6. コラム「分断の世代」抜粋
22☓☓年3月25日、一人のプロバスケットボール選手が自ら命を絶った。二十二歳だった。
彼の類稀なるバスケットボールの才能は、幼い頃からその片鱗を見せていた。誰もが彼の未来に期待を寄せ、彼もまた、プロとして世界で活躍する選手になることを目指した。中学はバスケの強豪校で進学校でもある国立M中学を選び、高校もその付属校に進学した。
彼の活躍を喜ばなかったのは彼の両親だ。大学院を卒業し、社会的地位の高い職に就く彼の両親は、彼にバスケではなく自らと同じ道で生きていくことを望んでいた。彼がそれを拒みバスケに熱中すると、両親は彼に対し徐々に厳しい態度を取るようになったという。
もともと過干渉気味だった両親の教育は度を越し始めた。彼は友達と連絡を取ることや外出することを禁じられ、ネットワークからも切断された。時には部屋に監禁されたり、食事を与えられなかったこともあったという。
「僕の体が弱れば、バスケを辞めてくれると思っていたんじゃないでしょうか。スポーツでだけで生きていくことは難しいし、怪我のリスクもあります。両親は僕に不安定な道を歩んでほしくなかったようです」
彼が高校二年生だった十一月、両親は彼に殴る蹴るの暴行を加えた。バスケをするどころか歩くことも満足にできなくなり、彼は病院に運ばれた。
「医師にこれは虐待だと大声で怒鳴られましたが、両親はまだ、自分たちのやったことが教育の一環だと信じていました。それどころか、僕が回復しないことを望んでいるふしすらありました。もうその頃には、精神が限界に達しようとしていましたね」
きっかけは、彼が友達に連れられて自分の部屋を脱出したことだという。地域の体育館でバスケを楽しんでいた彼のもとに、両親が現れた。彼はそのときの両親の様子を「笑っている石の仮面」と例える。
「僕の両親はいい学校を出て、立派に働いて子供を育てて、世間的にはとても優れた人のように見えるでしょう? だから周りの人は、両親が僕にしたことの罪の重さをすぐに理解して反省したと思っていたんです。じっさいには、両親はそう見えるよう振る舞っていただけだったんです」
彼の父親は刃物を彼に突き付けた。親子は激しく争い、不幸にも刃物は父親の腹部を貫いた。母親は血を流して倒れる父親のそばで呆然と座っていたという。
彼の手には血に濡れた刃物があった。
「虐待を受けるようになってから、ずっとぼうっとしていた頭が、なぜか氷水に漬けたみたいにすうっと冷えて、僕は冷静にものを考えられるようになっていました。父は助からない。医学知識の無い僕にもそうわかるほど、父の出血はひどかった。そのとき、こんな考えが頭をよぎりました。これで母も刺してしまえば、僕はこの地獄から解放されるのではと。もう、本当に頭がおかしくなっていたんです」
母親を殺害した彼には、数年の保護観察処分が下される。将来有望な高校生スポーツ選手に起こった一連の悲劇は、琉球連邦共和国内で大々的に報じられた。
処分を終えた彼は、国の施設で暮らしながら、もう一度バスケットボールを始めた。少しずつ、かつての実力を取り戻した彼のバスケは、プロ入りが可能なレベルにまで成長する。
この国では、能力は等しく評価される。罪を償い、相応の実力を身に着けた彼は、プロとして活躍する資格を有していた。国家福祉は両親のいない彼を支え、両親のいる他の子供たちと同様に夢を追えるよう手助けをする。
紆余曲折を経て、とあるチームが彼を受け入れた。彼はプロバスケットボール選手としてのキャリアをスタートさせた。新たな競争を彼は勝ち抜き、チームは彼の活躍により、国内で行われたある大会で優勝を果たす。表彰台で栄光を受ける彼の脳裏に、ふとある考えが飛来した。
「とても素晴らしい景色でした。世界で活躍するバスケットボール選手になるという夢に、僕は順調に辿り着こうとしている。そう実感しました。それは僕が、両親を殺してまで見たかった景色だったのです。あのときの僕はこう考えていました。たとえ孤児になっても、僕にバスケの実力がある限り、周りの人や国に助けられて、夢を追うことができる。この国はそういう国だから。僕の未来を真っ暗にしてしまう両親なら、いないほうがずっといいのでは、と」
彼が最期に残した音声に、両親に対する贖罪の言葉は無かった。虐待というどん底から這い上がり、世界の舞台に立つことを目指していたはずの彼は、夢の途中で死を選んだ。
彼のような子供が増えている。幼い頃から虐待を受け、体力が親を上回る青年期に、親を殺害する。あるいは、軽微な犯罪歴があったり、薬物依存症、ギャンブル依存症、定職に就かない親から離籍して、全くの他人として生きる。
子供たちのあらゆる才能が資源として最大限に活かされ、その境遇や経済環境に関わらず最適な教育を受けられるこの国では、時に子供たちによって、害となる親は排除される運命にある。
これは、親が子供たちの教育と養育の大部分を担い、精神面から経済面に至るまですべての面倒を見ていたかつての社会では、まだ少なかった現象である。
親が子供たちの将来を邪魔するのなら、捨ててしまったほうがずっといい。なぜなら私たちには輝ける未来が待っているはずなのに、親がそれを奪おうとするのだから。
私が取材した子供たちには、そう言う者もいた。
両親のいる家庭で育った子供と、そうでない子供の最終学歴や生涯収入の差は、ほとんどゼロといえるほど埋められてきている。
その過去、境遇、人種、国籍、性別、障害の有る無しに関わらず、能力があると認められた子供にはふさわしい道が開かれる。スタート位置は皆が同じだ。それは世界の誰もが望んでいたことであり、ようやくこの国で叶えられたことでもある。
それが親子という確固たる絆を不安定なものに変え、世代の分断を進めるなど、いったい誰が予想し得ただろうか。(略)
文
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