです。当時はセキュリティシステムなんて無かったですから。塀の隙間とか、桜の木の枝を使って外に出ていたのだとか。運動神経が良くて度胸のある子は、窓から塀を飛び越えたりして。

 ほとんどはすぐに明るみに出て反省室行きになってましたが、柊弥はうまくやっていたそうです。というより、あの子は、もともと無許可の外出の常習犯でした。何人かの生徒はそのことを知ってましたけど、柊弥はものすごく成績優秀で人当たりが良い子でしたから、誰も報告しなかったんでしょうね。

 中学二年生の夏ごろに、親類の法要があって、わたしは一旦実家に戻りました。外に出られたことが嬉しくて、空いた時間に運河の河川敷を歩いていたら、柊弥を見かけました。

 あ! そうです、その子です。その女の子と一緒にいました。いえ、恋人には見えませんでしたね。仲の良い男女の友達です。女の子が川に石や枝を投げて、柊弥が笑いながら何か話していました。楽しそうに、普段の柊弥の様子からは想像できない弾けぶりだったから、わたしもよく印象に残っていました。

 高校生は外出禁止令が出てませんでしたから、その女の子は高校生だったんでしょうね。少し大人びた外見でした。

 わたしも混ざって、少しだけ遊びました。女の子は茉奈まなという名前でした。

 ……わたしも柊弥と同じで、勉強が得意で大人たちに気に入られながらうまくやっていた子どもだったのですけど、そういう子は同級生から一線を引かれることがあるでしょう? そういう子どもの方が、案外、集団のルールを守るという意識が低いことがありません? 似た者同士という仲間意識が、お互いの中にあったんだと思います。だから柊弥はわたしに見られても狼狽えなかったし、わたしも大人に報告なんてしませんでした。それ以外に、理由はありませんでした。

 待って。その写真はどうやって手に入れたのですか? ええ、この子が茉奈ちゃんです。でも、どうして?


 森郷君は、小さい頃から学校に馴染めなかったそうです。ひどく内向的で、人と話すのが苦手だったのだとか。だから、体は大きかったのに、意地悪な子どもに嫌な目に合わされることがあったようでした。森郷君自身も、大人数でわいわい騒ぐよりも、一人でいるほうが安心する性分でしたから、その夜も一人で過ごしていたのかもしれませんね。だから、みんなが事態に気付くのが遅れたのかも。

 行方不明になった人数は、よく覚えていません。三人目以降からは、情報が入って来なくなりましたから。

 あの町は狭いから、どこからでも歩いて学校に通えたのに、どうして子どもが全員寮に入れられていたか、知ってます?

 情報をできるだけ分断するためです。大人と子どもの間で。その仕組みが、あの一連の行方不明事件のときに活かされたんですよ。きっと、それだけが理由じゃないでしょうけど。

 また放送で呼び出されました。もうとっくに秋が深まった頃です。日が沈んだ後だったので、かなり緊急を要する事態が起こったんだと、すぐに気付きました。

 柊弥と弟の森郷君、二人が同時に姿が見えなくなったそうです。

 校舎中を探しても、見つかりませんでした。町の中にも。普段は使わない猟師小屋から、倉庫まで探したそうです。図書館の書庫まで探した人もいたのですって。誰かが、柊弥がこっそり閉架書庫に侵入していたことを、告げ口したそうです。

 これまでと違って小さい子どもじゃないから、もしかしたら外森林にまで出ているかもしれない、と誰かが言い出して、森林管理局の方が主導して捜索隊が山に入ったそうです。わたしの夫――同級生です――が、父親に連れられて捜索隊に加わっていました。

 わたしが自分の部屋で軍手を探していたら、同い年の女の子が来ました。優香ゆうかという子です。

「ねえ、茉奈ちゃんがどこにもいないんだけど、知らない?」と訊かれました。

 わたしと同室だった先輩が、「茉奈って、冨岡茉奈のこと?」と聞き返しました。

「うん、その子なんだけど……」

「優香ちゃん、何言ってるの? 茉奈はもう何年も前にいなくなったんだよ」

「え?」

「わたしが中学生のときに町を出て行ったんだよ、その子。優香ちゃん、大丈夫?」

 わたしも思わず声を出しそうになりました。だって、わたしもつい最近、茉奈に会ってたのいですから。はじめは、「きっと同じ名前の、別の子だろう」と思ったのですが。

 でも、優香ちゃんが話の途中でこう言いました。

「茉奈と柊弥って、仲良かったでしょ? だから柊弥がどこにいるか知らないかと思って」

 本当に自分の頭がおかしくなってしまったのかと思いました。そうでなければ、何か大きな勘違いをしているのだろうって。

 いなくなったのは、どうも三人だったようです。でも、先生方も町の大人たちも、探しているのは二人だけでした。それどころか、三人目の茉奈のことは、大半の人が知らなかったのです。


