命の価値

 窓から身を躍らせて、地面に降り立つ。膝に来る衝撃をなんとか受け流して立ち上がる。

 一瞬身構えたけれど、スピカの気配はなかった。

 ――なんとなく、スピカはあたしがこうすることを分かっていたのかもしれない。スピカもきっと、迷っている。軍人として、あたしたちを閉じ込めはしたけれど。時間もない。きっと力が欲しい。ここを、救いたいんだ。

 まずは、マオ・マオとシンとホクトくん。どうする? 

 考えている間に、少し離れた民家で煙と音が上がった。

 ……いや。さすがに、軍施設以外でそれやるのはどうかと、ちょっと思うけどね。

 とはいえ、分かりやすくって助かるのは確か。

 シンはいつでも、前向きだ。あたしはだから、シンと一緒にいるのが好きなんだ。

 短く息を吐いて、整えて。さあ、時間はないよ、ナナセ。最短距離は道を素直に行くよりは、ちょっぴし無茶してでもまっすぐ突っ切ること。

 ――行こう!

 膝と足首と足の裏にぐっと力を込めて。あたしは『ほし』をいく。

 シンとの合流は難しくなかった。シンのほうにいた見張りは、スピカでもシリウスでもなかったらしい。それはもしかしたら、スピカの差し金かもしれないけれど。

 自力で脱出してきたシンと外で合流する。

「ナナセ、時間は!」

「正確には不明! ただ、二時間少しってスピカは言ってた!」

 二時間、とシンが顔をしかめる。

「まずは、マオ・マオとホクトと合流だ」

「場所、分かんない! 心当たりある?」

「ない。けど、準備はしてる」

 シンは言うと、靴のかかとをガツッと地面に叩いた。そのかかとのゴムの間から、小さな機械が転がり落ちる。

「通信機。ナナセと離れただろ。そんとき、ホクトが寄越したやつ。あいつほんと、そういう準備に手抜かりねぇな」

 褒めてるのか、なんなのか。ちょっと嫌そうな顔でシンが言う。

「ホクトくん、頭回りすぎだからねぇ」

「ともかく。これでたぶん、マオ・マオの位置は割り出せる」

「ホクトくんは?」

「そっちも。ただ、ホクトの方はたぶん」

 言いにくそうにシンが言葉を濁すけれど、分かるよ。ホクトくんはおそらく、厳重警戒の中だ。ミナトくんとほぼ似た遺伝子を持つ人物として、警戒されている可能性が高い。

「マオ・マオ。聞こえるか」

 通信機に、シンが話しかける。少ししてから、ざざっと雑音だけが流れてきた。

「話せない状態?」

「たぶんな。ただ、通信機に居場所は送ってきた。向かうぞ。そう遠くない」

「っ、分かった!」

 走り出すシンの背中を追いかける。シンも道なりに行くのはやめて、出来る限りまっすぐ飛ぶように進んでいく。

 マオ・マオが捕らえられていたのは、住民街から少し離れた古びたビルだった。地上のそれとよく似ている朽ち果て具合で、放っておくとそのうち自己崩壊を起こしそう。どうやら、いつかの『雨』で被害を受けた区域らしい。地面も整っていない。

 窓を蹴破って中に転がり入る。軍人が数人――少ない!

 シンとあたしですれ違いざまに蹴りをたたき込んで、驚かせた上で走り抜ける。倒したりしている時間もないし、そんな意味もない。ただ、抜けるだけ!

「上だ!」

 シンの指示に駆け上がっていく。扉。蹴り破る!

 あたしとシン、二人がかりの蹴りで、古びた扉はあっけなく壊れて落ちる。

「遅かったな」

 そう凍える声で言ったのは――シリウス。

 冷たいアイスブルーの目が、あたしたちを見下ろしていた。

「悪あがきが好きな子どもだな」

「そうだよ」

 むりやり、あたしは笑う。

「マオ・マオ、返して」

 ふうと息を吐くと、シリウスはゆらりとこちらに歩いてきた。音のない動きに一瞬胃が震えた。そして次の瞬間、あたしの眉間にはテーザーガンが突きつけられていた。

「あと少し、おとなしくしていれば良いものを」

「二時間、おとなしくして、二時間だけ命をながらさせればいいって?」

 声が震えないように精一杯意識して、あたしはシリウスを見上げる。

「絶対、嫌」

 シリウスのテーザーガンを握る手がピクリと震える。

「ここにいても生きていられるか分からない。ほしのみんなもそう、地上のみんなもそう。それなのに、おとなしくしてろって言われる意味がわかんない」

「守るべき価値のある命か?」

 シンのびりびりした気配をすぐ隣で感じる。でも、手は出せないんだろう――さすがに、この状況じゃあね。

「地上に捨てられたお前のそれが?」

 嘲るような笑いに、一瞬何を言われたのか分からなくて目を丸くしてしまった。

「てめぇ!」

 怒鳴ったのはシンだ。でもあたしは、思わず笑っていた。

「いいよ、別に。シン」

「だってこいつ!」

「あたしの命に価値がないって言ってるんでしょ? どうでもいいよ」

 だって、とあたしはシリウスを見上げながら笑った。

「あたしの価値を、あたし以外が決めることなんて出来ない」

 シリウスのくちびるに笑みがのぼった。

「傲慢だな」

「ありがとう」

「何故、人はふたつに隔たれたと思う」

 シリウスの問いに、あたしはきゅっと眉を寄せる。

 シリウスはかまわず続けた。

「上と下で分かれれば、人はそちらを互いに敵視する。そうすればその地はまとまり、軍に対しての怒りも分散される。――人は、ずいぶんと愚かだ」

「まぁ、概ね同意ダネ」

 唐突に声がした。シリウスの後ろ――奥にいる、マオ・マオがゆっくりと歩いている。

「動くとこの娘が二時間早く命を終えることになるが?」

「そう? ま、概ね同意なんだけど、残念ながら」

 マオ・マオの目が赤く光った。

「――ボク、ナナセと一緒に育っちゃったから、非合理的な考えもしちゃうんだヨネ」

 次の瞬間、マオ・マオの首輪から何かが飛び出した!

 同時にシンがあたしの腕を強く引く。

「ちっ」

 シリウスが腕を振った。テーザーガンがひらめく。そのすきにあたしは体勢を整えて、でシリウスの横をすり抜ける。マオ・マオがあたしの胸に飛び込んできた!

「よかった!」

 抱きしめて、足をぐっと引いてシリウスに向き直る。

「何したの?」

「しびれ薬的なのを打ち込んだヨ」

「……そんなの知らないんだけど……」

「護身用に。文句があるならホクトへどうゾ」

 ……。え、直して貰ったときに追加されたってこと? ……ホクトくん……?

 あとでちょっといろいろ、問いただしておこう……。

 シリウスがこっちを見ている。左腕が震えていた。銃を持つ右手も。それでも立ったまま睨んでいる。

 そのシリウスに、シンが飛びかかった。

「シンッ!」

 無理をしないでと叫んだけれど、もう遅い。シンは二撃、三撃と蹴りを繰り出す。そのひとつが、テーザーガンをすっ飛ばした。

「ちぃっ」

「愚かかどうかなんて、どーでもいいんだよっ、ばーかっ」

 シンの笑い声に、思わずつられて笑っちゃった。そのまま、シンの隣へ駆けていく。

「――行こう!」

 マオ・マオを取り返して、逃げ出す。

 最後は、ホクトくん!

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