第8話 行商

「バルク、おはよー!」


 バルクは大声で荒っぽく起こされる。

 驚いて目を開けたが、まだ明け方だった。


「何かあったの?」


 バルクは目を擦りながら風に言う。


「まだ何もないよ? ちょっと手伝って欲しいことがあってさ。リハビリがてら、出掛けない?」


 風はうきうきしているようだった。


「ホラ、聖域に行くじゃない? その装備を揃えるのに、お金がいるからさ。町まで行商に行くの。ついて来てよ」


「行商…?」


「そそ。あ、そだ。あんまり気合い入った服着てこないでね」



 バルクは初めて、塔の階段を降りた。塔の前は広場になっていて、そこで待つように風に言われていた。

 荷車を伴って現れたのは、ジャイアントと呼んでいる、人型の魔物だった。

 牛が引く荷車には、完全に人間の、恰幅のいい中年女性が乗っている。この塔には、バルクとリコの他にも人間がいたのか。


「ありがとね! じゃ、行ってくるから」


 女性はしゃがれ声でそう言うと、ジャイアントの背中をバシバシ叩いた。


「バルク、さっさと乗って」


「え? えぇと、あなたは…」


「あ、そっか、風よ風! まさか鎧で行くわけにいかないでしょ?」


 バルクは卒倒しそうになる。


「やー、助かるわ。いつもは火をダンナ役にしてるんだけどさ、あの人、気が利かないじゃない? かと言って水はチャラいし土は何も喋んないし」


「…」


「バルクは今日は私の甥っ子ってことでやるから、よろしくね」


「この野菜は?」


「ああ、魔物たちが趣味で裏の畑で作ってるの。でもリコ1人じゃ食べきれないから、時々町に持っていって売るんだよね。あと、この布なんかも、魔物たちが作ってるんだ。なかなかの評判なのよ」


 上機嫌で話す風は、農家のおかみさんにしか見えなかった。



 森を抜け、町に着いたのは開門の少し前だった。


「ラシルラの町よ。この辺では一番大きい町になるかな」


 ラシルラの町も、ほかと同じく、城壁で夜間の魔物の襲撃から町を守っていた。


「ソアさん! 久しぶり!」


 近くで開門を待っていた荷車から、こちらも農家のおかみさん風の女性が声をかけてきた。ソア、というのは、風のことのようだ。


「ああ、ミシュさん! 具合はどう? 魔物にやられたって聞いたから心配してたんだよ!」


「そうなのよ! ほんと災難だったわ〜。ダンナが寺院に担ぎ込んでくれたからなんとか助かったけど!」


「まあまあ! 妬けるわね〜」


「そんなことないわよ〜。診てくれたのがイケメンマッチョの僧侶様でさ、まだ死ねないって気合が入っちゃったの!」


「やだ、アタシも診てもらいたいわぁ」


「でも魔物にやられるのはオススメしないわよ〜」


 2人のおかみさんは大口を開けて笑った。


「ね、ところで、今日は見かけない男前連れてるじゃない?」


 ミシュがバルクを見て言う。女性たちの会話に参加せず、なるべく気配を消していたバルクだったが、仕方なくミシュに会釈した。


「甥っ子のバルクよ。ダンナがぎっくり腰で動けないから、頼んで手伝いに来てもらったのよ」


 会話を遮るように、開門の鐘が鳴った。

 今日は町の広場に市が立つ日だった。食料品の他にも、道具類、衣料、武器、薬草などの店が開く。店を開く場所はクジだったが、どこの店にも常連がついていて、場所の良し悪しはあまり関係がなくなっていた。


「ミシュさんちのハム、ひとつ取っといてね!」


 風がミシュに叫ぶ。


「わかった! ソアさんちの野菜と交換してよ!」


 ミシュはバルクたちとは反対方向に荷車を進めながら叫び返した。



「52…ここだ」


 風は荷車を停めた。


「お客さんの相手は私がするから、バルクは品物の補充をお願いね」


「…わかった」


 バルクをよそに、風はさっさと店の設営を始めた。組み立て式の台に野菜を並べる。バルクも見様見真似で手伝った。


「ええっと、ミシュさんちのハムと交換してもらう分を取っとかないとねー」


 風は野菜を見繕って、麻袋に入れた。


「これ、あとでミシュさんとこに持っていく分だから、出さないでね」


 そうこうしている内に客がちらほらとやってき始めた。


「おはよう、ソアさん」


 最初の客は、杖をついた老紳士だった。


「まあ、マルバさん! 来てくれると思った! マルバさんにと思って持ってきたのがあるのよ!」


 風のおかみさんぶりに、最初はただただ感心していたバルクだったが、すぐにのんびりしていられなくなった。目の回るような忙しさで、有難いことに、昼前に荷車は空になった。風はミシュのところに行くと言って、バルクに店じまいを頼んで出ていった。



