第二章

7. 外森林 森郷健弥 

 災害対応訓練の日が近付いてきた。訓練では、火災や地震、洪水といった災害への対処訓練を町全体で行い、三日ほど擬似的な避難生活を経験する。訓練は、来たるべき災害への備えをするとともに、町民どうしの連帯感を高め合う大切な行事だった。

 中学二年生になると、全体の半分がこの災害対応訓練の日に、町外遠征を経験する。都市遺跡の各所に設定された目的地に向かい、そこで一晩を過ごす。行き帰りには約三日半をかける。


 朝六時のチャイムが鳴った。いつもなら活動している町民は少ないが、すでに町は活気で溢れていることだろう。

「上月さん、羽山くん、大塚さん、長岡くん、荷物はぜんぶ持ちましたか? 途中で忘れ物をしても、取りに行けませんからね」

 中学教諭の宮脇みやわき先生が、四人の子どもたちを見て言った。四人は「はーい」と元気よく声を揃えて、手を挙げる。熊よけの鈴がちりちりと鳴った。

 退屈な出発式を終え、町外遠征に参加するメンバーは四人ごとの班に分かれ、それぞれが使用する登山道の入口に到着した。

 健弥と宮脇先生の二人が先に登山道へ入った。四人の子どもたちは、境界線代わりに植えられた低木のそばで固まって、地面を見つめている。

「早く来な」 

 健弥は声をかけた。

 町の内と外に、はっきりした仕切りや柵は無い。空き地のある地点を境に草が刈られていなかったり、水路の蓋が取り替えられていなかったりといった地形的な違いを見ることで判断できる。内と外の間に立つ心理的な壁は大きい。境界線の近くに住む町民は、平気で外に山菜を摘みに行ったり釣りをしたりすることがあるが、中心部に住む人は境界線に近寄ることすら嫌がる。

 勝ち気そうな少女、大塚梨沙おおつかりさが、見えない線をステップで飛び越えた。大柄で少しふくよかな少年、長岡拓真ながおかたくまが後に続く。

 まだためらっている希帆の背中を、誠が勢いよく押した。希帆はバランスを崩して前に数歩進み、境界線を越えてから立ち止まった。

「ちょっと、何すんの!」

「後がつかえてるぞ」

「最悪」

 希帆は誠の肩を思い切り力を込めて叩いた。バン! と大きな音が鳴ると、誠は「痛ったいなあ!」と叫ぶ。

「ほら、喧嘩しない。出発だぞ」

 健弥は笑いながら言った。希帆と誠は体格が似ている上に仲がいいので、双子の姉弟のようにも見える。

 予定では、少しずつ休憩を取りながら三時間ほど歩くことになっていた。用意した昼食を食べ、夕方には最初の拠点、〈くすのき館〉に到着する。二日目には最終目標「リバーサイドホテル鯉沼」で夜を過ごす予定になっていた。

「あ、狐だ!」

 拓真が叫んだ。四人は茂みの近くに集まって、動物が通り抜けていった穴をじっと見つめる。

「どんなのだった?」

 梨沙が訊いた。

「ちっちゃくて、猫みたいだった。でも尻尾と耳が大きいんだ。毛皮がふわふわしてた。可愛かったな」

「狐くらい、どこにでもいるぞ。列を離れるなよ」

 健弥は先頭から呼びかけた。

「何なら猿も熊も猪もいる。野犬を見たときはすぐに知らせろ」

「はーい」

 希帆が威勢よく手を挙げた。勢い余って木の枝にぶつかり、「いてて」と腕を引っ込める。

 誠がにやにやと笑い、「アホめ」と言った。

「そうだ。人はいるんですか?」

 誠が訊いた。隊列が静まった。

「いるぞ。めったに会わないが。事前講習で何か聞かなかったか?」

「あんまり。動物の話ばかりでした」

 管理部の奴め。健弥は心の中で毒づいた。あれだけよく注意しておけと言ったのに。 

「じゃあおれが説明しようか」

 健弥が問いかけると、子どもたちが頷いた。宮脇先生は「本当にいるんですね。わたし、昔の話とばかり」と言った。

「基本的には、町の外で人に会っても、絶対に自分から近寄ったり、接触しようとしてはいけない。遠くから声をかけたり、手を振るのも駄目だ」

 少し前までは、森林管理局でもそのルールは徹底されていなかった。きっかけは、外の人間と積極的に関わっていたある調査員が、放浪者の格好をした遺跡盗賊に殺害され、持ち物をすべて奪われた事件だった。

