第五章 toi toi toi !

うまく、行きますように。

 目が覚めたとき、そこはただ真っ暗だった。

「起きましたか」

 どこかほっとしたような声に顔をあげる。闇の中にうごめく影に、目をこらす。

「……す、ぴか」

 喉が掠れていた。無言で水が入ったグラスを差し出された。受け取って喉を潤す。

「みんなは……どこ」

 あたしの声に、スピカは目を伏せた。

「生きているはずです」

「そんな言いかたっ……」

「それ以上は不明なので。指令も出ていませんから」

「……」

 ぐっと拳を握る。そもそもここはどこだ。みんなは? マオ・マオさえいない。

 心臓が苦しいくらいの速さで打ち鳴らされている。息が上がってきてしまう。だめだ、落ち着け。今ここにはシンもいない。手を握ってくれるホクトくんも。

 だれも。

 あたし――ひとりだ。

 どくん、どくん。ただ、心臓だけがうるさい。

 こわい。どうしよう。すごく、こわい。ひとりって、こんなだった?

 いつもシンがいた。マオ・マオがいた。ホクトくんや仲間も。でも、いまは、いない。

「……あと、二時間少しです」

 静かな声に、喉が鳴った。スピカが、あたしを見つめている。

「二時間……?」

「大雨まで、です」

 ――嘘。

 ぞわっと、背中があわだつ。

「あなたはどうして、ここに来たんですか」

「どう、して……って」

 スピカの言葉を繰り返す。頭がガンガン鳴っていて、いまいち分からない。

 ホクトくんが望んだから。それから、Mのことが知りたかったから。

「あなたが、違法電波を受信していなければ、こんなことにはなっていなかった」

「っ、でもそれは!」

 ミナトくんが――Mが――やっていたことだ。ただ、あたしはただ、ラジオを聞いていただけ。それを違法として、勝手に狙ってきたのはセイバー軍の方だ。

 ああ――でも、そうか。急にストンと胸の奥に納得が落ちていった。

 ラジオ、聞いていただけだけど。それが『M』のだったから。あたしが、この事態を招いたのは確かなんだ。

 そしてあたしは。ホクトくんの夢は一緒に見たいと願ったけれど、あたし自身は、ただ流されてここにいるだけなのかもしれない。

 捨てられてここを追放されたのに、『ほし』からのラジオにすがって、なんできちゃったんだろう?

 思わず目線をそらすと、スピカはしばらく黙った後大きく息を吐いた。

「――出来る限りのことは、するつもりですけれど。ここも、あなたも、わたくしも……地上も、安全は保証出来ません」

「……どうして?」

「そういう、計算の答えが出て――」

「そうじゃなくて」

 言葉を遮る。

「……ミナト……は」

 くん、をつける気になれなくて、あたしはそう続ける。

「スピカとあの人……シリウス、に、自分の身だけを守るように、言っていたよね」

 スピカは答えないまま、背を向けた。

「どうして、出来る限りのことはするつもり、って言うの?」

「――セイバー軍は、ここの政府は。本来、地上を管理するのが、仕事ですから」

 背中だけで、スピカが答えてくる。なる、ほど。悪い子じゃ、ない。

「ねえ、スピカ。……あの、シリウスってひとは何者?」

「兄です」

 ふふ、と、スピカが小さく、ほんとうにちいさく、笑った。

「家族というのは、いろいろ、面倒ですわね」

 そういうスピカの顔は、面倒な様子もなくて。それどころか、悲しさと、愛しさと――どこか、恋をしているような表情を、していた。

「――それじゃあ。さようなら、ナナセ。生を、願ってますわ」

 その言葉だけを残し、スピカが部屋を出て行った。ガチャンと、重たい施錠の音だけが部屋に残される。

 壁に背を預けて、あたしは目を閉じた。暗い部屋。でも、少しだけ光が落ちている。高い位置にある光取りの小さな窓。その光だけは、まぶたを閉じていても感じる。

 ここはどこ? ――分からない。

 あたしはひとり? ――そうだね。

 どうすればいい? ――どうしようか。

 とりとめのない問いが頭の中に浮かんでは消えていく。

 そんなとき、いつも意識せずくちびるに登ってくる言葉がある。だから、今日も。唇が揺らいで、その音を出そうとした。

 toi toi toi

 ――唱えかけて。さすがに、笑っちゃった。目を開ける。

 あの呪文、言っていい状況じゃあないなぁ。だって、それを教えてくれた『M』本人が、あたしをここに閉じ込めるように指示を出したんだもん。

 ホクトくんも、シンも、マオ・マオも。みんな無事かな。

 怖い。でも、それでも。

 どうしてもあたしは――『M』を、あの星くず放送局と名乗ったラジオを、嫌いになれなかった。

 毎晩のたった十分が。そこで語られる言葉が、いつもあたしを支えてくれていたから。

「toi toi toi」

 言葉を口にする。そのまま、もう一度目を閉じて思い出す。

 そう。いつも、どんな風に始まっていた? どんな風に終わっていた?

 それだって、すっかり暗唱出来る。


 こんばんは。こちら星くず放送局。

 今夜もきみに、この声が届いていることを願って。

 

 ――それから。


 それじゃあ、今夜はここまで。

 toi toi toi!

 世界のどこにいても、きみに幸せが降り注ぎますように。


 口にして、あたしはそのまま息を呑んだ。

 どくん、どくん。指先に鼓動が響く。

 ああ。そう、だ。そうだよね。空気をいっぱいふくんだ、甘くやわらかい声。その音で紡がれる言葉。きっと、そう、きっとだけれど。

 嘘なんてない。

「世界のどこにいても、きみに幸せが降り注ぎますように」

 それが、それがもし、ミナトくんの本音だったとしたら。

 はあー、とあたしは大きく息を吐いた。額に滲んでいた汗を手の甲で拭う。近くに落ちていたキャップ帽子を拾って、ぐっと目深にかぶり直す。

 立ち上がる。

 部屋は狭いけれど家具はある。高い明かり取りの窓の外は昼間の陽射し。高さはあるけれど、それなりに大きさのある窓。だいじょうぶ。これだけ物があればなんとでもなる。

 ――あたしたぶん、からっぽだよ。いま、マオ・マオすらいなくって、みんなもいない。ここに来たのだってなんとなくの流れなのかもしれない。捨てられっ子だし、親も分かんない。別にそれは、どうでもいいって思っちゃうけどさ。

 でも、毎晩聞いてきたラジオで教わった呪文がある。

 toi toi toi ――うまく、行きますように。

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