第14話 いたずら妖精
狼になると、乗って、とバルクは言う。
〈でも、どうして泉に?〉
「『離脱』のポートを作るんだよ。ああ、『離脱』は知ってる?」
〈場所から場所に瞬間的に移動する魔術のこと?〉
リコはバルクの背中に乗る。
「そのとおり」バルクは歩き始めた。「その目印を、帰ってきたい場所にあらかじめつけておくんだよ。塔にもポートを作った。けど、念には念を入れて、中間地点の泉にもポートを作っておこうと思って」
少しずつスピードを上げて、駆け足になる。
〈一度行っただけで道を覚えてるの?〉
「自分が通ったところには必ず痕跡が残ってるからね」
〈便利だね〉
「ふふっ、まあね」
泉につくと、バルクは人間に戻った。
「ポートは、大抵大きな石や、木に作るんだけど…」
と言いかけたところで、言葉を区切った。
泉の水面が揺れている。風のせいではない。何か、大きな魚のようなものが泳いでくる様子に似ている。しかし姿は見えない。強い水の要素を感じる。こちらに敵意があるようにも思えないが。何者だろう。
水面が持ち上がる。現れたのは、水の精霊だった。髪の長い少女の姿をしている。氷の彫刻のように、向こう側が透けて見える。
「あなた、リコでしょう?」
水の精霊が言った。
(自然の精霊だ。初めて見た)
「そうよね! 一度話してみたかったの! でも、いつもあのおっかないドラゴンが一緒だったから」
泉からは次々に水の精霊が現れた。皆、似たような少女の姿を取っている。リコはあっという間に囲まれてしまった。
(あれはしばらく時間がかかりそうだ)
バルクは先に仕事を片付けることにした。泉のほとりに立っている、立派な木のところへ向かう。
(君の力を借りるよ)
バルクは木の幹にサインした。
(これでよし。これだけしっかりしたポートがあれば、死にかけて塔まで戻る力がなくなっていても、ここまでは帰れるだろう…)
最早リコは水の精霊だけでなく、その辺にいるありとあらゆる精霊に取り囲まれていた。
バルクは木陰に横になった。空は晴れて、僅かに風が吹いている。季節は春から夏に移り変わるところで、一年で一番いい季節だった。
(色んなことが一度にありすぎて、何年も経ったみたいだ)
バルクは目を閉じる。視覚を塞ぐと、頭が勝手に色々なことを考え始める。今までのこと、聖域でのこと、神獣について、リコについて…。
バルク、世界には驚くような人間がいる。
思考が過去の一場面を勝手に再生し始める。ランプの灯りに照らされた師匠の横顔。季節は冬で、あの時の空気の匂いまでが蘇ってくる。
歌うように、踊るように、自然に魔術を使う者がいるんだ。
そういう者に敵として出会ったなら、絶対に戦うな。
味方として出会ったなら、決して離すな。お前が女を愛する男か男を愛する男かそのどちらでもないのかは知らないが、そんなこととは全く関係なく、その者はお前の魂を「持っていく」だろう。後悔するな。
(魂を持っていかれるの意味がわからなかったけど、今日、わかった。師匠の言うとおりだった。今にして思えば、おそらく師匠もそういう存在に出会ったことがあったんだな…)
目を閉じたまま、取り留めなく考えごとをしていると、精霊たちから解放されたらしいリコが近づいてくるのを感じたが、うとうとしていたのもあり、バルクは目を瞑ったままでいた。
(寝てるのかな…)
木陰に寝転んでいるバルクを見て、リコは思う。自分自身に照らして考えると、こんないい場所に寝転んで目を瞑っていたら、眠らずにいられるわけがなかった。
リコはバルクの傍に腰を下ろす。顔を覗き込むが、やはり眠っているようだった。
(睫毛長い…)
肩にそっと触れてみる。動かない。
今度は、そっと頬に触れてみる。頬から顎、顎から首筋、襟元、肩へ手を滑らせる。