 伊奈巳町の外で出会う人間は、いくつかの種類に分けられる。

 まず、伊奈巳町から最も近い場所にある集落の住民。森林管理局が細々と交流を続けている村だ。友好的で気さくな人々が住んでいる。

 それから、漂流民。家族やパートナーと行動し、森の中を移動しながら暮らしている。大半は安全だが、警戒心の強い漂流民には注意が必要だ。

 そして、遺跡盗賊。彼らにとって、未復興国の人々は、猟師に狩られる鹿のようなものだ。もし姿を見たら、絶対に近付いてはいけない。戦いになれば、ひたすら隠れて夜を待ち、彼らが目を失って動けなくなるときに襲撃するしかない。それでも勝ち目は薄い。

 次に、イレギュラーな遭遇者。健弥が港で会った調査団のような人々だ。こちらに対して興味津々で、親切に振る舞うが、接触するまで遺跡盗賊と区別が付かない。

「あと……」

 健弥は言いかけて、言葉を飲み込んだ。宮脇先生のいるそばで口に出すわけにはいかない話題だったからだ。彼らと接触したことがあるのは、町のごく一部の人間を除けば、健弥しかいない。

 琉球陸軍。廃墟や森の中で、ずっと何かを探している。いま、この瞬間も、健弥たち一行を見ているかもしれない。

 

 健弥の簡単な講義が終わり、一行は最初のチェックポイント、伊奈巳ダムに到達した。出発から一時間が経っていた。ペースは順調だ。

 建設から長い時間が経つダムは、老朽化が進み、頻繁な水量調節を必要としていた。管理員が常駐しているが、前時代末期に取り付けられた自動制御用のコンピュータがまだ生きているため、放水は人間の操作を介さずに行われる。

 いつかはダムも使うことができなくなり、コンピュータは壊れる。が、伊奈巳町の人々にそれを修復する能力は無い。

「あった!」

 希帆が巧妙に隠されていた暗号の欠片を見つけた。青いペンキで書かれた数字をメモし、一行は次のチェックポイントを目指すために登山道へ戻った。

「ちょっとお腹空いてきたね」

 梨沙が呟いた。

「ぼくは出発してすぐから腹ペコだよ。あの、お昼休憩はまだですか?」

 拓真が宮脇先生に話しかける。

「まだです。二つ目のチェックポイントに着いたらすぐ休憩ですから、それまで頑張ってください」

「えぇ。お腹空いたぁ」

「うるせえな、おまえは。朝ごはんたくさん食べてこいって言ったろ?」

 誠が拓真の頭を押した。

「こら、おまえなんて言葉、使っちゃだめです」

「わかりました。拓真くぅん、朝ごはんはちゃんと食べなさいって言ったわよねぇ?」

「その喋り方、キモい」

 梨沙が言った。

「おい、ちょっと。キモいはいいのかよ。先生! 大塚さんの言葉遣い、ガサツじゃあないですか?」

 健弥は「うるさいなぁ」とごちて、頭を掻いた。

「誠ってさ、ずっとあんな感じだけど、わたしのクラスで一番頭良いんだよ」

 希帆が耳打ちした。

「ああ。そういうもんだよ、秀才って」

「健弥って、勉強は得意だった?」

「全然ダメだった。それに中学からはほとんど学校に通わなかったから」

「あ、そうなんだ。なんか悪いこと訊いたね」

「いいよ、別に」

 希帆は健弥から離れて、ますます騒がしくなった三人のいる場所に混ざった。誠が何か叫び、拓真の腹を太鼓に見立てて叩き始める。

 果たして、最後まで何も起こらずに町に帰れるだろうか。健弥は思った。

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