生け贄

 唐突に。映像が、感覚が、引きちぎられるように消えた。

 戻ってきた重力に耐えられなくて、あたしはその場にへたり込んだ。顔を上げる。滲んだ脂汗が気持ち悪いけれど、手の甲でむりやり拭った。

 ミナトくんが、本棚に背を預けたまま微笑んでいた。どこか、さみしそうに。

「見れた?」

「……傘、って」

「そ」

 にっこりと、目を細める。くるりとあたしたちに背を向けて、いくつか本を取り出した。それを、近くのライトテーブルに無造作に重ねて置いていく。

「君たちは……地上にいる者たちは、ここをどう聞いていたのかな」

「どう……って」

 それを、あえて聞かれると言うことの意味が分からなかった。

「楽園だよ」

 吐き捨てるように言ったのはシンだった。

「『ほし』は選ばれた者だけが――救う者だけが住める、誰もが夢見る楽園で、俺たち地上の民は、救われるのをただ待つだけの人――って、言われてきた」

「なるほど」

 ミナトくんが微笑んだまま頷いた。

「ある意味間違ったことは言ってない」

 とん、と、先ほど置いた本の表紙を叩く。

「実際ここは、地上に比べて技術力は高い。実際遺伝子レベルで選択されているから、ここを回す技術のある人だけが住んでいる。その上政府からのポイント支給制で貧困もない。ただ生きるだけなら、地上よりずっと幸せだと思うよ」

 ただ、とミナトくんは続けた。

「見て貰ったとおり。代償として、ぼくらは傘としての役目を持たされている」

 つまり、と切なくミナトくんの笑顔がゆがんだ。

「生け贄だよ」

 ――生け贄。ぞっとする言葉に、鳥肌が立った。

「おかしいだろ」

 引きつった声は、ホクトくんだ。

「より優れた者が生け贄になる理由がない……生け贄ってんなら、切り捨てられる人間を用意するはずだ」

「そこは駆け。命をかけて頭を働かせれば、自分たちも助かるよ、っていうね」

「なるほど」

 ホクトくんが吐き捨てた。

「いい趣味してるな」

「ふふっ、当時の政府のね」

 とんとん、と本を撫でるように叩く。

「実際、ギリギリだったんだと思うよ、いろいろね。ぼくたちの想像も及ばないほどのギリギリの選択肢。それで突貫で『ほし』が用意されて、人は分けられた。――傘となって『救う者』と、地上で事が終わるのを『待つ者』と、に」

 それは、今まであたしたちが聞いてきたお話の認識が崩れていく言葉だった。

 ――そうか。

 なんとなく、納得してしまう。だから、地上の活気に似た何かがここにはない。

「ミナトくん」

「うん、なに?」

「――また、雨が降る?」

 すうっと、ミナトくんの顔から笑みが消えた。

「降るよ」

 低い声だった。

「もう、時間はない。そして今度こそ、ここは持たない。その技術力はもう、ないから」

 一度は、きっと耐えたのだろう。そのあと何度かの雨も、かろうじて。だけど、地上がああなったと言うことは『ほし』だけでは耐えられなくなったと言うことだ。そして、今は。もう。

「……なんとか、しなきゃ」

「……」

 あたしの言葉にミナトくんは応えてくれなかった。

「――あとは? 何から聞きたい?」

 ミナトくんの問いかけに、ホクトくんが静かに切り出した。

「お前は、何者だ。何故、俺と同じ顔をしている。お前は……俺の何なんだ」

「実験」

「実……験?」

 隣のホクトくんの顔が、何か痛みをこらえるようにぎゅっとゆがんだ。

 対するミナトくんの方は涼しい顔だ。さらさらと、窓からの風に髪が揺れている。

「結論から言うと、ぼくと君は双子だよ。証拠がいるならぼくのIDを見せてもいいけれど。ぼくと同じだけの能力をきみも持っている。――存在は知っていたんだ。会えるとは思っていなかったけれどね」

 ふたご、と、ホクトくんの小さな声が耳に届く。

 兄弟――なんだ。だから顔もそっくりで、声もおなじで。名前だって、似ている。

「なら、なぜお前はここにいて、俺は地上にいた?」

「だから、それが実験。同じ能力を持つ者を上と下に分けた。どちらがうまく作用するか――君は地上に植えられた楔だし、ぼくはほしに仕掛けられた爆弾みたいなもの」

「なるほど。じゃあ、ラジオは?」

「あれはたんにぼくの趣味。ここにいる人間だって、ただの人間だって、誰かが気づいてくれないかな、って、願いを託していただけ。無様だけどね」

 自分で自分を笑うように、少し悲しげに目を伏せてミナトくんはくちびるを揺らす。

 ふうと、あたしは息を吐いた。手が、震える。その手を、そっとホクトくんが握ってくれた。驚いたけど、でも、ありがたくて握り返す。そのまま、ミナトくんを見上げる。

「きいても、分からないかも知れないけど。――あたしは、どうして地上に……捨てられたのかな。親の話とか、知らないと思うけれど、なにか、分かることはある?」

 ミナトくんの目が細まる。

「調べようと思えば調べられるとは思う。でも、それは望んでいない?」

「……うん」

「分かった。じゃあ、推測にはなるけれど。実はきみみたいな子は――多くはないけれど、数人、確認されてはいる。ここにいるはずなのに、いない個体。そういった場合大体はすぐにばれるから。親の証言は出てるよ。大体、同じ」

