第4話 声
ほかの部屋へ行くのは初めてだった。内廊下は緩やかな螺旋階段となっていて、多くの魔物たちが自由に行き来していた。鎧をまとった骸骨騎士、亡霊、動物や昆虫に似た魔物たち。また、渡り廊下が空中で複雑に交差していて、迷路のようになっている。
「ここは、何か特殊な力で守られているのですか?」
「特殊…。まあ、そうだな。ここに暮らす魔物たちは皆、代々の守護者に仕える者だ。リコの力に惹かれてやってきた者も多い。ここにいれば、我々魔物を突き動かす、闇の力から逃れていられる。魔物でないほかの生き物のように、心穏やかに過ごせるんだよ」
「…」
「闇の力の影響を受け、常に憎悪をたぎらせているのも、結構辛いものなのさ」
バルクは何と言っていいかわからず、沈黙した。
「しかし、それが気に食わない連中もいる」
「魔物狩りを生業とする者にとっては、そうでしょうね」
「いや、そんなのは数のうちには入らん。お前さんを追いかけていた連中さ」
「え? しかし彼らは、同じ精霊使いでは?」
「そこが、この問題の根深いところなのさ」
目的地にはなかなか着かなかった。バルクは息が上がってきて、壁にもたれて休んだ。目が回る。
「傷口はエセ治癒法で塞いだが、血を増やすまでやると寿命を縮めかねなかったのでな。血は自力で増やしてくれ」
「治癒法を使えるのですか。あなたは、僧侶だったのですか?」
「いやいや。エセだと言ったろ。仲間の僧侶に教えてもらったんだよ。いい奴だった。死んじまったがな。世の中、いい奴から死んで、私のような者が残るのさ」
「…」
「元気そうに見えるが、まだ動ける状態じゃなかったか。おい」老人は通りかかった幼虫型の魔物を呼び止めた。「ちょっと、リコの部屋まで乗せていってやってくれ」
(うわぁ…)
バルクは、案外すべすべして触り心地がいい巨大な幼虫の背にまたがった。幼虫はバルクを乗せたまま、蠕動運動で階段を登った。
2人と1匹は螺旋階段を2周半登った。
「ここだ」
「ありがとう、助かったよ」
バルクは幼虫の背を撫でた。幼虫は器用に方向転換して去っていった。
気味が悪いという感覚は消えていた。
老人は扉をノックする。
「リコ、客だ」
そこにいたのは、若い女性だった。
フードがついた革のローブを着ている。典型的な精霊使いの衣装だ。
「はじめまして。バルク・フロウと言います。あなたが僕を助けてくれたと聞いてます。ありがとうございました」
リコはゆっくりとうなずいた。年齢は18歳くらいか。ローブの襟元からは、薄茶色の、毛先だけがくるりとカールした髪がこぼれている。瞳は緑色で、あまり日に当たらないのか、ハッとするほど肌が白かった。彼女は神が特別に手をかけて造ったように美しかったが、その顔は奇妙に表情を欠いていた。
リコは、椅子に掛けるよう手で示した。
バルクがテーブルに着くと、リコはテーブルを2度ノックした。
次の間のドアが開き、ティーセットを持ったファミリアが2体入ってくる。バルクの身の回りの世話をしてくれるファミリアとは別だ。
ファミリアは慣れた手つきでお茶を淹れる。
「ありがとう」
バルクはサーブしてくれたファミリアに礼を言う。リコはちらりと彼の顔を見た。
どうぞ、と手で示す。ぎこちない動きだった。
「いただきます」
バルクはカップを持ち上げる。いい香りだ。
「こんなにいいお茶をいただいたのは、いつ以来だろう」
リコはうなずいた。
バルクはリコの反応を、ちょっと奇妙に感じた。疎ましがられているというわけではなさそうだが…。
バルクの考えを感じ取ったのか、彼女は指で自分の喉を指した。
「喉? そうか。声」
リコはうなずく。声を失っているのだ。
リコは軽く手を挙げた。微かに風が吹く。緑色の鎧が現れた。風の精霊だ。
「どしたの? あ、代わりに話せばいいのね? うん。えーっとまず、身体の具合はどう?」
「みんなに良くしてもらったお陰で、すっかりいいよ」
リコはうなずいて、傍の風の精霊を見た。
「そっか。なら良かった。お客様なんてほとんどないから、ここのみんなも張り切っちゃってて。あなたがここにいようと思う限り、いてもらって構わないわ。どうぞ、ゆっくり休んでいってね」
「ありがとう」
バルクはリコと風の精霊に言った。
「僕のせいで君には大変な迷惑をかけてしまったみたいだ。本当に申し訳ない…」
「あなたが半殺しにしたフレイマたちは、神獣のしもべだったの。彼らは自分の主人が攻撃されたと感じて、あなたを攻撃してきたのね。今、火が話つけに行ってるから、表に出てるフレイマたちはまあいいとして。問題は人間の方ね。あなたたち、ちょっとばかしやりすぎちゃったのよね。あの洞窟は、精霊使いの聖域だったのよ。聖域を荒らされたとあっちゃ、メンツが立たない。あなたを引き渡せと言ってくる可能性が高いわ。そんなわけでこちらとしても、ほとぼりが冷めるまではここにいてほしいのよ。ここにいる限りは精霊使いの守護者の権限であなたを守ることができる」
「迷惑をかけてしまって…。必死だったとは言え、狼になったのも悪かった。フレイマたちを刺激してしまったんだろう」
バルクはため息をついた。
「そう思うなら、しばらくここで大人しくしてて。守護者の森の外で場外乱闘されたら、いくら守護者でも手が出せない。あなた、勢い余ってあの人たち皆殺しにするでしょ」
「…」
バルクは何も反論できなかった。
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