 茉奈が移住した可能性に思い至らなかったか? そうね。最後に茉奈に会ってから、あまり期間は空いてませんでしたからね。

 外国の支援団体の力を借りて誰かが外に移住するときは、ほんの少数の家族や友人にしか知らせない決まりになっていました。親が子どもを隠してしまったり、友達同士で協力して脱走することがあって。わたしが生まれたのと同じ頃に、そのルールができたそうです。だから、さほど親しくない知り合いが、いつの間にかいなくなっている、ということはときどき起こりました。

 でも、そのときばかりは、おかしいと思いました。わたしが河川敷で柊弥と一緒にいるのを見た茉奈ちゃんと、三年前に伊奈巳町を出た冨岡茉奈はきっと別人なのだと、自分を納得させようとしました。でも、考えれば考えるほど訳がわからなくなって。自分がおかしくなってしまったのかと……。

 結局何が起こっていたのかはっきりしないまま、捜索は終わりました。

 見つかったんじゃありません。捜索隊に加わった子どもが、全員家に返されたんです。なぜか? 二人目の遺体が、学校の中で見つかったからです。

 立ち入り禁止だった屋上に、ほとんど白骨化した遺体が置いてあったそうです。いいえ。はじめからそこにあったのではなく、死後しばらく経ってから動かされたのだそうです。二人を探している最中に、屋上の扉が開いていることに気付いた生徒が、遺体を見つけました。

 柊弥が犯人だなんて、わたしははじめから信じていませんでしたよ。だって、そんなことをする理由なんてありませんし、あの子は病んでなどいませんでした。理由なんて、あとからいくらでもこじつけられるでしょう。

 家庭環境のことは、私も事件のあとに聞きましたけど、それがあの事件を引き起こすほど酷いものとは思えませんでしたね。上月さんはよく二人の面倒を見てくれていたようだし、近所の人や学校の先生も、柊弥と健弥のことはよく気にかけていたと思います。あの町に住んでいた人たちは、みんな森郷さんご夫婦に恩がありますから。

 でも、当時の伊奈巳町の人々に、本当の犯人を知ることは不可能だったでしょうから。


 わたしの夫は、少し前の災害対応訓練で、柊弥と一緒に町外遠征に行っていました。そのときの会話の内容から、柊弥と森郷君がすでに外森林にいるのではないかと見当を付けたそうです。柊弥は、自分が伊奈巳町の外で生まれた人間であることを、あまり隠しませんでしたから。隠そうとしても、あの異質な感じは、伊奈巳町の空気に完全に溶け込めるものではなかったです。まあ、平たくいえば、ちょっと変わった子でした。私は気にしなかったけど、それを理由に柊弥を嫌う子も、少なくありませんでした。

 あなたも伊奈巳町に行ったことがあるのね? いつ? 

 あの豪雨の後に……。それは大変だったでしょう。あなたがいなければ、こうして今も苦しんでいる人たちがこの国で声を上げることなど無かったでしょうね。

 

 夫――そのときはまだ友人でしたが――の予感は当たっていました。森林管理局が森の中に置いている監視装置に、柊弥と、森郷君、そして、冨岡茉奈の姿が映っていたんです。ええ、冨岡茉奈のことは伏せられていました。ただ、「二人が映り込んでいた」とだけ。彼女は公的には存在しない子でしたから。わたしが冨岡茉奈もその場にいたことを知っているのは、回収された資料の中身を読んだからです。公文書だけでも文字表記が同じなのは、助かります。

 正確には、冨岡茉奈と森郷君が先に姿を見せ、それを追うように柊弥が歩いていたそうです。懐中電灯とナタを持って、不安そうにあたりを見回しながら進んでいるのが見つかりました。


 夜明け前に連れ戻されたのは、柊弥と森郷君の二人だけです。森郷君は、お医者さんが諦めるほどの酷い怪我をさせられていましたが、何ヶ月もかけて傷を治したそうです。柊弥は、どうなっていたのか知りません。名前すら口に出すことはできない雰囲気でしたから。でも、森郷君に比べたら、軽傷だったでしょうね。

 柊弥の姿は、それから一度も見ていません。大人たちは何も言いませんでしたが、死んでしまったか町を出て行ったかのどちらかしか有り得ないでしょう。わたしは早々に事件を記憶の底に封じ込めることを選びました。こうしてはっきりと覚えているのは、心のどこかで、罪悪感を持ったままでいたのかもしれません。わたしは柊弥の無実を訴えることもできたのに。


 森郷君には、町の外から呼び寄せたカウンセラーがあてがわれたそうです。誰もが森郷君のことを、兄に殺されそうになった可哀想な子どもだと思っていました。森郷君自身が違うと言っても、それは覆ることない事実になってしまっていました。

 二人の言う、真犯人の少女は存在しない。賢いけれども心に闇を抱えていた柊弥は、罪を逃れるために犯人をでっち上げ、繊細で弱い森郷君は、自分の心を守るためにそれを信じた。誰もがそう思い込まされ、事件を忘れようとしました。わたしたちは、一番弱い犠牲者を踏み潰したのです。

 森郷君が失踪したのは、事件から三年が経ったときです。

 

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