「……うん」

「生け贄をきらったんだ。少しでも生き延びる可能性を、地上に求めた。地上だってろくにぼくらは管理出来ていないから、そんなところで被保護の子どもが生き延びられるかというとなかなか大変なのは分かってはいたんだろうけれど。それでも」

 何かを、願うように。ミナトくんが微笑む。

「傘になる場所から、子どもを逃がしたかった。――それだけ、だと思う」

「そっか。マオ・マオは? こっちの技術?」

「そのロボット・ドッグ? おそらくね。君のご両親が、君の生存確率をあげるために君につけた御守りみたいなものだろうね」

 そっか。それで、マオ・マオはいろいろ知っているし、ここに来るための手段も――光柱の消し方なんかも、知っていたんだろう。

「ありがとう」

 あたしは頷いた。それだけ分かれば、それでいい。捨てられた事実は消えないし、許したいとも思わないけれど、でも、事情はあったんだと分かればそれでいい。

 見上げると、ホクトくんも少し困ったように微笑んでくれていた。ぎゅっと一度だけ強く手を握ってくれて、それからゆっくり放される。

「最後の質問」

 冷たい声はシンだ。一歩前に出て、あたしに並ぶ。

 同時に、ホクトくんがあたしの腕をそっと引いた。そのまま、あたしの前に出る。

 ……? ふたりに、かばわれているような気がする。

「なんで、お前はナナセのことを知っている?」

 ――え?

 なんでもなにも、自分から話したのに、と思うけれど。でも、シンの声は硬い。

「どういう意味かな」

「聞き方を変えようか。なんで、ナナセの前に姿を現した? ホクトのことも分かっていたよな? 何を考えている?」

 ――え?

 シンのたたみかけるような言葉に、すっ――と。ミナトくんの顔から、笑みが消えた。

「偶然、じゃ、納得しない?」

「しねーな。いくら人が少ないからって、こんな短時間で、しかも俺たちが離れたタイミングで、こんなことあるか?」

「なるほど。地上の待つ者でも馬鹿じゃないんだ」

 そういったミナトくんの声は、いつものラジオの柔らかさなんてかけらもなくて。

「じゃあ、もういいや。どうせ時間もないしね」

 言うと、ミナトくんが腕につけていた時計型の端末らしいものを――操作した。

 ほとんど、同時だった。

 部屋の扉がはじけるように開かれた。振り返る。シンがあたしの背後に回る。驚いているうちに、人がなだれ込んできた。そこには。

「スピカ!」

 それと、あの――男の、軍人も!

 どうして……!

 事態を飲み込めないのはあたしだけだったのか、ホクトくんもシンも、ぴりっとした空気をまとってあたしを間に挟んでいた。

「お前――何者だ」

 二回目のホクトくんの問いかけは、笑うような声だった。

「ぼくは、ミナト。さっきも言ったよ。それから、さっきの質問の答えなら、簡単」

 ミナトくんは、冷え切った目であたしたちを見ていた。

「ぼくがこの『ほし』の現在の責任者だからね」

 ミナトくんが――責任者――?

「情報ならいくらでも手に入る、か」

「そういうこと。察しが良くて助かるよ。さすがだね。おにいさん?」

 ミナトくんが、さっきまでと全然違う怖いような笑顔を浮かべた。

「スピカ、シリウス」

「はい」

 あの男の軍人が静かに答える。

「全員バラバラで捕まえておいて。殺す必要はない」

「――分かりました」

「どうせあと数時間……三時間もないかな。自分の命だけ守ればいいよ、シリウスも、スピカもね」

 スピカが、苦しそうに目を揺らしている。

 どうして。あんなに、やさしい声でラジオを流してくれていたのに。

 どうして、こんな冷たい声を出すの。あなたは――Mなのに――?

「ミナトくんっ!」

 あたしの叫び声に、ミナトくんは笑った。

「じゃあね、さようなら、ナナセ。ホクト。シン。――マオ・マオもね」

 ひらりと手を振られて。

 次の瞬間、あたしの意識ははじけるような痛みとともに暗闇へと落ちていた。

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