第13話 封印

 リコは自室にいた。椅子に座り、空中に向かって両手を広げている。空中には、4つの光の玉が浮かんでいた。


(4つの力を重ね合わせて…)


 赤青黄緑の四つの光の玉が集まり、1つの白い光になる。

 しかし、それも一瞬のことで、光はすぐにそれぞれに分離して、小さな粒になり、散ってしまう。

 リコは絶望的な気持ちでテーブルに突っ伏した。


「リコ、ちょっと休憩すれば?」


 ファミリアがハーブティーの入ったカップをテーブルに置く。


〈ありがとう、ジー〉


「誰でも最初は上手くいかないもんだよ。これは自慢だけど、僕はカップを50個は割ってるからね。でも今では、このとおりさ」


 ファミリアのジーは、鼻をひくひくさせた。


〈ジーはえらい〉


 リコはファミリアの頭を撫でた。


〈あああー、それに引き換えわたしは。守護者が「封印」を決められなきゃ、意味ないのに…〉


 リコは両手で顔を覆う。


「あぁ、リコ? 何か楽しいこと考えよう? 風が作ったケーキのこととかさ」


〈フルーツがいっぱい乗ってて、あ、やっぱりチョコのやつ…タルトかな…あああー考えがまとまらない〉


「困ったな…そうだ!」


 ジーの耳が元気よくピンッと立った。


「お茶飲んでて!」


 転がるように部屋から出ていく。



 ジーは転がるように階段を降り、渡り廊下を渡り、バルクの部屋にやってきた。ドアをノックするが、返答はない。


「いない! こんな時に!」


 ジーは地団駄を踏んだ。


「どうしたの、ジー?」


「ルー! バルクは?」


 ルーは、ジーの勢いに圧倒されながら答えた。


「なんか、ポートを作りに行く?とかで、ついさっき出かけたけど?」


「こんな時に!」


 再びジーは地団駄を踏んだ。


「どうしたの?」


「リコが『封印』の練習してるんだけど、全くできないって言ってしょんぼりしちゃっててさ。どのケーキが食べたいかもわからないんだよ!」


「大変だ」


 ルーは身震いした。


「そんなの、熱出す前の日じゃないか!」


「だろ?」


「探しに行こう」


 2体のファミリアは、階段に続く渡り廊下に転がり出た。


「あっ、見て、ジー!」


 ルーが1階のホールを指す。バルクとジュイユが何事か話していた。


「まだいたんだ、良かった!」


 大急ぎで階段を駆け下りる。

 バルクとジュイユは何事か話し合っていたが、ジュイユは去っていった。


「バルク!」


 バルクは転がるように駆けてくる2体のファミリアを見た。


「やあ、どうしたの?」


「バルク、リコを助けてあげて。『封印』が全くできないって、しょんぼりしちゃってるんだ」


「僕に何かできることがあるのかな」


「あるよ!」


「うんうん!」


 2体のファミリアはその場でぴょんぴょん飛び跳ねた。


「わかった。じゃあ、行こう」


 バルクは屈んでファミリアの背中に腕を回すと、地面を蹴った。人間の跳躍力を遥かに超えて、一番近い渡り廊下の手すりに達すると、手すりを蹴ってもう一度跳ぶ。


「わあっ!?」


 ルーが驚いて必死にバルクにしがみつく。


「すごい!」


 ジーはきょろきょろ首を動かした。

 あっという間に塔の最上階に着く。


「風みたい!」


 ジーは興奮してぴょんぴょん跳ねたが、ルーは腰を抜かしてその場に座り込んだ。


「びっくりした〜」


「ごめんよ」


 バルクはルーを助け起こした。


「もうっ」


 ルーがぷんぷん怒りながら助けられている横で、ジーはリコの部屋をノックした。


「リコ! お客さんを連れてきたよ!」


 気を取り直して、もう一度始めからやり直そうと立ち上がったタイミングで、ジーの声がした。

 ドアを開けると、ほかにバルクとルーがいる。バルクは膝をついて、両腕で、転んだルーを助け起こしているようだ。そのままの姿勢でこちらを振り返る。


