3. しらかば館 森郷健弥 

 倉庫に保管されているデータプレートは百枚以上ある。すべて、健弥たち調査部が都市遺跡から持ち帰ってきたものだ。

 健弥はプレートを一枚手に取った。大きさは十センチ×八センチ×一センチ。すりガラスのような質感で、やや重い。プレートの右下には、小さな文字で「卒業アルバム」という刻印があった。ここに保管されているのは、機密性の無い情報を記したプレートばかりで、他愛ない家族の記録が多い。他のプレートを手に取って見ると「家族写真」、「大会ビデオ」とそれぞれ刻まれていた。

 前時代の末期に普及した石英記録媒体は、歴史資料や生物のDNAデータを半永久的に保存するための装置として生まれた。やがて一般家庭にも広まり、多種多様なデータが一枚のガラス板に収まるようになる。火や水や磁気に晒されても劣化しない石英記録媒体は、健弥たち未来人に、かつてこの島で繁栄していた文明の記録を伝えていた。

 中には国一つのパワーバランスを動かしてしまうようなデータが保存されたものもある。調査部職員と遺跡盗賊との機密データプレートの奪い合いは、時に死者を出すほど苛烈なものだった。

 これまで用途のわからないただのガラス板とされていたデータプレートの意味を伊奈巳町の人々が知ったのは、柊弥の来訪がきっかけだった。彼の持っていたプレートは町の上層部に渡り、内容は公表されていない。柊弥自身も、そこに何が刻まれていたのか、いっさい知らなかった。


 倉庫の小さい窓から、オレンジ色の光が差し込んでいた。夕餉の匂いが漂ってくると、自然と空腹を感じた。

 倉庫の扉を開けると、しらかば館で飼われているライウがいた。大きな雑種の黒犬は、長い舌を出して尻尾を左右に振っていた。

 健弥はライウの頭を撫でた。二、三年前までは調査に連れ出すこともあったが、今は一日のほとんどをのんびりと寝て過ごしている。もともとは野犬だ。

 ライウは健弥の手を何度も甘噛みした。

「こら、痛いだろ」

 普段は大人しいライウが飼い主の手を噛むのは珍しかった。どことなく落ち着かない様子で、しきりに足踏みをしてどこかに行きたがっている。健弥が倉庫の外に出ると、ライウは登山道の入口まで走って、振り返った。

「散歩なら自分で行ってこいよ」

 ライウはウワン、と吠えた。健弥が後を着いていくと、やや浮かれた足取りで登山道を進んでいく。歩いてはまた振り返って、健弥が追いつくのを待っていた。

 数分で平坦な広い道に出た。数メートル先でY字に分かれており、向こう側はなだらかな急斜面になっている。

 そこに猫がいた。町でよく見る三毛やサビ柄ではなく、真っ黒で毛足が長い。平らに潰れた鼻と、逆三角形の黄色い目をした上品な猫が、前足を揃えて座っていた。

 健弥が猫を抱きあげようとすると、猫は腕をするりと抜けて逃げてしまう。

 猫とライウの二匹が並んで、同じ方向に歩き始めた。ライウは困惑している健弥を見ると、また吠えた。

 動物の勘には従うが吉だ。健弥は二匹を追った。

 三十分ほど歩くと、狭い登山道から平坦な広い場所に出た。

 そこは採石場の跡だった。切り立った滑らかな崖に仏像が彫り込まれている。まだ日本という国があったころ、信心深い誰かが、未来に希望が戻ってくることを願って彫ったのだと、健弥は聞いていた。

 その仏像には顔が無い。砕けた岩が足元に転がっている。誰が砕いたのか、なぜ砕かれたのかは、誰も知らない。

結跏趺坐を組んだ仏像の脚の上に、人が横たわっていた。子どものようだ。

 健弥は石を登って、仏像の脚の上に立った。見慣れない服を着た少年が眠っている。

 少年の髪の色は赤煉瓦のように鮮やかだった。顔や手の甲に褐色のそばかすが散っている。

 猫が何かを訴えかけるように鳴き続けていた。

「大丈夫か?」

 健弥が少年の頬を軽く叩いて肩を揺すると、少年はゆっくりと目を開けた。髪と同じ色の睫毛に囲まれた大きな目は、とても薄い灰色だ。

 少年は目をぱちくりさせると、わっと声を上げ、健弥に抱きついた。首に手を回してすすり泣きを始める。

 戸惑いながらも、健弥は少年の背中に手を回した。ひどく細かった。何日もひもじい思いをして歩き続けたのだろう。一週間前、廃墟で人に会ったときのような恐怖は不思議と感じなかった。

 少年を抱えて仏像から降りると、健弥は振り返って一礼した。

「この子を守って下さり、ありがとうございます」

 黒猫とライウが、二人に並んで歩いた。

「お前たち、もう友達になったのか」

 健弥はすこし屈んで、ライウの頭を撫でた。

「よくやったな」


 ライウはワン、と吠えた。

 

 

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