第7話 物語
「そうさな」
ジュイユはバルクの居室の窓際に移動した。白目のない目で窓の外を見る。心地よい風が、ジュイユの僅かな髪を揺らした。
バルクはベッドに腰掛け、右耳が欠けたファミリアが包帯を替えてくれるのに任せていた。
「何でと面と向かってきかれると、答えるのは難しいが、まあ、一言で言えば、興味だな」
「興味!?」
予想外の答えにバルクを思わず声が大きくなる。
「そう、興味だ。人は私に、わざわざ魔物になった物語を求める。人間の世界に失望したからだとか、失った大切な者を蘇らせる実験の一環だとか。どれもまあ遠くないが、当たってもいない。あの頃は、自分が到達できる地点がだんだん見えてきて、自分自身に飽きていた。何か新しい魔術を開発してやろうという功名心もあった。また、私より長生きすべきだった奴らをこの手に取り戻して、かつてのように楽しくやりたいという欲もあった。色々だ。それらをひっくるめると、結局、興味というところに落ち着くのかと思っている。人が私に期待するような物語はない」
「でも、何も自分に試さなくとも…」
「失敗したんだよ」
ジュイユはバルクを振り返った。
「私は、完成していた法を、まず死者に、それから、死にゆく仲間に試してみた。しかし効果はなかった」
「…」
「残るは自分しかなかった。開発した法には自信があったが、失敗したとしても失うものはなかった。いい奴らはみな死んだ後だった。そして私は魔物になり、人間でいるよりもはるかに長い時間を生きることになった」ジュイユは戻ってきて、ベッドの端に腰を下ろした。「しかしダメだな。元が人間である以上、人間であった時の考え方や苦悩はなくならない。これは誤算だった。いやまあ、骨の髄まで魔物にならないよう法を調整したのは私自身なんだがな。そうこうしながら、流れ流れて辿り着いたのが、ここだ」
「…」
何という話だろう。この塔に来てから、信じがたいことばかりで、感覚が狂ってくる。バルクは天井を仰いだ。
「しかし、お前さんにしたってそうだろう」
「?」
「いい奴らはみな死んだ。違うか」
「…」
バルクは上を向いたまま目を閉じた。
「そのとおりです」
「洞窟に入ったパーティーは悪くなかった。それどころか最良だった。強すぎて、深いところまで進みすぎた。適当に切り上げておけば良かったものを。文字どおり深入りしすぎて、触れてはならないものに触れた」
「…」
「洞窟の主、精霊使いたちが言うところの神獣。そいつが目を覚ましたのはちょいと面倒だ。もう一度おねんねしてもらわにゃならん。近々リコが洞窟に向かう。お前さんにも行ってもらいたい」
「もちろんです」
汚れた包帯を纏めていたファミリアが何事か甲高く喚いた。ジュイユに抗議しているように見える。
「心配してくれているの? 僕は大丈夫。君たちのおかげでね」
傷のことよりも、仲間を失ったあの場所に戻らなければならないことがバルクの心を乱した。
「何も今すぐ出発するってわけじゃない、そううるさく言うな」
ジュイユが抗議を続けるファミリアに面倒臭そうに言っている。そのやり取りもバルクの耳には入らなかった。
神獣とは、バルクの仲間たちをいとも簡単に殺したあの魔物だろう。火そのもののような、巨大なフレイマ。洞窟の主。まさに神獣と呼ぶに相応しい。
あの洞窟が精霊使いの聖域だったとは。
(知っていたら…)
だからと言って、計画を中止しただろうか。今までも、知っていながら、聖域破りは何度もやった。これまでが幸運だっただけだ。
(強力な火属性の魔物がいることはわかっていた。ジェムをある程度集めたところで、切り上げていれば。既に、しばらくは仕事をしなくてもいい程度のジェムが集まっていたんだし)
しかしバルクはその考えを打ち消す。破格の獲物がいるとわかっていて、それは難しかっただろう。
どれほど考えても、あの場から全員を救い出せるシナリオは思いつかない。かと言って、そのことはバルクの心を少しも軽くしなかった。
バルクは窓を開けて外の空気を入れた。
風が強い、月が明るい夜だった。
窓を開けると風が躍り込んでくる。空には満月が輝いている。雲が吹き飛ばされるように流れていた。
窓枠にもたれて月を見上げていると、上階のバルコニーが目に入った。その角に、バルクと同じように月を見上げている人物がいる。リコだ。
リコはローブを脱いで、バルコニーの桟に頬杖をついて月を見ている。風が髪を揺らしていた。
リコは白っぽい服を着ていることもあって、月の光を受けて、夜の中に浮かび上がって見える。月そのものみたいだ、とバルクは思う。美しく、強力な、精霊使いの守護者。魔物たちが集まってくるのも当然だという気がした。
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