「やあ」


 顔が熱くなるのを感じる。リコは曖昧にうなずいた。


「仕事が残ってるんだから、僕行くからね!」


 もうっ、とルーはもう一度言って背を向けると行ってしまった。


「ルー、ほんとにごめん」


 バルクはその背中に謝ったが、ルーは振り返ってくれなかった。


〈どうしたの?〉


「すごいんだよ! バルク、僕ら2人を抱えてぴょーん、て! それで、あっという間に着いちゃった! ルーはちょっと怖かったみたいだけど」


「悪いことしちゃったな。後でもう一度謝るよ」


「大丈夫、ルーは本当には怒ってないよ」


「そうだといいんだけど」


「友だちの僕が言うんだから、間違いないよ!」ジーはリコの方に向き直った。「リコ、バルクに『封印』を見てもらったら?」


「それならジュイユ師の方が…」


「ジュイユは、リコに教えられることなんかないって、相手にしてくれないんだよ」


「僕にしてもそれはそうなんだけど、まあ、何か役に立てることがあるかもしれない」


〈きっと笑われると思う…〉


 リコは自信をなくしてすっかりしょげていた。


「大丈夫だよ。最初から上手くいく方がおかしい」


〈そうなの?〉


「そうだよ。僕も焦ってると、今だに失敗することはあるよ」


 リコはそれを聞いて、少し気が楽になったようだった。


〈入って〉



「『封印』っていうのは、具体的にはどんなものなんだろう。君はどうやって知ったの?」


〈先代の日記で参考にしたものがあるから、持ってくる〉


 リコは隣の部屋に入っていった。そこは壁の三方が本棚になっていて、ぎっしり天井まで本が詰まっている。その中から迷わず1冊を手に取る。

 しおりが挟んであるページを開いて差し出す。


「借りるね」


 バルクは立ったまま読み始めた。

 


 リコは、真剣に日記に目を通しているバルクの横顔をそっと見つめた。

 少しうねりのある、焦茶色の長い髪。光の具合によって、水色に見える灰色の瞳。真っ直ぐに通った鼻梁。薄い唇。


(手、大きい。指が長くてきれい…)


 リコは慌ててかぶりを振る。


(この切羽詰まった時になんでこんなこと考えちゃうんだろう。ちょっとオカシイのかなわたし)


 落ち着け、とリコは自分に言い聞かせる。


(でも、あの手に触りたいな。ちょっとだけでいいから…それで、もう一回…ああもう、だから! なんで! 落ち着け!!)


 リコは頭を抱えて、落ち着きのない犬のようにその場でくるくる回った。


「どうしたの!?」


 バルクが驚いて尋ねる。リコは慌てて首を振って誤魔化した。


「大体わかったよ」


 バルクはテーブルに日記を開いたまま置く。

「『封印』っていうのは、魔術の類型で言うところの『結晶化』だね。こういうの、見たことはあるかな…」


 バルクは空中に円を描いた。

 そこに、水色の、鏡のような円盤が現れる。


「魔術師が使う『盾』だよ」


〈ジュイユが使ったのを、一回だけ見たことある〉


「要素を凝縮して発生させて、主に属性攻撃を吸収反射相殺するために使う。厚く張って壁にすれば、ある程度の物理攻撃も防ぐことができる」


 バルクが手を振ると、円盤は霧散した。


「これを、四要素同時に行うのが、『封印』ってわけ。…嘘みたいな話だ。一度、どういう感じか見せてもらっていいかな」


 リコはうなずいた。空中に手を広げる。4つの光の玉が出現した。


(合わされ…!)


 光の玉は空中で互いに衝突し、一瞬眩しい光を放つと先ほど同様、光の粒になって消えてしまった。


(やっぱりダメだ…)


 リコは救いを求めるようにバルクを見る。

 バルクは、先ほど光が浮かんでいたあたりを見つめていた。右手を顎に添えている。人差し指の先が、唇に触れていた。リコの目はバルクの口許に自然と吸い寄せられる。


(だから!)


