12
懐かしい夢を見た。昼寝をして目を覚ますと、鼻先に蝶が止まっていた時のことだ。
あれはまだ、余が一介の蜥蜴であった時分である。
白い光の中で、蝶の黄色い羽は身じろぎ一つしなかった。蝶は余が目覚めていることに気付いていないのか、花の上で蜜でも吸うように安心していた。
その気になれば、いつでも食うことはできた。だが余には、蝶を食おうだなどという気持ちは微塵も湧いてこなかった。ただじっと、むしろ息を潜めて、鼻先で休む蝶を眺めていた。
蝶はやがて、小鳥に代わる。
小鳥もまた、余が目覚めていることに気付きもせず、呑気に羽を休めていた。食わなかったのは、大して腹の足しにもならぬことだけが理由ではない。
そして小鳥は、少女になる。
それが少女であると気付いたのは、駆けてきた彼女が「怪獣さん!」と余を呼んだからである。頬や腕を黒く汚した彼女は、海で会った猿たちと同じ姿をしていた。だが余には、荒れ野に咲く一輪の花のようにも見えた。
ようやく出会えた。
余は、こんなにも小さき者のために海を渡り、見知らぬ土地で煙に巻かれ、身を焦がされたのだ。
後悔などするものか。むしろ胸の中は誇りで一杯である。
見よ、余の姿を。余はこんなにも美しいもののために命を賭したのだ。
鼻の向こうに少女の顔がある。鼻先に、柔らかく温かな感触がある。そういえばいつだったか、博識君が言っていた。
「この世には、愛を示すために口づけをする動物がいるのです」
夢見心地だった意識が、急速に晴れた。
余の鼻先にはまだ少女が立っている。このまま余の傍にいたら、彼女にも危害が及ぶのは明らかだ。
「ありがとう、お嬢さん。私はもう大丈夫です。あなたもどうか、元気を出して」
低い唸り声であったが、彼女には伝わっただろう。その顔に浮かんだ表情は、おそらく〈笑み〉だった。
体を起こし、彼女を潰さぬよう注意しながら立ち上がった。尻尾を振りながら踵を返し、向かってくる敵意の群れに対峙する。
痛いのは嫌だが、海へ向かうにはこの道を帰るしかない。それが、今の余に課せられた一番の使命である。
余は身震いした。
そして、大いなる一歩を踏み出した。
〈了〉
ジャイアント・ステップ 佐藤ムニエル @ts0821
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