バルクは可笑しくて仕方がなかった。こちらが完全に眠っているものと思っているらしいのが可愛いし、拙い触れ方は、くすぐったいし、何より焦れったくてたまらなかった。ちょっとしたいたずら心で、バルクは肩から腕をなぞって手に触れたリコの手を素早く握って引き寄せると、背筋を使って体をさっと入れ替えた。
簡単に組み敷かれてしまったリコは息が止まらんばかりに驚いて、目をぱちくりさせている。
バルクは額と額をくっつけて、いたずらっぽく笑いながら言った。
「こぉら、いたずら妖精。悪い狼にいたずらして食べられちゃう話を知らないのかい?」
〈…っ、ごめんなさい。寝てるのかと思って。ううん、寝てたってダメなんだけど。でも…だって…、バルクに触りたくて、つい…〉
驚かせすぎた感があるが、真っ赤になってしどろもどろになっているリコは本当に可愛らしかった。胸の下で、リコの胸が荒く上下しているのを感じる。
「触りたければ、触ればいいんだよ。でもその触り方、ちょっと、焦れったいかな」
唇を重ねる。舌でリコの唇を、舌をなぞる。
〈バルク…〉
リコはバルクの指に自分の指を絡めた。心臓はありえない速さで脈打っているし、頭はぼうっとして、何も考えることができない。舌先をなぞられると、背骨の一番下、腰のあたりがむずむずする。
(くるしい。でも、くるしくって、気持ちいい…)
やっと唇が解放されて、リコは荒く息をした。
その表情を見てこみ上げてきた衝動を、バルクはなんとかやり過ごした。
リコを抱き起こす。
「帰ろうか。みんなに探される前に」
〈やだ〉
バルクの胸に顔を押し当てる。
〈もっと、こうしてたい…〉
胸から顔を上げる。視線が絡まる。二人は再び唇を重ねた。
「今夜、きみの部屋に行くよ」
唇を離してバルクは言う。リコは目を閉じたままうなずいた。
塔に戻ったのは夕方だった。大騒ぎになっているかと思っていたが、予想に反して探されてはいなかった。
「つかまって」
バルクは言うと、リコを横抱きに抱き上げた。
リコは驚いてバルクの肩にしがみつく。バルクはさっきと同じように跳んだ。あっという間にリコの部屋の前に着く。
「もうすぐ食事の時間かな」
額にキスをして、そっと下ろす。
リコは名残惜しそうにバルクの手を取り、顔を見上げる。
「食事が冷めると、シェフに怒られちゃう」
確かに、そうだった。リコも笑った。
「あっ、バルクもいたんだ」ジーが食堂から顔を出す。慌ててリコはバルクの手を離す。「食事の準備ができたよ」
その日の夕食もとても美味しいのだろうとリコは思ったが、どぎまぎしてしまって、あまりよくわからなかった。時間を置いてさっきのやりとりを思い出すと、顔が火のように熱くなった。
そっとバルクの顔を盗み見る。バルクはいつもどおりに見える。
(バルクは、どう感じてるんだろう…。わたしは、どきどきしてる。すごく)
付け合わせの丸い豆が全く捕まらないので、諦める。
食事が終わると、バルクとリコはいつものとおり別れた。別れ際、バルクの唇が「あとで」と動いた。
リコは部屋に戻ると、バスタブに湯を張った。
(あ、そうだ)
戸棚を開けて、可愛らしい装飾の小瓶を取り出す。前、町に出かけたお土産にと風が買ってきてくれたものだ。甘い香りのオイルで、バスタブに入れると自分がいい香りになってとても気分がいい。
(これって本来、こういうものだったのかぁ。知らないことって、いっぱいあるな…)
バスルームの窓から、群青色に変わっていく空を見上げる。星が輝き始めていた。
(明日もいい天気)
リコはため息をついた。自分で自分の胸に触れる。
(あの指で触れられたら、どんな感じがするんだろう…。でも…、ちょっとだけ、怖い)
バスタブに身体を沈める。
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