 リコは意識してバルクの顔から目を逸らした。


「僕が見るところでは、必要なことはちゃんとできていると思うんだよね。これはこれで完成だと思う。あえて言うなら、4つの要素を合わせる時、今はぶつかり合ってるのを、もっと自然に、混ざりあうような感じにできないかな。渦を巻きながら、ひとつに融合していくように」


 リコはかぶりを振って雑念を追い払った。


〈やってみる〉


「あ、あと、コツを掴むまでは、言葉と、身振りも使った方がいい。魔術は術者の想像力によるからね。言葉や身振りは、想像力の手助けをするんだ」

 リコはうなずいた。再び空中に光が現れる。リコが右手を時計回りに動かすと、4つの光もそれに応じて回転し始めた。だんだん光度を増していき、色の区別がなくなってくる。


 四つの力よ

 回れ

 混ざりあえ

 合わされ


 光の玉が渦の中心で重なると、空中に七色の光を放つクリスタルが出現する。が、それも数秒で内側に向かって崩壊してしまった。リコは心底がっかりして、バルクを見上げた。

 バルクの表情はリコの予想とは違っていた。


「できた!」


 バルクは少年のようにはしゃいでいた。


〈でも、すぐに壊れてしまった…〉


「それは君のせいじゃない。言わなかったけど、結晶化を持続させるポイントは『核』なんだ。核となるものがなければ、結晶化はすぐ解けてしまうんだよ」


 何か…と言いながらバルクはポケットを探った。訓練に使っている、屑ジェムが入っている。


「これを」テーブルに、ただの石ころにしか見えない4つのジェムを置く。「『封印』してみて」


 リコは怪訝な顔でジェムを見た。


「ただの石にしか見えないけど、それはごく弱い力のジェムなんだ。『封印』できると思う」


 リコはうなずいて、ジェムに向き合う。

 ジェムを囲んで4つの光が現れ、水平方向に回転し始める。光は一つに溶け合いながら、だんだん回転の径を縮めていく。


〈『封印』!〉


 クリスタルが4つのジェムを包み込む。光が引いたあと、惰性で数回転してから、止まった。


「すごい、成功した」


 バルクはクリスタルを摘んで持ち上げる。目の高さに掲げて、光にかざした。純粋な球体かと思ったが、よく見ると、沢山の三角形の面で構成されている。


「なんてきれいなんだ」


 クリスタルは4つのジェムを閉じ込め、七色の光を放っていた。よく見ると、クリスタルの内部でジェムがゆっくりと回転している。これまでに見たどんな宝石よりもジェムよりも美しかった。どうせならもっといいもので試してもらえばよかったな、とバルクは思う。


「これ、もらっていいかな」


 もともとそれはバルクのものだったし、どうしてそんなものを欲しがるのかよくわからなかったが、リコはうなずいた。


「ずっと見ていられる」


 バルクは目を輝かせながら、クリスタルを光に透かしたり、手のひらに載せて観察したりしている。


(できた。良かった…)


 ほっとすると、脚の力が抜けて、リコはその場にへたりこんだ。


「大丈夫!?」


 バルクは驚いてリコに駆け寄る。


〈大丈夫。ほっとしたら、力が…〉


 笑ったその目から涙がこぼれる。


〈ずっと練習してたけど全然できなくて、本当にどうしようかと思ってて。センスなさすぎてジュイユにも「その時になればできる」とか言って匙投げられちゃうし、どうしようって…。でも、本当に良かった。ありがとう〉


 バルクは床に膝をつくと、指先でリコの涙を拭った。


「成し遂げたのは君自身の力だよ。多分だけど、ジュイユ師の言うとおり、その時になればきっとできたと思う。でも、それとは別に、自信を取り戻せたことは本当に良かった。術の成功は術者の心理状態にも左右されるから」


 リコの頭を自分の肩に引き寄せる。

 リコは目を閉じる。心臓が、細い紐で締め付けられたようにきゅっとなる。全く嫌な感覚じゃない。心地よいくるしさ。リコはバルクの肩に頭を預けると、そっと背中に腕を回す。

 バルクはリコの頭を優しく撫でた。


「昔…まだキャラバンにいたころ、師匠が言ってた。世界には、歌うみたいに、踊るみたいに、自然に魔術を使う者がいる、って。その言葉が本当だって、今わかった」


 君のことだ、とバルクは言う。


〈わたしにはよくわからない…〉


「ジュイユ師が君に教えられることはないって言った意味、よくわかるよ。君に魔術の訓練をしたら、君の持っているものを歪めてしまいかねないと思ったんだ」


 リコはバルクの肩から顔を上げた。


「もっと自信を持っていいんだよ。君は素晴らしい」


 バルクはリコの髪を撫でた。


〈ありがとう〉


 リコは髪を撫でるバルクの手に、自分の手を重ねた。


「そうだ、今からあの泉に行くんだけど、一緒に来る?」


 リコはぱっと顔を輝かせて何度もうなずいた。

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