 バルクが店じまいを終えても、風は全く戻ってこなかった。きっとミシュと話し込んでいるのだろう。

 空腹を感じて、バルクは荷車の荷台に横になった。

 こんな日はいつ以来だろう。昔を思い出す。キャラバンの人々、魔術を教えてくれた先生。どうしているだろう。もう会うことはないけれど。


(あんなことがなければ、僕は、あのままキャラバンの一員になって、世界中を旅していたんだろうか。それはそれで良かったな。みんな親切だったし、旅は好きだ。家族だと思ってた。守りたかったんだ、ただ…)


 楽しいことを思い出そうとしても、意識は一番辛い瞬間を蘇らせる。キャラバンの人々の怯えた目、一変した態度…。少年に、もうここが居場所ではないことを悟らせるには十分だった。

 バルクは目を閉じる。

 父と慕っていた先生。ほのかに想いを寄せていた少女。楽しい日々。

 バルクは目を開き、顔の上に手をかざした。

 すべては、遠ざかってしまった。

 それからは、必死に生きてきた。身寄りのない者がなれる職業と言えば、ジェムハンターしか思いつかなかった。

 魔物は、倒すとジェムと呼ばれる宝石のような核を残す。ジェムはエネルギーを帯びており、それを取り出すことで、世の中の様々な仕組みを維持している。大型のものは都市のインフラに、小型のものは家庭で使う道具のエネルギーに。強い魔物ほど、ジェムが放出するエネルギーも大きかった。

 この町にも、ジェムの買取所があるはずだ。どこにでもある。

 単独で狩りをしていたバルクは、その実力を買われてパーティを組むようになった。いくつかのパーティに所属し、脱退した後、最後に組んでいたあのパーティに行き着いた。


「バルクー! どこー?」


 風の大声にバルクは思考を中断して起き上がった。


「あ、そこにいたのね」


 風はミシュに持っていった、倍の荷物を抱えて帰ってきた。バルクは風から荷物を受け取った。


「頼まれた買い物も終わったし、帰るわよ。ああ、今日も大繁盛で助かるわぁ。バルク、次も来てくれない? 火はクビよ」


 それを聞いてバルクは笑った。


「あなた、火の100倍手際がいいわ。火は、言われたことしかできなくてさ。何か商売してたの?」


「子どもの頃、キャラバンにいたんだよ。父親代わりの人がキャラバンの護衛でね。僕はその見習いだったけど、キャラバンが仕事をする時は手伝いもしていたから」


「どうりで」


「でも、風と火の夫婦も見てみたいな」


「ええー? どこにでもいる中年夫婦見たってつまんないわよ」


「いやいや、絶対面白いよ。今日だって、みんなご主人は?って言ってたし。お客さんも火に会いたがってる」


「うーん、まあ、次の市までに考えとく」


 荷車はゆっくりと守護者の森へ帰っていった。



 夕方、いつも、あの右耳の欠けたファミリアが傷の様子を見に来てくれるが、今日は様子が違っていた。

 初めて見るファミリア2体が一緒にいる。

 ファミリア3体が口々に何事か言っているが、バルクは相変わらず聞き取れなかった。

 立て、と言われてる気がしたので、バルクは立ち上がる。

 ファミリアは首からメジャーを下げていて、バルクの身体のサイズを計測し始めた。1体がサイズを読み上げ、もう1体が記録しているようだ。


「?」


 何のためにこんなことをするのか全くわからなかったが、バルクは素直に従った。ファミリアは椅子に上ったり下りたりしながらメジャーでバルクの身体計測をする。


(そうか、これまでの服は、彼らが作ってくれていたんだな)


 持ってきてくれる新しい服が、妙にぴったりで不思議に思っていたところだ。

 ひととおりの計測を終えると、2体は記録を見ながら何事かおしゃべりしていた。

 追加の計測をすると2体は頷き合って、部屋を出ていった。

 右耳の欠けたファミリアは、包帯を取ると傷口に薬を塗った。傷は右の脇腹を一直線に走っていた。治癒法のおかげで傷は塞がって滑らかになっている。もう薬は必要ないように思えたが、バルクは何も言わず、されるに任せた。

 ファミリアは、テーブルの上の薬を示した。


「わかってる。ちゃんと飲むよ」


 失われた血を補うものなのだろうが、金臭くて、恐ろしくまずい。

 ファミリアはバルクが薬を飲むのをいつも見張っている。


「ああ、わかったよ」バルクは笑った。「信用がないんだよな」


 椀の薬を一気に飲む。いつもながら恐ろしい味だ。バルクはむせる。ファミリアが水の入ったコップを渡してくれた。


「ありがとう」


 バルクはむせながらコップを受け取る。


「これ飲んだ後、口の中がしばらくこの味なんだよ」


 コップの水をあおった。

 ファミリアは何度かうなずく。


「同情してくれるんだね。確かに、この味がもうちょっとマシだったらとは思うよ」


 ファミリアは何事か言って出ていった。

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