命の価値
★
窓から身を躍らせて、地面に降り立つ。膝に来る衝撃をなんとか受け流して立ち上がる。
一瞬身構えたけれど、スピカの気配はなかった。
――なんとなく、スピカはあたしがこうすることを分かっていたのかもしれない。スピカもきっと、迷っている。軍人として、あたしたちを閉じ込めはしたけれど。時間もない。きっと力が欲しい。ここを、救いたいんだ。
まずは、マオ・マオとシンとホクトくん。どうする?
考えている間に、少し離れた民家で煙と音が上がった。
……いや。さすがに、軍施設以外でそれやるのはどうかと、ちょっと思うけどね。
とはいえ、分かりやすくって助かるのは確か。
シンはいつでも、前向きだ。あたしはだから、シンと一緒にいるのが好きなんだ。
短く息を吐いて、整えて。さあ、時間はないよ、ナナセ。最短距離は道を素直に行くよりは、ちょっぴし無茶してでもまっすぐ突っ切ること。
――行こう!
膝と足首と足の裏にぐっと力を込めて。あたしは『ほし』をいく。
★
シンとの合流は難しくなかった。シンのほうにいた見張りは、スピカでもシリウスでもなかったらしい。それはもしかしたら、スピカの差し金かもしれないけれど。
自力で脱出してきたシンと外で合流する。
「ナナセ、時間は!」
「正確には不明! ただ、二時間少しってスピカは言ってた!」
二時間、とシンが顔をしかめる。
「まずは、マオ・マオとホクトと合流だ」
「場所、分かんない! 心当たりある?」
「ない。けど、準備はしてる」
シンは言うと、靴のかかとをガツッと地面に叩いた。そのかかとのゴムの間から、小さな機械が転がり落ちる。
「通信機。ナナセと離れただろ。そんとき、ホクトが寄越したやつ。あいつほんと、そういう準備に手抜かりねぇな」
褒めてるのか、なんなのか。ちょっと嫌そうな顔でシンが言う。
「ホクトくん、頭回りすぎだからねぇ」
「ともかく。これでたぶん、マオ・マオの位置は割り出せる」
「ホクトくんは?」
「そっちも。ただ、ホクトの方はたぶん」
言いにくそうにシンが言葉を濁すけれど、分かるよ。ホクトくんはおそらく、厳重警戒の中だ。ミナトくんとほぼ似た遺伝子を持つ人物として、警戒されている可能性が高い。
「マオ・マオ。聞こえるか」
通信機に、シンが話しかける。少ししてから、ざざっと雑音だけが流れてきた。
「話せない状態?」
「たぶんな。ただ、通信機に居場所は送ってきた。向かうぞ。そう遠くない」
「っ、分かった!」
走り出すシンの背中を追いかける。シンも道なりに行くのはやめて、出来る限りまっすぐ飛ぶように進んでいく。
マオ・マオが捕らえられていたのは、住民街から少し離れた古びたビルだった。地上のそれとよく似ている朽ち果て具合で、放っておくとそのうち自己崩壊を起こしそう。どうやら、いつかの『雨』で被害を受けた区域らしい。地面も整っていない。
窓を蹴破って中に転がり入る。軍人が数人――少ない!
シンとあたしですれ違いざまに蹴りをたたき込んで、驚かせた上で走り抜ける。倒したりしている時間もないし、そんな意味もない。ただ、抜けるだけ!
「上だ!」
シンの指示に駆け上がっていく。扉。蹴り破る!
あたしとシン、二人がかりの蹴りで、古びた扉はあっけなく壊れて落ちる。
「遅かったな」
そう凍える声で言ったのは――シリウス。
冷たいアイスブルーの目が、あたしたちを見下ろしていた。
「悪あがきが好きな子どもだな」
「そうだよ」
むりやり、あたしは笑う。
「マオ・マオ、返して」
ふうと息を吐くと、シリウスはゆらりとこちらに歩いてきた。音のない動きに一瞬胃が震えた。そして次の瞬間、あたしの眉間にはテーザーガンが突きつけられていた。
「あと少し、おとなしくしていれば良いものを」
「二時間、おとなしくして、二時間だけ命をながらさせればいいって?」
声が震えないように精一杯意識して、あたしはシリウスを見上げる。
「絶対、嫌」
シリウスのテーザーガンを握る手がピクリと震える。
「ここにいても生きていられるか分からない。ほしのみんなもそう、地上のみんなもそう。それなのに、おとなしくしてろって言われる意味がわかんない」
「守るべき価値のある命か?」
シンのびりびりした気配をすぐ隣で感じる。でも、手は出せないんだろう――さすがに、この状況じゃあね。
「地上に捨てられたお前のそれが?」
嘲るような笑いに、一瞬何を言われたのか分からなくて目を丸くしてしまった。
「てめぇ!」
怒鳴ったのはシンだ。でもあたしは、思わず笑っていた。
「いいよ、別に。シン」
「だってこいつ!」
「あたしの命に価値がないって言ってるんでしょ? どうでもいいよ」
だって、とあたしはシリウスを見上げながら笑った。
「あたしの価値を、あたし以外が決めることなんて出来ない」
シリウスのくちびるに笑みがのぼった。
「傲慢だな」
「ありがとう」
「何故、人はふたつに隔たれたと思う」
シリウスの問いに、あたしはきゅっと眉を寄せる。
シリウスはかまわず続けた。
「上と下で分かれれば、人はそちらを互いに敵視する。そうすればその地はまとまり、軍に対しての怒りも分散される。――人は、ずいぶんと愚かだ」
「まぁ、概ね同意ダネ」
唐突に声がした。シリウスの後ろ――奥にいる、マオ・マオがゆっくりと歩いている。
「動くとこの娘が二時間早く命を終えることになるが?」
「そう? ま、概ね同意なんだけど、残念ながら」
マオ・マオの目が赤く光った。
「――ボク、ナナセと一緒に育っちゃったから、非合理的な考えもしちゃうんだヨネ」
次の瞬間、マオ・マオの首輪から何かが飛び出した!
同時にシンがあたしの腕を強く引く。
「ちっ」
シリウスが腕を振った。テーザーガンがひらめく。そのすきにあたしは体勢を整えて、でシリウスの横をすり抜ける。マオ・マオがあたしの胸に飛び込んできた!
「よかった!」
抱きしめて、足をぐっと引いてシリウスに向き直る。
「何したの?」
「しびれ薬的なのを打ち込んだヨ」
「……そんなの知らないんだけど……」
「護身用に。文句があるならホクトへどうゾ」
……。え、直して貰ったときに追加されたってこと? ……ホクトくん……?
あとでちょっといろいろ、問いただしておこう……。
シリウスがこっちを見ている。左腕が震えていた。銃を持つ右手も。それでも立ったまま睨んでいる。
そのシリウスに、シンが飛びかかった。
「シンッ!」
無理をしないでと叫んだけれど、もう遅い。シンは二撃、三撃と蹴りを繰り出す。そのひとつが、テーザーガンをすっ飛ばした。
「ちぃっ」
「愚かかどうかなんて、どーでもいいんだよっ、ばーかっ」
シンの笑い声に、思わずつられて笑っちゃった。そのまま、シンの隣へ駆けていく。
「――行こう!」
マオ・マオを取り返して、逃げ出す。
最後は、ホクトくん!
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